隠れて読む本ってドキドキ
目の前に積まれた本の数々は座り込む子供を囲い、高さは座高を超え姿を隠すかのように並べられている。
その真ん中で黙々と手にした本を読み進めるのは2歳になったアルナ=ヴィル=エルシュタイン。アルと呼ばれるこの屋敷の子供だ。
側から見れば本を読む真似事と積み木のように本を積んで遊んでいるだけに見える。しかし実際、どれも読み終わり積み上げられていることを知っているものはいなかった。
「こんなものか。とりあえずは」
おおよそ2歳児とは思えない口調で読んでいた本を閉じ積み上げられた本を一つずつ元の場所へ戻していく。
全方位に本棚があるこの部屋、書斎は父親のウィンが仕事で使う書物から趣味や勉強のために集めた書物まで多種多様に隙間なく並べられている。
極秘とされる文書などもここにあるらしく、アルはウィンとここを訪れた際、閲覧禁止と書かれた棚に触れようとしてこっ酷く叱られたこともあった。
そんな極秘文書のある棚とは別方向、ある一つの棚にある本を読み漁っていた。
アル―――男が転生してから2年。未だに魔法というものを見たことがなく、あることは話として聞いてはいるのだが真偽のほどはわからないままであった。
そのため隠れて書斎にやってきては魔法の本を探していたのだが未だに見つかっていない、今日もまた探してはみるもの見つからず大抵は歴史書や、地図、古文書など大して面白味のないものばかりであった。
しかし、男がこうして地道に探すのには理由があった。
本をしまっているとキンッと機械音声が男の脳内に響き渡った。
『速読Lv4、言語Lv6を取得しました』
その言葉を聞いてもなお、本をしまうことをやめず手は動かし続けていたが表情はニヤリとしている。
機械音声は男からすると聞き慣れたものだった。
初めて声を聞いた日から数ヶ月、行動することには能力解放が付き物のようで頭の中では機械音声が鳴り響く。
しかし1歳を過ぎる頃には音声も月に一度聞けばいい程度に収まり、逆に取得できるものはないかと模索するようになった。
元の世界の知識を辿り一つでも多くの能力を解放させておきたいと男は考えたが、知識にも限界があり打ち止めとなったのが1歳と5ヶ月ほどの頃だ。
―――――足りない。
男の頭をよぎるのは異世界ならではの魔法の存在であった。
目を閉じ「ステータス表示」と念じると自分の能力が全て目の前で開示された。
《スキル》
《Lv.1》
【言語】翻訳 通訳 解読
【強化】 全身強化 脚力強化 腕力強化 握力強化
【耐性】 痛覚耐性 空腹耐性 寒冷耐性 毒耐性
【気配察知】【絶対音感】【体温感知】
【視覚】望遠
【瞑想】【記憶保存】【破壊工作】...etc
《Lv.×××》
【激運】【神の加護】【悪魔のささやき】
解放されたものは基礎能力強化と便利機能といった具合でしかなく、それこそ神に近い存在など鼻で笑いたくなるほどにまだまだレベルも数も足りてはいなかった。
しかしこれ以上の解放ももう少し成長し自由に動けるようにならねば見込めない、そう考えるとやはり魔法というものを学ぶことへたどり着くことは必然であったと言えるだろう。
それから数ヶ月、魔法の片鱗すら見つからないまま時間だけは過ぎていった。
そんなある日のこと、ルーシーが風邪を引き、珍しくウィンに連れられ兄弟共々屋敷内を出歩くことがあった。
「父上。どこいくの?」
「あぁ、悪いな、遊んでやりたいんだが終わらせておかないといけないことがあってな。書斎にたくさん本があるからそこで少しだけ本読んでてくれないか?マナ、絵本読めるだろ?アルが暇しないようにお願いな」
ウィンが申し訳なさそうにしているがマナもミュラも普段入ることのない部屋に目を輝かせているようでその姿を見たウィンは少しだけ微笑ましい表情へ変わっていった。
2階の角部屋が書斎のようで部屋の中はインクと少しだけ獣のような匂いが混ざり合っていた。
「さてと、じゃあ父さんは仕事してくるからそこの棚にある絵本好きなもの読んで待っててくれな。なるべく早く終わらせてくるから」
そう言ってウィンは奥にある机へと向かい仕事を始め、マナとミュラはすでに棚から絵本選びをしていた。
桃太郎と鬼のように、勇者と魔王。
赤ずきんと狼のように、少女と魔物。
どの世界でも定番の昔話がありマナはアルへ懸命に読み聞かせていた、途中ミュラも参加しマナの読み聞かせ会へ変わっていった。
数冊読み終わる頃、マナもミュラも飽きたようでしきりにウィンに目線をやっていた。
それに気づいたのか、ウィンは仕事を終えるような仕草をしこちらへ向かってきた。
「マナは読むの上手になったな!アルもミュラも静かにできて偉いぞー!」
そういって3人の頭を順にくしゃくしゃと撫でた。
「パパ様首とれるーー」
ミュラが笑いながらウィンに抱きついた。
「仕事終わったから外に遊びに行くか?お母さんの様子も気になるからな、外のオランジェを取って持って行くのもいいかもしれないな。」
「行く!」「行きたーい!」
マナとミュラが手を挙げ飛び跳ねてアピールをする。
「よし、じゃあ外行こう!アルもいいか?」
黙っているアルがウィンの言葉にコクリと頷いた。
「私先行くねー!!」「あっ、待ちなさいミュー!」
ミュラとマナが走って書斎を去っていき、ウィンとアルは取り残された。
「あいつら、とんだおてんば娘だな。俺らも行くか」
そういってアルを抱き抱えウィンは書斎を出ようとした。
「ねーねー、父さま」
「ん、どうした?」
アルの口調は決して1歳児のものではなかったが家族の中ではすでにそれが当たり前という認識のためウィンは特に気にはしなかった。
「ここの本の中に魔法の教科書とかあるの?」
「魔法?あー、どこかにはあると思うぞ?アルが今のマナくらいの歳になったら父さんが教えてやるからその時までに探しとくよ」
「やった、早くマナ姉くらい大きくなるね!」
「ああ、父さんも楽しみにしとくよ!じゃあ姉ちゃん達の後を追うとしよう!」
そういってウィンとアルは書斎を背に外へ向かった、抱き抱えられたアルの視線は閉じられた書斎にじっと向けられていたことに気づいたものは誰もいなかった。
その日の夜、アルは部屋を初めて抜け出した。
『隠密Lv.1を取得しました』
部屋を出ると廊下は暗く今にも世界を飲み込みそうな深い闇が続いてる。
小さく灯る光が等間隔に壁から放たれているがせいぜいその周りを照らすことが限界のようで足元は辛うじて踏み出す場所が見える程度だ。
新たに得たスキルの機械音声を無視し、アルは目的の書斎へ細心の注意を払いながら物音を立てず息を殺して向かうのだった。
【気配察知】の能力は大体半径5mほどの生物の存在を把握できる、見回りはさすがにいないが家政婦や執事など、この屋敷に寝泊まりする家族以外の人物への警戒を怠らないように慎重に進む。
途中背後で扉が開き廊下には光が広がった、アルは思わず近くにあった置物の影に隠れその扉からミュラが出てくるのを確認した。
扉を開けたまま、隣の父と母のいる部屋に入っていくと入れ替わる形でルーシーが廊下へ出てミュラの部屋に入り明かりと扉を閉めて自室へ戻っていった。
ふぅ。とアルは息を吐く。
【気配察知】は見たり聞くということで本領を発揮する、何かをする気配を感じ取るというのがこの能力で索敵能力という面ではかなり雑な能力なのだ。
ミュラの存在には気づいていたが扉を開けて出てくるというの細かなものまでは判断がつかなかった。
書斎までにあった危険はその程度で特に誰かと鉢合わせることなく無事に到着した。
ドアノブに手をかけ音が鳴らないようにゆっくりと回し扉を引く。人1人入れるかどうかの隙間ができるとそこへスルリと入り込み、静かに扉を閉じた。
暗闇。入った書斎には明かりは一切なく、目の前にはただの黒が広がる。あいにく手元に火を灯すものなどあるはずもなく、あったとして書斎で使うほど大胆な行動をアルは取る気がなかった。
『暗視Lv.1を取得しました』
しばらく暗闇を見続けていると機械音声が聞こえ、その瞬間、周りの景色が突然として現れた。
「うぉぉぉ」
まるで明かりが灯っている、そう錯覚したくなるほどに部屋の中は鮮明に見えるようになった。
数秒だがアルは改めて自分の能力に凄さを感じ呆けていたが目の前の大量の本数々のを見て我を取り戻した。
――――この中から魔法の本か。
自分身長の遥か上まである本棚の中、アルは何故か自信ありげに目の前本棚へ向かった。
「運良くなってるし適当でもすぐにみつかるな」
そう言って適当に本を数冊取りペラペラと本をめくって読んでいった。
【激運】これは神に頼んで付与してもらった能力だ。
アル――男がまだ転生する前に考えたことは産まれた先がどんな家庭かだった。持ち前の不運が消え、加護をもらったがそれでもやはり誰にでも不運は訪れる。
その一回の不運で死んだ男としてはどうしても産まれ先で失敗はしたくなかった。
上手いこと神に頼み得たのは幸運を超えた激運。
そのおかげか、こうして豪華な屋敷で生を受け不自由なく暮らすことができていた。
男がアルとして生活するなかで【激運】の効果はあらゆる場面で効果が発揮されていることもすでに経験済みであった。
だからこそ目的の本などすぐにみつかると思い余裕を浮かべていた。
しかし、その予想に反するかのように魔法とは縁のない歴史や研究データといったものばかりの本をアルは引き当てる。
「これもちがーう」
10冊ほど読み漁り【速読】の能力を得たが肝心の魔法に関しては一切手がかりがないままこれ以上の長居はできないとアルは仕方なく書斎を出て部屋へ戻っていった。
そして話は5ヶ月後、冒頭から数週間前に戻る。
2歳になったアルは未だに書斎へ通っていた。
魔法の本は未だに見つかってはいないがアルはそれ程気には止めていなかった。
【激運】が作用していないことは疑問ではあったがそれでも書斎へ通い始めてから上がっていなかった能力のレベルが全体的に上昇をしていたのだ。
《スキル》
《Lv.1》
【耐性】 痛覚耐性 空腹耐性 寒冷耐性 毒耐性
【絶対音感】【体温感知】
【視覚】望遠
【瞑想】【破壊工作】...etc
《Lv.2》
【反響定位】
《Lv.3》
【強化】 全身強化 脚力強化 腕力強化 握力強化
【気配察知】【視覚】暗視【記憶保存】
【速読】
《Lv.5》
【言語】翻訳 通訳 解読
【隠密】
《Lv.×××》
【激運】【神の加護】【悪魔のささやき】
実際魔法を覚えることは急ぎたかったが能力が上昇することで新しい使い道というものも見えてくるせいでアルは魔法をそれほど重要視しなくなっていた。
そこからもしばらくは魔法の本探しを継続はするものの目的はいつしかレベル上げへと変わり始めていた。
どんな本も一度は読むため【言語】の能力が自身の中で最高のLv.6へ上がったことはなんら不思議ではなかった。
翌る日の夜、いつも通り書斎へやってきたアルは【暗視】の能力で闇に飲み込まれた部屋を昼間のような明るさへ変え調べ終えた続きの棚から数冊手に取りパラパラと本を読み始めた。
「誰かいるのか」
重々しく警戒した声がアルの背後――書斎の入り口から投げかけられた。
あまりの突然さに慌てふためくアルに対し、扉の前でじっと闇を見つめる男は至って冷静であった。
男が扉横の石に手を当てると室内はパッと明るくなる、いつもと変わらぬ書斎だが1つの棚から数冊抜かれた本が地面に置かれてその側には息子のアルが複雑そうな顔でこちらへ苦笑いを浮かべていた。
警戒を解きウィンは安堵した反面何故アルがここはと言う疑問でしばらくかける言葉がみつからなかった。
数秒の沈黙の後口を開いたのはウィンだった。
「アル、なんでこの部屋に…?」
「えっと。本を見つけたくて…こっそり隠れてきました」
怒気の混じった声であればアルは少し言い訳しようともしたが父の心配そうな表情と単純な疑問に思わず本当のことを答えてしまっていた。
「本って、もしかして前言っていた魔法のか?その手の本がそれなのか?」
「いや、これは違う本だよ。父さまの言う魔法の本はまだ見つかってない…です」
そう言ってアルは手に持ってた本をウィンに手渡した。
「『リグリット 繁栄と衰退の足跡』か。これ読めたのか??」
「うん…一応全部読んだ」
その言葉を聞き数ページランダムで開いて読むウィンをアルは黙って見つめるしかなかった。
「なんというか、怒る気だったがアル。お前はもしかしたらすごい才能の持ち主なのかもしれんな、わずか2歳でこの本を読むのはありえないことだぞ」
本を閉じ、アルと顔を向き合い続ける。
「文字は共通言語ではないものに翻訳されてるし、内容も理解するにはそれなりの知識が必要だ。正直に答えてくれよ。ここの本どれくらい読んだ?」
「えっと…」とアルは入り口付近の棚を指差す。
「そこから僕の後ろの棚までの本読んだよ」
この部屋に何冊の本があるかなどウィンはすでに覚えてはいないがアルの示したこの部屋の半分の棚全ての本を読んだというのならば数千冊は優に超えるだろうというのはわかった。
「はぁ…お前は一体いつからこの部屋に来てたんだ」
想定外の冊数にウィンは思わず息を吐いた、そしてアルがやはり普通ではないことを改めて感じざるを得なかった。
「父さま…怒ってる?」
悩む父親にアルはいつ怒鳴られるのかという恐怖心を少なからず感じていた。
「怒る気もなくなったよ。それよりもアルの才能をこんなところで潰すようなことはしたくないからね」
そういってアルの頭に手を置く、一瞬アルはビクッと体を硬ばらせるが撫でられるとわかりすぐに緊張を解いた。
「ちょっと過保護になりすぎてたのかもしれないな。父さんの空いてる時間の時に魔法や戦闘訓練しようか。マナにはそろそろ始めようと思ってたけどミュラもアルも一緒に始めることにしよう!」
「ほんと!?」
パァっと明るい表情をしたアルにつられてウィンも思わず口元が緩むことがわかった。
「とりあえず、今日はもう寝て明日から少しずつ始めていこうな」
「うん!」
下に置いてある本を戻しウィンに差し出された手を握り書斎から廊下へ出た。
ウィンが去り際に扉横の石へ触れると書斎の明かりは消え部屋は闇に包まれた、パタンと乾いた音とともに扉は閉まり2人の足跡だけが廊下にひっそりと響くだけであった。
「母さんには父さんから説明しとくから怒られるのは覚悟しとけよ」
部屋に戻りアルがベッドへ入るのを見届けると最後にウィンが意地悪そうに告げ部屋から出ていった。
――――バレちゃったな。
【気配察知】を常に使用していたがそれでも気づかなかった辺りウィンはかなりの腕前だというのはよくわかった。気配を消されては意味がないことを知れたのはいい勉強になり、見つかったことで魔法や戦闘訓練が始められるのだから結果良ければ全て良し、といったところだろう。
【激運】の効果のおかげか定かではないがそれでも運が良かったと思えるということはきっとその効果はあったんだと思う。
兎にも角にも明日から新しい能力を得る可能性が広がることは楽しみで仕方なかった、好奇心に胸を躍らせ夜は深く朝へ近づいていくのだった。