第25話 抜擢
リオとのデートは、街の案内と言う名目で何回も続き、伯爵家の人たち、つまりベイリー(息子)もダイアナもヴィクトリアもアレキサンドラも、マーゴさえデートを止めなかった。
それどころかニコニコして送り出し、デート用の可愛い町娘の服も毎度キチンと用意されていた。
弟とのお出かけに、こんなに積極的だなんてオカシイ。
「こんなことをしていたら、きっとそのうち魔王様のお怒りを受けるのでは?」
「そんなことはございませんよ。楽しんでいらっしゃい」
最近では、無口なはずのダイアナが二文節以上をしゃべるようになってしまっていた。
だけど、シエナには人には言えない秘密が増えていった。
リオが近すぎる。
街に出かけるのは楽しい。
十二月祭りに向けて、衣装を用意するのも楽しい。
リオもシエナも、十二月祭りは初めてだったが、みんなが自由に扮装して街を練り歩くそうだ。
そして街の中心の広場で大きなかがり火を焚き、花火を上げて終わるらしい。
「へえ?」
なんだか楽しそう。
「魔王の衣装なんかどうかな?」
とリオは言って、するりとシエナと腕を組んだ。
「リオが?」
そろそろと腕を抜いてみる。
「うん」
今度は肩が近づいてきた。とは言え、リオは相当大きいので、頭のすぐ後ろにリオの胸がある感じ?
「本物の魔王様が怒らないかしら?」
「本物の魔王って、誰のこと?」
「えーと、アッシュフォード子爵?」
リオはちょっと遠い目になった。
「その魔王様は、今度、襲名披露をするらしいよ?」
「しゅうめいひろう……?」
「ハーマン侯爵は爵位をいくつか持っていて、後継ぎにはアッシュフォード子爵を名乗る。アッシュフォード子爵を名乗らせることが、すなわち誰が後継なのかの発表だ」
それって、どういうことなのかしら?
「ハーマン侯爵の長子が相続するのではなくて?」
「ハーマン侯爵に子どもはいないらしい」
「えっ? でも、ご子息って」
シエナは驚いた。実の息子の話だとばかり思っていた。
ますます魔王の正体がわからなくなってきた。
「養子だと思う」
リオは慎重に言った。
自宅に戻ったシエナは、ハーマン侯爵家から派遣された使用人に囲まれていることを思い出した。
魔王様はとてもやさしい。
プレゼントの箱が届くたびに、それを痛感する。
シエナが気を遣わないようにと思ってなのか、この頃は、燃料だの食料品だのと言った必需品は自称執事のベイリーや、ダイアナが、侯爵家のお金で勝手に仕入れているらしい。
そして、プレゼントの箱の中身は、お菓子だったりドレスだったり、かわいいペンだったり、シエナが喜びそうなものばかりだ。
そんなこまごました気遣いは、例え魔王様がどんな人だったとしても、例えまさかの人外だったとしても、シエナに感謝と温かい気持ちを抱かせる。
両親に事実上あまり構ってもらえなかったシエナにとって、魔王様は心のよりどころになっていった。
一方で、一緒に出歩いているのはリオだ。
魔王様は手紙の一通も寄こさない。
そして、一度も会ったことがない。
本当の名前はアッシュフォード子爵と言うらしい。学園にも騎士学校の噂はちょこちょこ流れてくるのに、そんな名前は聞いたこともなかった。
騎士学校の噂は主に、例のブライトン公爵令嬢キャロライン様に付きまとっている顎のテオドールと、ダーマス侯爵令嬢アリス様の足に熱視線を送っているアーネストが発信源だった。
アッシュフォード子爵が、その二人と知り合いでないだけなのかもしれない。
「ハーマン侯爵? お子さまがおられないので親族の騎士候補生をご養子に考えておられるとか聞きましたわ」
イライザ嬢はあれほどの炯眼の持ち主ではあるが、なにせギリギリ貴族の端くれなので、ファン活動に従事してはいるものの、侯爵家の跡取り問題には詳しくない。
と言うか、興味がない。
「それよりも……私服のリオ様をお見かけしましたわ」
「お美しいですわ」
「あの、肩で風を切って歩いていらっしゃるところ、ちょっと不安そうな表情を浮かべられるところ、キリッと目線が変わられるところ、どこをとっても、いつでも見惚れてしまいますッ」
「お美しい髪質ですわ。長めでちょっと目にかかるのをウザそうにされていたり、鼻が細くて高くて貴族的なんですの」
「あれほどまでに繊細でお美しい顔立ちなのに、筋肉質。なんでも武芸大会ではぶっちぎりの一位だったそうですわ! 今度、全学年入り乱れての大会がありますの。それでシエナ様」
「は?」
話が突然シエナに振ってきて、シエナは我に返った。
シエナはいつものことなので聞き流して、テスト対策の回答集の作成に余念がなかった。これは売れるのだ。
生活は魔王様のおかげで劇的に改善した。
だけどシエナはそれに頼り切るつもりはなかった。
魔王様はシエナをとろかしたいらしい。
全生活を魔王様が面倒を見てくれるつもりらしい。
でも、とシエナは思うのだ。
魔王様は、姿を見せない。
突然現れた魔王様は、突然消えてしまうかも知れない。
アンダーソン先生は言っていた。
「自分の実力だけはあなたを裏切らないわ。運命を切り開くのも、あなたの実力よ」
回答集を売り続けるのも、語学の勉強にいそしむのも、自分のためだ。
先生は満足げで、地理や歴史の勉強も学科を取るように選んでくれた。教養は裏切らないと。
だから、彼女は、魔王様は無尽蔵にドレスを送ってくださるけれど、そのうちでも地味なものを好んで着た。
おかげでカーラ嬢が広めたがっていた、あばずれで無節操な貧乏伯爵家の娘と言う評判は鳴りを潜めていた。
ただの地方出身の伯爵令嬢だ。地味で目立たなくて、真面目な生徒。ただそれだけ。
正体の分からない魔王様に密かに溺愛されているのと、どこへ行っても目立ちまくりの弟リオに何かと構われているのが、ある意味、悩みのタネだったけれど、魔王様の溺愛は誰も知らなかったし、リオの方は姉なのだから、嫉妬や嫉みからは免れていた。むしろ、渡りをつけて欲しいと頼まれることがあるくらいだ。
だから、よくわからない小さな悩みを抱えてはいたものの、シエナは生徒としては幸せで、将来の希望もあった。
だが、それはあのいつもは冷静なアンダーソン先生が顔色を変えてシエナを探しに来るまでだった。
「シエナ、あなたが抜擢されてしまったの」
アンダーソン先生のあわてっぷりにシエナは不安になった。
「何の話ですか?先生?」




