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星に願う

作者: 遠出八千代




 幼い頃、よくお星様に願うことがあった。


 窓辺の向こうで輝くほうき星を見つけては、過去に戻ってやり直したいと願うことがあった。

 過去に戻って失敗を帳消しにしたり、別の選択をして、今とは少し違う未来を迎えているだろう妄想。

 活躍するのは、スマートに物事をこなすカッコイイ自分。

 そういう妄想をしてしまうのは誰にでも心当たりがあるだろう。

 でも私は悲しいことにほかの人と比較しても顕著けんちょであった。

 もちろん公爵の娘としての立場や王子の婚約者という重責もあったと思う。ただ本質的に思い込みが強く、夢想家だったのだ。

 婚約者であるルジェ王子と庭園でお会いした日は、彼の機嫌を損ねてはいないか、些細な間違いを犯していないか不安になった。

 その夜は頭上の天幕を眺めながらベッドの上でジタバタ悶えた。


 だから婚約破棄された日の夜も、わらにもすがる思いで星に願ったのだ。

 過去をやり直したいと。婚約破棄を無かったことにしてほしいと。


 でも、私の選択は間違いであった。

 もしも一度だけ本当に過去をやり直せるのなら、私は過去に戻りたいなんて絶対に願わない。



 


「マリアさん、顔色が優れませんけどお加減はいかがですか?」

 肩を抱く友人の声が響く。

 夜会で葡萄酒を飲んだことはないが、二日酔いをしたばかりの朝のような気分だ。頭は妙にふわふわしているのに、一方でガンガン痛む。

 まぶたを開くと、目じりに涙が溜まっていた。目元の化粧も少し取れている。私は申し訳ない気持ちで友人の肩を借りた。


「ごめんなさい。私は意識を失っていたのかしら?」

「一瞬だけですけどね。きっとお疲れが溜まっているのでしょう」

 どうして疲れが溜まっているのか、よそよそしそうにしているものの訊ねてくることはなかった。

「ありがとう世話を焼かせてしまいました」


 貴族達の発する喧騒と、甘ったるい場の雰囲気に当てられて私の体は熱がこもっていた。窓辺から吹く夜風も妙に生暖かく、扇子を仰ぎながら休憩がてら夜会を楽しむ彼ら彼女らを眺めることにした。

 春が始まったばかりの日のことだ。


 厳しい冬を乗り越え気の緩んだ雰囲気を民衆のみならず、貴族達もかもし出している。皆浮かれ、令嬢の一人が舞踏会に先駆けて内輪の夜会を屋敷で開くことになった。私も友人のツテで参加することになったのだ。


 ほかにも遠縁の貴族達も参加しているのだが、中にはルジェ王子も今宵こよいのパーティに参加しているらしかった。当然といえば当然だが、彼がこの夜会に参加することを私は知らされていなかった。この頃になると、最早婚約者であると公言するのも憚られるほど、彼との関係は冷め切っていた。


 二人の関係がギクシャクするまでには複合的な理由が絡み合い、私のみならず彼自身にも最早どうしようもなくなっていたのかもしれない。


 大きな理由のひとつは、昨年の秋ごろに他国から引っ越してきたばかりの男爵令嬢のユーリヒである。


 ユーリヒは貴族に縁組した元平民だ。なんでも遠縁の貴族の血を引いているとかで、平民上がりであるにも関わらず、才覚があり、努力家で気立ての良い女性であった。

 こんな事を言っては何だが彼女は男性の心に取り入る才覚があったのかもしれない。

 彼女の貴族らしからぬ愛らしい愛嬌で、瞬く間に令息達を虜にし、今やユーリヒは時の人だ。


 まるで魔法にでも掛けられたように皆が彼女の魅力に夢中になっていた。

 令嬢でさえ彼女の陰口を叩くものはいない。まるで全存在から寵愛を受けているような印象である。


 もちろん私も人づてに聞く努力家のユーリヒに最初は好感を持っていた。それもルジェ王子のそばに彼女が近づくまでの話であったが。


 彼女はいつの間にか私の婚約者であるルジェ王子のそばに寄り添うようになり、彼の心を物にしてしまった。私が十年前からいくら努力してもなしえなかった彼の氷のような心を、彼女はたった半年間でいとも簡単に雪解けさせたのだ。


 ルジェ王子と私が出会ったのはお互い6つの時であった。

 王の自慢の庭園で彼と始めての邂逅かいこうを果たした。


 その時の彼はまだあどけなさが残っているものの凛とした美しいお方だった。でも外見以上に目についたのは彼の緊張だったと覚えている。ご家族は偉大な王と王妃であられるから、第一王子としての重圧だとか、側近達の期待の眼差しもあっただろう。張り詰めた雰囲気を纏い、肺に溜まった空気を内側に閉じ込めたような誰にも心を許せない冷たい印象を受けた。

 

 彼を見て婚約者である自分が支えにならなければと浮き足立ち、王子とは別の意味で緊張していた。

 あまりにも幼稚で拙い忠誠心と義務感。私の想いが恋心に変化するのはそう時間はかからなかった。


「王子、私はあなたの婚約者になる女です。私が今よりあなたのお側にいます」

 だから私の側では笑顔になってください。

 各国から取り寄せた貴重な花ばかりが咲く庭園で、私は確かに彼の手を握った。

 あの出会いから、すでに十年が経過している。今も庭園の色鮮やかな花々が、美しく咲き誇っているのか私は知らない。


 そしてあどけない幼子であったルジェ王子は成長し、昔からは想像も出来ないほどの高身長の色男になっていた。均衡の取れた顔立ち、同じ貴族までもが羨やむ白い肌。他人と一定の距離をとり、冷たい態度を取るのだが、その冷酷とも取れる態度がまた令嬢たちの人気に火をつけていた。


 彼の婚約者であるというだけで、ユーリヒと違い私はやっかみを受けたこともある。

 だが今日までなら彼のためにそれも我慢できると硬く信じていた。

 どれだけ冷たくされても、なじられても「いつもはきつい性格だけど、優しい時もあるのよ」と濁した。そうやって自分に言い聞かせていたのだろう。


 だが、自分に見せたこともない笑顔を彼がユーリヒにするのを見せ付けられて、私は自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れ去っていった。


 今では王子は私そっちのけで片時も彼女から離れる素振りを見せない。三人でいるときもルジェが話しかけるのはほぼ彼女だ。本心は分からないが、自分が邪魔者扱いを受けているのは肌で感じていた。


 王族である彼の為に子供の頃から一流の勉強を教えられ、一流の家庭教師をつけてもらった。体型を保つため無理な食事制限もしていた。貧血になったことも多々ある。どんな扱いをうけても、周りに合わせていつも笑顔を絶やさなかった。


 その結果がこれだ。


 そして今日。

 とうとう私は彼に愛想をつかされて、この夜会でルジェに婚約破棄の宣言をされることになる。

 この未来は必ず起こる確定事項であったのだ。


 なぜか?

 私はこの夜を何度も繰り返しているからである。


 一度目の記憶は最悪であった。

 ユーリヒを側に携え、冷たい瞳を伴う彼は「貴様との婚約を破棄するものとする」と告げてきた。

 私の心は絶望が覆った。まるでこの世の終わりのような気さえした。

「冗談はおやめください」と追い縋っても、こちらを見ることさえなく、彼は耳を貸さなかった。夜会の会場は大混乱し、わけも分からぬまま私はその場を従者と共に後にした。


 その夜、「彼との婚約破棄をなかったことにしてほしい」星に願った。

 そして眠りについた。

 だが、それで終わりのはずがなかったのだ。


 二度目の記憶は混乱だった。

 一体自分の身に何が降りかかったのか、よく分からなかった。自分が何か恐ろしい陰謀に巻き込まれてしまったのではないか、不安で怖気が走った。隣国には妖術を使う者やスパイも多いと聞く。これは何かの策略ではないのかと勘ぐった。


 パニックになり、今の状況が判然とせず、友人や従者に今日が何日なのか聞き返したりもした。

 そして繰り返される前回と同じ状況。一挙手一投足が全て同じで、気付けば王子に婚約破棄を言い渡され訳もわからぬまま眠りについた。


 そして三度目に至り、ようやく冷静になった。

 自分がこの状況を繰り返しているという事に思い至ったからだ。


 その原因は自分であることも落ち着いて考えれば、明白であった。確かに自分は最初の夜に婚約破棄をやめて欲しいと願った。だからこそこの夜を繰り返しているのであろう事も。


 三度目の繰り返しでは、婚約破棄を言い渡されたその場所で、婚約者である彼の言葉の全てに反論して、この夜会と婚約破棄をメチャクチャにしてやった。清々した。

 あの時の二人の顔は見ものであった。うろたえて、今までに見たこともないような顔をしていた。痛快であった。心は幾分晴れやかだった。

 だが、それもつかの間の話だ。

 再び朝起きて、同じ光景が広がっていて――結局この繰り返しが終わることはなかったからだ。

 

 今が何度目の繰り返しなのか、もはや自分でもよく思い出せないでいた。この夜を繰り返すたびに、私の心は擦り切れていった。





「お久しぶりです、王子」

「ああ……マリアも来ていたのか」


 カーテシーをして王子に挨拶をしたが、返ってくるのは彼の冷ややかな眼差しだけだった。

 もう何度繰り返してもこれだけは何度繰り返しても馴れはしない。

 けれど自分が思っていたよりも心がささくれ立つことはなくて、それから私は彼への挨拶もそこそこに、隣に立つユーリヒ嬢に対しても笑顔で微笑んだ。本当はしたくもない。確か一度目か二度目の繰り返しの時はあえて彼女を無視した覚えがある。


「ご機嫌麗きげんうるわしゅうございますねユーリヒさん」

「あの、お久しぶりです、マリアさん」

 大理石の床に泳がせていた目線を私に向け、上目で取り繕うような笑顔が返ってきた。庇護欲をそそる仕草は男性の琴線に触れるのかもしれない。

 尊敬といえるかは分からないが、貴族として雁字搦めになっている私には出来ない奔放ほんぽうな行為で、素直に驚嘆に値する。


「あら、王子。そのお召し物懐かしいですね。最初にお会いした時に着ていた物に似ておりますね。仕立て直したのですか」


 金髪の髪が触れるその燕尾服えんびふくは、この場に相応しくない黒寄りの紺色だった。

 本来このような場では、黒一色で挑むべきなのがマナーであった。だからこの場に彼がこの服で挑むのは違和感がある。それに見当違いでなければ彼の服の色は始めてお会いしたときに着ていた服の色や装飾を模しているようであった。


 前のやり直しでは、気にも留めなかった彼の衣装。心の余裕もなかったせいもある。前回まではさっさと二人との挨拶を切り上げて、顔を見ることもせずこの場を後にしていたからだ。

 繰り返し夜会での挨拶をやり直し、多少は俯瞰して状況を見れるようになったのも原因だ。ようやく私の頭は観察することを覚えたらしい。


「…そうか、君は憶えているのか」

 彼がどんな思いでこの服を着ているのか想像をめぐらせるしかないが、これだけ繰り返せば、婚約破棄をする私に対しての決別だとかあてつけだとか、皮肉の意図ともとれる。

 しかし予想に反して返ってきたのは、皮肉ではなく少しばかりの感心であった。心なしか嬉しそうに見えたが、それは私の錯覚だったのかもしれない。


「忘れるわけがありませんもの。あなたとお会いしたときの思い出を」

「はは、懐かしいな。お互い緊張してろくに会話も出来なかったが」

「ええ、とても懐かしいですね。もしも過去に戻れるのなら、あなたときちんとお話がしたかったです」

 私の言葉は嘘偽りない本心であった。もし二人が最初に出会った時心のうちをきちんとさらけ出していたら、このような事態にはならなかったかもしれない。それはただのifであって、実際にはどうかはわからないが。


「今ならそれも容易いのではないだろうか?」

「えっと、それは…」

 しばし私達はお互いを見つめあって沈黙した。

 今までの繰り返す光景と少し違うだけで彼が何を考えているのか、掴めなくなってしまうものだ。

 そういえば、彼をきちんと見るのはいつぶりなのだろうか。必死になって彼の気持ちを汲むこともなかった。残念ながらこの繰り返しが起こる前からいえることだ。ここ半年、いやユーリヒが彼の側にいるよりも数年前から彼をきちんと見ることはなかった。

「王子、そろそろ夜会に参加されてる皆さんにご挨拶しませんと」

 沈黙を破ったのは隣のユーリヒ嬢であった。まるで私達の会話を遮るように、彼女は捲し立てる。


「もう少し、彼女と話をさせてくれ」

 王子の口から聞こえてきたのは、先ほどに続き想像とかけ離れた答えだった。これが数刻後に私に婚約破棄を告げる人の発言だろうか。

 打って変わって隣に立つユーリヒ嬢からの視線は痛い。まるで睨み付けるようだが、思い過ごしなどではないだろう。

「ですが、その、皆さん盛り上がっておりますし…」

「くどいぞ、ユーリヒ。俺に皆まで言わせる気か」

 くぐもった低音の声。確かにそれは否定の言葉だった。正直耳を疑った。

 「どうして?」と私の頭には疑問符ばかりが去来する。私の知る限りでは、そのような言葉を王子がユーリヒに投げかけることはなかった。意外であったのは私よりもユーリヒだったのかもしれない。彼女は返事をすることもなく、瞳を一度大きく開くと、足早にその場を去っていった。


「よろしかったのですか?」

「何がだ?」

「彼女、寂しがっておりますよ」

「…お前は寂しくなかったのか?」


 彼の言葉の意味がよく分からなかった。私は「貴方がそういうのなら」と言うほかなく、彼の後について屋敷の外に出た。こんな展開は、これまでの繰り返しでは一度もなかった。





 春とはいえ夜風はいまだ冷たく、底冷えするほどの寒さだった。


 私たち二人だけがこの場にいて、人気がないのもそのせいかもしれない。

 最初は何人かの貴族達も庭先に居たものの、私達が姿を見せると慌てて屋敷の中に戻っていった。まぁ、王子がこんな所にきたら、男女の逢瀬どころではないだろう。

 私達は歩を進め、ポツンと所在無さげにしている一つのベンチに寄りかかった。


「久方ぶりですね、こうやって共に歩くのは」

「あぁ、とても懐かしいな。子どもの頃を思い出すようだ。あの時は楽しかった」

 彼は私の歩幅に合わせて歩いてくれて、ゆったりと語りかけてきた。声は上ずっているような気さえして、こちらの気分も楽しくなってくる。

「えぇ、そうですね。本当にお懐かしい。あの頃の私達は、拙いながらもお互いの気持ちに寄り添おうと、努力していたと思います」

「俺も同意見だ」

 理由は分からないが王子も幾分楽しそうに見えた。


「寒くはないか?」

「その少しだけ」

「仕方ない。俺のコートを着てくれ。婚約者に風邪を引かれたら困る」

 彼は手早く自分のコートに手をかけて、私に羽織らせると、感慨深そうにそのまま花壇を見つめた。

「覚えているか、君が花飾りを作ってくれた時のことだ」

「…そういうこともありましたね」

 その昔、始めて彼と会った時だ。

 彼に誓いの言葉を告げ終わった後、庭園の花を集めて、私は小さな花冠を作ってあげた。

 手は泥だらけで、庭師の方にも迷惑をかけて、今にして思えば貴族にあるまじき礼儀に欠けた行為だろう。それでも彼は微笑んでくれた。


 今の今まで、ずっと忘れていた思い出だ。

 あの時の王子の宝石の様に輝く瞳を、私は忘れていたのだ。だが、人間とはそんなものではないだろうか?日々を必死に生きているほど、いつだって大切なことから忘れてしまうものだ。少なくともこの半年の私は彼の気を引こうと藁をも掴む気持ちであった。


「嬉しかったよ、あの花飾りは今でも部屋に飾っている」

「本当ですか?」

「嘘をついてどうするんだ」

「…しかしよかったのですか?」

 彼の思い出語りに、今の今まで忘れていた自分の方が薄情に思えてきた。

 だから私は屋内に一人残された彼女の顔を思い浮かべて罪悪感を消した。

「何がだ?」                                

 王子は私の隣に再び腰をおろして、ため息混じりの返答をする。

「ユーリヒ嬢をお一人にしてよろしかったのかと思って」

「ユーリヒ、ユーリヒと君までそういうのか。俺は彼女のお付きじゃないぞ」

 彼は少し考えてから、「もういいんだ」と小さく呟く。

 まるで肩の荷が下りたように瞼をつぶり、安らかな表情をしていたように見える。その理由は私には分からなかった。


「たしかに彼女に心を揺り動かされていたのは確かだ。多少だがな。彼女がずっと私の側にいたのも確かだ。だが誤解している。彼女とはとある賭けをしただけの関係であったのだ」

 その言葉に、心臓がいやに早く動いた。

「…賭けとは何ですか?」

「彼女とはそういう契約で協力してもらっていた。君との事も相談にも乗ってもらってもいた。君との関係をよくするにはどうすればいいのか。分からなかったからだ。本当は知っていたのだ、君が今日この場に来ることは。というよりも友人にこの場に呼んでもらったのは私だ」

「話をそらさないでください。その賭けとはなんでしょうかと聞いているんです」

 嫌な予感がした。冷や汗も出ていたかもしれない。

 予想が外れて欲しいと頭の中の警笛けいてきが鳴った。

「君の心にまだ私がいるかどうかという賭けだ。君がこの夜に私の事を無視するようであれば、もしもすでに君が私を思っていないというのであれば、君と婚約破棄するとな」

 彼は一息置いて、告げた。

 言葉が出なかった。そんな私の様子も気にすることなく、彼は再び言葉を紡いだ。


「恥ずかしい話、私は怖かったのだ。君とどう接すればいいのか分からなかった。君の心が別の誰かのものになっていないか不安になっていた。今にして思えば、彼女に唆されただけだったがな」

 数年前、あの庭園でお会いした時みたいに彼は私の手を握って、あの時のように慈愛に満ちた瞳をした。


「君を試すようなことをしてしまった。本当にすまなかった。君の事を愛しているんだ」

「でしたら、1つだけよろしいでしょうか」

「ああ、何でも言ってくれマリア」


「あまり人をバカにするのはおやめください」

「マ、マリア何を言っているんだ」

 王子は私の言葉の意味が分からない様であった。

 えぇ、そうでしょう。あなたは分からないでしょう。私の身に何が起こっているのかなんて。分かってたまるものですか。この時間を繰り返して、どれだけ苦しんできたのか。あなたをどれだけ想っていたのか。でもその思いも枯れ果ててしまっているのだ。


「婚約破棄をしたければいくらでもすればいい。もう二度と、けして止めたりはしません。私達は確かに対等な関係ではありませんが、この様なことをされる筋合いはありません。あなたに追い縋ることもしません。私がこの時を何度繰り返し、苦しんできたと思うのですか?」

「待ってくれ君は誤解しているし、意味が分からない。現に婚約破棄などしてはいないではないか」

「確かに、貴方を愛していたのは事実です。でもそれは過去に置いてきました」

 失望という言葉が頭を満たし、一方で、夜の砂漠のように心は乾いていた。

 彼に対する怒りよりも自分に対する失望が大きかった。こんな男のために、努力していた自分にほとほと呆れてしまって、何もかもが可笑しかった。


「さようなら私の愛しい人。確かに私は貴方を愛していたのです。その想いだけは真実だったのです」


 私は肩で息をし、王子の頬を全力で叩いた。初めて彼に反抗したと思う。私の顔もぐちゃぐちゃだった。でも、もうどうなってもかまうものかと悲観していた。もしかしたら不敬罪で処刑されたり、罰せられるかもしれない。むしろその様になって欲しいと望んでいたのかもしれない。


「いくらでも婚約破棄して頂いてかまいませんよ。お話があるのなら、後日伺います」

「待ってくれ、マリア。俺の話を聞いてくれ」


 私は彼の言葉を切り上げ、従者をまとめて夜会を後にした。どうせ繰り返すであろう今日をこれほど憎く思ったことはない。私は、ドレスのまま寝入った。


 だが、今日は戻ってこなかった。

 代わりに訪れたのは、明日だった。

 日は昇り、来るはずのない、諦めていた明日がやってきたのだ。

 今日は繰り返されなかった。


 後から友人から聞いたのだが、あのあと私が彼に婚約破棄されることはなかったそうだ。

 私はてっきり彼が屋敷に戻り、ユリーヒを侍らせてあの場で婚約破棄の宣言をするものだと思っていた。

 だが、現実は何もなかったらしい。謝る必要もないのに友人は今回の件について不快な思いをさせてしまったと謝罪をしてくれた。そもそも王子から婚約破棄の話など聞かされていなかったらしく、ただ婚約者である私を呼んで欲しいと、お願いされたそうだ。


 そして、あの日からすでに十日がたった。


 不幸にも十日が経過してもやはり過去に戻ることはなかった。不思議に思いながら、どうしてだろうかと疑問が頭から離れることはなかった。


 それから数日後のことだ。今度は王子が弁明をさせてほしいと使いをよこした。


 立場上、王子の発言を無下にすることも出来ず、私は友人や家族の勧めもあって再び彼と会うことになった。

 場所は私達が最初に出会ったあの庭園だ。

日差しが映える懐かしの庭園は思っていたよりもそのままの状態で保存されていた。いくらか今の私なら名前の分かる花が植えられていて、香しい匂いを発していた。

 一見すれば美しいものの、庭園が見えた途端私の胃はきりきり痛みだし、馬車から降りるのにも躊躇ちゅうちょする程であった。


「この間はすまなかった、マリア」

 馬車から降りて、開口一番に彼は私に謝罪してきた。頭を下げて、今までに見たこともないほど、つらそうな表情をしている。

「……いえ、私も言葉が過ぎました」

 その一言を搾り出すのに、永遠にも感じる時間がかかった。

「本当に申し訳ないと思っているんだ」

 あの晩のように彼は紺色のスーツに身を包んでいた。あの晩と違い、その衣装も含めて何もかもが薄っぺらくみえた。


「積もる話もあるのだが、君にまずは報告しなければならないことがある」

「報告ですか?」

「ああ、彼女、ユーリヒのことだ」

「ユーリヒ嬢がどうされたのですか?あの夜会で体調でも崩されたのですか?」

 王子の表情は読めない、ただ何かを覚悟するように言葉を振り絞っているようにも思えた。

「彼女は隣国のスパイだった。これまでのことを怪しいと思い調べたところ、彼女を育てた貴族達が自白したよ。彼女は家族共々スパイだったのだ。近いうちに処刑されることになっている」

「――え」

「あぶなかったよ。本当にありがとう。正直ゾッとしたよ。君に打たれて目が覚めた。本当にすまなかった。私は君の思いをないがしろにして、君を裏切って、君に謝っても許されるとは到底思わないが、君と婚約破棄はしたくない。その思いは本当だ…おい、聞いているかマリア」


 もう、全てが遅い。何もかもが遅いのだ。

 私は選択を間違えた。


 彼の言葉が急激に遠のいていくのが分かる。

 身に覚えがある貧血の症状だ。視界がぼやけて、王子の声はフェードアウトしていった。


 彼の言葉は、ある可能性を示した。そして、ひとつの結論に達してしまった。

 確かにあの夜、私はこう星に願った。


「婚約破棄を無かった事にしてほしい」

 そうだ。願いは叶ってしまったのだ。


 この願いは私が彼に婚約破棄されるまで有効だったのだろう。願いが達成されたために、それ故に私はもう過去には戻ることもないのだ。


 混濁する意識の中で、私は微笑んだ。

 こんな笑い話があるだろうか。私はあの夜星に願うべきではなかったのだ。

 私はおとなしく彼の言葉を受け入れて、ベッドを涙で濡らすべきだったのだ。


 こんなことなら、婚約破棄したままでよかった。

 こんな未来は望んでいなかった。


 ダイヤモンドに思えた宝石はただの石ころ程度の価値しかなかったのだ。

 幼年期は終わりを迎え、恋に恋していたあの日の自分には、もう戻れない。

 純粋だった自分にはもう戻れないのだ。

 彼に心を開くことはないだろうし、もう二度と星に願うこともない。


 伏せたまぶたの裏側で、一瞬だけ流星が輝いた。















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― 新着の感想 ―
[一言] 気持ちいい終わり方ではないですね……。 マリアが切れた理由がわかりません。賭けをしてた事には怒っていいと思いますが……。ループしてるのは完全に自業自得では? 教訓でしょうか。「例えそのとき上…
[良い点] やっぱり人間は、安易に超常の力に頼っちゃダメっていう教訓のような話ですね。 ファンタジー作品によくでてくる「力がほしいか?」の乙女ゲームバージョンといったところでしょうか。 主人公が何回…
2020/07/12 09:48 退会済み
管理
[気になる点] ああーこれは… 私の事を試していたのね、なんて愛情深いの、ちょっとヤキモチ焼きだけどそこも素敵!って絶対なりませんものねぇ… 騙されていた、付け込まれていた、唆された、色々あるでしょう…
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