第100話 前の侯爵の思い出のバラの庭
着飾ったアッシュフォード子爵ことリオがラッフルズ邸に現れると、使用人たちがざわめいた。
侯爵家の嫡男! 子爵持ち!
それがビシイッと正式の午後の正装をキメて来訪してきたのである。
ラッフルズは、大商家ではあるが貴族ではない。
失礼がないような対応って、どんななのか困ったが、リリアスが出て来た。
「あ〜ら、リオ、いらっしゃい」
平然。
「お久しぶりです。シエナはいますか?」
リオは、外に出る格好ではないので着替えたいとか言うシエナや侍女を無視して、シエナを連れ出して行ってしまった。
「まあ。リオったら、情熱的ねえ」
リリアスは、のほほんとほほ笑んだだけだったが、ラッフルズ家(の使用人たち)は、騒然となった。
これまでリリアスは、エドワードの妻としてのみ、知られていた。
親戚の話も出たことがなく、使用人たちには謎の存在だった。
だが、どう見ても貴族階級の生まれ。
エドワードも父の会長も、大変大事にしている。
なので、誰も何も詮索しなかった。
いや、そこは使用人の常で、詮索はしまくったのだが、何もわからなかった。
駆け落ちだった(らしい)ので、服一枚なかったのだから、探すヒントがない。
それがエドワードの弟アルフレッド様のご結婚で事情が変わって来た。
アルフレッド様の結婚相手の実家は、ラッフルズと張り合うくらいの大商家。
貴族学園にも通っていたくらいなので、願ってもない良縁である。
しかし……実物を見た使用人たちは、アルフレッド様の趣味を疑った。
兄のエドワード様の奥様はあんななのに……?
アマンダ夫人は、食べたいものを食べ飲み、笑う時は大声で気持ちよく大爆笑する。言いたい意見は堂々と言う。
一言で言うと、品のカケラもなかった。
最初は大いに不安視されたが、数ヶ月で意見はガラリと変わった。
「いいんです。アマンダ様はあれで」
陽気で正直、しかし押さえるところは押さえてくる。
みんなが納得した。
そして、人柄がいい。嘘がない。
「さすがはアルフレッド様」
衝撃的だったのが、使用人とさえあまり接触のないリリアス夫人と友達になったことだ。
しかも二人で泣いていた。
何があったの?
ものすごく気になるところだったが、やがて妹だと名乗るシエナ様が一緒に住むことになった。
そして、この度、リオがアッシュフォード子爵を名乗って婚約者のシエナ様を迎えに来たことで、いろいろな事情がバレて来た。
「リリアス様は伯爵家のご令嬢で!」
「えええー」
シエナもパトリックも、兄だとか妹だとかしか名乗っていなかったのである。
「は、伯爵家! それがあんな風に結婚? もしかして頑固親? 平民との結婚を許さなかったとか?」
「それがですね……」
使用人たちがコソコソ噂をする。
「エドワード様と恋に落ちて、侯爵家の令息との婚約を勝手に破って、駆け落ちしたのですって!」
「えええええーッ?」
普通なら、貴族社会でなくても非難轟々になるはずである。
しかし、ここはラッフルズの総本山。
「さすがは、エドワード様!」
「あんなご器量なのに! どう見てもリオ様の方がイケメンよね?」
婚約破棄は誉めたものじゃないとか、そんな話にはならず、ひたすらに副会長礼賛で、噂は広まった。
なぜ噂が広まるのは、そんなに早いのか。この話がラッフルズの全店舗に広まったのは、わずか一月後だった。
「それで、今度は、そっくりな妹に求婚されているのね」
「あんなにイケメンなのに、振られただなんてかわいそう」
それ、相手が違う。
リリアスの相手はメタボ・ボリスで、シエナの相手は超絶イケメンのリオである。
両方とも侯爵家の嫡男であることしか、合ってない。
「侯爵家の方って、お美しいのねえ。それなのにエドワード様の方がいいなんて」
リオが聞いたら激怒すると思う。
エドワードは使用人の噂を漏れ聞いて頭を抱えた。
訂正したくても、訂正、ムズカシイ。
「しかも、シエナ様もご遠慮気味なところがあるわ」
「アッシュフォード子爵さまって、特殊性癖を、お持ちだから」
ボリスが特殊性癖の持ち主で、娼館連合に訴えられているので、この誤解もついてきた。冤罪もいいところである。
「シエナ、君の婚約者は僕なのだけれど」
馬車の中でリオは言った。
「全然、喜んでないみたいだけど」
「そんなことは……」
シエナは顔をそむけた。
「私にはなんの取り柄もなくて……」
今になって見れば、自分は魔王ことアッシュフォード子爵に甘えすぎていたと思う。当たり前だけど、食費や暖房費などのお金は必要だ。でも、豪華なドレスを受け取ってダンスパーティの会場で先頭に立たなくてもよかったのに。
シエナは、どうしたらいいかわからなくなっていた。それに最近のリオは怖い。強引にとにかく来いと連れ出された。馬車はどんどん進んで行く。
途中でシエナは気が付いた。
「リオ、この馬車はどこに行くの?」
リオはため息をついた。
「ハーマン侯爵家の新居」
「新居?」
「昔、何代か前の侯爵が、妻の為に作ったバラの館だ」
「バラの館?」
「奥方はバラが好きだった。バラだけじゃなくて花が。そこで、侯爵は奥方の為に大邸宅ではなくて、窓を開ければすぐに庭に出られるような、小さな屋敷を作って自分が車いすを押して庭に出られるようにしたのだ」
奥方は、車いすに乗らないと、外に出られなかったのだろうか。
聞くに聞けなくてシエナは黙っていた。
「侯爵は若いころ、戦地を回っていた。家に帰ることもまれだった。戦が終わり、功成り名を成し遂げ、やっと家に戻ることになった時、妻は病魔に侵されていて、静養のために家を出て行くところだった」
馬車に揺られながら、リオは話した。
「奥方は地味で静かな人だった。あなたに私は必要ありませんからと彼女は言った。今の私には、領地の切り盛りも、邸宅の管理も十分できない。これまで、あなたのお役に立って何よりでした。でも、今後はそうは参りません。離婚しましょう。よい方を見つけて再婚なさってください」
シエナはリオの顔を見た。
結婚に愛は必要ないと父の伯爵から散々聞かされてきた。でも、シエナは幸せな結婚、お互いにお互いを大事にする結婚にあこがれていた。リオに言ったことはないけど。
「将軍は……代々のハーマン家は武芸が得意だったからね、仕事を辞めて、引退して、バラの館を作った」
「辞めて?」
「奥方は嫌がった。あなたの仕事は終わっていません。義務を放棄するなんてあなたらしくありませんと」
リオはシエナの顔を見た。
「どう思う?」
「どうって……」
「君も同じことを思う?」
「あ……そうかも知れません」
リオは向き直った。
「それはね。もし、その人が侍女だったらそうかも知れない。だけど、彼女は妻だった」
「妻?」
「その侯爵にとっては、大切な人だった。役に立つとか立たないとか、そんなこと、全く問題じゃなかった」
「でも、役に立って夫を支えることは大切だと思いますわ」
「そばにいるだけで、いいんだ。支えられている」
シエナは不安そうな顔をした。そんな形のないものに意味はないのでは? 親の実家が権勢があるとか、本人が財産付きの娘であるとか。夫にふさわしくない妻は疎ましがられるだけだと思う。
「シエナ、君が夫を選ぶときはそんな価値観で選ぶの?」
「いいえ?」
反射的にシエナは答えた。
財産なんか、どうでもいい。シエナを大事に思ってくれる人だったらそれだけでいい。
「あ、でも、食べていけなかったら困るわ。私、頑張って稼ぎますわ」
アッシュフォード子爵からドレスをいただいた時は、貧乏伯爵家だとそしられていた。そのせいで、学校では身の置き所もなかった。
家には燃料も食料品もなく、あのままだと飢えてしまっただろう。
だからドレスも日用品もとてもありがたくて、感謝して受け取った。
でも、ドレスのような豪華なものは本当は要らない。
シエナは見栄ばかり気にする両親から、なおざりにされて育った。だから、贅沢は捨ててもいいから、それより安心できる何かを頼りにしたかった。
「リオはもっと良い家からの縁談があると思うの。顔もいいし、人気者でファンクラブまである。私には不釣り合いよ」
リオはため息をついた。
「育てられ方に問題があるのかな。さっきの話を続けると、侯爵は妻の反対にもかかわらず、この館に一緒に住むことにしたんだ」
馬車は、小さな館に着いた。




