第118話 それから その2
そして、夢のような美しさの外交官夫妻は、どこでもここでも丁重に扱われ、鉱山に関しても有利な条件を引き出すことに成功し、これを聞いたエドワードはバカ笑いした。それから、いそいそと準備を始めた。
エーヴはまだ小国で、セドナに接しており、ほぼセドナの属国のような立ち位置だった。公用語もセドナ語だった。
「セドナ国王とお知り合い!」
エーヴの国王陛下は感嘆した。
「侯爵も侯爵夫人も、セドナの新国王と友人なのですか!」
「ええ。陛下は王太子時代に留学されていたことがありまして。非常に仲が良かったのですよ」
リオがいけしゃあしゃあと説明した。
仲悪かったくせに。
「夫人もですか?」
シエナはためらい、それから答えた。
「セドナ語の通訳を務めていました」
そう言われれば、それはずいぶん昔の話のような気がする。あれきり殿下……いやアラン陛下に会ったことはない。
「会えばきっと話が弾むことでしょうな。一度だけお目にかかりましたが、私は、畏れ多くて、うまく話ができなくて。何しろ、セドナの国王陛下ですから」
セドナは大国だ。まだ若いエーヴの国王は、何かまぶしいものでも見るような目つきになって、シエナを見た。
会いたいような、会いたくないような。
何の遠慮もなく、ただの友達として付き合った。殿下の一生で、あんな時間はきっとなかっただろうし、この先も絶対にないだろう。
シエナにとっても特別な時間だった。
今ならわかる。シエナがアラン殿下にちっとも恋をしなかったその理由。
シエナがリオを避けてきたのは、本当はリオが怖かったから。
リオはシエナの心の底に、魅力いっぱいのとろかすような存在として住んでいた。彼はとてもやさしい。つらいこと、悲しいこと、全て受け止めてくれる。彼に全部委ねられたら、どんなに楽か。
だけど、そうはいかない。自分は姉だし、自分のことは自分でどうにかしなくてはならない。
認めたら最後だ。一瞬でも気を抜いたら、底なしの甘い何かに引きずり込まれてしまう。だから、無視していた。見ないように。でないと自分は何をしてしまうかわからない。そこにアラン殿下の割り込む隙はなかった。
それでも、アラン殿下のあたたかい気持ちはうれしく、それまで婚約者のジョージや意地悪のカーラ・ハミルトン嬢などからぼろ服のせいでさげすまれて暮らしていたころと比べれば、天国みたいだった。アラン殿下は、本当に友人らしい親切さだった。
「あの頃は学生でした。今は国王陛下ですわ。お目にかかることさえ難しいでしょう」
会いたいのは、友達として。
会いたくなのは、今は違うから。それを見たくないから。いつまでも、あの優しいアラン殿下のままの姿を残しておきたい。それは、あたたかく幸せな思い出なのだ。
アラン殿下が別れ際に言った言葉が思い出された。
『君は僕がどんな人間なのか理解した。それは生涯を通じて強みになる。隣国の王を知っている。王も君を知っている』
『ただの仕事が思いがけない財産になることがある。それが今だよ』
ハーマン侯爵夫妻は、外交官として成功し、華やかな人生を歩んだ。
そしてシエナ夫人は、本人の性格とは裏腹に、国際政治で先頭を切って活躍する賢夫人として名をはせた。
最初の事件は、エーヴでの出来事だった。
『ハーマン侯爵夫人は、条約締結に大きく貢献した……』
この新聞のコラムの執筆者は、イライザ夫人。ちなみにかつてのイライザ嬢は、今はリリアス夫人の名誉回復のための芝居の、舞台監督と結婚して、執筆などでも活躍していた。
しかし、このハーマン侯爵夫人讃歌を読んだシエナは青い顔をした。
「私はそこまで活躍したわけでは……」
「何をおっしゃってるのですか! 夫人の会話力はすばらしい!」
エーヴの文官の一人が言うと、他の文官たちも大きく頷いた。
「助かりました!」
「あの場で、リヒャルト殿下にお黙りなさいと言えるのは、侯爵夫人だけです!」
お黙りなさいは、会話だろうか。シエナはしょんぼりした。
「あんなことになるとは、思いもよりませんでした」
シエナに一喝され逆上したリヒャルト殿下は、ダンスパーティ真っ最中の宮廷なんかで、剣を抜いてシエナに飛びかかった。が、瞬時にリオに返り討ちにあったのだ。見事な剣技だった。
しかし、深刻な事態であるにもかかわらず、会場はなぜか「キャー、カッコイイイ」の嬌声で満たされた。
なにしろ殿下は死ななかった。
一方で、男性陣は大興奮だった。
「すごい技だ!」
「あれだけ振り切って殺さないとは!」
「さすが試合剣!」
試合剣……見た目だけカッコイイけど、別に死なないと言う、逆の意味ですごい技だった。
リヒャルト殿下は担架で運ばれていったが、その場にいた全員が、身分をかさに四六時中トラブルばかり起こす王弟殿下には嫌気がさしていた。この前も、まとまりかかった条約をつぶしたばかりだ。兄王も扱いに困っている。
無理やり退場してくれて、せいせいした。これで、しばらくはおとなしくしているだろう。
そして、イライザ夫人による例の新聞記事となるのである。
「私は、お二方のお立場に同情しただけで……こんなふうに新聞で公表しなくてもいいと思いますの」
リヒャルト殿下は、昨今はやりの婚約破棄劇場を演ろうとして、ハーマン侯爵夫人に差し止めを食らったのだ。
「王弟殿下にあれだけのことをしたのに、お咎めなしとは……?」
「さすが美人は違いますなあ」
シエナは知らなかったが、実は、裏にはアラン陛下がいた。
陛下は軽い調子で側近ナンバーワンのジョゼフ相手に言った。
「どんなに努力しても認められないことって多いよね。でも、シエナにはいつでも光が当たるようにしてあげたいんだ。新聞に載せて、世評を味方につけるとかね。方法はいろいろあるよね。いざとなれば、セドナから国王陛下からのお手紙を書くよ」
「新聞に載せたりしたら、シエナ様本人は嫌がるだろうって、さっき言ってたじゃないですか、自分で」
ジョゼフが言った。
俺を振った仕返しさ。
アラン陛下は思った。
大体、アラン陛下を振る女なんかこの世にいるはずがなかったのだ。
愛人になるも良し、ただの知人でもいい。大セドナの国王陛下のお気に入りともなれば、小国の国王をも凌ぐ権力、財力が思うままなのに……とアラン陛下は思った。
それを、シエナは、リオの為に人生最大のチャンスをダメにしたのだ。
「あれが真実の愛なの?」
俺も欲しいな。真実の愛。
「王妃様と向き合って、育ててくださいませ」
「パッとあると楽だなって思ってさ」
ジョゼフは、不敬にならないように、陛下から見えないところで肩をすくめた。少なくともリオは、長い時間をかけて努力していた。アラン陛下よりずっと深く愛していたから。
「仲が良くて、よろしいではありませんか。ハーマン侯爵は騎士学校の出身ですが、非常に伶俐だと有名ですし、シエナ様は……」
「侯爵はむしろ冷徹で狡猾だと評判だぞ。計算高いとか」
その侯爵が、小国とは言え、王弟のリヒャルド殿下を本気で斬る真似をした。
真似でも、一歩間違えば、国外追放。国に帰っても一生日の目を見ないだろうと思う。
アラン陛下は言った。
「どうせリヒャルド殿下の剣の腕前じゃ、相手に届かないか、間に護衛が入るだろう。シエナなら扇ででも払うだろうよ。なんで、リオは剣を抜いたんだろうな」
わかっているくせに、アラン陛下は言った。
「腹が立ったんでしょう。あと、二度とシエナ様にそんな真似をしないように」
うん。
アラン殿下にはその気持ちが分かった。
「リオは、いつまで経っても、バカだな」
ジョゼフが控え目に言った。
「そこがいいところでは」
だから、助けてやったんだ。リオも。ついでだけど。
アラン陛下にとって助けることは、大した手間ではない。シエナにお知らせ出来ないところがつらいけど。
「次もやるかもしれないな。その時は下請けしよう」
愛人でも、ただの知り合いでもいい。
「やらないと思いますよ」
だが、アラン陛下はジョゼフに異議を唱えた。
「わからんぞ? 案外、思っていたよりバカだったりして」
「王妃様は……」
「まあ、冗談だよ、冗談。冗談に決まってるじゃないか」
「リオのバカ」
その頃、リオはシエナに抱き着かれて叱られていた。
「もし、リオに何かあったら……私を一人にしないで。あなたが大事なの」
シエナは泣いていた。この人を失いたくない。
「ごめん」
そう言いながら、口の重いシエナから言葉を引き出せて、リオは腹の底から湧きだすような訳の分からない喜びに震えていた。
大事な人……。あなたの一番にやっとなれた気がするよ。
はうああ……もう一度やろうかな。抱き着かれて、泣かれるだなんて、もはやご褒美では……。
「愛してるわ……」
ああ。そんなことを考えてはだめだ。この人を悲しませるだけだ。絶対にしてはならない。
それに……一瞬たりとも離れたら、どんなオオカミが狙っているかもしれない。どこかから何かを感じる気がする。
「絶対に君を離さない。愛しているよ、シエナ」
…………かくて、世はこともなし。
「あの古ぼけた伯爵邸で出会わなかったとしても、きっと僕は君とどこかで巡り会えたと思うんだ。でなければ、世界中を探したと思う」
リオはシエナを抱きしめた。
「ずっとずっと、一生愛してるよ」
めでたし、めでたし。
これにて完結(長すぎ)
あと、ボリスとジョージのオマケ話が2話あります。
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