処刑人16
「ミザリス・レイ・ミラ・フルーフ王女」
振り返って名前を呼ばれたことで、自分のことを呼んでいるのだと判断したミザリス王女は立ち上がると皇帝へと近づいていった。
「——これが此度の賭けの内容を記した書状だ。受け取れ」
そして皇帝はいつの間にか自身のそばで控えていた侍従の持っていた書状を受け取ると、それを階下の者達から見えるようにミザリス王女へと手渡した。
皇帝が格下の国の王女〝ごとき〟に何かを手渡すなど、本来ならあり得ない。
帝国は比較的最近になって他国へと戦争を仕掛けて巨大になってきたのだが、今の帝国となる以前より元々存在していた場所に暮らす者達は、兵や騎士に限らずほぼ全員が自分たちこそが世界の覇者だという自信があった。
そしてその思いは『上』にいくほどに大きく強くなっていたために、この場にいる貴族達はそんな自尊心の塊だといえた。
だというのに、こうして帝国とフルーフが対等かのように扱い不戦などを結ばなければならないことに憤りを感じていた。
その悔しさや恨みは無様にも負けたフラントとフルーフの者——特にアランへと向かっていった。
「ありがたく存じます」
「ああ、それは迅速にフルーフの王に届けるといい」
どことなく〝含み〟を感じさせる皇帝の言葉に僅かながらも疑問を抱きながらも、ミザリス王女は渡された書状を受け取り、大事そうに握りしめて礼をした。
本来はこういった約定を結んだのであれば対等な立場として、少なくとも公式の場では頭を下げることはない。
だが、ミザリス王女は自分たちの立場も、悪感情を抱かれていることも理解していたので、躊躇うことなく頭を下げた。その程度でヴィナートの者達の気持ちが鎮まるわけもないが。
「書状がフルーフ王に届いたその日より十年間、我が国の軍はフルーフに手を出すことを禁ずる! 良いな!」
「「「はっ!」」」
王に届いた日から十年間、ということは、届かなければ賭けは何の意味もなく十年など関係なしに攻め込んでくるということだ。
故に、それを聞いたヴィナートの皇族や貴族、及び兵達はなんとしても書状を処理しなくては、とやる気をみなぎらせ、フルーフの者たちもその想いが理解できたのだろう、やられるものかと気合を入れることとなった。
ミザリス王女は最後の最後でやってくれたな、と思うと同時に、先程の含みはこれか、と納得した。
見ると皇帝は楽しそうに笑っている。そこには邪魔をしてやろうという悪意や敵意があるのではなく、純粋な期待があったように思えたが、実際のところは何を考えているのか理解できない。
だが、皇帝の考えを理解してもしなくても状況が危険だということは変わらないので、ミザリス王女は表面には出さずとも内心では苦々しい気持ちでいっぱいだった。
結局、貴族達を煽るような発言をした皇帝のせいで夜会の間は気が休まることもなく警戒することとなった騎士達を引き連れ、同じく警戒で気疲れしたミザリス王女は部屋へと戻るために廊下を歩いていた。
騎士だけではなく側仕えでさえも疲労を見せており、この場には誰一人として——いや、アラン以外には疲れた様子を見せていないものはいない。
ただ一人、例外的に疲れを見せていないのが大怪我をしたはずのアランだとあって、その場にいた王女を除いた全員がアランに不気味なものを感じていた。
だが、誰もそのことを口にすることはなく黙々と歩いていった。
「……襲撃はありませんでしたね」
部屋に戻るとすぐさま側仕えと数人の騎士達が部屋の中を改めたが、ミザリス王女はそんな光景を見ながらホッと息を吐くように呟いた。
「流石にパーティーの最中はまずいと思ったのではありませんか?」
「もしくは、アランがいたことが予想以上に効果があった可能性もあります」
元々襲う気がなかった、ということはあの場にいた『戦える者』の数を考慮すると少し考えづらい。
ヴィナートでは貴族を名乗るものは男も女も関係なしに数年の従軍が必要となるので、ほぼ全員が戦闘経験がある。なので戦いになったらあの場にいた全員が脅威へと変わっただろう。
故に、ミザリス王女のそばで待機し、その呟きを聞いていた護衛騎士の二人は襲われなかった理由を挙げたのだが、それを聞いてもどちらもあり得ると思えてしまうために、結局のところ何もわからなかった。
しかし、分かることもある。
「どちらにしても今晩は襲撃があるでしょうね。私は殺されないと思いますが、それだって殺されないだけでどうなるかわかりませんし、末端から削るということも考えられます。皆くれぐれも今夜は一人にならないように気をつけてください」
「「「はい!」」」
その後は騎士だけではなく側仕えも交えて行動予定を組み上げ、解散となった。
「アラン。お前は大人しくしてろよ? 明日までに少しでも治してもらわないとなんだから」
襲われる可能性としては現在よりももっと夜が更けてからの方が可能性が高いので、アランはその時間帯の警護となった。
なので自由時間となったアランは同室の同僚とともに部屋に戻ったのだが、部屋に戻っても息を吐く間も無くすぐに装備の確認をし始めたアランを見て同僚の男はため息を吐きながら忠告した。
「分かっている」
「本当かよ? まあいい。……ああでも、動かなくてもいいけど、何かに気がついたら教えてくれると助かる」
アランの同僚の男はそう言いながら自身も装備の確認をすると、アランと軽く会話をしてから仮眠へと移った。
同僚の男と同じようにアランも仮眠を取ることにしたのだが、同僚とは違ってアランはベッドを使わずに鎧をつけたまま座り、剣を抱いて寝ていた。だからこそすぐに動くことができたのだろう。
「——んあ? アラン?」
「来た」
アランはスッと目を開けるとすぐさま仮眠していた同僚を軽く小突いて起こし、剣を抜きながらそれだけ伝えて動き出した。
「っ! 警戒!」
そんなアランの行動を見た同僚の男は、そばに置いていた通信の道具を起動させて叫んだ。——襲撃だ。
「チイッ! 死ね!」
自分たちのことを見破られたことに気づいたその襲撃の犯人達は、引くことをせずに襲いかかってきた。
その人数は思いの外多い。寝込みを襲うのであれば、一人ないし二人で済むはずだ。
だが、現在アラン達へは五人もの人数で襲いかかってきていた。
これは前回の襲撃のせいだ。フラントとの戦いの前日、確かにアランを襲撃させて殺したはずなのに生きていたのは、襲撃させた男が幻覚を受けたのではないかと判断した結果だった。
それ故に、今回は幻覚を受けないようにと数人がかりで殺しかかっていたのだった。
五対二というアラン達にとって圧倒的に不利な状況。
戦力の内訳としてはアランに二人、同僚の男に三人で襲いかかっている。
正直なところを言えば、この同僚の男はそれほど強くない。襲撃犯と一対一をすれば勝てるだろうが二人相手だとほぼ負ける、という程度なもので、アランの方がよほど脅威である。
だというのに、アランよりも同僚の男へと人数を割いているのは、アランに当てた二人が時間稼ぎをしている間にさっさと始末して五人全員でアランを襲おうと考えていたからだった。
それでもすぐに殺されることなく耐えていられるのは、この同僚の男が曲がりなりにも護衛騎士として選ばれる力を持っているということで、部屋の中という状況をうまく使っているからだ。
「うぐっ……くそっ!」
だがそれでも不利だということは変わらず、数合打ち合っただけで追い詰められかけていた。
「がああああ!」
しかしあと少しでやられるかと思ったその時、アランの方から悲鳴が聞こえてきた。
その声に反応したのはアランの同僚の男——ではなく、襲撃犯達の方だった。
時間稼ぎに徹しているだけだったはずなのに、対して時間が経つこともなく聞こえてきた悲鳴に驚いたのだ。
アランの『処刑人』の名や実績については知っていた。普通に戦えばほぼ確実に負けるだろうとわかっていた。
だが今のアランは怪我人なのだ。それも本来なら歩くことすらままならないような重症。
夜会の時には隠していたようだが、それでも戦うには厳しいだろう。と、襲撃犯とその指示を出したもの達は考えていた。
それが、まさかこうもあっさりとやられるとは思っていなかったのだろう。
そして五対二の状況でも拮抗していたのに、人数が減り、さらに動揺までしてしまえばその後の流れは決まったようなものだ。
「はあはあ……助かった」
同僚は息も絶え絶えに礼を言うが、アランはそれにろくに答えることもなく襲撃犯たちの体を調べ始めていた。
「予想はしていたが、本当にくるとはな……」
同僚の男はそう呟いたが、だが予想していたのは王女の方への襲撃だった。
普通に考えれば当然だ。騒ぎを起こしたいのなら、騎士と王女、どちらを狙うのかといったら、王女に決まっている。
だが、この襲撃犯たちはアランを狙っていた。それほどまでにアランの首は──いや、『処刑人』の首は重要なのだ。
「どうした。何かあったのか?」
一息ついて呼吸を整えたところでアランが不意に立ち上がったのを見て、同僚の男はアランに問いかけた。
「これを」
アランはそういって一つの短剣を同僚へ突し出したが、その柄尻には紋章が彫られていた。
「これは……紋章か。確かこの紋章は……」
「第七王子のもの。だが、それが本当なのかはわからない」
こんな襲撃をするもの達が身元がわかるようなものを持っているはずがない。
だが持っていると言うことは、それは……
「偽装か……だがそれは今の俺たちに関係あるか? もちろんヴィナートの奴らには誰が何をしたってのは重要なんだろうけど、俺達にとっては誰が襲ってこようと同じだろ?」
そう。この偽装はヴィナート側にとっては意味のあるものかもしれないが、ミザリス王女達フルーフ側には何の意味もないのだ。
「そうだ。結局のところ全員返り討ちにする」
そう言ってのけるアランからは、ゾッとするほどに何も感じられなかった。
「お、俺は隊長に知らせて来る。すでに襲撃自体は伝えたからすぐに戻ると思うが、気を付けろよ」
そしてそれは、そばにいた同僚の騎士も同じように感じたのだろう。
それだけ言い残すとそそくさとその場を去っていった。