5話 家族と呼べる人
「キャシー!」
こうして町に出てくるのも久しぶりになってしまった。
「あら、やだ。あんた髪を上げてるじゃないの」
ごつい身体にぎゅっと抱きしめられると潰れそうになる。
「ちょ、ちょっと苦しいわよ」
名前とは裏腹に筋肉質で大きな身体の全力の抱擁は、ミュラルティにはきつい。
「あら、ごめんなさい」
「私成人したから、髪を上げているだけよ」
そう、これを披露しに来たのだ。
キャシーが、細かい編み込みをピン無しでまとめ上げられているのをまじまじと見る。
「自分でやっているの?器用ね」
「ううん、妹が毎朝押しかけてきてやってくれるのよ」
そのせいでこうして町に出てくる機会が減ってしまったのだ、というミュラルティの不満げな言葉にキャシーが驚いた顔になった。
母が亡くなってから1人で過ごしてきたミュラルティを知っているからだ。
キャシーは、寂しい思いをしていたミュラルティの姉替わりをずっとしてきたのだから。
「そう、私は寂しくなっちゃうけど良かったじゃない。それに、成人したのならこうして2人で会ったりしたらダメだものね」
「どうして?」
全く警戒心のないミュラルティにキャシーはあきれの顔をみせる。
「あのねえ、こう見えても私がその気になれば、あんたを孕ませたりできちゃうのよ」
「……忘れてたわ」
なんともいえない顔をしてミュラルティを見てくるキャシーに「仕方ないじゃない」と唇を突き出す。
「はあ。まあ、今の王族にあんたみたいの、いないからねえ。この地区にいるのはみんな異国との混血か、私みたいな出来損ないばかりだし」
周りを見渡せば、つまらなそうな顔をしている者が増えた。
ちょっと前まではもっと明るい町だったのに。
「出来損ないなんて言うけれど、キャシーは子を産むこともできるし、産ませることもできるむしろ完全体だと思うわよ」
まあけれど、近年確かに、新しい女王の方針で彼らが急に異質な者として排除されるようになったのだ。
正しく純粋な国を取り戻す、らしい。
ミュラルティは、そういえばと思い出す。
「変な話よね。異国人と子を成せたり、キャシーみたいな完全体が生まれるのは古い時代の王族クロマ様の血筋を受け継いだ者だけ、なのに」
知識の実が教えてくれたのだから間違いはない。
むしろ正しい王族の姿、と言っても過言では無い気がするんだけど。
「あらそうなの?じゃあ、私も時代が時代なら王族だったってことなのね」
「本当ね!」
本当にそうだったらよかったのに。
そうしたら、あの城の中でももう少し楽しく過ごせたかもしれない。
自分とキャシーが一緒に過ごしている様子を想像してしまったら、思わず、本当に思わず言葉になって口から出てしまっていた。
「ねえ、もしも、もしもよ」
「なあに?」
「もしも、この国から離された場所があって、そこで私と暮らしていけるってなったら、キャシーは行きたい?」
キャシーは振り返った先に、今までに見たことないくらい真剣な顔をしたミュラルティを見て、ゴクリと喉を鳴らした。
「あら、なんて素敵な提案なのかしら。あんたにその覚悟が決まったのなら、この上ない幸せな夢よね」
「覚悟?」
キャシーと暮らすのに必要な覚悟?王族をやめるってことかしら。そんなこと全然嫌じゃない。
「成人してもあんた、そんなこともわからないんだもの。あまり残酷な夢の話を聞かせないで欲しいわ」
けれど、キャシーの小さな呟きでは、自分の考えに没頭していたミュラルティの耳には届かなかった。
☆☆☆
「なんだよキャメリス、まだそんな恰好してんのか?」
ミュラルティが去った後、キャシーに近寄ってきたのはこのアリアンダ地区をまとめている町長の息子、ダリアンだ。
「人の趣味に口出ししてるんじゃねーよ」
こうでもしていないと、ミュラルティと会えなくなっちまう。
「あの様子だと、あの子は何も知らないんだろうな」
あの子とは、つまりミュラルティのことだ。
「だろうさ。じゃなきゃこんな所に顔なんか出せるか。王族なのに」
「だな。昔から知っているから、恨む気にもならんけどな」
とダリアンが呟く。
1人で涙をこらえて立ち続ける彼女を、見守ってきたのは彼らもなのだ。
「男は嫌い」と言われて、遠巻きにしかかかわれなかったけれど。
あの時はこの町も、まだ普通の町の1つだった。
いつの頃からか、迫害の始まったこの町に、物資の届かないこの町に、彼女が自分の蓄えの中からこっそりと食料や衣料品などを置いていってたのも知っている。
自分と同じくらいの子どもが楽しそうに遊んでいるのを、羨ましそうに見ていたのも知っている。
けれど、どんなに恩があっても近寄ることができない。
事が公になれば、処刑されるのは彼女だからだ。
「俺らの覚悟は決まっている。我慢が限界を超えれば反乱も起きるだろう。走り出したら止められねえ。その時、お前はあの子を抱えて遠くに逃げろ。俺らにとって王族も貴族も敵だ。あいつらにあの子のやっていることがばれれば、国王への反意と取られる。処刑対象になっちまうんだぞ」
「知ってるさ」
キャシーは拳をぐっと握りこんだ。
おかしいのは貴族や王族だけではないのだ。
平民の中にだって、狂信的に国王を支持する層がある。あいつらとはもう、普通の日常の言葉すら交わせない。
明らかに異様、だ。
「ああ、力がほしいなあ」
愛しい彼女の笑顔を守れるだけの。