銀河鉄道・言語
5.4541 Simpex sigillum veri. 簡潔さは真理の証
『論理哲学論考』ウィトゲンシュタインより
白鳥が観念した直後、突然身体に紐のようなものが巻き付き、上空へ引っ張られました。引っ張られ引っ張られ、しゃべることなど出来ずただ叫んでいました。
引っ張られる速さが遅くなってくるとだんだんと状況を理解でき始めました。今白鳥は空に向かって引っ張られていて、さっきまで自分がいた地上が見えてきました。
地上には明かりがたくさん灯っていましたが、周りを崖に囲まれ橋も無く孤立しているように見え、地面はやせ細り不毛の大地が広がっていました。
「こんな場所に住んでいたのか、こんな場所に」と白鳥はもらしました。
「空の旅はどうだったかな?」突然声が聞こえてきました。声が聞こえてすぐふわっと浮かび上がったかと思うと上から列車の最後尾のようなものが見え、そこには誰かが立ってこちらを手招きしていました。
「何が起こってる…」と白鳥が混乱していると紐に引っ張られるにつれて物体はだんだんと大きくなります。
「この列車に乗るといい、白鳥」白鳥は混乱しました。
「白鳥のことは誰にも言ったことは無い。そもそもあんたはダレでこれは何だ?」と白鳥は怯えを隠すように虚勢で以って問います。
「そんなことよりそのまま紐で引っ張られていてもどうしようもないだろう。わたしのことは後で話すから早く乗り込むといい。このままだと紐が切れてキミは真っ逆さまに落ちてしまうかもしれない。」
と言うので白鳥は慌てて列車?に乗り込み、冷や汗をかきながらも「で、あなたは誰ですか?」と強がってたずねます。
「礼より先に質問か。そうだな、言語とでも名乗っておこう。」
「言語?ふざけてるな。」と白鳥が怒りを顕わにし、
「落ち着き給え、白鳥。キミが青い鳥を追って寄生虫から逃げてここにたどりついたことは知っている。さらに言うとキミは白鳥ではなく、みにくいアヒルだ。そもそも誰も白鳥ではないし私も白鳥ではない。今を受け入れなさい。」
「いきなりなんだ!そんなこと言うな!みにくいアヒルなんかじゃない!なんでそんな勝手なことが言えるんだ!」
「わたしには何もかもが手に取るようにわかるのだよ、考えることができる範囲ではね。ついでに言うとキミがさっき会ったマッチ売りや王子もこの列車には乗っている。」
「…王子がいるのか、それは本当か?」言語が後ろを指差し、そこには人のような何かがいました。その人影が
「やあ、はじめまして。白鳥、と呼べばいいかな?王子と呼んでくれて構わないよ。青い鳥の話を教えたおかげでキミと会えるなんてやっぱり青い鳥は幸福の証だね。」と話し、
白鳥は「本当に王子?」と警戒します。
すると王子は「白鳥、外は危ないから中に入ろう、入らないとあのことをここで叫ぶよ。」
「あれって、あのコトか!?言うんじゃない!」白鳥が列車の内へ入ったところで、王子は白鳥に何かを耳打ちしました。
「王子で間違いない。」やっと白鳥は王子のことを認めました。
「落ち着いたかね?ようこそ白鳥、銀河鉄道へ。」と言語が話すやいなや、
「そもそもここってなんだ?銀河鉄道?」と白鳥は言いはじめました。
「そうだとも、銀河鉄道の乗車券はすでに持っているだろう?」
「ほら白鳥、こんなやつだよ。」と王子がポケットから手のひら大の紙を取り出しました。白鳥は王子の言葉を疑いながらも自分のポケットを探るとそこには王子のものに似た紙が入っていました。いつこんなものが入ったんだ、それにイマドキ切符しか無い鉄道なんて古いなと思いながらも白鳥は口には出しません。
ですが言語は「確かにこの列車は古いものだ。しかし古いものだからといって軽蔑していると下の寄生虫のようになってしまうぞ、白鳥」と言いながら列車の外を指さしました。その先を白鳥が見るとさっきまで自分がいた地面がありました。
「この列車の下に広がってる大地は孤立しているのだよ。見るがいい、あの大地には橋も飛行場もトンネルも無い。」と言語が諭すように言うと、
「孤立してるからといって何が悪いんですか?なんだかんだであそこは楽しかったよ、最後に襲われて壁から追い出されるまではね」と白鳥が言語に吠えました。
「孤立が悪いと言っているわけではない。ただ、あの場所は寄生され消費され続け、過去にも未来にもたどりつけない。」
「何をわかった口聞いてる!あそこで暮らしたことあるのか?壁の外に出るだけで嫌な目で見られ知らないやつに追いかけられる。壁にこもってても運が悪かったら叩き出される。あんなところに居場所なんてなかったさ…」
と白鳥が落ち込んでしまうと、
王子が割って入り「白鳥も今は気分が優れないだけで普段はこんなこと言わないんですよ。それに言語さんも白鳥をいじめないでください!白鳥、あっちで休もう。」
白鳥を連れて列車の奥の方へ向かっていきます。
「あの場所は打ち捨てられた過去、ありもしない未来にありふれている。私はそれが残念でならない。誰もが希望を彼方に求めて空を目指し多くが死に絶えてゆく。キミもだろう?白鳥。」
「大丈夫、白鳥?」
「ありがとう、王子。」
白鳥は王子に心配をかけさせてしまったことに負い目を感じながらも「なんなんだ、あの言語ってやつ!」といらだちを抑えられません。
「まあまあ、言語さんだって悪気があったわけじゃないし。それはそれとして白鳥、ここなら十分カラダを伸ばして休めるよ。」
王子は座席に白鳥を座らせるとどこかへ行ってしまいました。白鳥は何をしたらいいのだろう、そもそもこの列車が何なのか聞いていなかったと後悔しました。あたりをキョロキョロ見回すと誰かいます。よく見るとマ○クに行く途中で見かけた人でした。
「こんな場所で会うなんて奇遇ですね。」白鳥が呼びかけても、聞こえていないのか返事はありません。ただ聞こえないフリをしてるだけなのか、はたまた本当に聞こえてないのかと白鳥が疑いはじめた時、王子が戻ってきました。
「ごめんね白鳥、紹介が遅れてしまったね。この人はマッチ売りと呼ばれてて白鳥と一緒に銀河鉄道にやってきたんだ。もう白鳥のことはマッチ売りに話してあるよ。」
「マッチ売り?そういえば確かマッチはいりませんかって聞いた気がする。」やっと白鳥はマッチ売りのことを思い出し
「よろしくマッチ売り。」と呼びかけるとやっとマッチ売りが言葉を返しました。
「よろしく。白鳥。」
「言語さんが説明を後回しにしちゃってたしマッチ売りも白鳥もこの列車がどんなものかはわかってないよね?」王子が聞きます。
「この銀河鉄道はその名の通り銀河まで走る鉄道なんだ。乗車券に書いてある期限までなら好きなふうに過ごしてもいいよ。白鳥みたいに何をしたらいいんだろうって迷わなくてもマッチ売りみたいに外を眺めるだけでも大丈夫。」
「なんで疑問に思ってたこと知ってる?また言語が言ったのか!」と白鳥が王子に噛み付くと、
「言語さんが白鳥のことを心配してて教えてくれたんだ!言語さんだってちゃんと話せばいい人だよ。あとは新入り同士でどうぞ!」
王子がどこかへ行ってしまいました。残されたのは白鳥とマッチ売りの2人。
「マッチ売り、だっけ?この銀河鉄道には始めて…なんだよね?あの地上ではお互い災難だったね。でもあんな場所でも頑張ってたんだからすごいよ。全部悪いのは寄生虫たちさ。」
「あんな場所でも頑張ってた?何もせず寄生だけして文句をたれてたあなたとは違う。あんな場所でも精一杯生きていた、生きようとしてた。何もしないで足掻こうともせずただただ無目的に日々を消費してたわけじゃない。」
マッチ売りが突然喋ってきたので白鳥はビックリしてしまい二の句が継げませんでした。
やっと出てきた言葉は「そうなんだ。」だけでした。
「寄生虫が悪い、寄生虫が悪いと言っていたけど、白鳥が一番寄生虫です。」と言われてしまうと、
白鳥は図星を突かれ「どんな根拠があってそんな…」と尻すぼんでしまいました。
「そんな風に何も言えなくなるのがいい証拠。気づいているんでしょう本当は、自分が寄生虫でしかないことに。」ここまで言うとマッチ売りは座席から立ちどこかへ行ってしまいました。白鳥は歯がゆさ、悔しさ、虚しさでただ立ち尽くすしかありませんでした。
「私たち、そうだキミもだ王子。」白鳥が途方に暮れていると、向こうから言語と王子が話す声が聞こえます。
「考える以上、考えることができる範囲でしか考えられない。空をどこまでも把握することはできても空の外側、向こう側へは何をしてもたどりつけはしない。だからこそせめて考えることができることだけでも明解にしておかなければ。」
「それ何度も聞いてますよ、言語さんが助けてくれてからずーっと。」
「王子に覚えておいてもらいたいということもあるが、第一には私自らに言い聞かせている。幸せならば死を恐れてはならない、この強がりを忘れないためにな。」
言語はどこか吹っ切れた顔をして話していましたが、王子には通じなかったようです。もちろん白鳥にも通じませんでした。王子がウンウンうなっていると、
「まあそんな気に病むことはない、簡単なことだ。適した記し方があれば自ずと考え得ることがすべて明らかになる。」
「言語さんが言っていることはイマイチ何がなんだか…」王子が小声で漏らすと言語は笑いながら優しい目を王子に向けました。
白鳥のそばまで2人がやってきました。その頃には白鳥の気分もいくらかは晴れていました。
「白鳥よ、キミの世界はどこまでだと思う?」出会うやいなや言語が問いかけます。
「この空のどこまでがキミの世界だ?」
「そんなこと、わからないさ。」いきなりの質問でおざなりに白鳥は答えますが、
王子が「白鳥がんばって!もう少し考えてみて!」と励まされます。
「じゃあ、あのくらい?」白鳥は水平線の向こうを指さします。
「そうではない、どこまでもだ。」というと言語は窓から空に手を伸ばし掴むと、その手を自らの頭へ近づけました。
すると空が布の如く手に引っ張られ、「私は空をどこまでも把握できる。」白鳥は目を見開きます。口も驚きで開いたままになります。そのまま空はクシャクシャに丸められて頭に入れられました。
「そして空は私の中にすっぽりと収まってしまう。」白鳥は未だに驚いたままで固まっています。王子が
「大丈夫かい白鳥?」と声をかけます。やっと白鳥は我に返り何が起こったのか周りを見回しますが、空にはいつものように星が浮かび他には特に変わったところがなく、すぐ近くでマッチ売りも驚いて固まっていました。
「最初は驚くけどすぐに慣れるよ。言語さんなんだからこれくらいできるって。」王子が説明しますが白鳥の頭には入っていないのか何も反応できませんでした。
言語がンッと咳払いをし、「このようにだな」話し始めると、やっと白鳥とマッチ売りは起動しはじめました。
「自らの世界は自らの認識のすべて、ということだ。そして認識できるものはすべて世界の内に含まれる。」ここで言語が白鳥の眼をじっと見つめます。いきなり見てきてどうしたのだろう、と白鳥は考えていると言葉が続きます。
「青い鳥は自らの認識の中にしかいない。認識できる向こう側に何かを求めたところで意味はない。自分の世界から逃れるな、世界の彼方に幸福を求めるな、世界の中に幸福を見い出せ。」
「…いきなり何を言ってる?」と白鳥が疑問を呈すると、
「いつかわかる時が来る。さっきの私と王子の話も覚えているだろう?今、白鳥にも理解できることと言えば、このままではみにくいアヒルのまま終わることになる、ということだ。」と言語が言います。
白鳥は言語に初めて会った時のことを思い出し怒りがふつふつとこみ上げてきます。が、言語に肩をガシッとつかまれ動けなくなってしまいます。
さらに言語が言葉を紡ぎます。
「自らを語ることは何においてもできないが、語りの中で自らは示されてしまう。白鳥が語る何もかもが白鳥のことを示す。これは忘れないでほしい。」
そこまで言うと言語は白鳥をギュッと力強く抱きしめてから王子の方を向きました。
「さっき話したことについてだ王子。適切な記し方というものは簡潔なほど良いと言っておこう。
Simplex sigllum veri.
この言葉を贈ろう。」
「簡潔なほど良い、ですか。」
「そうだ王子。あと頼み事が一つある。もし私を知っている人に会ったらこう伝えてくれ、私は素晴らしき日々を生きた。」
そして王子が言語に抱きつきました。王子は少し涙ぐんでいるように見えました。
「別れみたいだな。」と白鳥の口から言葉がこぼれ落ちます。が誰も聞いていないようでした。
しばらく抱擁が交わされてから、言語はマッチ売りに声をかけます。
「マッチ売りはまず銀河鉄道で疲れをとるといい。」
「…疲れてなんかない」とマッチ売りが答えます。言語はその言葉を無視しマッチ売りを抱きしめます。マッチ売りは何もいいません。抱きしめるには長いと思われる時間の後、マッチ売りを解放し、赤子へ接するように頭を撫でてから、言語は3人に向き直りました。
「別れは近い。最後に言わせてほしい。幸福に生きよ。ではさらば。」