新たな盾
(この人が、カルリアの記憶を持っている……!?)
マリアは愕然とする。
三つ下の大人しく優しい弟、カルリア。
いつだってシェラリアの味方でいてくれた、唯一血を分けた姉弟だった。
「……私が研究していた記憶伝承の秘術には、犠牲が必要だったはず」
「俺達一族は、代々片眼を代償としています。 引き継がせる側ーーーつまり親が、片目を失うと同時に子に記憶を伝承する。 俺も自身に子ができて、子が学園に入学する齢になれば、どちらかの眼を代償に記憶の伝承を行っていたでしょう」
マコルは自身の片目に手を当ててみせる。
「なんで、そんなこと……」
マリアには理解できなかった。
カルリアの記憶を伝承したとして、利になることはあるのだろうか。
まして、家督を継ぐ者が片目を犠牲にしてまで後世に残す価値のある記憶など、存在するのかわからない。
困惑するマリアを気にかけながらも、マコルは語り続ける。
「カルリア様は、あなたに転生の術を使ったことを死ぬまで思い煩っていらっしゃいました。 自分のエゴであなたを、何十年、何百年先……全く違う環境と人間の中に、独りきりで転生させることになってしまったと」
心優しい弟は、願った。
自分のせいでいつか生まれてくるはずの敬愛する姉が、もしも四面楚歌で孤独な生を強いられるのなら、たった一人でも味方がありますように、と。
自身と子孫達の片目を犠牲にして、姉の幸せな未来を望んだ。
(違う)
マリアは思った。
瞳からは涙がぽろぽろと溢れてくる。
(カルリアのエゴなんかじゃない。 カルリアはアルトを止めてくれた。 私は転生させられたことを、恨んでも憎んでもいない)
それを伝えたい相手は、もうこの世にはいない。
それがとても、悔しかった。
「カルリア様は、自身の片目を犠牲にその想いを子に託した。 その託された想いを、フォルノリアの末裔が代々繋げてきたんです。 今日この時、俺があなたの味方であるために」
(……カルリア)
マリアは今は亡き弟を想う。
(亡くなった後まで、私の味方でいてくれたんだね。 ……ありがとう)
服の袖でぐいと涙を拭い、真っ直ぐとマコルを見る。
そして、率直に問いかけた。
「……あなたは私の味方に、なってくれるんですか?」
「無論です。 カルリア様の記憶を持っているから、というのもありますが……俺個人としても、あなたの生き方や魔法能力を尊敬しています」
マコルはもう一度、深く頭を下げる。
「出会ってすぐ、あのような無礼を働いた俺を、すぐに信頼していただけるとは思っていません。 ……しかしあなたが望んでくださるのなら、カルリア様とアルト様の亡き今、俺があなたを守る盾となります」
マコルの言葉は力強く、嘘を微塵も感じさせない誠実さを孕んでいた。
(最初は、学園で一番厄介な敵……って感じだったのに。 ……カルリアのおかげだな)
マリアは目を瞑り、心の中でもう一度弟に感謝した。
「……わかりました。 じゃあ、もう膝をつくのはやめてください」
「……しかし」
「しかしも何もありません。 私は、私を大切に思ってくれる人を自分に従わせたい訳じゃありませんから」
マリアは膝をついたマコルの腕を引き、無理矢理立ち上がらせる。
マコルは少し驚いてから、くす、と笑った。
「……はい。 それがあなたの望みなら」
マリアはマコルに階段に座るよう促し、その隣にちょこんと腰掛けた。
聞きたい話は、まだ山のようにある。
「あの…。 アルトは………その後どうなったんですか?」
マリアが問いかけると、マコルは少し顔を曇らせて俯く。
「………わかりません。 彼は儀式の後……表舞台から姿を消した。 一つだけ確かなのは……彼が死んだ時、彼はきっと、あなたと同じように記憶継承転生の儀式をしたであろうということです」
それを確信しているようなマコルの口振りに、マリアは驚いた。
「どうして?」
「そうでないと……あなたを転生させる意味がないからです」
(私を転生させる意味……?)
「カルリア様は、あなたに次の生は穏やかに幸せに暮らして欲しいと望んで儀式の実行を決めましたが……アルト様は違いました。 もう一度シェラリア様に会いたいと望んだからこそ、あなたに転生の秘術を使った。 転生するあなたが、あなた自身である必要があったんです」
アルトとは、盾と矛の関係だった。
お互いを補い合える唯一の存在でありながら、誰よりも分かり合える友だった。
だからこそ彼はきっと、シェラリアが死んだことで大きなショックを受けただろう。
それこそ、生きる希望も見失うほどに。
「あなたが生まれても彼自身がそこにいないのなら、彼の行なった記憶継承転生の儀式に意味はない。 だから、恐らくは……」
(私も……転生して、最初に会いたくなったのはアルトだった)
マリアは、千年前に残してきた友を想う。
シェラリアが死んで、助けられなかった自身を悔いてーーー彼はどれだけ嘆き悲しんだのだろう。
残されたアルトの気持ちを思うと、胸がぎゅう、と痛んだ。
「でも………転生の術では、転生する年月まで操作できなかったはず。 私が転生した先に転生できないなら、何の意味もない」
「その通りです。 カルリア様が記憶継承転生をせず、代々に渡り記憶を継ぐ方法をとったのは、それが理由です。 ……転生の術では、リスクが大きすぎる」
マリアが研究していた記憶・能力の継承転生の術は、転生先の未来を指定することは出来ない。
″ いつかの未来へ″ 行くことが可能であっても、何年後に転生するか指定したり、ましてやシェラリアが転生する先に転生することを指定するなど出来なかったはずだ。
対してカルリアの選んだ、生きた身体を媒体とする記憶伝承術は、子が途絶えることがなければ未来へ記憶を繋ぐほぼ確実な方法であったと考えられた。
「だけど、カルリア様のように記憶だけを代々継承していく場合……未来でシェラリア様と出会うのはアルト様じゃない。 アルト様の記憶を持った子孫、ということになります。 あなたがあなたでなければいけないように……アルト様も、アルト様としてあなたに出会いたかった。 だからきっと、あの人は転生の術を使っていると思うんです」
(マコルの言っていることはわかる……。 だけど、どうやって……)
訝しげに首を傾げるマリアを見て、マコルは自身の考えを告げる。
「俺はこう考えています。 アルト様は、カルリア様からシェラリア様が行なっていた記憶・能力継承転生の論文を得た後………研究を引き継ぎ、その年月を操作する術を得てから、術を行使したと」
マリアは言葉を失った。
(アルトが……私の研究を……!?)
「彼は、シェラリア様に次ぐ魔法の天才だった。 研究を引き継ぐこと自体は不可能ではないと思います。 それに……シェラリア様の死後、あれだけ執着し心を乱していた彼が……確率の低い大博打に出るとは、俺には思えないんです」
真剣な面持ちのまま話を終えると、マコルはゆっくり顔を上げた。
「ここまでが、俺がお伝えしたかった話です」
「………じゃあ今度は、私が聞きたいことを聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
マコルはマリアの話を促すように手のひらを見せる。
その様子を見て、マリアはゆっくりと言葉を続けた。
「転生してからずっと、疑問だったんです。 何故ラックとブレスとの関係が悪化していて、学園が魔法兵育成機関となっているのか」
シェラリアが死んだ時、学園は生徒さえ集まればすぐに開校できる状態であった。
差別を無くしていくための情操教育の理念や教材を準備して、それらに賛同する教員を育成し終えていた。
それなのに何故理想としていた学園と真逆のものになっているのかが、どうしてもマリアにはわからなかった。
問われたマコルの表情が陰る。
「私が、ラックに殺されたことと……関係があるんですか?」
マコルは迷うように視線を逸らす。
きっと本当は、シェラリアに言いたくないのだろうと、マリアは思った。
それでもその言葉を聞かなければ、前に進めない。
「………その通りです」
(やっぱり)
マコルの言葉にマリアは顔を歪める。
全く予想していなかった訳ではなかったが、直接その言葉を聞いてしまうと苦しくなった。
伝説の英雄が、ラックの手に落ちて死んだ。
それも差別を無くしたいと望み、ラックと手を取り合おうと動いていた者が殺されたとなれば、きっと世間を騒がせたことだろう。
「ブレスの英雄を奪った罪は重い。 ラックとの格差を無くすなどとんでもないと、世界中のブレス達が怒りをあらわにしました」
(自分の死のせいで……私は、生前やり遂げたかったことの成果を全て無にしてしまった)
その事実は、マリアに重くのしかかる。
「そのままブレス優生主義が力を強めていき、シェラリア様の仇討ちを理由にラックへの差別待遇が悪化していきました」
そして学園は、戦争へ送り出す魔法兵士の育成機関と成り下がってしまった。
カルリアの記憶を持つマコルの酷いラック嫌いも、シェラリアの死を原因とする物なのかもしれない。
(………落ち込んでいる場合じゃない)
自分しか知らない真実を、マコルに告げなければいけない。
マリアは決心し、顔を上げてマコルを見た。
「私は確かに、ラックに殺された。 だけど決してラックのせいじゃない」
「それは、どういう……」
マコルは眉を寄せる。
「私はあの日、無抵抗なラックを魔法で攻撃しているブレス……シアリス・ラドクリフという男を取り押さえようと魔法で応戦しようとしたところを、助けようとしたラックに襲われたんです」
マコルは目を見開いて愕然としている。
「シアリス・ラドクリフがそのラックを妻を人質にとっていたようでした。 シェラリアは……ラックを利用したブレスに、殺されたんです」
「シアリス・ラドクリフ……」
マコルは血の気が引いたような顔をして、その名を繰り返す。
その名に覚えがあるようだった。
そして、青ざめた顔をゆっくりとマリアに向けて、口を開く。
「……あなたの死後、学園長となった男です」
その言葉を聞いて、マリアも驚愕した。
(ラドクリフが……どうして、)
シアリス・ラドクリフは学園創設には何ら関与していなかった。
そんな男が突然学園長になるなど、普通はあり得ることではない。
「あなたが死んで、世論がブレス優生主義に傾いて………学園の教育方針を変える必要があった。 そんな時に、あの男が現れたんです」
シアリス・ラドクリフはブレス優生主義の第一人者であった。
だからこそラックに肩入れするシェラリアを疎んでおり、シェラリアの思いを次世代に繋げようという学園の創立を嫌悪していた。
シェラリアをラックに殺させて世論を味方にし、学園を乗っ取って子供達にブレス優生主義を植え付ける。
得をするのが誰なのかは、明白であった。
「私を殺したラックは殺されていた、と言いましたね。 恐らく、利用されてそのまま………ラドクリフに殺されたんでしょう」
「じゃあ……俺達は……」
千年後の今、ようやくマリアとマコルは知った。
本当に裁かれるべきは、誰だったのかを。
「悪いのは……自分達の持つ恵みを独占しようとする傲慢なブレス達です」
マコルは俯いたまま言葉を失っていた。
無理もない。 今まで持っていたラックへの怒りの行き場を失い、真に憎むべき相手の思う通りに罪なき人を迫害してきたのだ。
千年前の過ちを今追求しても、過去を変えることはできない。
ラドクリフはもうとっくに死んでいる。 あの男のせいでこのような事態になったことを嘆いても、どうしようもない。
マリアはマコルの手を取ると、覗き込むように顔を近づけた。
「お願いがあります」
「……俺は、あなたの命令ならどんなものでも従います」
「さっき言ったでしょう。 従わせたい訳じゃないんです。 あなたには断る権利もある。 ただ少し、手伝ってほしい」
マリアはじっとマコルを見つめながら続ける。
「学園内でのラック出身者への差別……そこから、無くしていきたい」
千年以上続く悪習を無くすことは、簡単じゃない。
それでも、死を以ってこの事態を招いた自分には、この慣行を終息させる義務がある。
マリアはマコルの手を握り直す。
「だけど……前世の私のように、格差を無くすことに反対のブレス達から恨みを買うこともある。 危険が伴うから、あなたが嫌なら断ってくれて構わない」
それから、少しの沈黙が続いた。
目を瞑って頭を垂れるマコルは、次の言葉を一心に考えているようだった。
「……俺を含めた歴代のフォルノリアの人間は……」
マコルは俯いたまま、罪を告白するように口を開く。
「間違いなく、この千年で最もラックへの差別を強くしてきた人間達です」
カルリアは姉を想ってアルトにラックを殺させることを止めたが、姉の希望通りにラックの差別を無くしたいとは思っていなかった。
心の内ではカルリア本人も、姉を殺したラックを憎んでいたのだろう。
その記憶を継ぐフォルノリアの人間は皆、ラックへの憎しみも受け継いできてしまった。
マリアをはじめとするラック出身の学生達に酷い扱いを強いてきた、マコルのように。
「それが全て誤りだったとわかった今……俺は、過去のフォルノリアの罪も背負って、償わなければならない」
マコルは決心したように顔を上げ、マリアの手を握り返した。
「手伝わせてください。 自分で言うのもなんですが……俺の学園への影響力は、他の学生よりずっと大きいと思います。 あなたの望みは、必ず俺が叶えてみせます」
犯した過ちを消すことはできなくても、その過ちによって苦しむ人をこれから作らないために。
マコルはマリアについていきたいと思った。
「うん。 お願いします」
暴言を吐かれたり、髪を引っ張られたりした相手とこのような形で和解することになるとは思いもしなかった。
しかし家族から離れ、気のおける友人もおらず孤独に過ごしてきた学園生活で信用できる相手が出来たことが、マリアは素直に嬉しいと思っていた。