第106話 仕込み その2
イライザ嬢は大忙しだった。
もう一つ案件があったからである。
それは……政略結婚しか頭になかったはずのブライトン公爵令嬢の頭を染め上げた恋物語。
「崇め奉る専門じゃなかったんですか?」
本人に向かって、思わず要らないことを聞いてしまったイライザ嬢だったが、ブライトン公爵令嬢はシエナと違って武闘派だった。
「パトリック様はリオ様とは違うわ!」
「……まあ、パトリック様だとは思っていました」
それから半時間、キャロライン嬢の事情を聴かされたイライザ嬢は、若い乙女たちの恋愛に理解があるカーライル夫人を呼んできた。自分の手には負えない。
カーライル夫人もじっくりお嬢様の恋物語を拝聴させていただいたが、ちょっとお通夜じみてきた。
なにしろ父の公爵は、愛する末娘の結婚に細心の注意を払っていることで有名だった。
王弟殿下からお話があった時は年の差を理由に断り、名門マクダネル侯爵家の嫡子テオドール・クレイブンからのお申し込みは年が近すぎることを理由に断った。同格の公爵家のご子息とのお話は同格の家同士の結婚は要らぬ緊張をもたらすかもしれないからと断り、同じ武門の家とのお話は、娘は武芸に関心がないからと断った。
公爵夫人が、このままだとキャロラインが結婚できないことに気が付いたのは5年も前の話である。
娘は娘で推し活に邁進していて、現実的な心配が要らないのはいいけれど、何の進展もなさそう。
赤公爵がグウの音も出ないような、破格の縁談の相手として、彗星のように現れたアラン殿下だったが、よく聞くと二人の会話は爬虫類の話題に終始した模様。
「なぜ、爬虫類……」
カーライル夫人は絶句した。しかも二人とも爬虫類好きではない。多分進展はなかったものと思われる。
「イライザ嬢にお願いがあるの……」
キャロライン嬢はキッパリとした様子で言った。
とても恋する乙女とは思えない実行力は、どっから出てくるのだろうか。
「まずは、シエナを攻略しなくては」
「こ、攻略?」
「妹に反対されては、話は進まないわ」
キャロライン嬢に、パトリック讃歌を聞かされること二十分。
チョイチョイとカーライル夫人にイライザ嬢は呼ばれた。
「パトリック様ってどんな方なのですか?」
「は……。まずはそこからですわよね」
頭が沸騰しているらしいキャロライン嬢は放っておいて、カーライル夫人とイライザ嬢は変装して夜会に潜り込むことにした。
シエナからパトリック様が参加する予定の夜会を教えてもらった二人は、どこかの貴族の令嬢(イライザ嬢)とその付き添い(カーライル夫人)に扮して、まんまと夜会に潜入を果たした。
誰も彼女たちに注意を払わなかった。
「最近の夜会はこんな感じですの?」
遊び人で有名なリール男爵が開催した夜会に潜入したカーライル夫人は、イライザ嬢に聞いた。
「まあ、パトリック様は開放的な夜会をお好みと言いますか、自由に動ける夜会を好まれますので……」
「どういう意味ですか?」
「あの……女性と接触しなくて済む会を選んでいる気がします」
イライザ嬢はしぶしぶ答えた。
そう。パトリックは本気で女性に関心がない。いや関心はあるかもしれないが、自分は辺境出身の田舎者だと言う意識が強くあるらしい。特にジェーン何とかという女性はよくなかった。都会の女性の怖さをパトリックは身に染みたらしく、ダンスを強要されたり談笑することが義務のような会を嫌い、ふらふらと一人で酒とつまみを堪能し、知り合いの騎士団員に会うと話し込んだりするだけで早めに帰宅してしまうのだ。
「あの、何のために夜会に参加されているのですか?」
「コーンウォール夫人の助言に従って、婚活をしているそうです」
エリザベス・カーライル夫人は、渋面を作った。
「あれでは絶対に決まりませんよ?」
「本当にその通りですわ」
本人ではないのだが、イライザ嬢はうっかり謝罪しそうになった。
「その……多分、ほとぼりが冷めたら適当にお茶を濁して、婚活なんか止めるのでないかと。結婚なんか全然考えていないようですわ。仕事には大変熱心だそうですが」
「何をバカなことを。昔からの由緒ある伯爵家の当主ともあろうお人が」
そういいながら二人はどっかで聞いたようなセリフだなとデジャブに襲われた。
名門でお金持ちで申し分のない貴公子に、求婚されているのに、侍女になると頑張っていた令嬢……シエナだ。
「あれがその兄……」
一応伯爵だけど、公爵家から見れば格下。仕事は出来るらしいが、それだけの男。キャロライン様は、その男のどこがいいのかしら。
カーライル夫人はもう少し近づいてみることにした。
どうやら騎士団の仲間と遭遇したらしく、楽しそうに話している。
「新しい砲台ができてきて、ある程度発射の時のショックを吸収できるようになったんだ。これで火薬の量を増やすことができる」
爬虫類より意味がわからない。
もう一人が何か言った。ちょっと照れたようにパトリックが答えた。
「リオとの試合? 場数の問題だよ。辺境は国境線に近いので戦闘は多い。リオはやっぱり正攻法が多いからね。まだ負けたことはないよ」
新しいグラスを手にしようと、パトリックがこちらを向いた。
気取らない笑顔。友人の話をよく聞こうと、ちょっと頭を傾げている。鼻が高くなんともノーブル。本人にその気はないのだろうが、口元が肉感的で特徴がある。ほんのり微笑んでいるかのように真面目な時もわずかに口角が上がっている。こんな口元は初めて見た。そして二重瞼の美しいとしか表現のしようのない目。
隅々まで隙なく鍛え上げられた肉体(多分)。
「カーライル夫人?」
しまった。うっかり沼に飲み込まれるところだった。
しかも声がいい。深くて張りがあって活舌がいい。
自意識過剰でないイケメンは、点数がうなぎのぼり。
これでイケメンじゃなかったら、写す価値なしだが、イケメンはむしろ気負わない方が点が高い。
カーライル夫人はコホンとごまかすための咳をした。
「たいへんに美男子ですわね」
「まあ、容貌はとにかく、どんな方なのかの調査ですわ。家庭内のことについては、シエナ嬢が逐一報告をくださいます」
公生活、つまり勤務状態はどうなのですかと聞くと、
「それは上司のアンドルー・トナー様にハーマン侯爵からお願いしてもらいました。リオ様の義理の兄上に当たる方の様子を知りたいと言う口実で」
ブライトン家の名前が出ないよう考慮してくれたのだろう。
「婚約はもう決まったことですから、パトリック様のお好みを知っておきたいくらいに思ってくださるでしょう。だから、いろいろ気楽に教えてくれると思います。ブライトン家の名前を出せば、要らぬ憶測を呼びます」
な、なるほど。さすがはイライザ嬢、行き届いている。
「ですが、トナー様の報告によりますと、剣豪で、部下の掌握力はピカ一らしいのです」
「あんな顔しててですか?」
どうもイケメンは仕事はダメだと言う偏見がある。
イライザ嬢がうなずいた。
「決しておごらず、しかし素行の悪い部下や、爵位を鼻にかけて傲慢な部下はしっかり注意をするそうです。何しろ古い名門の伯爵家の当主ですからね、身分的に太刀打ちできる者はいません。身分にかかわらず公平なので人気だそうです」
「なかなか出来ることではありませんわね」
「そのうえ、剣の腕は一流。さらには群衆が混乱に陥った時の采配や配置も非常に効果的で、軍才があると評価されています。夜会の時とは大違いで、まるで人が変わったように、しっかりされているようです」
ググっとカーライル夫人の天秤が傾きかけた。
おそらくパトリックの唯一の欠点は、女性に対する自己評価が低くて、野心がないところ。
それはもういっそ素晴らしいじゃありませんんか。
思わずカーライル夫人はお目が高いとかキャロライン嬢を褒め称えそうになった。(パトリックを誉めるのではなく)
だが、そこでイライザ嬢はため息をついた。
「でもね、致命的に、自己評価が低いんですよ。これだけ高得点なら、どこの家の令嬢でも問題なく考えていただけると思うのです。ところが、自分は辺境の田舎者だと言う認識なのですわ」
カーライル夫人はしばらく考えていた。
「キャロライン様は容貌だけで人を選ぶような方ではありません。でも、やはり若いご令嬢。ここは接触する機会を増やして、見極めていただきましょう」
「かしこまりました。幸いなことに、妹のシエナ嬢はハーマン侯爵家との婚約が調ったばかり。それに新リーズ伯爵は、自邸を改築なさいました。お披露目の為にも社交の機会を多く設けられることと存じます。シエナ様とキャロライン嬢は無二の親友ですから、リーズ伯爵家にお招き申し上げても何も不自然なことはありませんわ」
意外に良縁かもしれないとイライザ嬢は計算した。
リーズ家は(お金はないが)古くからの名門。
そしてカーライル夫人は知らないが、裏にはラッフルズが付いている。
多くの古い名門貴族ができないでいる金儲けの専門家だ。
エドワードはこの縁談には大喜びするだろう。元平民のラッフルズ家にとって、この話は、まるで夢のような話だ。
コーンウォール卿夫人も喜ぶだろう。シエナと大親友で、リオとの関係も悪くない(ファンクラブの会長だ)。それに何より、リオの出自はやや低い。実家は貴族の家の出身で裕福だったが、爵位はなかった。義兄の妻が王家に連なる公爵家の令嬢なら、箔が付くと言うものだ。
ひたすらに遠慮するのはパトリックただ一人(本人だけど)。
「イケますわ」
イライザ嬢は決意を固めた。
積極的なキャロライン嬢と、自己評価が間違っているパトリックだが、大丈夫。
溺愛系のリオと、自己評価が壊滅的なシエナだってどうにかなったではないか。




