養護教諭は今代聖女の相談役
頬を染め上機嫌に笑うジュリアを見てフィアは内心首を傾げた。先週までは憂鬱そうな表情をしていたというのに……一体この一週間の間に何があったのだろうか。
聞いてほしそうな眼差しを向けられたフィアは、期待に応えるべく尋ねた。
「で? どうしたのかしら。とうとうサルヴァトーレ殿下との婚約が破棄されたの?」
「う、いえ。残念ながらまだです。でも、必ず近いうちに破棄してみせますから!」
今までにも不敬罪になりそうな発言を多々零していたジュリアだが、それはあくまでただの願望だった。しかし、今回はどうも本気のようだ。
市井で暮らしていたジュリアをとりまく環境は、聖女の力に目覚めてから激変した。目まぐるしい変化についていけず体調を崩してしまったジュリアは、その時初めて養護教諭と出会った。弱り切っていたジュリアが零した愚痴をフィアは黙って聞いてくれた。そのおかげか、不思議とジュリアの体調はみるみる回復した。ジュリアがフィアを慕うようになるのも自然の成り行きだった。今では用事がなくとも保健室へ顔を出している。
ジュリアにとって一番のストレスは、婚約者の王太子サルヴァトーレだった。サルヴァトーレから酷い仕打ちを受けて……というわけではない。むしろ、丁重に扱ってくれている。ただ、ジュリアにとってはそれが嫌だった。サルヴァトーレはジュリアを『聖女』としてしか見ていない。うわべだけの笑顔と言葉を真に受ける程、ジュリアは純粋ではなかった。早々に完璧な王太子を演じる彼に違和感を覚えた。それからというもの苦手意識が根付いてしまってどうにも生理的に受け付けなくなってしまった。多くの聖女達が甘受してきた『勇者との政略結婚』からどうにか逃げ出したいと思う程に。
養護教諭のフィアからしてみればいくら生徒(しかも聖女)からの相談だとはいえ、今代の勇者で、王太子という立場のサルヴァトーレを擁護した方がいいのはわかっている。だが、フィアにはジュリアの気持ちも理解できた。だからこうして、保健室に入り浸っている彼女を追い出さずに話を聞いているのだ。
「あの……フィア先生は先代勇者を見たことがありますか?」
「先代勇者というと……ディエゴ様のことですか?」
「そう! その方です!」
「見たことはありますが、それがどうかしましたか?」
嫌な予感がした。ジュリアの表情はとても見覚えのあるものだった。恥ずかしそうに目を伏せ、薄茶色のウェーブがかった己の髪を指に巻き付けながら話し始める。
「実は……その、ディエゴ様とお会いする機会があったんですけど……想像以上に、すごく素敵な方、だったんです」
「……そうですか」
「感想それだけですか?! もー……相変わらずフィア先生は冷めてますね。歴代最強と謳われた先代勇者様ですよ。興味ないんですか? 未だに結婚をしていない型破りな方ですが、そこがイイというか……とにかく、まさに狙い目の方なんですよ!?」
「特段興味は湧きませんね。それよりも、最後の言葉がジュリアさんの本音ですか?」
「う……でも、さすがに私ではディエゴ様と歳が離れていますし……」
「いいんじゃないですか?」
「え?」
「ジュリアさんは今代聖女ですし、大変可愛いらしい方ですから……お似合いだと思いますよ」
「……フィア先生がデレた?! え、ちょ、もう一回言ってください! って、どこに行くんですか?!」
「ちょっと、出てきます。いつもどおり、そこのベッド使っていいですから」
後ろで喚いているジュリアを置いてフィアは保健室を出た。外出中の札をかけて魔法棟へと向かう。頭の中はぐちゃぐちゃで思考が定まらない。けれど、今すぐ確認しないといけないことがあった。
準備室へとノック無しで入る。室内は相変わらず備品が散乱していた。管理している担当講師曰く、「どこに何があるのかは僕がわかるから問題ない。薬剤は厳重にしまっているのでその点も問題無い」らしい。
黒の皮張りのソファーから長い足が飛び出している。覗き込めば、案の定、白衣で顔を覆って眠っていた。
先代聖女が引退する際に、『飽きた』の一言で魔法騎士団団長の座を降りた歴代最凶と謳われた問題児。彼がその人だとはこの学園の生徒も教師も気づいていないだろう。知っているのは学園長と国王のみ。
「起きなさいエル」
白衣の上から、鼻らしき部分を摘まんでしばらく待つとエルが飛び起きた。黒い長い髪の隙間から同じく黒の瞳がのぞいている。フィアはエルを冷めた目で見つめた。フィアを視認した途端、前髪をかきあげ、頬を膨らませるエルだが、全く可愛いとは思えない。むしろ、イラっとした。
「聞いてないんだけど?」
「……情報回るの早くない?」
不機嫌そうに溜息を吐いたエルは起き上がり、隣のスペースを手で払うとそこにフィアに座るよう促した。断る理由もないので黙って従う。
「アイツが帰ってきたのは先週だよ。どうやら、国王が呼び戻したみたいだね」
「なぜ?」
「……ここだけの話。今代の聖女も勇者も実力不足なんだって……二人とも頑張ってはいるけど、比較対象が悪すぎだよね。歴代最強の聖女や勇者と比べるなんて……今更気付いても遅いのにね」
エルの言葉にフィアが気まずげに視線を逸らした。横から様子を伺うような視線を感じる。そう言われてもフィアにはどうしようもない。今代聖女が現れた途端、追い出されるように隠居を勧められた先代聖女。今代聖女も同じ平民ではあったが、決定的な違いがあった。ジュリアは歴史ある公爵家の落胤で、その存在が知られた瞬間から大きな後ろ盾を得ていた。親無しの生粋の平民とは違った。
先代勇者ディエゴは伯爵家の次男坊で、貴族らしくないやんちゃな一面をもっていた。そこがいいと言う女性が多く、端的に言えばモテた。そんなディエゴからの執拗なアプローチに、結婚願望が薄かったフィアでさえも落ちてしまった。ディエゴにプロポーズされた時はまるで夢のようだと思った。……けれど、それは彼の家族と会うまで。
彼の家族は皆、表面上はフィアに優しかった。どこか値踏みするような視線。家族との顔合わせだというのにその場に呼ばれていた彼の幼馴染。可愛らしい『彼女』はディエゴの名を気さくに呼び、彼に触れた。彼もそれが当たり前のように受け入れ、拒まなかった。さすがにフィアも気づいた。
彼の家族はフィアが『聖女』だから受け入れざるを得なかったのだと。内心では喜んでいないのだと。己の立場を自覚させるために『彼女』を相席させたのだと。そう気づけばもう無理だった。だからフィアは婚約を断り、逃げ出した。その手伝いをしてくれたのがエルだ。
「もう、私には関係ないことだわ」
「そうだね……でも、ディエゴのことはいいの? 『彼女』はディエゴを諦めて他の男と結婚したんだよ?」
「知ってる。でも、そういう話ではないのよ。それに、彼にふさわしい女性なら他にもいるわ」
今代の聖女を思い出す。先代勇者と今代聖女が結婚しても問題は無いはずだ。今代勇者には申し訳ないが。
「フィアがそれでいいなら、いいよ」
エルがフィアに手を伸ばした。目を閉じる。眼鏡を外された。黒の髪と瞳が元の金色に戻る。
目を開くと、エルがフィアの眼鏡を手に持ち、呪文を唱えていた。定期的にかけてもらっている認識阻害魔法。この眼鏡のおかげでフィアは聖女の色をあらわす黄金の瞳を隠せている。髪色もついでに変えることができる優れものだ。数分後には魔法が定着した。相変わらず手際が良い。歴代最強と謳われるのはエルも同じだ。そのエルが早々に隠居した原因の一端に、自分のことがあったのはわかっていた。申し訳なくは思うが、そのことについてはとうの昔に互いの中で終わっている。蒸し返すことはしない。でも、感謝はしている。眼鏡を受けとろうとフィアは手を差し出したが、エルは眼鏡をテーブルの上においた。肩透かしをくらい目を瞬かせる。エルはいたずらが成功したような笑みを浮かべた。
「僕の前でくらいいいでしょ。ソフィーヤ」
「その名前で呼ばれるのはいつぶりかしら。エルマンノ」
「僕で良ければいつでも呼ぶよ。呼ばれたくなったらいつでも会いにきてよ」
「……ありがとう」
ソフィーヤは泣きそうになりながらも微笑んだ。大きな手が頭をくしゃりと撫でる。同じ行為でもやはり相手が違えば感じ方も違う。エルマンノの手はひどく安心した。
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「フィア先生聞いて!」
保健室に飛び込むようにしてやってきたジュリア。興奮しているようなのでとりあえず椅子に座るように勧めた。大人しく座り、出されたカモミールティーを飲む。いくらか落ち着いた様子のジュリアが話し始めた。
「あのね。ディエゴ様のことなんだけど」
「ええ。何か進展があったのかしら?」
ジュリアが驚きの表情を浮かべる。フィアは努めて冷静にその先を促した。
「王城で聖魔法の練習をしているとね最近よく顔をだしてくれるようになったの。しかも、この前なんか、「がんばってるね」って声をかけてもらったの!」
「そう。よかったわね」
容易にその光景が浮かぶ。ジュリアは『彼女』に似ている。顔というか雰囲気が。二人が距離を縮めるのもすぐだろう。そして、きっと……フィアは自分用に淹れたカモミールティーに口をつけた。
「それで、王太子殿下とはどうなっているの?」
「う……それとなくサルヴァトーレ様に言ってみたんですよ。でも、笑顔でかわされただけでした」
その時のことを思い出したのだろうジュリアの表情が苦虫を嚙み潰したように歪む。フィアの脳裏にもサルヴァトーレのとってつけたような笑顔が思い浮かんだ。同時に、サルヴァトーレが王太子になる前の記憶も蘇る。————あの子もこじらせているのかしら……。
思春期に入る前までは「フィーフィー」と名前を呼んでくれていたのに、いつの間にか避けられるようになり、気付けば話をすることもなくなってしまった。サルヴァトーレは入学してから保健室を利用したことがないので、今の彼がどんな風に育っているのかはわからない……が話を聞いているだけで、何となく想像はできた。
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王都中に警報が鳴り響いたのは、ディエゴが王都に戻ってきたと知ってから三週間後のことだった。授業中の時間帯。各教室ではざわめきが起きていた。しばらくして、校内放送が流れる。生徒達は教室内で待機、ジュリアとサルヴァトーレだけは名指しで呼び出され、教師陣は漏れなく全員に集合がかけられた。フィアも握っていたペンを放り出し、椅子から腰を上げ、職員室へと向かう。
「フィア」
「エル」
後ろから声をかけてきたエルが隣に並んで歩く。その表情は冴えない。フィアは苦笑しながらエルの背中を叩いた。————なるようにしかならないのだから、そんな顔をしないでほしい。
職員室の扉を開くと、すでに教師達が集まっていて、その中心に見知った顔を見つけた。ジュリアがフィアを見てホッとした表情を浮かべる。隣にはサルヴァトーレが厳しい表情を浮かべて立っていた。ジュリアの視線につられ、サルヴァトーレの視線がフィアへと向く。一度外された視線がすぐにもう一度フィアを捉えた。みるみるうちにサルヴァトーレの目が見開いていく。サルヴァトーレが口を開く前に、エルが切り出した。
「で、今どんな状況なのさ?」
「エル先生。さすがのあなたでも今が緊急事態だと理解しているようですね」
常日頃エルを目の敵にしている男性教諭が眼鏡を押し上げ、皮肉を言った。エルはその言葉を無視して学園長を見る。学園長が緊張した面持ちで、告げた。
「王都内の結界が破られ、竜や魔物達が王都を襲撃しています。ジュリアさんとサルヴァトーレ様には陛下からすぐにでも現地へ向かうようにと通達が。その際、エル……先生とフィア先生にも……と」
「僕だけで充分だよ。現地にはディエゴがすでにいるんでしょ。なら、それで充分だ」
学園長が何か言いたそうに口を動かすが、長い前髪の隙間からエルの鋭い眼差しがその先を止めた。フィアが眉根を寄せ考え込んでいると、サルヴァトーレがエルの意見に被せるように同意した。
「エル先生がいるなら心強いです。早速、向かいましょう。よろしくお願いします」
「うん」
ジュリアは心もとない表情を浮かべたが、すぐに覚悟を決めたように頷いた。エルが転移魔法陣を敷き、サルヴァトーレがその陣内に入る。ジュリアは戸惑いながらもサルヴァトーレに続いた。転移前にエルの視線とフィアの視線が交わった。声に出すことはなかったが「大丈夫だから」と確かにエルはそう言った。フィアは下唇を痛いくらいに噛んで三人を見送った。
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ジュリアは空を見上げた。数体の竜が空を飛んでいる。一際大きな竜の上にジュリアの憧れの人が乗っていた。ディエゴが使役竜とともに、数十匹の竜と交戦しているのが見える。
「サル、いける?」
「もちろんです。……というか、その呼び名いい加減やめてくれませんか? それと、一点聞きたいことがあるのですが」
「却下」
「どちらのことですか?!」
「どちらも、に決まってるじゃん」
サルヴァトーレとエルの言い合う声で我に返ったジュリアが驚いて二人を見る。まるで昔から互いのことを知っているかのような掛け合い。ジュリアが初めてみる表情を二人とも浮かべていた。困惑するジュリアを置いて、エルが空中に足場を構築する。サルヴァトーレはその足場を土台に跳躍した。サルヴァトーレが召喚した『勇者の剣』が竜に致命傷を与えた。
サルヴァトーレに気付いたディエゴが指示を飛ばす。そこからは圧倒的だった。ディエゴは銀色の髪をなびかせ、使役竜をまるで己の手足のように操って、相手を翻弄する。その隙を狙ってサルヴァトーレが『勇者の剣』を振るった。ディエゴの指示は聞こえていないはずのエルは的確に足場を構築し、使役竜のいないサルバトーレの補助を担った。あっというまに粗方片付き、中級以下の魔物のみとなった。後を王都の騎士団に任せ、二人が降りて来る。
ジュリアはディエゴに駆け寄り声をかけようとしたが、ディエゴの赤い瞳はジュリアを一瞥することさえなく通り過ぎていった。ディエゴがエルに鋭い視線を向ける。
「ソフィーは?」
「……久しぶりにあうのに第一声がそれなの?」
「ソフィー以外はどうでもいい」
「相変わらず歪んでいるね。そんなに好きなのにどうして放っておいたのさ。そんなんだから、ソフィーヤに逃げられるんだよ」
最後の一言を聞いた途端、ディエゴの目がつり上がり、エルの胸倉を掴んだ。ジュリアが小さく悲鳴をあげる。サルヴァトーレが慌てて間に入った。ディエゴは舌打ちをして渋々、手を離す。ジュリアは己のイメージとかけ離れたディエゴを目にして絶句していた。ガラガラと積み上げた何かが崩壊していく。
「サル」
「わかってます。ディエゴさん、とりあえず今はそんな余裕はないでしょう? 結界を張りなおす間、王都を守らないと」
「ジュリア、だったかな。結界の張り方は知っているよね?」
「は、はい。王城にある魔道具に聖女の力を流して張り巡らせるんですよね」
「そう。それ、今からしにいくよ」
「無駄だよ」
エルがジュリアを連れて転移しようとした瞬間、嘲るようにディエゴが言った。その場の空気が止まる。
「は? 今なんて言った?」
「アレ、壊したから」
そう言って笑ったディエゴの目には狂気が宿っていた。サルヴァトーレとジュリアが青ざめる。
「いくらエルマンノでもアレを修復させるのはすぐには無理だろう?」
「おまえっ」
「だって、こうでもしないとソフィーは帰ってきてくれないじゃないか」
泣きそうな顔で笑うディエゴ。
「ならなんでっ、気付いていた癖にソフィーヤがどれだけっ」
「わかってる! 頼ってほしかった、言って欲しかったなんて俺のエゴだったって痛いくらいにわかってる! それでも戻ってきてほしいんだ! ……だから、貴族籍も捨てた。もう、俺にはソフィー以外いらないから」
ディエゴの言葉に一同が息を呑んだ。誰も言葉を発することができない。
最初に言葉(?)を発したのはディエゴの後ろで控えていた使役竜だった。唸り声を上げ、空を見上げる。
一際大きな影が周辺を覆い、見上げれば、古代竜がいた。皆が息を呑む。
「さいっあく」
「……さすがに、これは予期していなかったな」
「今だけは言わせてください。ディエゴさん、馬鹿なんじゃないですか。反逆罪で捕まりたくないなら出し惜しみしないでくださいね。……『勇者の剣』、本当は今も召喚できますよね? エルマンノ様も最凶の力、見せてくださいよ。それとも、二人ともフィーの前じゃないと本気になれませんか?」
サルヴァトーレの挑発的な言葉に二人の眉がピクリと動く。エルは長い前髪をかきあげて後ろで結び、ディエゴは『勇者の剣』を召還した。サルヴァトーレも同様に召喚して構える。呆然と三人を見ていたジュリアに向かってサルヴァトーレが叫んだ。
「騎士団と合流してそっちの指示に従って!」
「う、うん。わかった!」
未だ己の力を制御できていないジュリアには三人とともに戦うのは荷が重かった。サルヴァトーレの言葉に甘えて、騎士団がいる方へと走り出す。だが、そのタイミングが悪かった。古代竜の目がジュリアを捉えた。鋭い爪がジュリアへと向かう。誰かの叫び声が聞こえた。振り向きざま、ジュリアは迫りくる爪を前に命の危険を感じ、目を閉じた。
キィイン
間一髪、ディエゴの剣が古代竜の爪をはじいた。古代竜の咆哮が響き渡る。上空に向かって炎を吹き上げた。口内にたまりつつある炎に危険を感じた騎士団の団長が団員に退避を呼びかける。さすがのディエゴの額にも汗が浮かんだ。エルマンノがジュリアを回収し、サルヴァトーレへと預ける。ディエゴの隣にエルマンノが立った。
「エルマンノは隠れていてくれ、後でソフィーの居場所を吐いてもらわないといけないから」
「ディエゴが消しカスになったとしても僕は一向にかまわないんだけど、さすがにソフィーヤに睨まれるのは嫌だからね。ブレス連続三回分くらいなら防いでみせるよ」
それ以降はどうかわからないとエルマンノが冗談交じりに呟けばディエゴが頷いた。二人の顔に緊張が走る。一瞬後、淡々とした声が響き、その場の雰囲気を霧散させた。
「二人とも、後で一時間みっちり説教よ。もちろん、両腕は上げたままでね」
エルマンノとディエゴの目が見開かれる。
古代竜が溜めていた炎を三人に向かって放った。
「フィア先生?! 危ない!」
ジュリアの叫び声がソフィーヤの耳に届いた。ソフィーヤは古代竜を見据え、右手を前方に上げた。
ジュリアは閉じていた目をゆっくりと開いた。
……目の前の光景を理解できず、茫然とみつめる。
古代竜が放った炎は見えない障壁の中に閉じ込められていた。
「あれが、歴代最強と謳われた聖女の力だよ。……愚かな連中が集まる王都なんて放っておいてもよかったのに……やっぱり、フィーはフィーだなぁ」
サルヴァトーレが呟いた言葉がやけに鮮明に聞こえた。
国の重鎮達はソフィーヤがどれだけ功績をあげても、聖女としても、貴族の一員としても、認めようとはしなかった。その一方で、聖女の力は認めていた。その力を搾取する為だけに『勇者との婚姻』を認めたのだ。
聡いソフィーヤはその事実に気付いていた。それでも、ディエゴを選んだ。それなのに、ディエゴはその気持ちにあぐらをかき、周りの思惑に気付いていないフリをしてソフィーヤの気持ちを確かめようとした。その結果が、これだ。サルヴァトーレは勇者としてのディエゴは尊敬していたが、男としてのディエゴは軽蔑すらしていた。
ソフィーヤが両手を組み、目を閉じる。無防備になったソフィーヤを守るようにディエゴとエルマンノが前に立った。
ソフィーヤを中心に黄金の光が広がっていく。光を浴びた弱い魔物は消え、中級以上の魔物はその光から逃げだしていく。目の前の古代竜にもその力は及び、苦しそうな唸り声を上げた。
ソフィーヤの瞼がうっすらと開き、黄金の瞳が古代竜を見つめる。
「ここじゃないわ。迎えにいってあげて。ほら、あそこであなたを待ってる」
ソフィーヤが示した先には黄金の柱が立っていた。古代竜はそちらを見た後、ソフィーヤを見た。古代竜とソフィーヤの視線が交わる。古代竜はクルルルゥと声を漏らした。ソフィーヤは笑みを浮かべて頷く。古代竜がソフィーヤの手に鼻先をつけた。その鼻先を軽く叩くと古代竜はもう一度クルルゥと鳴き、黄金の柱の元へ向かって飛び去った。その姿を見送ったソフィーヤは軽く息を吐きだす。
次いで、再び両手を組むと、今度は黄金の結界で王都を覆っていく。そこまでやり遂げ、ようやくソフィーヤは肩にいれていた力を抜いた。
視線を感じて振り向いた。ディエゴがソフィーヤを見て、感極まり涙を流していた。抱きしめようと腕を広げて近づいてくる。
パンッ
乾いた音が響いた。
ディエゴが腕を開いた姿勢のまま、顔を横に背けて、硬直している。ソフィーヤはひりひりする己の右手をぶんぶんと振りながら、ディエゴを睨みつけた。
「謝って許されることではないでしょうが、誠心誠意謝りなさい」
「ご、ごめんなさい! ソフィー!」
「違う! 私じゃないでしょう?! あなたの行動でどれだけの人々が危険にさらされたと思っているの?!」
「だ、だって!」
「だってじゃない! だいたいねぇ。ナニそのねじ曲がった愛情!? そんなもの私はいらないわ!」
「そんなっ」
絶望の表情を浮かべるディエゴ。エルマンノがニタニタと笑っている。そのエルマンノにも向かってソフィーヤが鋭い視線を向けた。
「エルマンノも! ディエゴがこういうやつだとわかっていたなら言いなさいよ!」
「いや、でも、ソフィーヤはディエゴのことはもういいって感じだったし」
「うっ、それは、その」
「だいたい、ライバルの肩持つとかいやだし」
「へ?」
「やっぱり! おまえ、やっぱりソフィーのことそういう目でみてたんじゃないか!」
「いや、え、でも、え? エルマンノって……男性がすきなんじゃ」
「好きだよ」
「だよね?!」
「でも、女性も好きだよ。というか、ソフィーヤならどっちでも好き」
「うぇぇええええええ」
「離れろ! 今すぐソフィーから離れろ!」
「やぁだよ」
混乱しているソフィーヤをエルマンノが後ろから抱きしめ、ディエゴを挑発する。ディエゴはエルマンノに向かって暴言を吐いているが正直、耳に入ってこない。
百年の恋も冷めてしまいそうな低レベルな争いを止めたのは意外にも意気投合したジュリアとサルヴァトーレだった。
「そういうところがフィア先生にはふさわしくないと思います!」
「そうそう。フィーを手に入れたくば出直してこいって感じだね」
サルヴァトーレがエルマンノからソフィーヤを引き離し、ソフィーヤの腕にジュリアが抱きついて威嚇している。
エルマンノとディエゴは思わぬ伏兵に唸り声を上げた。一方のソフィーヤは魂の抜けた顔でされるがままだった。
今回の事件により先代勇者と聖女の力はまだまだ現役だと衆知された。その結果、特例として二人の地位は復活し、今代の教育係にも任命された。
ソフィーヤを排除しようとしたことを公にしないためにもディエゴのご乱心は伏せられ、ついでにエルマンノも現役復帰を果たした。議会を待たずして国王から決定事項として告げられた内容に国の重鎮達は何も言えなかった。
追い打ちをかけるディエゴの言葉も効いたのだろう。
「もし、余計な横入りがあった場合はすぐにでもソフィーを連れてこの国を出奔する。その準備もすでに整っている」
さらには、エルマンノやサルヴァトーレ、ジュリアまでも一緒についていくと明言した。ソフィーヤの存在こそが国の平和……ひいては己の安寧を保つために必須だと理解した重鎮達は鮮やかな掌返しを見せた。ソフィーヤは何とも言えない表情を浮かべたが、自分が真っ先に納得しなければ、彼らが何をしでかすのかわからないと謝罪を受け入れた。
数ヶ月後、古代竜の親子が王都から近い森に住みつくようになる。騎士団とともに視察に駆り出されたソフィーヤは、古代竜を一目見て彼女達だとわかった。甘えた声をあげ近づいてくる幼い古代竜に手を伸ばす。鼻先を撫でると喜びの声を上げた。
古代竜親子との定期的な交流はソフィーヤにとって一番心休まる時間になった。日夜、ソフィーヤに婚姻を迫り、追いかけまわしている人達も古代竜に威嚇されてはすごすごと帰って行くしかない。いつしか古代竜は聖女の番竜……ではなく守護竜とまで呼ばれるようになった。
今日もまた、ソフィーヤは古代竜に背を預け、すやすやとひと時の眠りについている。近づいてきた気配に気づいた古代竜が目を開き、じっと見つめる。どうやら、ソフィーヤを起こしにきたわけではないとわかると再び目を閉じた。
膝をついて、ソフィーヤの寝顔を覗き込む。微かに緩む唇へと己の唇を重ねようとして、止めた。代わりに、ひと房の髪をすくい上げ、口づける。
今はこれで我慢しよう。いつか、きっと……
数多くある小説の中から見つけていただいた上、ここまで読んでいただきありがとうございます。
最後のお相手は皆様のご想像におまかせで……
といいつつ、いつか、長編にできたらいいなぁとも思っています←