第26話 隣国の王太子殿下、お忍び留学
先生方専用の会議室へ呼び出されたシエナは、ちょっと怯えていた。
アンダーソン先生は末席に座り、学園長や学園の女子部の主任の先生、顎髭を長く伸ばした見知らぬ貴族然とした老紳士だのがずらりと集まっていたからだ。
自分は、別に何も悪いことはしていないはず。
シエナはドキドキしていた。
「実は隣国のセドナ王国の王太子殿下がしばらく留学されることになりましてね」
どうやら説明役らしい、メンバーの中では高圧的ではない男が口を切った。
シエナはセドナ王国の王太子の動向なんかまるで知らなかった。
「そうでごさいますか」
知らなくて当たり前と言う様子で男は話を続けた。シエナの反応は気にしていないようだった。
「リーズ嬢には、通訳と学内のご案内をお願いしたい」
シエナは、内心、仰天したが、全員、シエナが引き受けて当たり前と言う顔をしていた。
「王太子殿下の通訳は、本業の者が付いているので、あまりしてもらうことはない。ただ学内のことは同じ生徒がよかろうと言うことで、一応案内のために同い年の男子生徒のカミング伯爵家のアーチボルト・カミングが付く。貴族学園には女子生徒も多いので、念のため補佐役としてあなたをお願いしようと言うことになった」
「隣国の王太子殿下に失礼があってはならないので、女子生徒からの動きに気を付けるように」
「期間は一ヶ月程度だ。留学と言っているが、実質は視察程度に思ってもらえばよい。くれぐれも失礼がないように」
こんな簡単な説明を受けて、シエナは外に出された。誰が誰だか知らないが、おそらく王都の高官なのだろう。
ドアが閉まるか閉まらないかのうちに、彼らは大声でしゃべり始めた。
「セドナ語が一番の成績なので、リーズ嬢になったのですよ」
「たかが学生、通訳としては役に立たんだろう」
「ですが、学内のことは生徒に聞かないとわからない。アーチボルトは優秀だが、女子生徒の話になったら……ならないとは思うが、対応できないだろう。その場合は、仕方ない。念のためだ」
一緒に外に出たアンダーソン先生は悔しそうだった。
「あなたの実力を知らないから、平気であんなことを言うのね」
シエナは何とも思わなかった。実際、通訳として使えるかどうかわからない。
「それより、セドナの王太子殿下に失礼なことを言ってしまったらと心配ですわ」
「大丈夫だと思うわ。専属の通訳の方が、必要な場合のみ、学内の様子をあなたに聞くんじゃないかしら? 王太子殿下と直接お話しすることはないと思うの。心配はいらないと思うのよ」
セドナの王太子殿下は、アラン・レッドと言う偽名を使っておしのびで一か月と言う短い間、学園内に滞在する予定だそうだった。
「正体を知っているのはあなたとアーチボルト・カミング様だけになります。あなたは最初にご案内係としてごあいさつするだけの予定で、カミング様が必要だと判断された場合のみ、手伝いをお願いいたします」
外交部の担当者はエドワード・ロチェスターと名乗った。気ぜわしそうな赤毛の小男で、まだ若いのに頭頂部があやしくなっていた。よほど忙しいのだろうか。
シエナにせわしなく予定表を手渡し、アーチボルト・カミングを紹介した。
アーチボルトは尊大そうな顔つきの最上級生で、いかにも軽蔑したような表情でシエナの顔を見た。
「隣国の王太子の接待役なのに、一年生なんかを呼んでくるとは。顔だけで選ばれるとは心外だな。もっとましな女子生徒はいなかったのか?」
独り言にしては大声過ぎた。
シエナは黙ってお辞儀した。
アーチボルト・カミングがどう思おうと、気にするつもりはなかった。
これまでも、カーラ嬢や、その友達には散々バカにされてきた。今だに、カーラ嬢の友達はみんなシエナのことをよく思っていない。
だが、今はどうしてだか平気だ。
魔王様も付いている。それにリオもいる。
シエナを大事に想ってくれる人たちがいる。
「どうぞよろしくお願いいたします」
王太子殿下の御前に出て恥ずかしくないように着飾ったアーチボルトは、普段通り地味な格好のシエナを一瞥すると、フンと言ったような声を鼻から出して言った。
「出番はないと思うけどね」
アーチボルトは、自分一人が殿下をご案内する栄誉を担うつもりだった。
きっと今回の留学は、殿下にとって、一生の思い出になるだろう。
自分はセドナ王太子殿下と、切っても切れない友人になる機会を与えられたことになる。アーチボルトは、欲と誇りではち切れんばかりだった。
それが一人じゃなくて、二人だなんて!
アーチボルトは、特に何の表情も浮かべていない隣のシエナの顔を見た。
学校の成績は優秀なのかも知れなかったが、王太子殿下を止めたり操ったりするタイプではなさそう。間抜けで役に立たなさそうだ。
そもそも、殿下より年下の少女だ。顔がかわいいので選ばれたのだとアーチボルトは信じている。
「アラン殿下のお出ましでございます」
丁重な声で、セドナ側の高官が案内し、殿下とおつきが部屋へ入って来た。
王太子と言う重い身分にふさわしい威厳にあふれる人物を予想していたアーチボルトと、それから外交部の公式接待係のひげのモーブレー公爵は、実際に現れたセドナの王太子の格好を見て、肝をつぶした。
どこで研究してきたのか、彼はかっこいい騎士風のなりをしてきていた。
剣を携え、動きやすそうな黒革のジャケット、地味な色目の長ズボンは上等の革のブーツに飲み込まれている。
唯一、騎士候補生と異なるのは斜めにかぶった帽子に付けられた派手な羽飾りだった。
髪は明るい栗色で目は青。
「殿下……ではなくて、レッド様……」
「アランでいい」
明らかにセドナの王太子殿下は浮かれていた。
「あのう、それは騎士学校の制服によく似ておりますが?」
「似せた。騎士候補生は女生徒に大人気だそうじゃないか」
王太子は隠そうとしても隠せない微笑みをふんだんに浮かべて、むしろ渋い顔をした年寄り(モーブレー公爵)と若者の顔を見比べた。
モーブレー公爵とエドワードは、セドナ王国からの申し送り文を思い出した。
『……できれば、堅実で優秀なる女性の案内担当者を付け、トラブルから距離を置くようご配慮賜ることを……』
二人は、堅実で優秀なる女性の案内担当者の方を振り返った。
シエナはセドナの王太子殿下を見ても、ちっとも批判的な顔をしていなかった。こんな人なのかあと感心している顔だった。
ダメかもしれない、この娘。
「かわいいだけの無能」
アーチボルトは内心毒づいた。声に出ていたかも知れない。
聞こえたとしても、王太子殿下だけだろうが、殿下はゴート語がわからない。問題ない。
トラブルから距離を置くように……とは、我が国の積極的なご令嬢方がセドナの王太子と聞きつけて、アプローチを開始して、結果、生じるトラブル問題だなと考えたのだが、完全に読み違えていたようだった。
全く逆。
この殿下は、やりたいことがあったら、堂々とやり抜くタイプに見える。
モーブレー公爵、通訳兼監視役のエドワード、学内通訳のアーチボルトは頭を抱えた。
「女子に大人気……」
おしのびで他国にそんなことをしに……
ボーブレー公爵とエドワードは悩んだ。
堅物で、親に決められた婚約者へ週に一度、事務的に手紙のやり取りをしているだけのアーチボルトと、弟以外の男と出かけたことがないリーズ嬢では、太刀打ちできないのではないか?
齢七十才。礼儀正しく、いかにも堅物に見えるが、実は離婚歴が三回にも及び、現在も自邸内でたまに奥方様とお手付きの侍女の私闘が繰り広げられていると噂のモーブレー公爵の方が適任なのかもしれなかった。
しかし、アラン・レッドの最初の一言は、一歩足を踏み出したモーブレー公爵を打ち砕いた。
「年配男性なんか趣味じゃないよ。取って食いはしないよ。ねえ、後ろの可愛いお嬢さん、なんてお名前?」
「シエナ……リーズでございます」
アラン・レッドは顔を輝かせた。




