火種
「ヤナハがな、この間のアレ、貸しだっていうんだよ」
心底うんざりしたように、マコルはそう言った。
「助けてもらったし…何かするなら私も手伝うよ」
マリアは困ったように笑いながら、参考書をめくる。
「それがさあ…ちょっと面倒そうなこと頼まれたんだよな」
はあ、とため息を吐きながら、マコルは持っているペンをくるくると回している。
「ヤナハの父親が国家元首の息子だって知ってるか?」
「噂は聞いてるけど…」
国家元首、ヤギリ・アースロ。
地の魔法の名家、アースロ家の家長であり、現在この国を牛耳る実力者である。
「そっちのツテの情報らしいんだが…」
マコルはテーブルに両肘を立てて、両手で口元を隠した。
読唇されないようにしているのだろうか。
その様子を見て、マリアにも緊張が走る。
「ラックに武器を横流ししてる奴がいる」
マリアは驚いて椅子から立ち上がる。
(それって)
「ラック達が戦争を起こそうとしてるってこと……!?」
慌てて人差し指を唇に当てるマコルを見て、マリアは「ごめん」と呟き座り直す。
「……わからない。 だけど武器を得ているということは、ブレスへの対抗手段を求めてるってことだろ。 何が起きてもおかしくない」
マコルは、今後のことを考えてか顔をしかめている。
「だけど……武器って、魔法に敵うものなの? 戦いにもならないんじゃ…」
千年前もラックの村でも、武器になるようなものはナイフや斧、鎌、弓くらいだった。
そんなものでは魔法に対抗できないから、長い間ラックはブレスに虐げられてきたのだ。
いくら集めたところで何も変わらないんじゃないか、とマリアは思う。
「お前は現代の武器を知らないから、そう思うかもしれねえけど…今の科学は千年前より随分発展してる」
銃や核兵器、生物兵器に化学兵器。
現代では、より深刻な被害をより広範囲に与えることのできる兵器が多く開発されている。
技術の発展とともに開発されたが、ブレス同士での殺し合いはご法度であり、魔法だけで簡単に虐げられるラック達に使われることもなかった。
それがもし、ラック達の手に渡ったならーーー彼らを長く迫害してきたブレス達を殺すために、躊躇なく使うかもしれない。
「それに……ブレスの能力を封じるための機械……″解除″という道具がある」
マリアは聞き慣れない言葉に頭を傾げる。
「能力を封じる……って、そんなことが可能なの?」
「ああ。 魔法を使う時の脳波に干渉して、神経系の回路を狂わせるんだ。 数時間完全に魔法を使えなくすることができる」
説明については全く理解できないが、魔法が使えなくなってしまうということだけは理解した。
「″ 解除″も、強いブレス同士が争って手がつけられない時に警察が使うくらいで、戦いで使われたことはない。 でも、それがもし、ラックの手に渡ったなら……」
背筋がぞくりとする。
もし本当に、武器も″ 解除″とやらもラックが手に入れたとしたらーーー…間違いなく、大きな戦争が起きる。
しかも、ラックはブレスの倍以上の人口だ。
魔法の使えないブレスなど、数の力でなんとでもなるだろう。
「…それで、ヤナハさんはなんて言ってたの?」
「捕えろとは言わないから、もしうちの生徒が武装したラックに襲われているようなら助けてやれ、とさ」
戦い慣れた兵士を相手にするよりも、先に学生に手を出すかもしれないという考えのもとのことだろう。
マコルは、面倒臭そうにため息をついている。
「まあ、サーシャの事件がなくとも、学生に被害が出そうなら俺に情報来ただろうけどな……」
遅かれ早かれ、学生を守らなければいけないことは変わらないらしい。
(学生代表はそんなこともしているのか)
ラックを虐めているだけかと思っていたのは、心に秘めておこう。
「…サーシャさんはどうしてる?」
ちょうど名が上がったので、気になっていたことを聞いてみる。
「ああ……」
マコルはなんでもないような顔で、数日前の出来事を語り始めた。
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「は…? 何それ、どういうこと?」
「言葉の通り。 お前の親父さんに連絡して、正式に婚約破棄した」
正しくは婚約の申し入れを断った、ということだが、この場ではどちらでも同じ結果だろう。
「ど、どうして……!」
「お前のやったこと考えたら当然だろ」
マコルはサーシャを見ないままそう告げる。
視線を合わせたら、先日の事件を思い出して手を上げてしまいそうだった。
「な、何? マコル、まだあの女に入れあげてるの? 待ってよ。 あの女の惨めな姿、動画で送られてるはずだからーーー」
「ねえよ。 未遂で止めたし、お前の手下のブレスレットフォン全部溶かしたから」
手下が失敗したことを知らなかったようだ。
大方、サーシャが怖くて結果の報告を怠ったのだろう。
悔しそうにぎり、と歯を鳴らして、サーシャは顔を歪ませる。
「婚約破棄なんて、パパが許すわけないじゃん! さぁがマコルのことずっと好きだったの知ってるし、パパだってマコルほどいい男はいないって言ってたもん!」
「親父さん、怒ってたぞ。 薬持ち出すなんて冗談じゃないって。 鎮痛用の麻薬でも持ち出されたらたまらないから、今後サーシャは病院出禁にするってさ」
サーシャの顔がみるみる青ざめていく。
どうあっても父親は味方でいてくれると思っていたらしい。
「な、何よ…。 ラック出身の汚れた女が、名家フォルノリアの跡取りと付き合うなんて許されないでしょ! あの女のこと、マコルのお父様に言いつけてやる!」
「ああ……それに関しては大丈夫だから。 好きにしろよ」
マリアがシェラリアの生まれ変わりであることは父に伝えてある。
今度是非家にお連れしろ、不便があるならフォルノリアの財や権力を使って助けて差し上げろと顔を合わせる度に言われているほどだ。
マコルがラック出身の女に入れあげていると連絡が入っても、よしよしきちんとやっているなと思うくらいだろう。
「それにお前…あいつを汚れてるって言うけど、薬なんか盛って手下に強姦させようとした自分のことは綺麗だと思ってるのか?」
「………っ!」
図星を突かれたように一瞬言葉を失うサーシャだったが、すぐにマコルを睨みつける。
「マコルだって、今までずっと、ラックいじめてたじゃん! マコルだってさぁと同じのくせに!」
「そうだよ。 俺も汚れた人間だ。 この学園に、綺麗な奴なんてほとんどいない」
それでも、少なくともマリアだけは真っ直ぐな信念を持っているということを、マコルは知っている。
汚い自分がそんな彼女の横に正々堂々と立っていられるなんて、本気では思っていない。
ただ彼女の側で、彼女の為に動ければそれでいい。
どうせ自分は、転生した彼が現れるまでの代理品なのだから。
「名家の人間だから格が違うとか、成績が優秀だから自分は周りより優れているとか、関係ない。 他人を傷つけて、貶めて……俺もお前も同じ、最低の人間だ」
自分にも言い聞かせるようにゆっくりと、マコルは語る。
「……マコルの馬鹿!」
サーシャはスカートを翻し、そのまま学科代表室を出て行った。
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「……という感じで、サーシャはそのまま今日まで学園をさぼっている」
「そっか…」
マコルは学科代表室での出来事を掻い摘んで教えてくれた。
酷いことをされたとはいえ、婚約破棄されてしまったサーシャのことを気の毒に思う。
色恋に疎いマリアだが、サーシャの言葉を聞き、恋をする女性が相手の男に近寄る女を嫌うものだということはなんとなく理解できた。
「婚約破棄まですること、なかったんじゃ…」
(別に私とマコルは、恋人なわけではないんだし)
さすがにサーシャに、転生のことや差別をなくす活動について話すわけにはいかないので、どう説明していいものかは迷うのだが。
協力関係にあるということだけでも説明してしまえばいいのに、と思う。
「いや、正直ずっと、どう断るか考えてたところだった。 今回のことがあったからサーシャの親父さんも折れてくれたし、俺としてはありがたい」
マコルの表情を見ると、気を使ってそう言っているわけではなさそうだ。
本人にその気が無いのなら、これ以上勧めるのもおかしいか。
「悪かったな。 今回のことは俺が発端だ」
「ううん、大丈夫。 助けてくれたし」
自分が口を挟むことじゃないなと思い、マリアはこれ以上の追求をやめた。
「でもよく、あの場所がわかったね」
この学園は広い。
幼稚舎から大学まで揃っており、学生数は優に一万人を超えるため、校舎は驚くほど広大で、マリアは未だに教室移動で迷う。
そんな中、どうしてマコルは助けに来られたのか疑問に思っていた。
「お前が遅いから、図書館出てお前の教室に迎えに行ったんだよ。 そしたら、お前のクラスメイトのおかっぱが青い顔して廊下にしゃがみ込んでて」
マリアははて、と思う。
教室を出るとき、マリアの他には誰もいなかった。
忘れ物でもして、取りに来た人がいたんだろうか。
「俺を見るなり、『水学科の男子生徒がアルファリオさんを気絶させて担いでいったのを見てしまった』って言うもんだから………水学科の校舎歩いてる奴らに片っ端から聞いたんだよ。 女生徒担いで歩いてた奴見なかったかって」
放課後の校舎だ。 歩いてた人間は少なかっただろう。
あの広い校舎を走り回ってくれたマコルと、マコルに報告してくれたクラスメイトに感謝しなくてはと思う。
しかし、マリアはクラスメイトの顔を誰一人覚えていない。
おかっぱなんていただろうか、と考えるが全く記憶になかった。
(……後で確認しよう)
「お前、あとでそのクラスメイトに感謝しとけよ。 そいつのおかげでぎりぎりセーフだったんだからな」
「うん。 マコルも、探してくれて、助けてくれてありがとう」
笑ってお礼を言うと、マコルはぷいと顔を背ける。
全く、この男はいつもこうだ。
礼儀がなっていない。
「……おう」
人の目を見て返事をしろ、と思ったが、恩人に文句を言うのはやめた。