地下室の罠
深夜、寮監の目を盗んでマリアは外へ出た。
目的地まではそう遠くない。
マコルと歩いたときは、寮まで十分ほどだった。 風の移動魔法を使えば三分で着くだろう。
(近くに夜中までやってるお店があって助かった……。 これがないと、機嫌を損ねちゃう)
奨学金があって助かったと思いつつ、重い袋をいくつか抱えながら例の地下室へ急いだ。
鬱蒼とした森は、深夜になって更に闇を増している。
辺りを見回すが、数時間前に来た時と同様、周囲には誰もいないようだ。
マリアはゆっくりと階段を降り、扉に手のひらを当てた。
「″ シェラリア・フォルノリアの名の元に命じる。 解錠せよ ″」
大きな石の扉は重い音をたてながら、ゆっくりと開いていく。
マリアは招かれるようにその中に入っていった。
ーーー扉が閉まると同時に、小さな赤い光が怪しく点灯する。
マリアは知らなかった。
千年後の世界には、人の動きを察知する装置や、そこに来た人間の映像を残す機械があるということを。
==============
地下室には埃と黴の匂いが充満していた。
床には、当時行っていた研究のデータや論文が散らばっている。
(本当に……千年間、誰も入れなかったんだなあ)
マリアは懐かしみながら部屋の奥へ進んでいく。
部屋の中央の床には赤い文字で魔法陣が刻まれていた。
魔法陣に傷一つないところを見て、やはり誰も足を踏み入れなかったんだ、とマリアは思う。
(ここに誰か入っていたら……多分真っ先にこの子を欲しがるか、怖がって殺すはずだもんな)
魔法陣に手を触れると、懐かしい温かさを感じた気がした。
「″ 悠園の時より生ける炎の龍よ。 我が契約を以ってその力、我が物と為せ″」
魔法陣が朱く光りを放ち、マリアを包む。
光が消えると、ぽん、という気の抜けた音と同時に、小さなドラゴンが現れた。
「……おはよう、ファリアーヌ」
「ふぁ……貴様は………誰だ」
ドラゴンはくあ、と大きく欠伸をしながら尋ねてくる。
「お待たせ。 ……こんなところに、長い間閉じ込めてごめんね」
「シェラリア……なのか」
ファリアーヌは目を見開いてマリアを見る。 まじまじと上から下まで見てから、首を傾げた。
「姿形が変わったようだが……貴様、今まで何をしていたのだ。 我は空腹だぞ」
半目でじとりと睨まれる。
どうやら、閉じ込められていたことより空腹に怒っているらしい。
「ごめんね。 シェラリアは千年前に殺されたの。 だから、この姿に転生して学園に入学するまで、会いに来られなかったんだよね」
「千年? そんなに寝ていたのか、我は…。 まあよい。 永遠を生きる我にとっては時の長さなど関係はない」
長く眠っていたからか、ファリアーヌはぐいーっと伸びをする。
それから、マリアのほうを見て鋭い瞳を光らせた。
「それより、貴様……アレは忘れていないであろうな」
「勿論。 はい、キャベツ。 遅くまでやってるお店があってよかったよ……」
持ってきた袋からキャベツを六玉取り出すと、ファリアーヌは瞳を更に輝かせてキャベツを奪った。
「よくやった! これは水々しい……! 頂くとしよう」
(昔から思ってたけど、ドラゴンの癖にキャベツが好きって不思議だな……)
ばりばりとキャベツを貪るファリアーヌを眺めながら、マリアは昔を思い出す。
ファリアーヌは、シェラリアの使い魔だった。
正式名称は炎龍。 ファリアーヌはシェラリアがつけた名前だ。
彼はかつて、世界の半分を焼き尽くしたことがあるという言い伝えを持つ最強の魔獣である。
今は魔力のコントロールで小さくなっているが、本当はもっと大きい。
千年前に炎龍が現れたとき、ブレス達は群を成して捕獲しようとしたが、誰も止めることができなかった。
困り果てたブレス達がシェラリアに依頼し、自身と同等の炎を繰り出す魔女を炎龍が気に入ったことで、その戦いは終わった。
(今思えば、キャベツで機嫌が取れるんだから、使い魔の契約なんて要らなかった気もするんだけど……)
シェラリアの使い魔となってからというもの、ファリアーヌは常に彼女の側で過ごしてきた。
しかしシェラリアが殺されたあの日、彼は偶々地下室で留守番を命じられていたのである。
(結果、千年閉じ込めてしまったけれど、怒っていなくてよかった)
彼の逆鱗に触れたら、冗談でなく世界が滅びかねない。
マリアはふう、と息を吐いて安堵した。
「おい、シェラリア」
「あ、ごめん。 今はマリアっていうの。 シェラリアであることは隠してるから、その名では呼ばないで」
お願い、と手を合わせると、ファリアーヌはうむ、と頷いて改める。
「では、マリア。 お前、今後我をどうするつもりだ。 こんな黴くさいところで過ごさせるつもりではなかろうな」
「うーん……頻繁にここに出入りするのは、私も正体がバレないために避けたい。 でも……今私、弱いふりしてるから、炎龍を使い魔にしてるって知られるのも避けたいなあ」
「わかった。 では……これならどうだ」
ぽん、という音と共にファリアーヌが変化する。
「わあ……可愛い…子犬?」
ファリアーヌの姿が、ふわふわとした手乗りサイズの犬らしきものに変わった。
「狼だ、馬鹿者め。 この程度の魔獣なら、使い魔にしている者も多いのではないか?」
確かに、犬や猫、鳥程度なら使い魔を寮の部屋に置いている生徒もいる。 この姿なら疑われることはないだろう。
「そうだね。 じゃあ、普段はその姿でいて」
「よかろう。 その代わり……キャベツは毎日献上するように」
「かしこまりました」
(食費光熱費は学園が支払ってくれているとはいえ……奨学金のほとんどは、キャベツ代になりそうだな……)
「それで……今も学園の寮から抜け出してきたところなの。 早く帰らないと怒られるから、起きて早々悪いけどついて来てくれる?」
「承知した」
ファリアーヌを肩に乗せて、マリアは地下室の扉を開く。
脱走が寮監にバレる前に、早く帰らなくてはいけない。
(見回りの時間までには間に合うはず)
ここに来た目的を達成したマリアは、あとは寮に帰るだけだと思い完全に油断していた。
「……おい」
地下室から出てきた瞬間、階段の上から声が降ってきた。
予期しなかった出来事に、びくりと肩を揺らす。
千年も放っておかれた開かずの間などに、それもこの深夜に誰かが来るとは思いもしなかったマリアは、己の詰めの甘さを呪った。
相手は何らかの光源を持っており、逆光で顔が見えない。
「……やっぱりな」
(いけない、このままじゃ正体がーーーー)
急いで手のひらで顔を隠す。
指の隙間から相手を垣間見ようとするが、相手は足早に階段を降りてくると、こちらの顔も見ようとせず片膝をついて敬意を示した。
「……シェラリア様」
(バレてる……!! でも、この声……)
「お待ち申し上げておりました。 ……一族一統、ずっと」
マリアはこの声の主を知っていた。
しかし、知っている声とはあまりにも言葉遣いが違う。
そこにいたのは、マコル・フォルノリアだった。
「今までの無礼な振る舞い、本当に申し訳ございません。 いかなる罰でも受けます。 しかし……その前に、あなたにどうしてもお伝えしなければいけないことがあります」
彼は頭を上げることなく、マリアの前を動かない。
しかしマリアは彼に敬意を表される理由も、彼が深夜にここにいる理由もわからなかった。
「……どうして私がここに来たことがわかったんですか?」
マリアは恐る恐る尋ねた。
「数時間前に申し上げた通り、この地下室はフォルノリア家が管轄を任されています。 人が近づいたことを察知する機械や、近づいた人間の映像を残す機械が設置してあり、ここに誰かが近づけばフォルノリア家に一報入るようになっています」
(そんな便利な物があるのか)
常々、自分は詰めが甘いな、とマリアは思い、自身に苛ついてしまう。
苦々しい表情をするマリアを見て、申し訳なさげにマコルは言葉を続ける。
「あなたがここに来るかもしれないと思っていたからこそ、俺はそれらの装置の存在をお伝えしませんでした。 ……騙すような真似をして、申し訳ありません」
今までの態度が嘘であるかのように恭しく頭を下げる姿は、まるで主人に使える家臣のようだ。
「俺が数時間前に、わざわざあなたをここに連れてきたのは……あなたが、シェラリア様の生まれ変わりなんじゃないかと思ったからです」
マリアはその言葉に驚愕した。
本当の強さを隠しているのがマコルに知られたこと以外、失態を犯した覚えはなかった。
本来、転生するということ自体があり得ることではないのだ。 元よりその考えに辿り着くことが不可能なはずだった。
(私が生まれ変わってるなんて、わかる訳ないのに。 落ち着け)
少しだけ深く呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
まだきっと、鎌をかけているんだろうとマリアは思う。
きっと、うまく誤魔化せばなんとかなる。
「あ、あの……先輩は何か勘違いされてます。 生まれ変わりなんてあり得るわけないじゃないですか。 先輩が、私ならこの扉を開けられるかもって言ってたので、試してみたら本当に開いてしまって……」
精一杯の笑顔で誤魔化してみるが、マコルは態度を変えなかった。
「突然このようなことを言われて、混乱していらっしゃるのはわかります。 しかし……俺はあなたをずっと待っていた。 そしてフォルノリア家は、今日この日のために続いてきたと言っても過言ではありません」
(駄目だ。 マコルは私をシェラリアだと確信してる。 一体どうして……)
マリアの肌を、汗が伝う。
万一の時はすぐに、魔法で応戦できるようにしておかなければいけない。
幸い後ろは地下室だ。 仮にマコルに仲間がいたとしても、後ろを取られることはない。
そんなマリアの考えを見越してか、マコルは柔らかい口調で言葉を続けた。
「警戒は解かなくて構いません。 あなたの疑問に答えるためにも、俺を信用していただくためにも……俺の話を聞いてください」
そしてマコルは、フォルノリア家に引き継がれた記憶ーーー千年前、シェラリアが死んだ後の出来事を語り始めた。