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第4話 ヨーロッパの戦場へ

 多くの兵士が動員され、西へ向かった。

 巨大な石臼いしうすにひきつぶされるように、次から次へと戦場が人間を飲み込んでいるらしい。

 兵士といっても、ほとんどの者が農民出身だ。勝ちいくさの時はいいが、負け戦の時は、どれだけの者が残っているだろうか。

 元治と石之助もロシア軍の軍服に日本刀という、見様みようによっては珍妙な格好で参陣していた。


「あれは何だ。」

「大砲だな。日本でいうところの大筒おおづつだ。車がついて移動しやすいようになっている。」

 石之助はロシアに来てからというもの、知識の吸収に余念がなかった。

「それにな、鉄砲も見てみろ。火縄銃ではない。火打石を使っている。しかも鉄砲の先に槍がついている。銃剣バヨネットとか言うらしい。」

 日本は遅れている、刀の時代はもう終わるだろう、そんなことを元治は考えていた。

「元治よ、何を暗い顔をしている。お前には1秒先が見えるんだろ。」

「そうは言ってもな…。」

 いくら剣技に自身があるといっても、やはり戦は恐ろしい。

 だが、与一を見ろ。

 右も左も分からぬ異国の地で新たな生活を築こうとしているのだ、戦場に赴く勇気も、異国の地で生きる勇気も同じではないか。


 1807年6月、元治と石之助を含むロシアの増援部隊は、ベニグセン将軍率いる本隊と合流した。

「やれやれ、やっとひと息つけそうだ。ずっと歩きっぱなしだったからな。」

「元治、まだ、何も始まってはいないぞ。」

「戦争をしに来たんだか、歩きに来たんだか。」

「まったく、お前という男は。」


「川の向こうの街にフランス軍の一部隊がいるから、これを叩いて、街を占領するらしい。」

 そんなことを話している兵士がいた。

 その話を聞いた時、石之助は一抹の不安を覚えた。

「叩いてくださいと言わんばかりに、小さな部隊をわざわざ目立つように置くものなのか。ナポレオンとはその程度の男なのか。もしかしたら、これはおとりなのでは。川を渡ったところを敵に襲われれば、まさに背水の陣(はいすいのじん)だ。」

 そのことを、セルゲイにも話してみた。セルゲイも同じ思いだったようだ。

「確かにな。川を渡って敵を叩き、敵の本隊が駆けつける前に退却するのならいいのだが。ベニグセン将軍も歴戦の男だから、その辺は心得ているとは思う。」


 そして、進撃命令が出された。

 アレ川を渡り、フリートラントの街を占領せよ。

 元治と石之助のいるロシア軍右翼の部隊には、渡河とかした後、フリートラントの北方に展開せよとの命令が出された。

 その命令を受け、ロシア軍は続々と川を渡り始めたのだった。


 渡河したロシア軍は幸先さいさきよくフリートラントの街を占領したのだが、あまりにもあっけなく占領できた。それもそのはずで、そこに展開するフランス軍はいち早く撤退したのである。

 やはりおとりだったのだ。

 こちらの動きは完全に読まれており、油断したロシア軍の前にナポレオン率いる本隊が現れたのだ。

 街の南方に展開するロシア軍左翼はフランス軍の前に崩壊してしまい、アレ川にかかる橋も攻撃を受け始めた。

 ここに至って、元治たちのいるロシア軍右翼は川の向こうに取り残されることとなってしまった。


「危惧していたとおりだ。見事にえさに食いついてしまったんだ。」

 地団太じだんだを踏む元治と石之助であったが、もうどうしようもなかった。

 彼らの陣にも、フランス軍の大砲が撃ち込まれ始めた。


「ドーン!、ドーン!」

 初めて聞く音だ。

 まるで地鳴りのような音がすると、次の瞬間、大きな鉄のたまが飛んで来た。中には地面に当たった瞬間に炸裂するものまである。

「シュッ!」という風を切る音がした方向を見ると、頭のない兵士が立っていた。

 2歩、3歩と進んだかと思うと、「バタッ」という音を立てて地面に崩れ落ちた。

 大砲から撃ち出された弾が顔面を直撃したらしい。

 ほかにも大勢の兵士が、血を流して倒れている。


「橋が落ちたぞ!」

 その声を聞いた途端、ロシア兵たちは一斉に川に向かって走り始めた。

 もともと農民が兵士として駆り出されただけであり、戦意も乏しく、石之助の思ったとおり、負け戦になった途端にせきを切ったように逃げ出したのである。

 もはや、泳いででも川を渡る以外に、助かるすべがなかった。

「背水の陣というのは、韓信かんしんのような希代きだいの名将あってこそなんだ。俺たちの大将はそのうつわではなかったんだ。」

 次々と川に飛び込む兵士を尻目に、元治と石之助はなんとかフランス軍の追撃を食い止めるため、白刃しらはをかざして襲い来るフランス軍を迎え撃った。

 フランス兵の銃剣を交わしながら、二人の日本刀が次々とフランス兵を斬り裂いていく。


 ヨーロッパの兵士が初めて見る武器だった。

 これほどまでに切れ味の鋭い刀が存在するものなのか、しかも、あの二人の動きは何なのだ、まるでまいっているようだ。

 セルゲイは、二人の戦う姿のあまりの美しさに心を奪われていた。

「元治、石之助、私も戦うぞ、みなも逃げずに戦え、少しでも敵を食い止め時間を稼ぐんだ!」

 セルゲイも助太刀すけだちに駆け付け、逃げ腰になっている兵士たちを鼓舞した。


「見える、見えるぞ。貴様らの1秒先が見えるぞ!」

 元治の日本語の叫びの意味はフランス兵には理解できないだろうが、この男が並大抵の男ではないということは、彼らの兵士としての本能が理解していたに違いない。


「ウワー!」というセルゲイの叫び声だ。

 彼の身体をフランス兵の銃剣がとらえたのだ。

 そのフランス兵を石之助が一刀のもとに斬り捨てる。

 そこへ元治も駆け付けた。

「石之助、ここは俺が引き受ける。お前はセルゲイを連れて川を渡れ!」

「しかし、元治。」

「いいから行くんだ、早く行け!」

 その気迫に押され、石之助は負傷したセルゲイをかついで川に飛び込んだ。

 石之助が後ろを振り向くと、刀を振りかざしてフランス兵のむれの中へ斬り込んでいく元治の姿が見えた。


 川にはおぼれ死んだロシア兵の死体がいくつも流れている。

「ここはまさしく三途さんずの川だ。」

「石之助、私にかまわず一人で行け。私と一緒では、二人とも溺れ死ぬぞ。」

「そんなことができるか!」

 セルゲイは腹からおびただしい血を流しており、二人の周りの水は真っ赤に染まっていた。

「石之助、すまない、ちからになれなくて。」

「何も話すなセルゲイ、じっとしてるんだ。」

「元治と一緒に、日本へ帰るんだぞ…必ず…。君たちに出会えてよかった…。」

 そう言うとセルゲイは最後の力を振り絞り、石之助を振り払った。

「セルゲイ、セルゲイ!」


 流れにまれたセルゲイの身体は、ゆっくりと水面みなもの下へ沈んでいき、二度と浮かび上がることはなかった。


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