第105話 仕込み
リーズ家のお茶会は(呼んだメンバーが大物令嬢たちだったもので)噂になり、その噂は密かに、しかし爆発的に社交界に広がっていった。
ただし、メインの話題は、リオの婚約ではなかった。
だって、それはみんな知っていた。
リオを観察していたら、バレバレである。
社交界で、ヒソヒソとしかし熱心に広まっていったのは、リオの婚約ではない。そんな話はもう古い。
それよりも、これまで謎に包まれていた駆け落ち令嬢リリアスのその後の物語の方が、はるかに人々の注目を集めた。
もしかしたら、どこかの場末で野垂れ死んでいるのではないかとさえ言われていたリリアス嬢。
レイノルズ侯爵は苛烈なまでに、彼女のことをあばずれ女と罵り、息子の名誉にかけて譲れないと、高額の賠償金をむしり取ってきた。そして、リリアスはどこかでひどい暮らしをしているに違いない、それも当然だと声高に言い放ってきた。
だが、彼女は、大富豪ラッフルズの息子と出会い、お互いにひかれあい、駆け落ちしたのだ。今は幸せな生活を送っている。
それは、お茶会で一緒になった令嬢たちにもわかった。
彼女は、お金に糸目をつけない、とても似合う服を着ていた。美しい刺繍が入ったサテン絹地の青のドレスは、公爵令嬢のキャロライン嬢やアリス嬢のドレスほど目立つ訳ではなかったが、明らかに高いものだった。イヤリングや指輪も高価なものだった。苦労している様子など全くなく幸せそうだった。
「そりゃあ、ラッフルズの夫人なら、お金になんか一生困らないわ」
「下手な貴族の家よりもずっと安心できる暮らしよ。むしろ、うらやましいくらいだわ」
噂好きの人々は小声でささやきあった。
だが、エドワードはそれだけでは満足できなかった。
ある日、イライザ嬢はリーズ家に招かれた。
招いたのは、コーンウォール卿夫人。
リーズ伯爵でもなければシエナでもない。
イライザ嬢は首を傾げたが、執事のベイリーの案内で伯爵邸へやってきた。
待っていたのは、エドワードだった。リリアスの夫。ラッフルズの副会長。
「コーンウォール卿夫人から、あなたを紹介してもらったのです。お願いがあるのです」
エドワードは真剣な面持ちで、イライザ嬢に語りかけた。
「あなたの雑誌に、ひとつのラブストーリーを載せて欲しいのです。親に無理やり結婚相手を決められた若くて美しく、ひとりぼっちの令嬢が、真実の愛を貫き、駆け落ちし社交界から追放されたが、幸せをつかんだ話」
リリアスの話だなとイライザ嬢にはわかった。
エドワードは、カバンから重そうな革袋を出してきた。
「リリアスは必死でした。彼女は、ああするしかなかったのです。婚約破棄して、駆け落ちなんて、褒めたもんじゃない。わかってます。だけど、そうしなかったら、どうなっていたことか。あなたもボリスが女相手に何をしていたか、聞いたでしょう?」
「ええ……」
聞いた。ゾッとした。
テオドールなんかかわいいものだ。
「これだけあれば……」
エドワードは革袋の口を開いた。
誰もいないリーズ家の静かな客間に、ザラザラと言う音が響く。
金貨だ。
イライザは目を剥いた。どれくらいの金額になのか、見当もつかない。
「これだけあれば、いい話を書かせることができるでしょう?」
エドワードは、口調を荒げもせず、静かなままイライザ嬢を見たが、その目は怖かった。彼は少し早口で言った。
「リリアスは被害者です。私はずっと彼女のことを秘密にしてきました。家の中でさえ、彼女の名前を呼ぶことができなかった。彼女は私の妻という名前しかなく、友達にも兄弟姉妹にも無事を知らせることもできなかった。胸に秘密を溜めたまま暮らすのは、辛いものです。私の妻を堂々と名乗らせたかった。自慢の妻なのに」
エドワードは、愛想がよく、なかなか良心的だと言われていたが、商人らしく金には細かかった。
だが、妻の為には、身銭を切った。それも大金だ。
だが、世の中、金で買えないものもある。イライザ嬢が乗ってくれるかどうか。エドワードは心配だった。
しかし、イライザ嬢は簡潔に答えた。
「本よりも、舞台にしましょう」
「えっ? 舞台?」
エドワードは予想していなかった答えに驚いた。
「お芝居の方が話題になります。大丈夫ですわ。リリアス様の名誉を守り、イメージを爆上げします」
彼女は保証した。
「お芝居の方が絶対に効果が上がる。できるだけ多くの人に知って観てもらいたい」
「え? あ、ああ。その通りなんだけど」
「お任せください! このイライザ、そう言ったことについては、少々腕に覚えがございますの!」
ガタンと椅子をひっくり返して立ち上がったイライザ嬢は、目をキラキラさせていた。
「金さえあれば、こっちのもの。舞台装置も舞台衣装も、リミッターなしだなんて、まるで夢のようですわ! しかも、お話は実話。憎たらしいレイノルズ侯爵は文句を言えないし、これこそ真のザマァ展開!」
エドワードには、イライザ嬢の用語の半分が理解不能だった。
「いや、そんな大規模な?」
クルリと振り返ったイライザ嬢は、にっこり微笑んでいた。
白い歯がきれいに生えそろっているのが見えた。
「お受けしますわ、ラッフルズ様。命に代えても大成功させて見せます!」
命に代えるほどのものにしてくれなくても構わないんだけどと、一応、修正をかけようと試みたが、相手は全く意に介さなかった。
イライザ嬢だって、リリアスの話は知っていた。ボリスの暴言も知っていた。
そして、シエナが唇をかみしめてブライトン家に奉公を願った日のことも覚えている。
もちろん、イライザ嬢はコーンウォール卿夫人のもとへ舞い戻った。
「よいものを作りましょう、コーンウォール卿夫人」
表向きのパトロンはコーンウォール夫人。
彼女ならおかしくない。
だが、裏の出資者はラッフルズだ。
「そうね。私もリーズ伯爵家の令嬢の話は聞きました。あれは許せないわ」
社交界の重鎮、コーンウォール夫人は、少なくとも表向きは、あまり意見を言わない人だった。
「誰しも、同じことを思うんじゃないかしら」
そしてリオもシエナもパトリックも、リリアスすら知らない間に、話は進んでいったのだった。




