八月の中で
夏が過ぎていく。
ほんの少しの後悔は妥協の末の完成形だ。
夏が過ぎていく。
君はよく噓を吐いた。
本来、嘘を放つのは嘔吐するほど言った本人が苦しいはずだ。
だから「吐く」というのだろう。
それなのにそれを聞かせれる僕ばかりが苦しいのはなぜ。
夏が過ぎていく。
君の嘘も、君の本当も知らぬまま僕は生きていく。
夏が過ぎていく---------
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蝉が鳴いている。煩いとは思わない。僕はこの季節が好きだからだ。
厚着はしなくていいし、寝る時も寒さで震えることもないし、寒いとベッドから出たくないけど夏は難なく起床できるし、祭りも、花火も、なんでもあるからだ。
延滞してしまった映画ディスクが青いチャート式数学の下に挟まっている。
おそらくあのレンタル屋ももうすぐつぶれるんだろう、そんなことを思いながら映画を見る準備をした。
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サイダーを映画の尺に合うようにゆっくりと飲んだ。
クーラーの効いた部屋で、リラックスした体勢で見ているのに執拗に体勢を変える。
映画が終わると塾の時間だ。夕方から深夜近くまで授業がある個人塾。兄が通っていたから自分も通う。そんな中身のない理由で僕は貴重な時間を奪われに自転車でイヤホンをしながら向かった。
蝉は鳴きやみつつあった。空気は少し湿っていた。
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23時頃に授業が終わりかえる。
すると携帯に連絡がくる。
「いつもの城跡でまってる。」
僕らは少し不思議な関係だった。
この連絡主は違うクラスのY子。彼女も深夜近くまで授業をしている僕とは別の塾に通っており先ほど終わったところである。
塾終わりの23時から24時までお互いの塾近く、駅から自転車で5分くらいのところにある城跡で二人で話すのが日課となっていた。
僕はいつからからその日課を楽しみにしていた。
多分好きだったんだと思う。
好きだったんだと思う。
自転車を飛ばして僕は城跡に向かった。
街は暗く閑散としていた。昼間の太陽が残していった熱だけはまだ感じ取ることができた。
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城跡につくと自転車が入口に停まってた。
それに倣って横に止めて城跡がある丘を登っていく。
街頭に照らされたベンチに眼鏡をかけた彼女は座っていた。
待った?待ってない。
みたいな会話をして僕は隣に座る。
彼女は携帯を触りながらいつも通りぽつりぽつりと近況を話す。
僕はそれに相槌を打ちながら聞く。
それがどんな内容でも僕は嬉しかった。相槌を打つ権利を持っているのは今この瞬間は自分ひとりなのだ。その優越感でどんな話でも受け入れることができた。
たとえ僕が介入する余地のない彼女の恋に関する内容でも笑って受け入れることができた。
ただ、それが恋かどうか僕にはわからなかったが、ただ相槌は打つことはできた。
「あなたに好かれる人が、僕は羨ましい。」
僕はついこぼしてしまった。こぼれてしまったといったほうが良いかもしれない。
彼女は驚くこともなく先ほどまでと同じ瞳の形で黒目だけを動かして僕を見つめる。
いたずらっぽく笑い僕に近づく。
「君とならキスくらいしてあげてもいいよ。」
僕を見つめる。吐息が触れる。息を止める。
「そういうのは好きな人するべきだ。」
僕は離れる。ベンチから落ちそうなほど端による。
もったいなーい、と彼女は言い顔を離し視線を前方向に向ける。
丘からは街が見えた。家の近くの電波塔も、通っている学校も、散り散りの灯りも。
二人が見たこの景色はきっと変わっていく。彼女も変わっていく。
だから僕だけは変わらないでいようと思った。
ボーとそんなことを考えつつ少し彼女の方に視線を移すと少し潤んだ瞳が見えた。
街を眺めながら涙を流している。不覚にも綺麗だ、と思ってしまった。
彼女の嘘も本当も知らない。
だから何も声は掛けられないし、触れることもできない。
多分何も知らないまま生きていくんだろうな。
それでもいいと少し思ってしまった。
数分経つと彼女は鳴きやんでいて帰ることになった。
帰り際、暗がりを通って自転車を止めた場所へ移動していると彼女は僕の頬にキスをした。
「泣いてごめんね。たまらなくなってさ。」
そういうと自転車に急いて駆けていき別れを告げてすぐに漕いで行ってしまった。
僕は立ち尽くしていた。手の甲が蚊に刺されていた。いつの間にか搔きすぎて少し血が滲んでいた。
僕はイヤホンをつけてノロノロと帰路についた。
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その日以降、勉強が忙しいという理由で彼女とは夜に会えなくなった。
彼女の嘘も本当も何も僕は知らない。それならそれでいいと思った。
間違いの中で生きていく。
蚊に刺された手の甲は瘡蓋ができて殆ど完治していた。
ただ確かにそこにはまだ傷は残っていた。
夏が過ぎていく---------