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第7話 再びロシアへ

 フランスとロシアが和議を結んで以降、残る強敵はイギリスだけであった。

 ナポレオンは、ヨーロッパ大陸とイギリスとの通商を絶つことで、イギリスを経済的に困窮こんきゅうさせようとしたのだが、世界一の工業国であるイギリスに頼ることができなくなったロシアはさらに困窮することとなり、イギリスとの通商を再開したのである。

 これに怒ったナポレオンは、ロシアを討伐とうばつすべく動員令を発した。


 このことは、アムステルダムにいる元治も知るところとなった。

 元治がアムステルダムに来てから4年以上が経つ。この水の都とでもいうべき街で、港に出入りする船を眺めながら日々を過ごしていた。

 春の陽気な日の午後、いつものように紅茶を楽しみながら、フレデリックが元治に語りかけた。

「元治さん、皇帝陛下はロシアを討つべく兵を集め始めましたよ。」

「イギリスを倒すために、手始めとしてロシアというわけか。ナポレオンもご苦労なことだ。」

「あなたは、どうするおつもりなのですか。」

「イギリスを倒せば、船で日本に帰ることができる。それに、ロシアにいるはずの石之助を見つけ出すことも…。そう簡単ではないけどな。」

 そう答える元治に対し、フレデリックは一撃を浴びせた。

「日本に帰りたいだけですか、皇帝陛下にも興味があるのでは。」

 そのとおりだ、ナポレオンに会ってからというもの、あいつのことが頭から離れやしない。


「俺はサムライだ。日本刀がなければ戦えない。サーベルってものが、どうしても好きになれない。」

「日本刀ならありますよ、長崎で手に入れた物が。なかなかの名刀らしいです。」

「なんだって!」

「あなたなら使いこなせるでしょう。」

「どうして俺にそこまでしてくれるんだ。」

「サムライに興味があるんですよ。まあ、私も物好きでしてね。」

「フレデリック、お前という男は何を考えているか分からないが、俺はそういう男は嫌いじゃないぜ。」

 この時、元治はおのれの中に鬼神きじん宿やどるのを感じ取っていた。


 フランス軍を中心とした遠征軍の出陣にあたり閲兵式が行われ、ナポレオンは馬を進めながら、居並ぶ兵士たちを見下ろしていた。

 と、その時、彼は馬の足を止めた、フランス軍の軍服に身を包んだ元治の前で。


「そのほう、私の首を取りに来たのか。」

 ナポレオンは元治のことを忘れてはいなかったらしい。

「もう、あんたの首に興味はない。皇帝ナポレオンがどういう男か、この目で確かめたいんだよ。」

 その時、ナポレオンのかたわらにいた副官の怒声が飛んだ。

「貴様、太陽神アポロンの生まれ変わりである皇帝陛下に無礼なことを言うな!」

 しかし、鬼神が宿った元治は全くひるまなかった。

「皇帝さんよ、昇ったお天道様(てんとうさま)は必ず沈むんだよ。」

 そう言われたナポレオンは怒るでもなく、元治との会話を楽しむかのように言った。

「たとえ沈んだとしても、再び昇るやもしれんぞ。」

「そんなもの、百日と持たねえよ。」

「ふっ、おもしろい男だ。」


 再び馬を進めたナポレオンの後ろ姿を見ながら、元治は何やら不吉なものを感じとっていた。

 サムライの本能とでも言うべきものが。


 ネマン川を渡ってロシアに攻め入ったはいいが、肝心のロシア軍はいっこうに戦う気配をみせず、村々や畑を焼き払いながら後退を続けていた。

 フランス軍の行く手に広がるのは、見渡す気限り何もない荒漠たる大地。あるとすれば焼かれた家と畑だけだ。


 元治はともに行軍する兵士に話しかけた。

「ロシアの将軍はやる気があるのか。どこまで歩き続ければいいんだ。このまま歩いていたらカムチャツカに戻ってしまう。」

 答える兵士も、歩き疲れて、口を動かすのも辛いと言わんばかりだ。

「俺に言われたって分かるわけないだろ。それにな、もうけっこうな数の兵隊が逃げ出したらしい。」

 気にはなっていた、朝起きると何人もの兵士がいなくなっていることに。


 国境を越えてロシア軍を叩き、早々に決着がつくとの予想であったが、行軍を開始してからもう2か月以上が経つ。

 それに、遠征軍にはポーランド、イタリア、ドイツといったフランス以外の国々の兵士も数多く参加している。

 さらには、ロシア軍による焦土しょうど戦術により畑や作物は焼き尽くされ、食料の調達もままならない。

 このような状況の中で、モスクワに近づくころには、戦わずして半数を優に超える兵士が逃げ出していた。

 しかし、ロシア軍もやっと重い腰を上げたのか、モスクワ手前のボロジノにおいてフランス軍を迎え撃つ構えを見せた。


 両軍による砲撃とそれに続く騎兵の攻撃により戦いは始まった。

 双方合わせて20万人以上の兵士が激突したのである。

 元治のいる部隊には、ロシア軍左翼の堡塁ほうるいを占領せよとの命令が出された。

「やっときたか、ヨーロッパでの戦いは大砲と騎兵が主役だからな。なかなか出番が回ってこない。」

 元治はここぞとばかりに刀を抜いて堡塁へと斬り込んでいった。

 サーベル、銃剣、そして日本刀が入り乱れ、死者の山が築かれていく。

 飛んで来る大砲の弾は、敵だろうが味方だろうがかまわずに、すべての者を吹き飛ばす。

 ありとあらゆる命が否定される、それが戦場だ。


「5年ぶりの戦場だが、腕はなまってはいない。見える、見えるぞ、1秒先が。」

 フレデリックから受け取った日本刀が、ロシア兵を次々と斬り捨て、堡塁占領への突破口を開く。

 しかし、元治はなにやら違和感を覚えていた。

「前線の兵士が死に物狂いで戦っているのに、作戦そのものに何かが足らない。あいつは何をやっているんだ。」

 確かにそうであった。

 ナポレオンは、高熱に冒されていたとも言われ、指揮の不徹底さや作戦計画の単調さがあったと言われる。

 それでも、元治たちの活躍により堡塁が占領されたことで、ロシア軍の左翼は危機に瀕し、これによりロシア軍全軍が撤退を開始した。


「勝つには勝った。しかし、それだけだ。ロシア軍は負けたから撤退したのではない、今は無理をしてまで勝つ必要がないから撤退しただけだ。再び立ち上がる余力があるうちに手を引いたにすぎない。」


「あいつさえしっかりしていれば、死んだ者も少しは浮かばれたろうに。」


 戦場に残されたおびただしい数のしかばねを見ながら、元治はこの勝利に対し怒りにも似た思い抱いていた。


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