6話 魔の手
部屋に入ったミュラルティは異変を感じた。
血の匂いがする?
灯具に手を伸ばすと「どうかそのままで」と声を掛けられた。
「誰かいるの?」
警戒しながら中ほどに進むと、蹲る人影がぼんやりと浮かび上がっている。
「ミュラルティ様のお力をお借りしたく、誠に失礼とは存じながらこちらで待機させていただいていた所存です」
ミュラルティには部屋付きの侍女も、勝手のいい小間使いもいない。
支払える金品を持っていないからだ。
鍵はかけてあったはずだけど、彼らにしてみれば有って無いようなものなのかもしれないわね。
警戒しながらもさらに近づくと、声の主の手にしっかりと抱きかかえられている赤い物体が、息も絶え絶えにミュラルティを静観していた。
諦めの浮かぶその目を、最近どこかで見た気がする。
「どういうことかしら」
声をかけながら、町に持っていくつもりだった荷物の中から薬箱を引っ張り出す。
小さな飴を赤い彼の口に突っ込むと、抵抗なく飲み込んだ。
貴族や富者なら知っている、命を繋ぐ薬だ。
「ひとまずの時間稼ぎにはなるでしょう」
「ありがとうございます」
「なぜ?」
「それは、なぜこんなことになっているのか、ということでしょうか。なぜここに来たのか、ということでしょうか」
赤い彼の従者と思われる者が口を開くと「両方ね」と先を促す。
薬を含んだ赤い彼は規則正しい息をし始めて、今は床に横たえられて夢の中だ。
「ミュラルティ様を訪ねたのは、貴女様が正しい王族の継承者の証を持つ者、だからです」
「正しい王族の継承者の証?」
そんなものあったかしら?
「先日のミュラルティ様の成人の儀の際、トゥルアンダ様に衣装を披露した時に私も近くにおりましたので、肩の文様を拝見しました」
肩の文様?
意味は分からないが、あとで知識の実を食して教わろう。今は彼の次に口にする言葉を聞いた方がいいと判断した。
「本日、エイブラム様が成人を迎え、女王に呼ばれたのです」
赤い彼はエイブラムという、私の異母弟らしい。彼の成人の儀を行ったのだろう。
「けれど、待てども待てども主は部屋から出てこず、庭隅にこの姿で打ち捨てられていたのです。息のあるうちに探し出せたのは奇跡でした」
探るような彼の眼は、私の表情から何かを読み取ろうとでもするように熱く深い。
「ミュラルティ様は、女王が王の名をお持ちではないかもしれない、という疑惑について耳にしたことはありますか?」
「いいえ。正直に言えば、私はこの国の王族や貴族に興味がないのよ。国民が飢えさえしなければ国の状況にすら興味を持たなかったわね」
でも、アリアンダは飢えている。私はそれを知っている。
そして、私はそれを知りながら何もできないでいる。私はあまりにも無力だ。
「女王の母ミギデンア様は、先王様以外の方と通じ子を儲けられたのではないかと言われているのです。そして、王族のおよそ半数はそのような出自が理由で偉大なる王の名を持たないと言われています」
先王の兄弟も子も未だ多く存在する、もう1つの町といっても過言では無いほど人の膨れ上がった奥の殿。
先王の寵愛が配られることはなく、悲しみに散っていった者も多い。
誘惑の糸に巻き取られ、身を落とす者がいても不思議ではない状況だ。
偉大なる王の名。
つまり、名の継承の儀式は真なる王の血筋を選別する儀式なのだろうか。
知識の声はあの時、それを隠せと言わなかったか。
ミュラルティの頭の中で、知識を隠すように覆っている膜がプチリプチリとはじけ飛んだ気がした。
そこから何かが溢れてくるような気がして眉間に力を入れる。
ここであの疲労感に襲われるわけにはいかない。
女王の周りを囲む彼等は真実の名を持たぬ者かもしれない。
疑問が疑惑に代わり、ミュラルティの心を支配していく。
ならば、なぜ正しく王の血筋であろうアリアンダの人々が迫害されはじめたのか説明がついてしまう。
女王がもし、かつての簒奪者と同じであるならば。
かつての簒奪者が恐れたという偉大なる王の血。
貴族や王族のみならず、決して絶やすことが無いようにと国中に広められたというその血筋。それが、アリアンダなのだ。
そしてエイブラムも正しく、偉大なる王の血筋に違いない。その命が狙われるほどに。
ミュラルティは従者を正視すると、彼の全てを知得しようと意識を傾けた。
「エイブラムを決して見つからぬように隠しておける場所に心当たりがあります。まだ何も整備されていませんが、女王の目からは完全に隠せるでしょう。どうしますか?」