定期試験
「ここのところバタバタしていたが……もうすぐアレがあること、忘れてないよな?」
マコルが腕を組んで仁王立ちしたままこちらを見下して睨んでいる。
「アレ……とは?」
首を傾げて聞き返すと、盛大なため息をつかれた。
「…定期試験だ」
そう言われてハッとする。
今は七月上旬。 試験は確か中旬だ。
サーシャに薬を盛られてから数日は、身体の大事を取って勉強会をやめにしていた。
たらり、と冷や汗が流れる。
(やばい。 まだ中等部までを終えたところで止まっている)
苦笑いするマリアを見て、マコルはもう一度深くため息をつく。
「忘れてたんだな」
「………ハイ」
困った。
今の勉強の進み具合では、赤点を取ることが目に見えているというのに、試験まであと二週間を切っている。
赤点は真面目に勉強していないと見なされるのだろうか?
赤点のせいで家族を死の危険に晒すなんて馬鹿なことになるのは避けたい。
「……よし。 今日から試験の日まで、みっちり勉強だ。 俺が付きっきりで教えてやる」
「えっ? マコルも勉強しないといけないでしょう?」
「俺は定期試験程度の為に勉強しない」
「それで万年一位……」
妬ましい頭脳である。
今回ばかりはありがたいが。
「でも、場所はどうするの?」
今までは、図書館の閉館する六時まで勉強会をしていた。
寮の門限まではあと二時間あるが、流石に寮の部屋に男子生徒を入れるわけにはいかない。
「ファミレスでもカフェでも、適当に入って勉強すればいいんだよ」
「ふぁみれす? かふぇ?」
聞き慣れない単語に、首を傾げる。
「飲食店。 結構勉強してる奴いるから、勉強禁止されてる店じゃなければ大丈夫」
「そうなんだ…」
一人で勉強しても、絶対に間に合わない自信がある。
マコルにお願いして、門限ギリギリまで教えてもらうしかなさそうだ。
「よろしくお願いします…」
「おう。 じゃあ、そろそろ閉館だし移動するか」
マリアは言われるがままに荷物を詰め、マコルの背中を追った。
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「ここが、ファミレス……?」
「そうだ」
「いい匂いがする……」
席に着いた途端、マリアの腹からぐう、と気の抜けた音が響いた。
「ぶっ………」
マコルは堪えているようだが震えながら笑っている。
恥ずかしくて顔が熱くなった。
「べ、勉強しに来たわけだけど、何も頼まないんじゃ失礼だよね! 寮の夕食にも間に合わないし、ここで食べていいよね!」
「………そうだな」
答える声すら震えている。 笑いすぎだろ。
「えっと……どれにしよう。 どれも美味しそう……」
チーズハンバーグ、たらこスパゲティ、トマトリゾット、ふわふわオムライス、パンケーキにパフェ。
食べてみたいものばかりだ。
目を輝かせながらメニューを見ていると、目の前のマコルがこちらをじっと見ていることに気付いた。
「……何?」
「いや、連れてきた甲斐があるなあと」
頬杖をついたまま、にやにや笑っている。
腹立たしいので無視してメニューを選ぶことにした。
「オムライスと、チョコレートパフェにする!」
「注文はそこのボタン押せば、ホログラムの画面が出てくるから。 現代の勉強だと思ってやってみな」
言われるがままに画面を押しながら、注文をする。
マコルのトマトリゾットとアイスティーも無事注文できて、ふう、と息を吐く。
「マコル、トマトリゾットが好きなの?」
「いや? お前が、トマトリゾットとオムライスで迷ったんじゃないかと思って」
一瞬、言葉の意味を飲み込めず考える。
「……え? なんでわかったの?」
確かにその通りだった。
「昔、トマトと卵好きだったから、なんとなく」
昔というのは、前世のことだろう。
前世で食べ物の好き嫌いの話など、カルリアとしたことがあっただろうか。
全く覚えていない。
「お前のパートナーから聞いたんだ。 野営で料理させてたんだろ」
周りに人が多いからか、マコルはアルトの名前を伏せてカルリアの記憶の話をする。
しかし誰が聞いているかわからない場所で、野営の話はやめて欲しい。
(……その通りだから言い返せないけど)
シェラリアは名家出身故に全く料理が出来ず、ブレス達を統一する戦争で国中を旅した時は、いつもアルトが料理担当だった。
現世では流石に出来ないとまずいと母に教わったが、それでも弟より下手だったので、弟がいない日限定の料理担当だった。
「トマトと卵が食卓に並ぶ日には、決まって皿から無くなってるんだよな」
「なっ……! アルト、そんなことまで言ってたの!?」
にやにやと笑う顔が憎たらしい。
可愛いカルリアにそんな痴態が知られていたことが、地味にショックである。
どうでもいい話をしていると、ロボットが出来上がった料理を運んできた。
立ち上る香りが空腹を刺激して、また鳴ってしまいそうだ。
「いただきます」
半熟のふわふわしたオムライスを掬って、口に運ぶ。
口の中でとろりと溶けて、バターの風味が広がった。
上にかかったデミグラスソースも絶品である。
「おいっ……しい!」
ファミレスというのは大衆向けの飲食店で、値段も優しいと聞いたのだが、味まで最高じゃないか。
寮や学食の食事も美味しいが、どちらかと言えば健康志向の献立が並ぶ。
(お金が許すなら、定期的に食べに来たい……)
オムライスを嚥下しながら感動に打ち震えていると、マコルがくすくす笑いながらこちらを見ている。
「俺のリゾット、分けてやるよ」
「いいの!?」
「いいも何も、その為にお前が選びそうなの頼んだしな」
スプーンでトマトリゾットを掬うと、こちらにそのまま差し出してきた。
「………?」
「はい、あーん」
どうやら、このまま食べろということらしい。
子どものような扱いにイラっとしながらも、目の前のトマトリゾットの誘惑に抗えない。
ぱくっと口に含むと、トマトの甘美な酸味と芳醇なチーズとベーコンの香りが鼻を抜けた。
(最高か)
美味しすぎて涙が出る。
「お前……抵抗ないのか」
食べさせようとしたのは揶揄い半分といったところだったのか、呆れたように首を傾げるマコル。
カルリアに野営での摘み食いを知られていたくらいだ。 これ以上食い意地が張っていることを晒してももう恥ずかしくない。
むしろもう一口寄越せ、と視線で訴えると、マコルは肩を竦めて、諦めたようにリゾットを口に運んでくれるのであった。
メインを食べ終えると、チョコレートパフェが届いた。
綺麗なグラスに色とりどりのフルーツなどが盛られている。
真ん中には白と茶色の半球の物体が乗っていた。
白いほうを掬ってみると、スプーンの熱で少し溶けたように見える。
不思議に思いながら口に入れた。
「つ、冷たい!」
「なんだ。 食べたことなかったのか。 アイス」
氷みたいな物だろうか。
でも、クリーミーで甘い。
茶色いほうも食べてみると、白いほうより少し苦味があった。
これもこれで美味しい。
こんな嗜好品が出回っているだなんて、現代はすごい。
「現代の勉強できてるね」
「本来の勉強は進んでないけどな」
その言葉にハッとした。
まずい。 既に一時間過ぎている。
パフェを食べ終えるまでの時間と、ここから寮に帰宅するまでの時間を考えると、勉強する時間などあるのか?
「今日は現代のお勉強できた、ってことでいいだろ。 明日からまた頑張れ」
急いでパフェを食べているところで、頭をぽんぽんと叩かれる。
(味わわずに焦って食べるのは、パフェに失礼だ)
結局諦めて、ゆっくりパフェを噛み締めることにした。
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それから時が過ぎていき、試験まであと二日。
マリアは休日の図書館で、だらだらと冷や汗を流して絶望していた。
何故なら。
(一週間、カフェやらファミレスやらへ勉強しに行って、ほとんど食べていた気がする……)
マコルが教えてくれる店は、どこも雰囲気がよく料理もデザートも美味しかった。
勉強しないといけないとわかっていながら、休憩と称して何度もパンケーキやパフェやフレンチトーストやタルトを食べていた。
今までと同じペースくらいで勉強は進んでいるものの、試験範囲全て網羅したとは到底言えない。
休日とはいえ、この二日で完璧に理解できるはずがない。
頭を抱えていると、後ろから小突かれた。
「朝から何どんよりしてんだ」
「全然進んでない……どうしよう……村が滅ぶ……」
ぶつぶつと呟きながら負のオーラ全開なマリアを見て、マコルは深く息を吐く。
そのまま手に持っていたクリアファイルをマリアの顔に押し付けた。
「ぶっ」
「予想問題作ってやった。 これ暗記すれば赤点は取らなくて済む」
「……………か………」
マリアはクリアファイルを掴んで肩をふるふると震わせる。
「神様マコル様ー!!」
あまりの喜びに、マリアはマコルに抱きついた。
「お、おい……!」
「ありがとうございますー!」
困惑しながらも、マコルはそっとマリアの背に手を伸ばすーーーが。
「あっ! こんなことしてる場合じゃない! 暗記!」
マリアに突き飛ばされ、それは叶わなかった。
この予想問題のおかげで、マリアは赤点を取らずに定期試験を終えることができた。
できた、のだが。
マコルは二週間前に既に予想問題を作り終えており、勉強会という名のただのデートに付き合わされたという事実を、マリアが知ることはない。