贅肉の下にも筋肉はあるのですよ
街の少し外れ、宮殿と呼ぶには質素だが豪邸と呼ぶには物足りない出で立ちの建物がそびえ立つ。ここは王族直下の騎士隊長が代々住み着いていた。
先代から受け継いだウィン=ヴィル=エルシュタインは騎士隊長に任命されてから5年、この家で暮らすことに誇りをもって生きていた。
周囲からは歴代最強の戦士ともてはやされ、今ではこの国の王よりも有名とまで言われるほどに活躍は各国へ行き渡っていた。
「父上ー」「パパ様ー」
そんなウィンにも愛する愛娘が2人。庭先で剣の素振りをしているところへ長女のマナと次女のミュラが小さな身体を懸命に動かし走ってウィンの元へやってきた。
「おっ、お姫様たちどうした?2人だけでここにきたのか?」
「ううん、ちがうよ!母上とアルも一緒!」
マナの言葉とミュラの指差す方向にはウィンの妻ルーシーとその胸の中にはつい一月前に産まれたばかりのアルが抱かれていた。
「こら、2人ともお父様は訓練中よ、邪魔したらダメでしょ?」
注意するがその声色は優しく穏やかだ。
「いや、いいんだよ。訓練という訓練はもう終わったさ、今のは最後のストレッチみたいなものだ。散歩でもするのか?それなら俺も一緒にいこう」
マナとミューラを抱きかかえると「出発ー」「ゴー」と2人の可愛らしい声を耳元に受けウィンは気合をいれている。
「ふふ、ありがとウィン。じゃあ少しだけ散歩してマナとミューラはお父様と一緒にお風呂ね」
その言葉にパァっと2人の表情は明るくなり足をバタバタとさせ早く早くと急かす。
「よし、じゃあ行くぞー!」
ウィンはそんな2人のために走ったり飛んだりと素振りよりも激しい動きで娘たちを喜ばせていた。
ルーシーの胸で眠るアルはそんなことを知る由もなくただスヤスヤと眠りにつく、そんな幸せな時間がルーシーにとってかけがえのないものであった。
神域から送り出された男の意識はしばらく遠のいていた、はっきりと自分の体が赤子になっていると気づいたのは生後2ヶ月ほど経ち視覚が少し鮮明になってきた頃だった。
身体の重さと口元の覚束無さはどれも経験のした記憶のない感覚に襲われていた。
「○*・€%%?」
なんとか動かそうと手足をジタバタとしているとそれを覗き込むように1人の女性が話しかけてきていた。
しかし言葉は理解できない。
「あぅ、あーぅ」
声を出すにも舌が回らないせいで言葉という言葉は発せない。
「☆♪€*☆♪♪」
女性は微笑みおもむろに赤子を抱き上げ衣類をたくし上げ乳房を露わに、そして乳頭を赤子の口にあてがった。
男の意識とは別に赤子の体はそれを欲していたように吸い付き上手く哺乳をした。
突然の行為に男は意識下ではやましい気持ちにもなるかと思っていたが、実際性的興奮もなにも感じないただの食事という感覚にしかならなかった。
飲み終わると突然の眠気に襲われる、女性は赤子の背中をさすりながら揺り籠のようにゆらゆらと動いていた。
ケフ。と体から空気が漏れた時には男の意識はすでに闇の中へ沈んでいた。
「寝ちゃったか?」
ルーシーの背後から小声で問いかけるのはお風呂上がりでバスローブ姿のウィンだ。
「ええ、今ちょうど。母乳もしっかり飲んでお腹いっぱいになったみたいよ」
「えー、寝ちゃったのー?」「たのー?」
ウィンの後ろからひょこっと出てきたのはパジャマ姿のマナとミュラ、顔が赤く火照り髪も少し濡れている。
「ふふ、ちょっと遅かったわね。ほら寝てるでしょ?」
マナとミュラに見えるようにルーシーはしゃがみこみ抱いているアルを2人に見せる。
「ねぇ、母上触ってもいい?」
マナが目をキラキラとさせてルーシーに尋ねる。
「えぇ、お姉ちゃんだよって教えてあげなさい。ミュラも手に指当ててごらん、ギュってしてくれるわよ」
言われたようにミュラは指をアルの手のひらに当てるとギュっと握りしめられた、マナは優しく頬や腕などを柔らかそうなところをプニプニと触っていた。
そんな微笑ましい光景をウィンは後ろから見ていた。
いつまでもこんな日が続くといいと思う反面、自分が守っていこうと新たな決意を固め、ウィンもまた輪の中に入りアルと触れ合い始めるのだった。
ある日、頭の中で機械音声のような無機質な声が響いた。
『スキル言語通訳Lv.1を取得しました』
この日から男は自分が誰であるのかようやく理解し始めた。