第8話 大胆な弟子
ふと考えこんでしまうのは悪い癖だ。そんな俺を、フェリアは顔を赤らめ、優しい目をして見つめていた。
『先生は先生だ』と言ってくれたことの意味を、さっきは深く考えていなかったが――それは、フェリアが俺という人間を、ありのままに肯定してくれているということだ。
「……私が先生に、色々なことを教わるためにお礼をするのは、当然のことなの。『しょうかん』の女の人にはかなわないかもしれないけど……い、いえっ、私だって、女の人が男の人をいい気持ちにする方法は、ちゃんと知り合いの女の人から教えてもらっているから。私がまだ十三歳だからって、遠慮しなくていいのよ」
「っ……え、遠慮というかだな……コ、コホン。じゃ、じゃあフェリア。いい気持ちにするというのは、世間的に問題のない範囲で頼むぞ。フェリアの作る美味しい料理を食べて気持ちがいいとか、そういう方向で……」
「何を言ってるの? それはいい気持ちじゃなくて、美味しいだけじゃない。先生はいい気持ちと美味しいの違いもわからないの?」
「ぐっ……か、賢いな……そんな細かいところを指摘してくるとは……」
「細かくないわ、明らかに違うもの。先生、私を子供扱いしてもだめよ。ちゃんと色々と勉強して、『いっぱん教養』を身につけているんだから」
えへん、と胸を張るフェリア。それ自体は大変可愛らしく、胸も当たり前ながら小ぶりなので揺れたりはしないのだが、起伏は確かにあって、十三歳という年齢の無限の可能性を感じさせる。
健全なおっさんであるところの俺は、『永遠のロ◯中堅』と呼ばれることだけは避けたいのだが、率直な感想を述べるなら――俺の弟子フェリアは、掛け値なしに可愛い。
そう、『可愛い』なら別にいいではないか。適切な距離を保って愛でながら、一人前の冒険者になるまで育ててやる。それなら何も問題はないのだから……とようやく結論に辿り着くと、きゅるる、という音がどこからか聞こえてくる。
「あ……わ、私じゃないわ、先生のおなかが鳴ったのよ」
「ははは……俺の腹はそんな可愛らしい音は出さないがな。じゃあひとまず外食で済ませて、次からは自炊をするとしよう」
「はい、先生! 私、冒険者のお仕事も、お掃除も料理も頑張ります!」
たまにしっかり敬語を使うと、ますます可愛らしさが増す――頭を撫でてやりたくなるが、甘やかしてばかりだと少女とイチャイチャしているようなので、ひたすら自重するほかはなかった。
◆◇◆
街の食堂で『欲張りステーキセット』を頼み、フェリアには口に合いそうなものをじっくりと選んでもらって、『白身魚のポワレセット』にした。この食堂は男性冒険者に熱狂的な人気があり、男気に溢れたメニューが揃っているが、幾つかは店主が奥さんや娘に味見をしてもらって仕上げた、女性向けのメニューも出されている。
フェリアは大層満足したようで、帰り道でもずっと上機嫌だった。買い出しもしてきたので、彼女は小さい布袋を一つ、俺は大きな袋を二つ担いで、並んで帰途に就く。一つは元の部屋から運んできた、身の回りの手荷物だ――元々物を増やさない主義だったので、袋一つで収まってしまった。
「ふんふんふ~ん、ふふんふ~♪」
「なかなかいい歌だな。どこかで聞いたことあるような……」
「ふぁっ……い、今のは違うの。なんとなく歌っただけで、元からある歌じゃないわ」
「そうなのか? まあ、それにしても歌は上手いな。歌姫でもやっていけるんじゃないか」
「そ、そう……? じゃあ、先生が知らないうちに練習しておくわ。何かの役に立つかもしれないし」
並んで歩いていると「おい、あれ……」「親戚同士とか、兄妹じゃねえか?」「いや、グウィンの隠し子だろ」と話し声が聞こえてくる。フェリアは才能ある冒険者の卵であり、俺は彼女を育てさせていただいているのだ、と喧伝したい気分になるが、そこまでへりくだると逆にフェリアに遠慮されそうだ。
そうこうしているうちに家に着く。家の鍵は二本あるので、俺とフェリアで一本ずつ持っている――彼女は扉を開けると、中に入るなり元気な声で言った。
「ただいま帰りました!」
「ああ、ただいま」
自分の家に帰るときに挨拶をするなど、ひどく久しぶりのことだった。セプティナと一緒に暮らしていた頃は、日常的に言っていたように思うが。
「先生、ここにお花を置いていい?」
「自由にしていいぞ。基本的には、この家を買う方向だからな」
「じゃあ、時間のある時に模様替えしていくわね。シーツも新しいのに替えてこなきゃ……先生、一緒に手伝ってくれますか?」
「ああ、勿論。風呂も沸かさないとな……フェリア、入るよな?」
「……ほんとはスライムでぬるぬるしてたから、ずっと入りたかったの」
そうだった――スライムの件があったのに、布で拭いただけであとは放置していた。核を破壊したあとのスライムはただの水に近いとはいえ、気分はあまり良くないだろう。
風呂の順番は『先生が先に入るのが当然』ということらしく、俺が先に入ることになった。バスタブに入れた湯が、少し熱めながらも何とか浸かれそうな温度になったところで、浴室にやってくる。
フェリアが先に入ってすっきりしたいだろうにと心配するが、早めに上がれば問題ないだろう。いつも風呂に時間をかける方ではないので、まず湯をかぶり、それから身体を洗い始めようとして――。
コンコン、と風呂の扉が鳴る。そう、これはノックの音だ。
「っ……フェ、フェリアか? どうした、やっぱり先に入りたいのか? じゃあ、俺はもう上がるからな」
油断していた――そうやって、こちらから答えを誘導してやれば、フェリアはそれに従うのではないかと思っていた。
だが、答えが返って来る前に、扉が開いてしまう。そして中に入ってきたのは、裸の上から、身体に布を巻いているだけのフェリアだった。
「……先生、お、お世話を……させてもらっても……いい?」
「お、お世話って……いや、先生と教え子というのは、そういうことをする義務はだな……っ」
「……いい、ですか?」
こうなると彼女は何を言っても聞いてくれないと、はっきり分かる瞬間だった。フェリアは猪突猛進だとセプティナが言っていたが、彼女の予想は全くもって正しかった。
「先生……やっぱり、迷惑ですか……?」
そんなふうに聞かれて無理やり追い出せるほど、俺は規律に準じた人間ではない。
ロ◯中堅のそしりを甘んじて受け入れる――というほど、覚悟は決まっていなかったが。適切な範囲内で一緒に風呂に入るしか、選べる選択がないのだ。
「っ……ま、まあその……背中を流すとかまでなら……」
「本当に? 良かった……先生、迷惑そうな顔をしていたから。私、先生にすごく感謝をしていて……」
「わ、分かった。その気持ちはよくわかった……でもな、一応俺も男なんだから、そんな格好で来ちゃ本当は……」
「そ、そんなことないわ。ちゃんとタオルも巻いているから、全然恥ずかしいなんてことはないのよ」
そう言うわりには、顔が真っ赤になっている。しかし俺も、あまり意識するのは逆にどうかと思い始める――フェリアが綺麗だからといって、十三歳の少女を意識しているなんて、その方がよほど問題だ。
(落ち着け、俺……そうだ、気にしすぎる方が良くない。フェリアが一人前になるまで面倒を見てやろうっていうのに、初日から動揺してる場合じゃない……!)
「じゃ、じゃあ……フェリア、背中を流してもらえるかな。そうしたら俺は、先に湯に浸かって上がるから」
「っ……はい! ありがとうございます、先生!」
許可を出した途端に、フェリアは満面の笑顔に変わる。そして風呂いすに座った俺の後ろに周り、しばらく沈黙する。
「……先生の背中、大きい……すごくがっしりしてて……これが、たくさん冒険者を続けて、強くなった男の人の背中なのね……」
「い、いや……冒険者としては平均的だと思うが……くっ……」
ぺた、とフェリアの手が肩甲骨のあたりに触れる。冷静でなくてはならないのに、無意味に二年間も続けた禁欲の日々は、触れられた感覚をいつもと違うものに変える。
意識するなというほど、反対の方向に向かってしまう。
それもこれも、フェリアの容姿が可憐にも程があるから――それとも、あまりに従順だからか。俺を先生と呼んで慕ってくれる状況に酔っているのか。いずれにせよ、フェリアの信頼を裏切らないための試練が始まろうとしていた。