匈奴とフン族
クロアチアでフン族の時代の人骨が調査された。特に頭蓋骨が変形した人骨がその中にあった。これはかなり重要でフン族に多い習慣だったと文献が残っている。その中の一体がカンボジア付近の人に近いDNAだったらしい。ハプロは書いてなかった。
これが何を意味するか?と言うと、以前私はフン族=匈奴だとしても雑多な集団の連合だろうと考えて、匈奴の中心部族がフン族とは限らないと書いた。古い匈奴の墓で地域ごとでバラバラなDNAが出てどうも統一性が無い。現在その地域に多い集団のDNAにどうしてもなってしまって匈奴の特徴的DNAと言うのが良く分からない。
だから今回の調査でかなり東によったDNAが出たというのは画期的だったと見ている。これによって匈奴の初期の頃の中心部族が東よりの集団だったのじゃないか?と考えを改め始めている。ウイグルの墓で出た人骨のDNAはちと違うのじゃないか?と見ている。
以前考えていたのは、ウイグルとモンゴルの墓からナデ・エニセイ語族に近いアルタイ地域に近い集団ではないか?と見ていた。古くからカザフからモンゴルにかけてエニセイ語族の集団のDNAが良く出てくる。初期モンゴル高原の遊牧民でエニセイ語族はかなり重要。
匈奴はハプロで言うアメリカ先住民に多いQが多い。だがこれサブグループまで見ると全く違う集団になる。偶然フン匈奴を調査するととにかくQばかり出る。ただこれ必然性が合って、そもそもユーラシア北部はRとQの集団の地域だからになる。だからサブグループによって全く集団が違うので、海岸部の東アジアを強く意識した場合Q(M120)この系統が多い。
特に重要なのが東南アジアで、カンボジアと言うのがややこしいが、元々コーカソイドの祖先の1つは東南アジアにいた事になる。この名残で祖先系のPが今でも東南アジアで発見される。じゃQRは?について不明私は分からない。ただベトナムに高い頻度でM120が出てくる。近くのカンボジアもこれじゃないか?と私は見ている。
タイ付近にアカ族と言う集団が居る。元は北方に居たという伝承が部族に残っていて、何かのHPで見たのだが、アカ族にQが高い頻度で出るという見た事がある。クロアチアのフン族のDNAはこれに近い集団じゃないか?と見ている。もちろんカンボジアからクロアチアに行ったのじゃなくて、カンボジアの集団が元は北方にいて南下したのだろうと見ている。
ベトナムがややこしいのは、周の王族が過去南越に移住したとの伝説がある点。だから男系だけ残っただけって事かもしれない。それに対してアカ族は過去中国北方集団が南下して東南アジア人を形成したことが分かってるので、その一派じゃないか?と見ている。
ただベトナムとアカ族の集団も実際は同じ南下集団なのかもしれない。
元の周の王族の集団から様々な地域に伝播してその一部が中国で王族になったという事かと。時代的に周と匈奴は似たような集団の出身だったと考えられる。周は元々遊牧民が農耕民になった集団だといわれてて、残った集団が匈奴になったという事じゃないか?と見ている。このあたりは自論とまりで定説になってるようなものじゃない。
今回の調査を受けて私なりに考察した結果であり、これらは考古学的な専門家の論ではない。感想で自論と学説が区別がつかないと指摘されて確かにそうだと思ったので結論として書いたコレをは分けておこうかと。
それらをしっかりさせたいのは、この手の民族の起源が絡んだDNAの話は右左の極端な思想の人に悪用されやすいため、そういった視点からの我田引水、本末転倒の極論を嘘だときちんと多くの人に伝えたいからと言うのがある。だから自論と伝えるための学説は分けておいたほうが良いと思ったのが大きい。
クロアチアの集団3体出たのだが全部ばらばらな遺伝的背景だったため、ここは私の予想通りになっている。雑多な別の血族集団の寄せ集め。特に匈奴が西に行くほど西に多いDNAの集団に置き換わっていくってのが予想通りだった。だが一部やっぱり東から来た集団が居たというのは中々興味深い。
フン=匈奴(これは自論じゃない、その論文でも可能性は高いとの見解)はほぼ間違いないと思うし、かつ匈奴の初期の中心集団が欧州まで移動しても、それなりにフン族にまだ残っていたのじゃないか?と見ている。