難題
「これで講義を終わりますが……何か質問のある人はいますか?」
マリアが学園に転入してから二週間が経過した。
マコルとの攻防の後、改めて実施された魔力測定ではうまく加減をして3350に収め、一般生徒の中の上程度に落ち着き、穏やかな学園生活が始まっていた。
しかしながら初日の攻防のせいか、他の学生達は腫れ物を扱うようにマリアを遠巻きにしたため、未だ友人一人出来ず独りで過ごしている。
けれどもそんなことは今、問題ではない。
講義は終わったというのに、マリアは講義室の椅子に座ったまま冷や汗をかいていた。
(全ッッッ然、講義の内容がわからない………!!)
教員に質問するのも申し訳ない程に、何一つ理解できなかった。
千年前は魔法の実技だけ出来ていれば、伝説の魔女とすら呼ばれることが出来たというのにーーー現代では魔法が科学的に解明され、そのメカニズムを学ぶことで実技との融合を図るのが一般的なようだ。
(高等部に転入するよりも、初等部に入学した方が良かったのでは………?)
魔法科学も魔法物理学も現代魔法社会学も魔法数学も魔法芸術学もマリアには講義が全て違う言語のように聞こえる。
しかし学科代表になるためには当然のように座学もできなくてはいけないらしかった。
現在の学科代表は五人とも座学もトップクラスだそうだ。
(こんなんじゃ学科代表になるなんて、夢のまた夢だ……)
頼れる人間は己のみ。
ならば、やることはたった一つだった。
(ひたすら勉強………!!)
マリアは全ての講義が終わった後、図書館で自習することにした。
放課後に話したり遊んだりする友人がいる訳でも、時間を潰すための趣味を持っている訳でもないので都合がいい。
シェラルニアの図書館は、世界中からあらゆるジャンルの本が集まっている。
マリアは本というもの自体、ラックの村ではほとんど手にする機会はなかった。
見渡す限りの本の海に驚くと同時に、この中から欲しい本を探すことすら自分にはできそうにないと落胆した。
図書館の司書がいないものかと見渡すが、本を整理しているのはロボットや機械で、それらしき人間は一人もいない。
(ロボットに聞けば教えてくれるのかな……)
恐る恐るロボットに近づいていき、声をかけようとした瞬間、背後から声をかけられた。
「お前、本なんて読むのかよ」
振り向くと、そこにいたのはマコル・フォルノリアだった。
「ラック出身なら、本なんて高価で買えなかったんだろ? うちの図書館じゃタダで借りられるし、貧乏人にはちょうどいいんじゃねえか」
「………。」
確かにその通りなのだが、言い方が鼻につく。
それに先日の戦闘、他の人間は騙せたといっても、戦った本人はマリアが本気を出していなかったことに気付いているであろう。
矜持を踏みにじられたとマリアを恨んでもおかしくないはずなのに、よく話しかけてこられるな、とマリアは思った。
そしてできることなら話しかけないでほしい。
放課後の図書館といえど生徒はちらほらいる。
悪目立ちしているマコルと会話など、できるだけしたくはない。
「で、なんの本探してるんだよ」
「………………。」
眉をひそめて、表情で迷惑だという気持ちを伝えているつもりだが、マコルは全く気にせずぺらぺらと喋り続ける。
「どうせ検索の使い方もわかんねえんだろ。 『教えてくださいマコル様〜』って土下座するなら教えてやってもいいけどな」
「……結構です。 そこのロボットに聞きますから」
すぐ近くで本を戻しているロボットを指差すと、マコルは首を傾げた。
「あ? あいつらは質問には答えねえよ。 効率的に蔵書を整頓することを目的として作られたロボットだから」
それを聞いて、マリアは困った。
(これはもしかして、本当にこの男に頭を下げなくてはいけない………?)
マリアは少し考えたが、すぐに答えは出た。
(初対面の人間を噴水に落とすような奴に下げる頭なんてない。 図書館の中を探し歩いていればいつかは見つかるはず!)
目の前に広がる広大な図書館の本棚を見ると頭がくらくらしてくるが、それでもマリアはマコルに頭を下げたくはなかった。
ラックを馬鹿にされた恨みも、髪を引っ張られた恨みも、噴水に落とされた恨みもある。
こんな奴に頼るくらいなら自分の力で見つけ出す。
「自分でどうにか見つけるんで大丈夫です」
「馬鹿か。 何万冊蔵書があると思ってんだ。 このメモに探してる本のタイトル書いてあるのか?」
マコルはマリアが握り締めていたメモをひょい、と奪う。
「………ってお前、魔法算数に魔法理科って! 初等部の教科書じゃねえか!」
腹を抱えて笑い始めるマコルを見て、マリアは腹が立った。
「馬鹿にするなら帰ってもらっていいですか」
「本当にロクな教育受けてねえんだな。 実技ができたって馬鹿じゃ学園ではやってけねえよ。 残念だったな」
ひいひいと笑い転げるマコルが腹立たしいことこの上ない。
(こいつ……私に全力の魔法を相殺されたこと、相当根に持ってるんだな……)
内心呆れながらも、こちらも負けてはいられない。
マリアも負けじとマコルを煽り返す。
「実技は先輩が手を抜いてくれたんじゃないですかあ! 残念なことに頭も使い物にならないんで真面目に勉強したいんですけど本当に帰ってもらっていいですか」
「魔力が高くても宝の持ち腐れだな。 この脳筋女」
(人の話全然聞いてないなこの人……)
脳筋女という言葉の意味はわからなかったが、馬鹿にされているということだけはわかる。
もう応対することにさえも嫌気がさしたマリアは、無視して本を探すことにした。
(そういえば、前に質問に答えなかったら、『溝鼠の分際で人間様無視してんじゃねえ』とかキレてたっけ)
またキレられるのは面倒臭い。
そう思って先程までマコルのいた方向を見やると、いつの間にか姿を消していた。
マコルもマリアをいじることに飽きたのだろう。
そう考えて、本を探す作業に戻った。
「『魔法のアルゴリズム解明』……『臨床魔法医療と研究』……。 絶対、この辺にはないな…」
本のタイトルだけで小難しそうなことがわかり辟易してしまう。
一つの本棚を探すだけでも、何十分とかかりそうだ。
はあ、とため息をついたと同時にぽこん、と頭に何かを乗せられた。
振り向くと、何冊か本を持ったマコルが立っていた。
「これだろ。 『はじめての魔法算数』『誰でもわかる魔法理科』」
「………どうして」
(こいつ……一体何が目的なの………!?)
マリアが身構えると、マコルは照れ臭そうに髪を掻き上げながら答える。
「優しくして勘違いさせてから学園から追い出すのも乙なもんだなと思ってな」
「そうですか! ありがとうございました! それでは出口はあちらですので!!」
マコルから本を奪い取って出口を指差す。
わかりやすく怒るマリアを見て、マコルは声を殺しながらも腹を抱えて笑う。
マリアはこれ以上構うのは時間の無駄だと判断し、自習用の机で勉強を始めた。
マリアが机に向いたのを確認したマコルは、背後から彼女をじっと見ていた。
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「マコル君、最近よく図書館に来るわね。 探し物?」
「いや………あいつ、いつも来てるんすか」
「ああ、転入生さん? 毎日講義の後に来て、閉館までずっと勉強してるわよ。 頑張り屋よね」
「……へえ」
マリアが放課後勉強するようになってから数週間が経過した。
元々前世で魔法の研究なども行っていたマリアは、勉強自体は嫌いじゃない。
初等部の教科書は一通り読んで、中等部のそれに手を伸ばし始めていた。
(やっぱり、初等部の勉強から初めて正解だった)
千年前の常識は、全く違うものに形を変えている。
先祖の魔法のせいだと言われていた現象が科学的に解明されていたり、この星から違う星へ旅行するための技術が確立されていたり。
地球が青いことも丸いことも、空に輝く星々と同じものの上に自分達が生きていることも知らなかった。
マリアは今、勉強を本気で楽しんでいた。
「ーーー…い、おい脳筋」
マコルが背後から声をかけても気づかないほどに、マリアは勉強に集中していた。
「この俺を無視するとは良いご身分だなあ? ん?」
突然頭上から手刀が落ちてきて、マリアは驚愕した。
「なっ……フォルノリア、先輩……!?」
ずきずきと痛む頭を押さえながらマコルを睨む。
「どこがわかんねえんだよ」
「は?」
「俺は初等部入学以常に学年トップの男だぞ。 この俺が可哀想な馬鹿に教えてやるって言ってんだ、俺の気まぐれに感謝しろよ」
散々な言いようだが、どうやら勉強を教えてやる、と言っているらしい。
「えええ……結構です」
マリアが眉を寄せてきっぱりと断ると、ずる、とマコルは身体を崩す。
「なんでだよ」
「なんか、高額の壺とか買わされそうで……」
「貧乏人から搾り取るほど金に困ってねえよ」
今度はべし、と平手で後頭部を叩かれる。
それは、天下のフォルノリア家の一人息子なのだから、金は腐るほどあるのだろうが。
マコルは無理矢理隣の席に腰掛けてきた。
(これは……どういうこと? 私に恩を売るつもり? それとも、邪魔をして成績上げさせないつもり?)
「……あー? トロい勉強の仕方してんな。 どうせ初等部から学び直すなら、最初から教科書順にやるよりは類似した単元ごとにやるほうが良かっただろ……。 中等部のほうは順番を考えて……」
マコルはぶつぶつと呟きながら教科書をぱらぱらとめくり始める。
(真面目に教えてくれようとしている?)
「おい、突っ立ってて勉強が進むのか」
「あ、はい。 すみません」
マリアが席に座り直すと、マコルは効率の良い学び方をマリアに教え始めた。