第43話 リオの後悔
「シエナが婚約? 誰とだって?」
リオはすっかり取り乱した。
「お姉さまのリリアス様の元の婚約者の方でございます。あの評判の悪いレイノルズ侯爵家の放蕩息子ですよ」
リオは唇を噛み締めた。
「まずいのは、父親の伯爵です。婚約を承諾してしまったのです」
父親の、いやリオにとっては伯父の伯爵は、意気地なしだった。
安い方へ安い方へと流れていく。
娘たちのために、もう一声頑張ればいいものを。
コーンウォール卿夫人がやってきた。
彼女も話を聞くと頭を抱えた。
「リオ、こうなったのも、お前がもたもたしていたからですよ」
「そうだ。もうすでに婚約済みと伝えてはいかがでしょう?」
「できなくはないと思うけど」
コーンウォール卿夫人が懐疑的に答えた。
「でも、きっとレイノルズ家の方が、先に父親の伯爵の許可を得ていると言うでしょうね」
本人の了承は問題にならない。
「あの父親は娘のことなんかちっとも心配していない。自分の心配ばかりだ」
リオは腹立ち紛れに叫んだ。
「でも、リオがシエナと結婚するのとなると、レイノルズ家は、ハーマン家に婚約破棄の損害賠償を要求するかもしれないわ。先約を破棄させたと言う意味でね」
「あんな連中に一ギルだって払いたくない!」
ベイリーが顔をこわばらせて、とにかく伯爵に申し込みましょうと言い出した。
「申し込みは、ほぼ同時だったと言うことにすれば」
「でも、伯爵から婚約が成立したと手紙が届いているのでしょう?」
コーンウォール卿夫人の言葉は痛烈だった。
「もう伯爵は承諾しているし、返事はレイノルズ家に届いていると思う。それにあのよくわからない法外な賠償金をハーマン家が肩代わりなんか出来ないわ。そもそも社交界でも噂だったのですよ、おかしいって」
そこへ若い女中が来客を取り継ぎに来た。
「取り込み中だ!」
ベイリーが荒々しく叫び、女中はビクッとなったが、傍からひょっこりと顔を出したのは、イライザ嬢だった。
「コーンウォール卿夫人」
彼女は話しかけた。
「奥様、大変な時にお邪魔して申し訳ございません。でも、私に考えがあります。話を聞いていただけませんでしょうか?」
リオは伯爵邸に馬を走らせた。
シエナだ。
こんなことになるなら、もっと前に申し込んでおかなくてはいけなかったのだ。
それにしても相手が悪い。
どこの貴族の家でも、あんな強欲な真似はしない。家名に傷がつく。
だが、レイノルズ家は気にしなかった。
今度は借金を振りかざして、娘をまるで、モノのように買い取ろうとしている。
ドレスを贈り、身の回りを何不自由なく過ごせるよう手配したリオも、似たようなものなのだろうか?
「絶対に違うよ」
リオは走った。
伝えたいことがある。それは、この気持ちだ。
だが、そのほかにもリオは捨てられないものがあった。
「シエナ、待っていて」
「あんな汚い強欲な連中に負けてはいられませんわ」
突然侵入してきたイライザ嬢に言われた。
「リオ様。どうして今までお気持ちを伝えなかったのですか? 遠慮なんかこの際、なんの役にも立ちませんわ。本当の気持ちをシエナ様に伝えなければ、シエナ様が抵抗してくださいませんわ」
「そうよ、リオ」
コーンウォール卿夫人も加勢した。
「リオ、本当の気持ちは大事よ。まずは二人が心をあわせることが必要よ」
「大丈夫ですわ。リオ様」
ためらうリオにイライザ嬢が声をかけた。
「シエナ様はあなた様を絶対に愛していらっしゃいます」
「弟として?」
リオは一番悩んでいたことを呟いた。
「あなたを愛していますわ。シエナ様を人に取られてしまったら、あなたは確実に不幸になる。そんなこと、シエナ様は望んでいません。でも、まず、伝えなくては。その上でシエナ様がなんておっしゃるか」
「早く行きなさい、リオ」
「そうですわ。私たちはできることをします。味方を増やします。姉上のリリアス様の時には、私たちはいなかったわ。でも、今度は、美人で勉強もできるのに、ちっとも鼻にかけない親切なシエナ様には、いっぱい味方がいますわ」
リオは全部を聞いてはいなかった。彼は部屋を急いで出て行ってしまっていた。
「イライザ、あなたは世間を動かそうというのね」
「ええ。世間の風なんか気にしない人たちだと承知しています。でも、風は確実に吹くと思いますわ。レイノルズ家はうとまれています」
「そうね。私も可愛い甥のために頑張るわ」
「ファンクラブが瓦解するかもしれないですけど」
コーンウォール卿夫人はニヤリと笑った。
「大丈夫よ。良いこと? リオは弟じゃないのよ」
「ええ。先日、コンスタンス様から教えていただきました」
「リオはね、初めて会った時から、シエナが大好きだった。一目惚れよ。そして、ずっと思い続けてきた。やっと思いが叶うことになった時に邪魔が入ったのよ」
「いいですね。そのストーリー!」
大問題の最中だというのに、二人は意気投合して、噂話の骨子を練った。
「一途に思い続けたというのは、ウケがいいと思います」
ストーリーを練った二人は、紙とペンを持ち出して、メモを書き散らした。
「リオ様ファンクラブが、二人の恋の成就を切望するように、持っていけば良いんですね?」
「そうそう。憎まれ役に不足はないわ」
「シエナ様が、か弱そうな令嬢で良かった。しかも美人。誰しもがなんとかしてあげたくなるでしょう」
「本物はおとなしいだけではないんだけど」
「人間、見かけが八割ですよ! 私たちも頑張りましょう!」
二人の活動家たちが何を始めるかはとにかく、リオは伯爵邸に向かって突っ走っていた。
後悔が渦を巻く。
無邪気に弟だと信じて優しく接してくれていたシエナ。
実は弟じゃなかったなんて、ある種の裏切りではないだろうか。
シエナの気持ちをよく知っているだけに、いきなりはまずいと感じていた。
突然、弟なんかじゃないんです、今まで黙っててごめんなさい、これからは恋人になってくださいって。
ハーマン侯爵の養子に迎えられ、リオは金も地位も十分になった。
騎士学校の成績も優秀で、入学以来ずっとトップだ。
ちなみに全くどうでもいいことだが、マンスリー・レポート・メンズ・クラシックでも、発刊以来トップの座を占めている。
そこに油断と驕りがあったのかも知れない。
「シエナ!」
なぜ、リオが伯爵邸に堂々と出入りしても、例のアッシュフォード子爵が一言も文句を言わないのか、おかしいと思ってほしい。
ハーマン侯爵家からの使用人たちもリオの訪問をニコニコ顔で歓迎している。
たまにうっかり口を滑らしそうになって、モゴモゴ言っている女中もいるが、それくらいだ。
「あの、リオ様……」
門内に入り、あわてて出てきた門番に手綱を投げ、大急ぎで建物の中に入ろうとすると、門番が話しかけて来た。
「今、あの、……」
「絶対に嫌です!」
シエナが叫んでいる。
リオは駆け出した。




