魔女の地下室
「………できたあ!!」
(年数は多いとはいえ初等部のほうは数週間かかったのに……教えられるままにやっていたら、中等部の教科書の六分の一くらいが終わった)
「俺のおかげだな」
「学ぶ分野の順番以外は、隣で文句言ってただけじゃないですか」
「効率よく進めたって、お前の足りない頭に残ってないなら意味ないからな。 ちゃんと復習しておけよ」
「最後まで文句ばっかりじゃないですか……」
それでもマリアは、自分一人ではここまで勉強が上手くいくことはなかったことがわかっていた。
(……この人のおかげで理解を深められたんだ。 不本意だけど)
「………ありがとうございました」
にこ、と笑ってお礼を言ってみせる。
「………っ!」
こちらがお礼を言っているというのに、マコルは顔を逸らした。
(なんだこいつ……。 人がお礼言ってるのに)
失礼な奴だな、とマリアは思う。
「……おい。 もう閉館時間だ。 寮に帰るんだろ。 行くぞ」
「は、はい!」
マリアは急いで文具を片付け、先を行くマコルを追った。
シェラルニアの寮は学科ごとに分かれている。
同じ炎学科であるマリアとマコルは、男女に分かれているといえど同じ寮なのだ。
(帰りまでこの人と一緒か。 仕方ない)
しかし、正直気まずい。
並んで歩きたくはない。
マコルの後ろをついていくと、普段自分が通らない道であることに気づいた。
初めは自分より学園をよく知るマコルが近道を使っているのかと思ったが、そうではなさそうだ。
「あの……寮までの道、遠回りしてないですか?」
「ああ。 寄りたいところがある」
(帰るぞって誘っておきながら……? 私、帰っていいかな)
「ええと……じゃあ私、帰りますね」
「いや、お前も来い」
「なんで……」
「いいから」
言われるがままについていくが、少しずつ人気のないところへ向かっている。
(まさか……優しくして信用させてからいじめるって本気だったのか? この先に、マコルの仲間が待ってて、集団で暴力を……)
マリアは内心焦っていた。
集団で来られても倒せる自信はあるが、学生相手に手加減ができるのか不安だった。
マコルはマリアを気遣う様子もなくずいずいと進んでいく。
(このまま踵を返せば逃げられるんじゃ……)
そんなことを考えていると、マコルがぴたりと立ち止まった。
「ここだ」
着いた場所は、学園の校舎から少し離れた森の中だった。
高い建物が立ち並ぶ中、不自然に思えるような不気味な森。
誰も近づかないのか手入れはされていないようで、鬱蒼としている。
「ここって………森?」
「違う。 下だ」
マリアは下を向いて、目を見開いた。
ただの森の地面が広がっている訳ではなかったからである。
マコルの足元には彼女の見覚えのある階段が伸び、その先にまた見覚えのある扉があった。
「………千年前の伝説の魔女、シェラリア・フォルノリアの遺した地下室だ」
そう呟いたマコルは、かつん、かつんとゆっくり階段を降りていく。
マリアは愕然としていて動けないままでいた。
(どうして、私をここに連れてきたんだろう)
自身が動揺していることをマコルに悟らせてはいけない。
声が震えないように、慎重に言葉を返す。
「千年も前の地下室が、そのまま残っているなんて……」
「シェラリアが特殊な魔法をかけていて、本人しか開けられないようになっている。 学園自体は千年のうちに改装されたり色々手を加えられているがーーーこの地下室だけはずっと維持されてきた。 ……というか、どんな魔法や重機を使っても扉を開けないから、そのまま放棄されている」
扉に触れながら物思いに耽るような表情で、マコルが言う。
「……どうして、ここに寄ったんですか?」
マリアがそう問うとマコルはゆっくりと振り返り、真っ直ぐにマリアを見つめた。
「お前なら……開けられるんじゃないかと思って」
心臓がびくりと跳ねた。
マリアの頭の中を、嫌な考えが錯綜する。
(正体がバレた? いや、そんなわけない)
確かに、マコルには『本当の強さを隠していること』を知られている。
しかしそれだけのことで、自分がシェラリアである証拠になるはずがない。
そう頭ではわかっているのに心臓は素直なもので、ばくばくと音を大きくしていた。
狼狽えていることを知られてはいけないと思いながらも、彼女の掌にはじわりと冷や汗が溜まっていく。
このまま何も答えられなければ、怪しまれる。
だけど、なんと答えれば上手くかわせるのかもわからない。
(どうしたらーーー)
「………なんてな」
「……えっ?」
マコルを見ると、肩を竦めて薄く笑っていた。
「冗談だ冗談。 お前みたいな初等部の問題すら解けない馬鹿に開けられる訳ないだろ。 調子に乗んな」
「なっ……」
「この地下室はシェラリアの縁者であるフォルノリア家が管轄してるんだ。 時々ゴミを捨てたり煙草吸ったりする奴がいるから、下校ついでにたまに寄るようにしてる」
「そ、そうなんですか……」
「お前、ゴミ拾うの好きそうな顔してるから連れてきてやったんだ」
「大きなお世話ですね!」
怒りながらもマリアは内心、胸を撫で下ろすような気持ちだった。
「……んじゃ、帰るぞ」
マコルが階段を上がってきて、マリアの横を通り過ぎる。
それを確認してから、マリアは地下室の扉を見た。
(千年間地下室が開いていないということは………あの子はずっと、眠ったままなんだ)
マコルに怪しまれないよう、マリアはすぐに彼の後ろを歩き始める。
しかし、頭の中は地下室のことで一杯だった。
(千年も眠らせてしまって、怒ってないかな……。 できるだけ早めに……ううん、今夜起こしてあげないと……。 あの子を怒らせたら、ブレスとラックの平和どころかこの星が終わってしまう……。 機嫌を取るためにあれを持って行かなきゃ……)
真剣に考えている表情をマコルが横目で見ていることに、マリアは気付かなかった。
炎学科寮の玄関の前に着くと、マコルが踵を返した。
「じゃあな」
「えっ、寮に帰らないんですか?」
学園に送られているとき、ジルシーから聞いた話を思い出す。
確か、シェラルニアは全寮制だと言っていたはずだ。
同じ学科なのだから、同じ寮に入っていくものだと思っていた。
「俺は学園創始者の縁者で理事長の息子だぞ。 うちの屋敷は学園の敷地内にあるから、特例で屋敷から通っている」
「じゃあ、なんで寮まで来たんですか?」
きょとんとしてマリアが問う。
「………さあ。 なんでだろうな?」
意味ありげに微笑むマコルを見て、マリアは少し考えてから答えた。
「呆けるには早すぎるんじゃないですか?」
「ボケてんのはお前だ」
マコルに後頭部を軽く叩かれる。
ただでさえ知識を詰め込んでいるところなのだから、足りない頭を叩かないで欲しいとマリアは思った。