小説が趣味の貴族令嬢、家の仕事を押し付けてくる婚約者を見捨て人気作家になります
「おい、リフィル。そんな無駄なことばかりしてないで社交パーティに出てくれないか。私の顔が立たないではないか」
夜も更けようかという時間。
私が部屋で一人、趣味の執筆作業をしていると、婚約者のクロードがどこからともなくやってきて、必ずと言っていいほどこのセリフを吐く。
「……先週、2回もでましたよね? まだ足りないというのですか?」
作業を止め、ため息混じりに答える。先週のパーティはどちらも大変だった。毎回違うドレスを注文するお金も馬鹿にならない。
「当たり前だろう。それに、あのドレスはなんだ。もっと目立つドレスにしないと意味がないだろう」
なるべく目立ちたくない私は、毎回地味なドレスと控えめの化粧でパーティに出席している。私なりに一生懸命やっているのに、なにが不満なのだろうか。
「……分かりました。それでは、私に任されている書類作業を減らしていただけますか?」
面倒くさがりで、領地経営にも疎いクロードの代わりに大量の文書の処理をする私の時間はほとんどない。それを効率的に手早く済ませて、やっと空いた時間で趣味の小説を書いているというのに……。
「そんなのは当たり前の仕事だろう。夫を支えるのは妻の役目だ。それに文句を言うなど、どういうつもりだ」
大量の仕事を私に押し付けておいて、やっていることといえば社交パーティでの接待。しかも、クロードの評判は良いとは言えない。領地経営の知識も学もないクロードは周りから馬鹿にされている。そのことを本人は知らないようだけれど。
「……そうですか。なら、この婚約はなかったことにさせていただきます」
今まで我慢してクロードの理不尽な要求に耐えてきたが、もう限界だ。唯一の趣味すら許されない結婚生活など、幸せになれるわけがない。
「なんだと……? 婚約を破棄して、困るのはお前のほうだろう。弱小貴族のお前を助けてやろうと思ったのに……。頭の悪いやつだ」
「ええ、私は頭が悪いんです。ですから、文書の処理も自分でなさってください」
「ふざけるな! ……もういい、お前との関係はここまでだ。どこにでも行くといい」
憤慨しながらそう言い残し、部屋を出ていくクロード。
「……はい。そうさせていただきます。では」
一人になった部屋で、誰に言うでもなくポツリと呟く。……さて、これからどうしようかしら。
最後まで私のことを道具としてしか見ていなかった彼に未練はない。
私は愛用のタイプライターと最低限の衣服を鞄に詰め込み、このクロードの家を出る準備を進める。執筆中の原稿も忘れずに。
――このタイプライターさえあれば、私はどこでも生きていける。クロードから解放され自由になった私に生えた想像の翼は、私をどこまでも連れて行ってくれることだろう。
◇◇◇
実家へ戻った私を家族は暖かく迎え入れてくれた。
責められてもおかしくなかったが、クロードの悪評を聞き及んでいた両親はむしろ私を褒めてくれた。「よく我慢したな」と。
まぁ、かなり限界ではあったけれど……。もっと穏便に済ませる手段があったのかもしれないが、自分の選択に後悔はない。
――これから私は、私の人生を生きる。
流石に小説ばかり書いているわけにもいかないので、家の仕事を手伝いながら執筆作業を進めるつもりだ。クロードに押し付けられていた文書に比べれば、こんなものはあってないようなもの。
「リフィル様、ご夕食の準備が整いました」
「ええ、今行くわ。いつもありがとう、アラン」
それに、昔から私の家に仕えてくれている使用人のアランも仕事を手伝ってくれている。執筆に熱中しがちな私を気遣って、夜食を持ってきてくれたりもする。
彼とは、私が小さい時からずっと一緒に育ってきた。いわゆる幼なじみというやつだ。
小さい頃は使用人という立場なんて気にせずに一緒に遊んだものだけど、今ではすっかり使用人としての立ち振る舞いが様になっている。それが、私としては少し寂しくもあるけど。
「リフィル様! この間の新作、すっごく面白かったです! リリィとロイが一緒にドラゴンから逃げるシーンなんて、ドキドキしっぱなしでしたよ!」
そして、私の小説の一番目の読者でもある。まぁ、本当は私が一番目の読者なのだけど、細かいことは置いておこう。
「そう、良かったわ。あのシーンはすっごく力を入れて書いたの。さすがアランね。私のことは全てお見通しってことかしら」
「は、はい! リフィル様とは長い付き合いですから、これくらいは当然です!」
私が一番欲しい感想をくれるアラン。感謝を伝えると、アランは恥ずかしそうにしつつも胸を張ってそう答えてくれた。昔のようなやりとりに、私の心が温かくなる。
「ありがとう、アラン。これからもずっと私の一番の読者でいてね」
「も、もちろんです! リフィル様がそう望まれるなら、僕はどこまでもついていきます!」
そう優しく微笑むアランに、クロードとの生活で荒んだ心が癒されていく。もうあんな思いはしたくない。
――自立した一人の人間として認められるために頑張らないと。仕事と小説、どちらも本気で努力すると心に誓いながら、私はアランに微笑みを返すのだった。
◇◇◇
「……おい、あの美人は誰だ? 見たことがないぞ」
「私も知らないな。どこの家の者だろう」
「お前、声をかけてこいよ」
「……いや、あんな美人に俺が相手されるわけないだろう」
久しぶりに出ることになった社交パーティ。
私は今まで着たことのないような、少し派手目のドレスを初めて着てみた。さらに、お化粧もきっちりと。時間に余裕があったからこだわってみたのだ。
元々そんなつもりはなかったのだけれど、アランが褒めてくれたこのドレスを着ていると、気分が高揚してくる。まるで、お伽話のお姫様になったような気分。
――そんな私に、気づけば周りの視線が注がれている。私をみている人たちは、みなヒソヒソと小声でなにかを言っているようだ。
アランが褒めてくれたドレスだ。別になんと思われようと気にならない。
そんな周囲の視線を無視しつつ、用意された豪華な料理を少しだけお皿に移し目立たない場所へ行く。これだけ見られてると流石に居心地が悪い。
そうやってゆっくりと食事を楽しんでいると、私に向かって一人の男性が歩み寄ってくる。
……あれは、クロード?
「お初にお目にかかります。ヴァルモント家の当主、クロードでございます」
キザったらしい笑みを浮かべながら私にそう話しかけてくるクロード。周りの人たちの視線が痛い。
私はそんなクロードにうんざりしつつ、口を開く。
「お初にお目にかかります。アルベイン家のリフィルと申します。以後、お見知りおきを」
「リフィル……!?」
元婚約者の私にすら気付かないなんて、どれだけこの人の目は節穴なんだろう。
一方的に婚約破棄をしたことを、少しは申し訳なく思っていたのだけど、私に残っていたそんな少しの罪悪感すらも、今のやりとりで粉々に砕け散った。
「リフィルって、クロードの元婚約者の?」
「あいつ、どうやらリフィルさんから婚約破棄されたらしいぜ」
「あんな美人から見限られるなんて、クロードは本当に無能なんだな」
周りの傍観者たちがコソコソと噂話。クロードは顔を真っ赤にして、口を鯉のようにパクパクさせている。
「それでは、クロードさん。私はこれで」
「……ぐっ……!」
これだけ注目されると、流石に私も耐えられない。
完全にフリーズしてしまったクロードをその場に残し、私は会場の出口へと向かう。
……もうパーティはうんざりだ。さっさと家に帰って小説を書きたい。
◇◇◇
それからの私は、これまでの鬱憤をすべて晴らすかのように執筆作業に打ち込んだ。もちろん、家の仕事もこなしながら。
書き上げた新作は、まずアランに読んでもらう。そして、その意見を聞きさらに手直しをする。
たまに言い合いになることもあるけど、小説についての議論は私にとってとても楽しいものだった。寝る間も忘れて彼と議論を重ねる。そして、私の作品はどんどんと良いものになっていった。
――そしてある日。我が家に珍しい来客がやってきた。
「初めまして、リフィル様。わたくし、カルダン・サルファスと申します。お噂はかねがね」
「初めまして、リフィル・アルベインでございます。よろしくお願いいたします」
我がアルベイン領で商業ギルドを経営している、カルダンさんがやってきたのだ。恰幅のよい気の良さそうなおじさまだ。どうやら彼は私が小説を書いていることを、風の噂で聞き及んだらしい。
その顛末を聞いて私は呆れた。なんと、私の原稿をこっそりと盗んでいたクロードが自分の作品だと偽って、カルダンさんに売ってもらえるように交渉しにきたというのだ。
それを怪しんだカルダンさんが原稿の出所を調べたところ、私に行き着いたということらしい。
そんな彼にいくつか作品を見せて欲しいと頼まれ、原稿を送ったのが3日前だっただろうか。すぐに会いたいとの返事が来たから、急いで会う準備をすることになったのだ。
「それで、早速なのですが……。リフィル様の作品を私どもの商店で販売させていただきたいと思っておりまして」
「私の作品を……ですか? こちらとしても願ってもない申し出ですけれど……」
薄々そういった用件なのだろうと思っていたけれど、実際にそう口に出されると驚きを隠せない。
「わたくし、リフィル様の作品を読んで物凄く感動したのです。こんなに素晴らしい作品を世に出さないのは商人としての恥でございます」
興奮した様子のカルダンさん。そんなに感動してくれるなんて、作者冥利に尽きるわね。
「……拙作ですが、是非よろしくお願いいたします」
「はいっ! ありがとうございます!」
そうして、私とアランの作品がついに売り出されることになる。
――その後、盗作疑惑が衆目に晒されたクロードは、社交界の貴族たちから白い目で見られることになる。たまに顔を見ることがあるけれど、彼は気まずそうに私から顔を逸らすのだった。
◇◇◇
「リフィル様っ! ついに今日ですよ! リフィル様の作品がついにみんなの手に渡るのです!」
「そんなに慌てないで、アラン。私の作品はもう読んでるでしょう?」
「それとこれとは話が別です! リフィル様のデビューなんですよ!?」
そうしてついにやってきた、私の作品の発売日。朝早く目が覚めた私に、アランが興奮した様子で捲し立てる。
初めての作品は、アランが褒めてくれたあの作品に決めた。クロードから解放されてから初めて書いた作品だ。私としては少し複雑な気持ちなのだけど、アランが喜んでくれるならとそう決めたのだ。
「あんまり実感が湧かないわね。本当に私の作品が売られるのかしら。少し恥ずかしいわ」
「さぁさぁ! 今日はお休みを頂けたんです! 早くカルダンさんのお店に行きましょう!」
「そんなに急がなくても、私の作品は逃げないわよ?」
「いいから、急ぎましょう!」
私はアランと二人で商店へ向かう。忙しなく私をリードするアランに温かい気持ちになる。そんなに喜んでくれるなら頑張って良かったと心の底から思える。
――朝の陽光を背に、私に手を差し出すアラン。
私とアランの想像の翼は、どこまでもどこまでも、この広い世界を羽ばたき続ける。
お読みいただきありがとうございましたっ!
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