強者の洗礼
送迎の飛行車から降ろされたこの場所は、学園の正面玄関の前の広場のようだ。
随分広い場所だな、とマリアが辺りを見回すと、その声は突然上から降ってきた。
「お前か? ラックの村で育った転入生って奴は」
上を見ると、赤い吊り目をした黒髪の男がマリアを見下ろしていた。
制服を着ているところを見ると、学園の生徒のようだ。
(風の魔法で浮遊してるのか。 若いのに、随分安定してる。 学園の教育の賜かな)
マリアが冷静に相手を見つめていると、男は魔法を解除してすとん、と降りてくる。
そしてマリアの目の前に立ち、敵意のある瞳を近づけてきた。
「お前みたいな野良犬は学園の品位を下げるだけだ。 さっさと汚え犬小屋に帰りな」
随分な言いようだな、とマリアは眉をしかめる。
「……そう言われましても、出身の村を質にとられて命令されてここにやってきましたので」
先程逃げるなというナナミヤからの伝言を聞いたばかりだ。 今村に逃げ帰ったら、本当に何をされるかわからない。
しかしその返答を、目の前の男は気に入らなかった。
「は? 俺に口答えしてんの?」
男はマリアの髪を掴み、無理矢理に引く。
そして広場の地面に叩き落とすように乱雑に投げられた。
「お前の生まれた薄汚え村なんて、焼かれようが潰されようが誰も困らねえよ。 安心して帰れ」
「村の人間は露頭に迷って食べるのにも困ります」
マリアが地面に膝をついたまま体を起こし、強い視線で睨みつけると、男は面食らったように目を大きく開く。
そして、思い出したと言いたげにぽんと手を叩いて、「ああ!」と声を上げる。
「ラック共は知らねえのか。 じゃあ教えてやるよ」
マリアに近づき、再び彼女の髪を掴んだその男は見開いた目を細く歪ませ、にこりと笑ってみせた。
「能力も金も知識もないラック共はな………人間じゃねえんだよ」
そして次の瞬間、瞳孔が開くほどに目を見開いて、冷たい表情で呟く。
男の赤い瞳の奥で、強い憎悪が燃えていた。
「一丁前に人間様に盾ついてんじゃねえよ……豚が」
常人では腰を抜かしてしまうような殺気と威嚇が、マリアに突き刺さる。
しかしながらマリアは、常人ではなかった。
彼女はこんな時でも冷静に、目の前の男を見て考えていた。
(これが、千年後の子どもの姿なのか……)
自身があのとき死なずに、学園の運営をできていたのならーーーこの子はこんなに捻くれた性格じゃなかったかもしれない。
そんな風に考えると、少し寂しい気持ちになる。
「ちょっとぉ、やめなよお」
髪を掴んでいる男の後ろから女の声が聞こえてきた。
そちらを見ると、如何にも派手なアクセサリーをつけた、スカートの短い女子生徒がこちらに近づいてくる。
ふたつ縛りの桃色の髪も、甘い香りの香水も、鮮やかな爪もーーーマリアには理解しがたい文化だった。
彼女は自身の爪を見つめながら、こちらに興味なさげに言葉を続ける。
「ラックってまともな医療も受けてないし、お風呂も毎日入ってないらしいじゃん? 汚いし、何かばい菌いるかもしれないよお?」
彼女の後ろから更に、金髪の女子生徒、茶髪の男子生徒、短髪の男子生徒が歩いてきた。
「菌とか近寄らないでキモい。 存在がテロ」
「この子がラックの村から来た子!? 勿体無いなあ。 顔は可愛いのに。 なあ?」
「……どうでもいい」
どの生徒も皆捻くれているな、と思う。
これがシェラルニアでの教育の成果なのか……と考えて、マリアはまた暗い気持ちになった。
「俺達はシェラルニアの五つの学科の代表だ。 水学科のサーシャ・アクアル、風学科のリリス・ウィンドン、雷学科のレイヤ・サンダーラ、地学科のヤナハ・アースロ………。 全員魔法の名家の出身で、魔力は他の生徒の五倍以上ある。 雑種と話してやるだけで泣いて感謝して欲しいくらい上流階級の人間様なんだよ」
聞いてもいないのにわざわざ紹介してくれてありがとう上流階級様、とマリアは捻くれた事を思う。
(……学科の代表というか、性格のねじ曲がった子ども代表って感じだな)
千年前から各属性の魔法の名家は存在していて、シェラリアは炎の名家の生まれであった。
しかし家の名を笠に着て威張り散らすような子どもは、周りにはあまりいなかったように思う。
群れを成して、弱いものを攻撃するーーーこういったことが子どもたちの中で起こっているのは、間違いなく学園という子どもの社会が出来上がったからであろう。
マリアは自分の作った学園が、自分の思い描いたものと全く違う姿を成していることが悲しかった。
そんなマリアのことはお構いなしに、目の前の男は言葉を続ける。
「俺はマコル・フォルノリア。 炎学科の代表だ。 フォルノリア家は、いくらラックといっても知らねえ訳ねえよなあ?」
マコルと名乗った男は、未だ地べたに座り込んでいるマリアを見下ろしながら、にやにやと笑う。
(フォルノリアって………まさか)
その家の名にマリアは、聞き覚えがあった。
何故ならーーー彼女の前世の名は、シェラリア・フォルノリア。 過去のものとはいえ、自身の名を聞き違えることはない。
(つまり、このクソ生意気な性悪は……前世の私の血縁者ってこと………!?)
シェラリア・フォルノリアに子供はいなかった。
つまり、シェラリア亡き後、彼女の弟が家督を継いで子を作りーーー千年後、この性格の腐った子供が出来上がった、ということなのだろう。
(前世の弟、カルリア………今世の弟とは性格全然違うけど、穏やかな優しい子だったんだけどなあ)
世襲の途中で養子でも貰ったんだろうか、などと冷静に考えていると、マコルに髪を強く引かれる。
「痛っ………!」
「知ってんのか、って聞いてんの。 溝鼠の癖して人間様無視してんじゃねえぞ。 あ?」
マコルはマリアに顔を近づけて脅しつけるが、マリアの内心は落ち着いたものだった。
(こんなガキより威圧感のあるブレスなんて、前世では何人も倒したわ)
それに彼女は、学科代表ごときの生徒に媚を売るために学園に来たわけでは無い。
先程まで代表の座を奪うか、または代表の生徒に協力を仰ぐことで学園を変えていくことを考えていたが、この様子を見ると後者は絶望的だと理解した。
それならば、やることはひとつ。
マリアは息を吸い意を決して、マコルに告げた。
「雑種の野良犬だったり豚だったり溝鼠だったり…… 私、人間なんですが、頭は大丈夫ですか?」
「……は?」
その瞬間、空気が凍った。
マコルは口をぽかんと開けて固まり、他の四人は呆気に取られて動けずにいる。
数秒後、マコルはわなわなと震えながら拳を握り締めていた。
「お前さあ……誰に喧嘩売ってるか、わかってんの?」
マコルの眼は血走り、魔力を込めた禍々しいオーラが彼の周りを渦巻いている。
しかし、マリアはこれしきのことで動じない。
「千年前この学園を創設した伝説の魔女シェラリアの家系、フォルノリア家末裔のマコル様ですけれど」
顔色も変えず、眉根も動かさずに答えてみせる。
「……うわ、やっばー。 ラックの中で育つとここまで世間知らずになるんだ? マコルに逆らうとか正気とは思えんわあ」
「土下座して靴でも舐めたほうがいいんじゃない? マコル、理事長の息子だよ? 逆らったら学園での生活地獄だよ」
ピンクのツインテールと、金髪の女子生徒達が高笑いながら話しているが、マリアにはそんなことはどうでもよかった。
結局いつかは魔法で彼より優れていることを証明し、彼から学科代表の座を奪うつもりなのだ。
学園を去るわけにいかないが、喧嘩を売っておけばそれだけ早く下克上のチャンスが訪れるかもしれない。
それに、マコルが今マリアに手を出すことができないとわかっていた。
「正統な決闘以外では、ブレス同士での暴力や殺しは罪になる。 あなたが理事長の息子で、揉み消すことができるからといってもーー…こんなに人目のあるこんなところで実行するのは得策ではないですよね」
騒ぎを聞きつけた生徒がちらほらと現れ始めたことに、マコルは初めて気付く。
そして、大きく舌打ちをしてマリアを睨み、彼女に手をかざした瞬間、ふわりとマリアの体が浮いた。
(この男、他人にも風の魔法が使えるのか)
自分の身体を浮かすことより、他人を浮かす方が難しい。
しかもこの男は炎学科であり炎の名家生まれでもあることから、炎の魔法が専門のはず。 専門領域でない魔法を使いこなすのはかなり大変だ。
マリアは自分の体が浮いていても、全く動じずそんなことを考えていた。
もし高所から落とされて殺されそうになったら、自分の風の魔法で落下を防げばいい。
しかし、マリアの想像とは違い、マコルは彼女を学園前広場の噴水の中に落とした。
「………。」
びしょびしょである。
もうすぐ初夏とはいえ、まだ水は冷たい。
子どもらしい嫌がらせだなあ、とマリアは他人事のように考えた。
マコルの取り巻き女子二人が「うける!」「かわいそー」と騒いでいる。
「もし炎学科に入ることになったら……覚悟しておけよ」
マコルは「行くぞ」と呟いて、他の四人が後ろをついていく。
その背を見ながら、マリアはひとつため息をついた。
(もしも何も……どうせ私は炎学科なんだけど)
平穏な学園生活は望めない事態になってしまった今、マリアはこの状況をラッキーだと思っていた。
先程の様子を見ると、学科代表の五人の中のリーダーはマコルである。
そのマコルをあれだけ挑発したのだ。 あの男はきっと、マリアに何かを仕掛けてくる。
その何かに耐えて、魔法での正統な決闘に持ち込んでしまえば、マリアの勝利だ。
学園のトップの生徒が負ければ、少なくとも下の者達なら、マリアに味方する者も出てくるかもしれない。
そうしたら、きっと学園は少しずつ良い方向へ向かっていく筈だ。
そんなことを考えながら、マリアは立ち上がる。
噴水から出ていく様子は、さながら風呂上がりであった。