愛嬌(桶狭間1560)
今川義元には、不安があった。
家督相続に伴う家中の混乱と分裂、そして、外部からの介入である。
父の時もそうだった。
兄の時もそうだった。
今川家は家格が高いゆえ、家督争いの種に事かかない。
だから、介入してきそうな甲斐の武田、相模の北条と同盟を結んだ。
続いて、息子の氏真にあらかじめ家督を継承しておいた。
こうして後顧の憂いを断ち、義元はいよいよ西に目を向ける。
尾張と三河の国境は、長く紛争状態にあった。こちらにも家督相続に伴う混乱がある。競争相手を引っ掛けて成り上がった信秀が倒れ、嫡男の信長が後を継いだ。
「信長め、案外と粘る」
信秀が死んだ後、義元は織田弾正忠家はすぐに倒れると踏んでいた。
尾張の国衆も同じだったようで、義元に誼を通じてきた。
鳴海城、大高城が義元についたことで、今川家の支配領域は一気に広がった。
ところが、信長はそこからがしつこかった。義元の隙をついて反撃を繰り返す。手持ち戦力が足りないときには、義父から美濃兵を借りてまで後詰してきた。
さらに信長は、鳴海城、大高城の周囲に砦を築いて街道を封鎖した。
「街道が封鎖されれば、兵糧が入らぬ。兵糧がなければ、城に兵は置けぬ」
戦国大名の戦いは、陣取り合戦だ。街道と城をおさえ、支配領域を広げるのだ。
武威にも意味はあるが、大事なのはあくまで城の支配だ。
「三河衆の力を借りるしかないか。おい、蔵人佐を呼べ」
義元は、近習に命じた。
暫くの後。
「治部大輔様の仰せだ。尾張攻めの兵糧を集めてくれ」
松平蔵人佐元康は、鳥居忠吉に命じた。
忠吉は、皺だらけの顔を主君に向ける。
「よろしゅうございます。して、いつまでに、どれだけ必要でしょうか」
「はっきりとは仰せられなかった。兵は三州すべてから動員する。我ら三河衆を合わせれば二万はくだるまい。時期は、おそらく夏だ」
「夏。早ければ一ヶ月とありませんな」
「無理か」
「無理ではありません。今のうちに手を回せば可能です」
「そうか。わたしに何か、やらねばならぬことがあればいってくれ」
「殿には書状に花押をいれていただくことになると思います」
「わかった」
このとき元康は十九才。父を早くに亡くし、人質として駿府で育った。
三河松平家は三河国衆の中でも抜きん出た存在である。元康は人質であったが臨済寺で立派な教育を受けた。駿府での元康は、常に監視されており、誰からも値踏みされていた。
──己の所作に気をつけよ。そなたが使えぬとなれば。人は黙ったまま離れる。
臨済寺で会った雪斎は、八才の竹千代に説教した。
その時は雪斎の言葉に恐怖しか感じなかった。少年が言葉の意味を理解したのは、年賀の挨拶の時だった。駿府の館にやってきた鳥居忠吉という老人は、額を板にこすりつけ、少年には聞き慣れない三河弁で何事かをまくしたてた。どうやら少年の父や祖父の功しについて熱く語っているようだ。
老人の言葉が止まった。あらかじめ教えられていた通り、竹千代は答えた。
「父と祖父のこと、よく教えてくれた。大義である」
老人が顔をあげた。笑顔の奥の目玉から、ねっとり探る視線が少年を射抜いた。
──ああ、これのことか。
老人が三河松平家累代の家臣であることや、家督への忠義をもつことに虚偽はない。しかし、それと少年へ向ける忠義は別の話である。
老人は、少年が自分の忠義にふさわしい人物か、所作を通して探っていたのだ。
あれから十年。少年は地道に試行錯誤を続けた。
──ちょっと楽しい。
竹千代は、ぼんやりしたところのある少年で、成功も失敗も、さほど気にならなかった。
雪斎から、周囲の大人が自分に何を求めているかを最初に教えてもらったことも、大きかった。少年時代の義元を教育したこともある雪斎は、優秀な子供がどこで道を踏み間違うか、よく理解していた。どれだけ知性が高くとも、自分の中に特別な理由を求めれば、人の心は簡単に迷う。
元服も、結婚も、初陣も、少年はうまくこなした。
自分に何が求められているか、少年は知っている。
──愛嬌だ。
家臣に何を求めればいいか、少年は知っている。
──賦役だ。
愛嬌をみせ、賦役を求め、皆が担ぐ神輿として相応しくあること。
松平蔵人佐元康の進む道は、その先にある。
「これでいいか、忠吉」
「はい」
忠吉がさしだす書状に目を通し、元康が花押を書く。
忠吉が一枚ずつ書状を確認し、床に並べていく。
「忠吉、この書状で兵糧がどう集まるのか、教えてくれ」
元康の言葉に、老人が頷く。
「刈り入れはまだ先ゆえ、米は蔵にあるものを集めます」
「わたしが書いた書状は、寺あてが多いが、それでいいのだな?」
「はい。たとえば、こちらの書状は、本宗寺宛となっております。ここは三河における本願寺教団のまとめ、土呂御坊です」
十三世紀。
承久の乱で勝利した鎌倉幕府は、京を睨む拠点として三河を位置づけた。三河で兵糧と兵を集められれば、進退が自由になる。そして有力御家人である足利義氏を三河の守護に任命した。
十五世紀。
尊氏が鎌倉幕府を倒すと、功績のあった三河の武士は奉公衆として取り立てられた。だが、そのことが逆に三河という国元で権威が育つ芽を摘んだ。奉公衆の多くが在京し、三河を離れたからだ。三河に残ったのは、地侍ばかりとなった。
十六世紀。
地域単位で自立を強める地侍にとって親族以外に頼りになるのは信仰だけだった。三河の本願寺教団は、信仰の力で緩やかに地侍同士を結びつけた。
「三河で刈り入れた米を安全に保管できるのは、城ではなく寺です」
「守護がきて、蔵の米を取り上げたりはせんのか」
「そのための不入権です」
守護不入権。役人や法が及ばない権限だ。元康は首をひねる。
「じゃあ、寺の蔵から米をだすよう書状をだしても、意味がないのではないか」
「そうではありません。役人や法ではなく、三河松平家を代表して殿が頼み、寺がそれを受け入れる。この流れが大事なのです。双方にとって」
「双方に」
元康は考えた。
不入権がある以上、寺が元康の書状に従う理由はない。しかし、忠吉は書状が届いた寺は兵糧米を供出してくれるという。
「整理させてくれ……ええと、土呂御坊は三河松平家の蔵人佐元康が頼んできたから、兵糧の供出を受け入れたと主張できるわけだな」
「はい」
「だが……それは誰に向かって主張しているのだ?」
「ひとつには、本願寺教団です。この書状があることで石山御坊は、三河本宗寺が米を自侭にしていないとわかります」
「なるほど」
「米を寺に預けた門徒侍にも主張できます。三河松平家の仰せであるから預けられている米をだしたと。門徒侍にとって、忠義と信仰を満たす賦役です」
元康は納得した。納得はしたが、心配そうに聞いた。
「門徒侍にとって、賦役が重くないか?」
「もちろん、重いです」
「よいのか?」
「賦役は重くなくては、なりませぬ」
忠吉は皺だらけの顔を、より皺だらけにした。
笑ったのだ。
「我ら三河衆、重い荷をともに担ぐことで団結を強めております。それはいつか、殿の力となりましょう」
「わたしの力か」
「はい。関口家の姫を娶った殿は今川の御一門です。こたびの出兵で尾張の織田を退けて三河を統一すれば、殿の権威は当主様に並びましょう」
「並ぶか」
「並びますとも。そのためにも、こたびの尾張攻めが兵糧不足で終わらぬよう、この爺が全力で米を集めます」
「わたしは何をすればいい」
「鎌倉殿と同じことを」
鎌倉殿とは、源頼朝のことである。
元康は頼朝についての事績が多く書かれた『吾妻鏡』の愛読者だ。幼くして父を失い、坂東で流刑の身となった頼朝を元康は我が身と重ねて尊敬している。
「わかった」
その日より、元康は三河衆を集めては手ずから薬研を回した袖薬を配った。『吾妻鏡』に頼朝が旗揚げ時に、家臣のひとりずつと手を握って「お前を頼りにしてる」と書いてあったのを、自分なりに真似てみたのだ。
家臣に負わせる賦役が重いなら、主君がふりまく愛嬌も強くあらねばならない。
「ほう。蔵人佐は、家臣に薬を配っているのか」
元康の袖薬配りの話を聞いて、義元は顔をほころばせた。
報告してきたのは、息子の氏真だ。どちらも日中は忙しいので、夜に寝所で話し合う。
「はい、父上。薬研を回すゴリゴリという音が、夜中まで響いているそうです」
「くふふ」
「屋敷の外にまで、聞こえてくるとか」
逆だろう、と義元は思った。
元康はわざと聞かせているのだ。家臣に対して自分が薬研を回して薬を作っていることを、知らしめるために。同時に、今川家に対しても自分が尾張攻めに積極的であることを、訴えかけている。
「細やかなことよ。家臣に兵糧を集めさせ、自分は薬を配って家臣をねぎらうか」
「ねぎらうといいますが、家臣の全員に配ることはできないでしょう」
「それでいいのだ。家臣思いの主という噂が広がれば」
「父上は、竹千代に甘いです」
「甘くもなる。父も子供のころ、兄に寺に送られていたからな。蔵人佐とは境遇が似ておる」
すねた目をする息子をみて、さても男子が少ない我が身は、父とくらべて禍福のどちらが大きいかと義元は考える。
兄が大勢いたせいで、義元が家督を継ぐにあたっては、大乱が必要だった。自分にも、兄たちにも、取り巻きが大勢いて、その全員がそれぞれ勝手に動いた。氏真にその苦労はあるまいが、少々、気がかりなこともある。
──当主になった今も、息子はわしの顔色をうかがってばかりだ。
親の欲目だといわれればそれまでだが、氏真の才覚を義元は高く評価している。義元の顔色をうかがう必要など、本当はないのだ。
──他人を無視して突っ走るよりは、よほどいいと考えておくか。
視野が広すぎるせいで己の決断への自信がないのは困りものだが、ここが戦場でなければ、問題にはなるまい。
──ようは、戦場を息子から遠ざければよいのだ。
尾張攻めを、義元が氏真を前に出さず自分で行うのも、そのためだ。
戦の手立ては、細かく決めても仕方がない。
最終的には相手あってのことだからだ。大軍で押せば勝てるなら、苦労はない。数の差が大きすぎて勝てないと踏めば、敵は籠城したり逃走したりする。
その点でいえば、信長はいやな打ち手だ。どのように動くか予想がつかない。
「氏真よ。そなたが信長であれば、こたびの尾張攻め、どのように戦う」
「わたし、ですか……」
「ここにいるのはわしとおまえの二人きり。遠慮せずにいえ」
広げた絵図を前に、氏真が眉を寄せる。
絵図には鳴海城と大高城、それぞれの城を囲む砦が描かれている。
「信長には、選択肢があります。短期決戦か、持久戦か」
「砦で囲んでいるということは、今は持久戦か」
「はい。そして、父上が大軍を動員している、という噂は信長も聞き及んでおりましょう。正面からぶつかっては来ないはずです」
「では、このままむざむざ砦を見捨てると?」
「それは悪手です。わたしでしたら、砦を捨てて兵を手元に集めます」
氏真らしい、常識的な手だと義元は思う。
──信長のことだ。そうはしてくれんだろうがな。
今川軍は大軍となるが、大軍を前線で維持するには負担が大きい。元康に三河中から兵糧を集めさせているのも、持久戦を見越してのことだ。
義元としては、信長が少数の兵で機動的な戦いをすることを願っている。砦を攻めようと兵を動かしたら手薄な場所を攻められたり。海路を通って後方連絡線を舟艇輸送で襲撃されたり。こちらを右往左往させる戦いをしてくれることを。
──尾張攻めで、元康を前線指揮官として育てる。
もし、信長が機動戦を挑んできたら、義元は元康に任せるつもりでいた。
「……父上。質問があります」
「いってみろ」
氏真は、腕組みをして絵図をみていたが、やおら顔をあげた。
「わたしは、今回の尾張攻めでは後方支援を担当しております。兵をどこからどれだけ集めるかは父上にお任せしていますが、少なくとも総兵力は二万以上、おそらくは三万に近くなると踏んでおります」
「そうだな」
「わたしのみるところ、この兵力は過剰です。鳴海城と大高城を解囲するだけなら、一万もあれば十分です」
「……ふむ」
「わたしは、信長は一ヶ月ほど亀のように首を引っ込め、こちらの総兵力が少なくなってから反撃に転じると思います」
「ありえるな」
「三万の今川兵は、尾張への示威にはなりましょう。ですが、はるばる尾張まで遠出をさせられた家臣たちは疑問に思うはずです。自分たちは何のためにここまで来たのかと」
氏真が、義元を正面から見る。
「わたしが抱く疑問を、父上がお考えでないとは思えません。父上はわざと過剰な兵を集めようとしておられる。信長が籠城して戦に応じない場合でも、陣触れに見合う戦果があると判断して」
氏真が、唇を舌で湿らせる。
「だとすれば、それは尾張の有力者が、信長を見限って父上に秋波を送ってきたからではないか。わたしのこの考えは、正しいでしょうか?」
義元は小さくうなずいた。
「やはり」
「他の者には、この話をしていないな」
「はい。もちろんです」
「お前は正しい。相手はいえぬが、尾張との間に同盟の手立てが進んでおる」
「では、三万の兵は」
「鳴海城と大高城を確保したのち、三万の兵で熱田神宮に参拝する」
熱田神宮は、大宮司の千秋家が今も織田と同盟している。義元が熱田神宮を参拝するなら、千秋家を動かせる相手が同盟に関わっていると氏真は推測した。
「熱田を参拝して尾駿同盟を詳らかにした後は、様子をみつつ撤退だ。三河と尾張の国境には三河衆を置き、蔵人佐を指揮官として残す」
「さすがです、父上」
「なに、そなたの家督相続への父からの祝いよ。これが成功すれば、我が領国は十年は安定するだろう」
義元は莞爾として笑った。