第116話 結婚までの長すぎる道のり
「あの芝居がそんな役に立つとは思わなかった……」
エドワードはそう言ったが、結果論として、ものすごく役に立った。
元々リリアス夫人をモデルにして作られていたので、本来キャロライン嬢は何の関係もなかったのだが、ブライトン公爵は、芝居の中の悪い父親の代表みたいに言われ出した。
それというのも、パトリックとキャロライン嬢が恋仲なのに、父のブライトン公爵が反対しているとの噂が絶えなかったからだ。
風評被害もいいところである。
パトリックが、むやみやたらにいい男で、駆け落ち相手のエドワード役の俳優と微妙に似ているせいもあった。
「パトリック様の方が、顔がいいわ」
キャロライン嬢は、そうのたまった。
ただし、パトリックは駆け落ちはやらないと思う。
ちなみにエドワードには全然似ていない。
しかし、キャロライン嬢は、これをうまく活用した。
なにしろ、シエナとリオより、キャロライン嬢とパトリックは、先に結婚してしまったのである。
ブライトン家の愛娘の結婚式は、それはそれは華やかで、国中で噂になるほどだった。二人は幸せそうで、シエナもリリアスも兄の結婚に涙した。
「あの性格では、絶対に結婚できないと思ってました」
姉のリリアスが思わずそう言った。
うかつにも、その場にいた全員がうなずいた。
そして、その半年後。
シエナとリオも来週、待ちに待った結婚式を挙げる。
ちょっとだけシエナはマリッジブルーだった。
リオの執着は、身に沁みている。
「シエナ、行こうか」
白と銀の衣装に身を包んだリオは、彫像のように美しかった。が、どうしてか目が怖い。
「ええ。リオ」
リオは本当に嬉しそうに手を取った。
ついにとうとう結婚式。
遠慮したり、配慮したり、脅したり、カネを注ぎ込んだり、策略を練ったり、ありとあらゆることをしたような気がする。
アラン殿下とか言う邪魔者も出たし、リーズ伯爵家のお家騒動?にも巻き込まれた。
いよいよ結婚しようと言う間際になって、パトリックの結婚問題が勃発。計画の順延を余儀なくされた。
パトリックが、リオをも凌ぐ超絶男前だったばっかりに、ブライトン公爵家のキャロライン嬢が乗り込んでくると言う、リオにしてみれば、利用しないではいられない事態が起きてしまったのだ。
自分が貴族の末裔であることは確かだが、本家ではない。
優秀ゆえに名家の養子に入ったが、社交界がどんなに口さがないところなのか理解している。彼の出自を問題視する輩も出てくるだろう。
リオは負ける気はなかった。
利用できるものはなんでも利用するつもりだ。
リオは、老獪な商人エドワードに、ブライトン公爵に不利な噂を広めるよう話を持ちかけた。
「パトリックとブライトン公爵令嬢が相思相愛だと言う噂を流すんだ。だが、公爵が伯爵程度ではウンと言わないと」
イライザ嬢の芝居は現在進行形で、爆発的に人気が出ていた。
単体で黒字になりそうで、ラッフルズにしてみれば嬉しい誤算だったが、売れに売れている理由のひとつは、父親の横暴っぷりが共感を呼んだからだ。
父親役は名演技だった。
「リリアスがモデルのストーリーで、リーズ伯爵とレイノルズ侯爵を叩く目的だったんだがな。ブライトン公爵家にもそのまま通用するとはな」
リオは悪い顔でエドワードを見た。
「うまく立ち回れば、ラッフルズは、公爵家の縁戚になれるぞ」
そこまで考えていなかったエドワードは迷っている様子だった。下手をして、ブライトン公爵家を敵に回したくはない。
「うまく行けばだがな。シッポをつかまれると、公爵家ににらまれる」
「そこをうまくこなすのが、ラッフルズだ。荷物運びの下男が、行った先でたまたま聞いた下女の噂話を繰り返してしゃべったところで、公爵に追求しようがないだろ」
「……まあ、それはそうだが」
リオの言う通りだった。ラッフルズには、下層民をうまく使いこなす術があった。
一日でも早く結婚したいのだが、こんなおいしそうなニンジンはない。
ブライトン家とのご縁は、エドワードより、むしろリオの望むところだった。
元々、リーズ伯爵との結婚に反対していた訳ではない公爵家は、面倒を避けるために早めの結婚を発表した。
あちらの方が家格は上だ。それにパトリックは貴族の結婚としては、遅めだった。
自然、まだ、十代のリオの結婚は後回しになり、リオの我慢の日々が続いた。
しかし、どうだ。
リオは、今日、欲しくてたまらなかったモノをついに自分のものにした。
もしくは、自分のものにしようとしている!
これから、始まる結婚式、それに続く一連の心踊るイベントに、リオはもうメチャクチャに意欲的だった。
シエナが怯えるのも無理はない。
教会には大勢の人が来てくれていた。
騎士団からも、コーンウォール卿夫人のお友達の大勢のご夫人方も。
「パトリック様とリオ様が、一堂に会するなんて! しかも見物料無料!」
「リオ様は純白の騎士の正装、パトリック様は黒の騎士の正装ですって!」
「楽しみですわあ」
いささか参加の趣旨が異なるが、出来るだけ大勢の方に来てもらいたいので、そこは我慢した。
そう。
今日は集大成の日。エドワードとリリアスの野望が遂げられる日。
義兄パトリックとキャロライン夫人、その両親のブライトン公爵夫妻。
伯母コーンウォール卿夫人と義父ハーマン侯爵。
アーネスト・グレイとその婚約者アリス! (いつの間に!)
それから、隅の方に、リリアスとエドワードがいた。
パトリックの結婚式の時は、あまりにも参列した人々が高位貴族過ぎて、平民の二人は、パトリックに傷を付けてはならないと遠慮したのだ。
今日こそ出られる。
一目でシエナとリリアスは姉妹だとわかる。
そして、隣の男が、夫なのだと言うことも。
エドワードは国で一二を争う大商会の有能な跡取りということで、騎士団にも顔を知られていた。武具などを納めているからだ。
「まさか。本当にラッフルズの奥様はリーズ家の長女の方なの?」
一部では噂になっていたが、リリアスの公式の場への登場は、今日が初めてだ。
「レイノルズ家のボリスとの結婚を避けて……」
今や、国家謀反を働いたレイノルズ侯爵家と、娼婦に暴力をふるったボリスの名前は禁句になっていた。彼らは言葉を飲み込んで、晴れやかな様子のリリアスとエドワードを眺めた。
結婚式なので、参列だけだったが、ブライトン公爵夫妻と同じ場所にいるだけで、いいのだ。公式に認められる。
リオ……恐ろしいヤツだ。エドワードは考えた。
よくわからないうちに、世の中がリオの希望する方向に回っている気がする。
白と薄紫を使ったシエナの婚礼衣装は、すばらしくよく似合っていて、とても美しかった。
傍のリオは、今や騎士団の中でも、たくましい筋肉質の男として有名なだった。誇らしげに、ほっそりとしたシエナを見つめている。
にぎやかで参列者の多い式が無事終わると、新婚夫婦は、人々の祝福を受け、コーンウォール卿夫人が用意した、昔の侯爵の隠れ家へ向かっていった。
「二人きりの方がいいので」
リオが主張したため、家が用意されたのだが、コーンウォール卿夫人は疑った。
何する気だ。
「普通が一番よ」
暗に諫めたつもりだったが、リオは特に反応せず、ニコニコ笑顔で馬車の中へ消えていった。
侯爵の思い出の館に着くと、リオは大げさにシエナを迎え入れた。
「その昔の侯爵と、俺も一緒だ。ずっと、あなたへの想いを告げられなかった」
そんなことはない。
二人きりの時は、よくしゃべる方だと思う。かなり恥ずかしいことも、最近では口に出すので困ることがある。
そう言うと大真面目に否定された。
「違う。違う。ずっと黙ってたんだよ。昔の伯爵邸にいた時から」
ぎくり。
嫌な予感がする。
「最初に抱きついてきた時もすごく困ったよ」
黒歴史を!
「それから、学校で再会した時も抱きついてきたね。あのとき、心を決めたよ。いつか必ず仕返しするって。あの晩、寝られなかった。でね」
リオは嬉しげに続けた。
「ずいぶん長いこと、俺が俺だってこと、黙っていたんだ。今日のこの日が来たら、どうしようかって、ずっと計画していたんだ。ひとつひとつ、実行していきたい。自分でも、ちょっとアレかなって思うところはあるんだけど……」
アレかなって、何? なんなの?
「だけど、全部シエナが悪いんだから。シエナが弟だなんて勘違いさえしなければ、こんなに長いこと待つ必要もなかったし、毎晩、悩むことはなかったんだ」
リオは本当は饒舌だ。だが、手も早い。ニヤリと笑っていた。冷たい笑顔って誰が言ったの? あ、でも、当たってる。シエナのいうことを聞く気は全然ないらしい。
「当たってる? そうだね。最後はこれで教えてあげるね」
リオの笑顔に、なんとなく恐怖を感じたのには理由があったらしい。
「手抜きや省略はなしだ」
騎士団の中でも、筋肉質で体力おばけとして有名なリオ。
「愛してるよ、シエナ」




