第18話 自称執事現る
翌朝、学園に行くと、イライザ嬢が興奮冷めやらぬ様子で、夕べのダンスパーティの総括を話してくれた。
「ブライトン公爵令嬢と騎士候補生の舌戦が盛り上がってしまって……」
ブライトン公爵令嬢と口論になった騎士候補生は、実は、マクダネル侯爵の嫡男の方だったそうで。
「お似合いじゃないですか」
「家柄的にはね。だけど、二人とも本気で怒ってしまって……」
マクダネル卿は、黒髪黒目の背の高い男だった。猫背で、ちょっとばかり顎が長すぎて、自分では、容貌にコンプレックスがあったらしい。
「ブライトン公爵令嬢が容貌にコンプレックスを持つ必要なんかないわ!と大声で慰めてらっしゃったのですが……」
なにしろ、マグダネル卿は、自分がコンプレックスを持っていること自体を認めたくなかったらしい。
「痛いところをグッサリ刺されたマグダネル卿は、キャロライン様に向かって……」
あなただって赤毛ではないかと言い返した。
(ブライトン公爵令嬢の名前はキャロライン様だった)
赤毛は名誉あるブライトン公爵家の伝統である。
父上の公爵は、若かりし頃、見事な赤毛だった。
戦場ではその勇猛さと共に、真っ赤な頭髪がとても目立ったと言う。
ついたあだ名は、当然赤公爵。
赤公爵が先頭に立てば、軍兵は勇気百倍、士気大いに高まり、連戦連勝と言われた。
残念ながら、戦いが減少すると共に、公爵の髪も一本抜け二本抜け、平和になったのを見計らったかのように、きれいさっぱりなくなってしまった。
だが、公爵令嬢は内心ものすごくそのことを(本数の問題ではなくて毛の色の問題の方だが)気に病んでおり、毛の話になると目の色を変えた。
「なにおっしゃるの!」
リオなどそっちのけになってしまい……
それで、リオはシエナがジョージに捕まっているところを助けに来れたのねと、シエナは納得した。
シエナは、あのすばらしいドレスを着て行ったおかげで、ジョージとカーラ嬢と完全に縁切り出来た。
ただ、リオとは踊ったとは言え、姉弟のダンスなんて、婚活的にはゼロ評価にしかならない。
要するになんの進展もなかった訳だが、その分、とても気が楽だった。
伯爵が破産の危機に瀕しているのは、多分その通りだと思う。
だが、それ以上に娘のシエナと息子のリオのことを、まったく気にしていないことも明らかだった。
アンダーソン先生から、成績についてはお褒めの言葉を頂いている。
「よく頑張ったわね、シエナ」
先生は厳しい人だが、キチンと努力は評価してくれる。
「この分なら、外交部に女官として仕事できると思うわ。王妃様や王女様が外国の方と接するときには必ず女性のお付きが必要ですからね。王家で仕事をするなら、お給料はすごくいいわ。気をつかうので嫌なら、学校で教師になってもいい」
「私、事情が許せば留学したいです」
アンダーソン先生は目を見張ったが、次の瞬間、ニコリとした。
「それはいいわ。私も若い頃、外国に行ってみたかった」
「お金がないのですけど、二、三年どこかで働いてお金を貯められれば」
「お父様は出してくださらないの? ダンスパーティの時のあなたのドレスはすばらしかったそうじゃないの。それだけのお金があるなら……」
あれは父のおかげじゃない。
アッシュフォード子爵と言うよくわからない方からのプレゼントだ。
「父は出してくれないと思います」
アンダーソン先生は理解したらしかった。ちょっとだけ、方向は違っていたが。
「そうねえ。ご令嬢に高価なドレスは買ってくれても、留学の費用なんか絶対出さない親は多いわ」
うちのはちょっと事情が違うんですけど……説明するわけにもいかず、シエナはうなだれた。
そのあと数日、シエナは、届けられる封書に悩まされることになった。
「お嬢様、なんだか知らないですけど、今日もお使いの人たちがたくさん来て……」
封筒はさまざまな家からの、シエナ宛てのお誘いだった。
もちろん、招待されているのはシエナだが、宛名は伯爵宛だ。
「どうしたらいいのかわからないわ」
どんなにお応えしたくても、お茶会に着ていくドレスがないのだ。
ところが、ある日、伯爵家の門を叩いたのは、招待状を持ったお使いではなかった。
「お邪魔いたします」
にこやかな微笑みを浮かべてやってきたのは、黒い服に身を固めた、まるで、どこかの家の執事のような男だった。
「はい。執事でございます」
「え?」
どこの?
「この家の。リーズ伯爵家の執事でございます」
「あのう、あのう、私は存じませんが?」
シエナは男の言っている意味が分からなくなって、思わず疑問形になってしまった。
「ハッハッハ」
自称執事は朗らかに笑った。
「何をおっしゃるやら、シエナ様」
そう言うと、家の中に押し入った。
「ちょっと、あんた! なに他人ン家に勝手に入ってんのさ」
「これは、マーゴさん」
「えっ?」
マーゴもたまげた。
「なんで、私の名前を知ってるの?」
「執事ですから」
そう言うと、家の中の様子に顔をしかめた。
「入っておいで」
背が高く、威厳たっぷりで、マーゴより若いのだろうがマーゴよりずっと老けて見える女が、後ろに気が小さそうな女を一人従えて入ってきた。
「女中頭のダイアナと、下女のヴィクトリアです」
黙っているシエナとマーゴの目前を、ダイアナとヴィクトリアが行進してお辞儀した。
「どうぞよろしくお願い申し上げます」
「えっ……こちらこそ……?」
「早速ですが、この汚い台所をお任せください」
マーゴの眉がキリリと上がった。
「き、汚いですって?」
「マーゴ様、お嬢様の寝室へご案内くださいますか?」
マーゴはこの一言に黙ってしまった。
シエナに寝室はない。シエナは台所の横の小部屋で寝ている。
強いて言うなら、クローゼットは使っている。
万一、伯爵が帰ってきた時、謎のアッシュフォード子爵からのプレゼントが見つかってはいけないからだ。
「伯爵のなさりようは承知しております。部屋を使うに使えなかったかもしれませんね。どの部屋がお嬢様によろしいでしょうか。マーゴ、ダイアナに教えてやってください」
さわやかだが、反論を許さない声が響いた。
例の自称執事の男だ。
「申し遅れました。私の名前はベイリー。父も某侯爵家で執事を務めておりましてね、貴族のご家庭についてはよく存じ上げております」
ベイリー?
シエナはぼんやりした。どこかで聞いたことがあるような……?
「さあ、お嬢様、お使いになるならどのお部屋がいいですか?」
マーゴに対する時とは人が変わったかのように、にこやかにダイアナが聞いてきた。
「南向きの広いお部屋はありませんか? 大きなクローゼットのついた部屋がようございますね」
自分の家だと言うのに、今来たばかりのダイアナに連れられて、二階へ行って、マーゴと三人で部屋を選んで階下に戻ってみると、ドヤドヤと大勢の男女が家を出入りしていた。
ベイリーが飛び出してきて説明した。
「せめて客間だけでも整えておきませんと。あと、台所の修繕が必要なのでその職人を呼びました」
マーゴとシエナは、身の置き所がない気がした。
「それから護衛として、このマッスルを置いていきます」
筋肉隆々の立派な騎士が現れた。
マッスル……は女性だった。苗字がマッスルだった。
「元は洗濯女だったのですが、洗濯桶を一時に四つ抱えて歩いているところを発見されまして、そのまま特訓を受けて護衛になったのです」
洗濯桶を同時に四つ!
マーゴとシエナは驚いて、目を丸くしたが、マッスルは得意そうだった。腕組みをしてうなずいている。
「これでお嬢様の身の回りは万全です。今までマーゴが頭を悩ませていた薪代だとか食料品の支払いなどは、私が面倒をみます」
「え?」
シエナは仰天した。誰が払うというのか。そう言えば、やって来た自称執事たちの賃金は誰が払うことになるの?
だが、マーゴはほっとしたようだった。
「今まで大変だったでしょう」
マーゴはうっかり涙ぐみそうになっていた。
「邸内の色々なものを売って……伯爵さまは仕送りをしてくださらないもので……」
「ひどいですね」
ベイリーは、そこまでひどいことになっているとは思っていなかったらしい。
実はシエナもだ。多少は仕送りがあるのだと解釈していた。ゼロだということか。
「シエナ様が学校のお友達から受け取って来られる家庭教師代が唯一の現金収入でした」
涙を拭きながら、マーゴが言うのを聞いて、シエナは大反省した。
「マーゴ、ごめんなさい、そんなことならもっと稼げばよかったわ。最近は、男子生徒からも個人授業の申し込みが増えていたの。でも、自分の勉強の時間も取らなくてはいけないので、断っていたのだけど……」
「それは完全にお断りになってください」
ベイリーが割りこんだ。
「さあさあ、これまでたまった食料品店へのツケがあるなら、全部私が払ってきましょう。それから、シエナ様」
ベイリーはキラキラ光る金貨を何枚か差し出した。
「お小遣いです。お使いください。それでは私はこれで……」
「待って!」
シエナは叫んだ。
「聞かせてください。これは誰の差し金なんですの?」
ベイリー氏は片まゆを上げた。
「差し金とはまた令嬢らしからぬ言葉をご存じですね?」
「教えてください」
シエナは真剣だった。
こんなことを父の伯爵は決してしない。
「仕方がありませんね。私はアッシュフォード子爵の指令でここへ来たのです」
「アッシュフォード子爵!」
シエナとマーゴが同時に叫んだ。




