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オーバーナイトローンの怪

作者: 羽野ゆず

 この記録は、黒志山こくしやま高校にまつわる『オーバーナイトローン(一夜貸)の怪』について、新聞部が体当たり取材をしたものである。




 2017年8月13日――夏。


 新聞部の部室で、僕は先輩の錦田にしきだに数Bの平面ベクトルを教えていた。


「ベクトルの矢印って、意味わかんねえんだよなあ。必要か、矢印」

 

 錦田はとっくに新聞部を引退したというのに、夏休み中も、わざわざ部室に通いつめ、受験勉強をしている。おまけに、2年で習ったはずの単元をすっぽり忘れて、後輩に教え直してもらっているという情けない受験生だ。


「あっちぃー、そろそろ帰ろうかな」

「そうですね」


 夕方の西日が直撃する部室の温度は、優に30℃を超えている。

 しがない公立高校の部室に、冷房がついているわけがなく、錦田と僕は、数式だけでなく暑さとも闘っていた。


「山田くぅん、いる?」


 帰ろうと腰をあげたところで、やってきたのが、同じクラスで図書委員の浜ヤンだ。

 彼は17歳男子にして、完璧なオネエキャラを確立している、ちょっと特別な存在である。

 

「やっぱり消えたのよぉ、あの本。ほら、今日から盆でしょ?」


 浜ヤンは頬に手を当てながら言う。そのオネエぶりが、あまりに堂々としているので、イジメなども受けてないらしい。その、ただでさえ青白い顔がさらに青ざめているように見えた。


「ああ、あれか。本当かよ」


「怖いわぁ。どうする?」


『あの』とか『あれ』という曖昧な単語で話す僕たちに、錦田が思いっきり顔をしかめている。

 引退したが、錦田は新聞部の先輩であるし、ちょうど良いやと僕は説明した。


「先輩、実はですね」


 事の始まりは、部室の掃除をしていたとき、僕が奇妙な冊子を見つけたことである。


『黒志山高校怪異の記録』


 鍵付きの引き出しの奥に、仰々しく仕舞われていたそれは、今から10年前に書かれたもののようであった。いわく、

 

『オーバーナイトローン(一夜貸)の怪


 毎年盆の時期になると、

 図書館の禁帯出本「黒志山高校開校50周年のあゆみ」が閉館前に忽然と消える。

それは、翌朝の開館前に、やはり忽然と戻されている。


 われわれは、古くから伝わる、この怪異について、取材を行うこととした。…………………』


 これだけ!

 いや、正確には、その取材を行った内容について書かれているはずのページが、墨汁で塗りつぶされているのだ。墨汁で、だ。

 それだけでも不気味なのに。塗りつぶされたページの端に、閉めの一文だけ残されており、


『後輩諸君に告ぐ。この怪異について取材してはならない。』


 と、ご丁寧に赤ペンで傍線まで引かれてある。


 こんなもの、新聞部記者の好奇心をそそらないわけがない!


 僕は、さっそく同じクラスで図書委員の浜ヤンに、この怪異について聞いてみた。すると、浜ヤンはあっさり、


「あらん、本当よ」


 と、認めたのである。


「実際消えたところを見たことはないけどね。去年の盆に、当番だった女子が『本がなくなった!』って騒いでいたし。先輩によると、毎年のことらしいわね」


「誰かのいたずらじゃないのか?」

「それがね、」


 浜ヤンが内緒話をするように身を乗り出してくる。


「数年前に、何者の仕業か確かめるため、記念誌を盆の間中ずっと図書委員の目に付くところに置いておいたの。そうしたら、本は消えなかった」


「なんだよ」


「でも、それから間もなく、見張りを提案した部長が、交通事故に遭っちゃったのよぉ!」


「……まさかそれが呪いだっていうんじゃないだろうな?」


「それからも何度か同じように見張りをしようとしたんだけど、そのたび部員の誰かに事故や病気やら災いが降りかかったらしいの。どう? 絶対に呪いじゃないって言える?」


「…………」


 気味が悪くなった図書委員たちは、記念誌を見張ることを止めた。

 ただ、毎年盆に、記念誌が一夜貸いちやがしされているという事実だけは確認され続けているらしい…。


 浜ヤンによると、この件は、図書委員の間では口に出すこともタブーになっているという。よって、ごく限られた人間しか知らないのだ。


 僕は浜ヤンに、記念誌が消えるようなことがあれば、すぐに連絡してくれるよう頼んでおいた。

 そうして、今――実際に記念誌が消えたので、伝えにきてくれたというわけだ。


「面白そうだな、それ。で、山田はどうするつもりなんだ?」


 さっそく興味をひかれたらしい錦田が、ギラギラした目で聞いてくる。


「図書室に忍び込んで、一晩見張っていようと思います」

「カメラはあるのか? ビデオもあった方がいいな」


 ビデオはない、と伝えると、錦田はとっくに帰宅していた1年生の蟹江かにえをスマホで呼び出した。


「お前、ビデオカメラ持ってるだろ? ちょっと持ってきてくれないか? それからな、コンビニで適当に食糧を買ってきてくれ。金は払うから」


 蟹江は少し渋ったようだが、了承したようだ。

 実は僕も、怪異の真相を確かめるため、蟹江に協力を頼もうと思ったことがある。だが、やめた。それは奴が、筋金入りの怖がりだとわかったからだ。

 少し前、部員の誰かが怪談を語り始めたとき、蟹江は全力で怯え、耳を塞ぎながら「あ~あ~」と大声で唸っていた。中学時代は、きもだめしでチビッたこともあるらしい、噂だけど。




 時刻はすでに5時を過ぎている。

 夏休み期間は、6時に校門が閉じられる。それまでに、僕らは図書室に忍び込み、施錠前に見回りにくる教師から身を隠さなければならない。

 僕らは図書室へ向かった。


「もう閉館だぞ」


 図書館にほとんど人は残っていなかった。貸出しの手続きをしながら、図書委員が声をかけてくる。隣のクラスの小杉だ。


「もしかして、記念誌のことを調べにきたのか?」


 小杉とは同じ中学出身で顔見知りだ。

 いかにも運動神経が鈍そうな小太り体型だが、頭の回転は速い。

 

「実は」と、僕は誰もいなくなった図書館で、口早に小杉に説明した。すると、小杉は「おれも参加させてくれ」と頼み込んでくる。


「おれも、あの怪談は前から気になってたんだ」

「お前がそんなことに興味があったなんて、意外だな」

「いや、知名度の低さが気に入らない。本当に幽霊が出たら、人寄せになっていいだろ」


 不敵な笑みを浮かべて、こんなことを言う。

 そうこうしているうちに、蟹江がコンビニの袋を抱えてやってきた。


「部室に行ったら誰もいないんですもん。こんなところ何してるんですか、もう学校閉まっちゃいますよ」

「いいから、お前、今夜俺んちに泊まるって家に連絡入れろよ」

「は?」

「今日はここで一夜を明かすんだ」

「ええ? 図書館で? な、なんで?」


 いぶかしむ蟹江をあしらい、錦田は蟹江からビデオカメラを受け取り、にやりと笑った。

 図書室の閉館時間になり、小杉と浜ヤンが顧問の先生に挨拶し、帰宅した――ふりをして戻ってくる。

 夕陽のなか図書委員会室で、僕らはコンビニのパンやおにぎりを頬張った。


「ねえん、本当にユーレイが出たら、どうしよう~」

「ええっ、幽霊ってなんですか!? 何をしようとしてんですか、あんたらは!? ぼく帰りますっ」

「ダメだ。先輩命令だ、お前は撮影係だからな」

「ひぃぃ」


 まるでお祭りさわぎだ。

 こんなんで、怪異現象に立ち向かえるのだろうか。


「浜ヤン、消えた記念誌はどこにあったんだ?」


「すぐそこにある棚に、並べてあったのよん。昼過ぎ見たときは、確かにあったのに、いつの間にか無くなってたの」


 お握りを頬張りながら、浜ヤンが正面に見える棚を指さす。

『黒志山市に関する書籍』という掲示とともにコーナーが設けられていて、そこには黒志山市に関する歴史書や、市で発行している広報などが収められている。棚の端に、ちょうど3センチあまりの隙間があり、そこに問題の記念誌は存在していたらしい。


「誰かのいたずらじゃないのかな」

「図書委員が怪しい」

「それはないわ! 図書委員は、記念誌を手にするどころか、目にすることも避けてる。ほんまに怖がっちゃってるんだわさ!」


 好き勝手言う僕らに、浜ヤンが変な言葉使いで一喝し、「実はね」と続ける。


「書架整理のとき、アタシもその本に触れたことがあるの。そしたらね、なんていうのかしら、ぞわっと肩が重くなるような変な感じがしたのよね~」

「ちょっ、マジですか、それ!」


 しかし、本当だろうか?

 怪異現象を期待している僕ではあるが、幽霊の仕業とはにわかに信じがたい。


「見張ってればわかるだろ。幽霊の仕業にしろ、人間の仕業にしろ、さ」


 錦田が不敵に言う。

 やけに落ち着いている先輩が頼もしく見えた。何だかんだいって、僕も緊張しているのだろうか。

 やがて、戸締り担当の教師が見回りに来て、図書室の鍵が閉じられた。内側からでも鍵は開けられるので問題はない。


「なんだ。蒔田まきたかよ」


 見回りに来たのは、偶然にも新聞部の顧問だった。

 蒔田先生は、図書室の扉を開けて、少し見回すと、すぐに扉を閉めた。これじゃあ本当に不審者が隠れていても見逃すに違いない。


 昼間に猛威をふるっていた太陽が落ちると、薄暗くなるのはあっという間だ。

 浜ヤンが図書委員会室に備えてあった懐中電灯を点ける。仄暗い灯りで、ぼおっと5人の男子生徒の顔が浮かび上がった。


「うぅ、暗いな。電気を点けましょうよ」

「アホか。外から丸見えになるだろう」


 蟹江の泣き言を、錦田が一蹴する。生意気な蟹江も、3年生の先輩には抵抗できないらしい。




 夜が更けてきた――。

 僕は、記念誌があった場所からなるべく目を離さずに、図書館を歩き回る。


「新聞部2年生の山田です。僕は今、『オーバーナイトローンの怪』の真相を確かめるため、夜の図書館に忍び込んでいます」


 抵抗を諦めた蟹江も、ビデオをナイトモードにして実況する僕の姿を撮影していた。


「図書委員によると、『黒志山高校開校50年のあゆみ』は夕方頃に忽然と消えたということです。はたして、その本は、いつ、誰に手により、戻されるのでしょうか?」


 一通り喋り終えると、蟹江がビデオを止めて聞いてきた。


「山田先輩、そもそもオーバーナイトローンって何ですか?」

「禁帯出(貸出禁止)の本を、その日の閉館から翌朝の開館まで特別に借りられる、という制度よ。日本じゃ、あまり普及してないけどね」


 図書委員の浜ヤンがかわりに説明してくれる。


「そういえば何故、その記念誌が消えたり戻ったりするのかな。記念誌自体に何かいわくがあるのか?」


 弾丸取材も良いところで、僕は、ほとんど下調べをしていなかった。浜ヤンも知らないらしく首を振ったので、図書委員会室でお茶を飲んでいる小杉に聞く。


「おれもよく知らないんだけど……その、記念誌に名前が書かれている女子生徒の霊の仕業じゃないかって噂は聞いたことがあるな」

「女子生徒…? 記念誌に名前が載るっていうことは、編集委員か何かだったのかな」

「さあ。その由来自体は、図書委員の間でも広まっていないんだよ」


 おかしな話だ。

 怪談というものは、大抵、現象とともに由来もセットになっているはずだ。例えば、無人の音楽室でピアノが鳴る→発表会を前に亡くなった女子学生の霊の仕業、って具合に。

 そうでなければ、怖さも半減だからである。

 

 しかし、なぜだろう?――僕は今、由来がはっきりしない、ということに底知れぬ怖さを感じているのだ。


 そのときどこかで、かんっ、という金属の乾いた音が聞こえた。


 途端、空気が歪んだような重たくなったような、おかしな感覚に襲われた。このときは気のせいと思ったが、後々この予感は正しかったと証明される。


「ねえっ、今、何か聞こえましたよねっ!?」


 突如響いた金属音に、蟹江が真っ先に取り乱す。


「ああ、ここは特別棟だからな。家庭科室の鍋でも落ちたんだろ」

「違う! そんな平和な音じゃなかった! もっと金属バットとかがぶつかったような音だった! やばい奴らが来たっ!!」

「奴らって、誰だよ」


「落ち着けよ」と肩を掴んだ僕の手を、蟹江は乱暴に振り払う。


「だから嫌だったんだよ、夜の学校なんて!! 帰る! 帰ります!!」


 怒り狂った蟹江が図書室を出ていこうとしたとき、居眠りをしていた錦田が騒ぎに気づいて起きてきた。


「おい、どうしたんだよ……ん?……おいっ!」


 寝ぼけた顔でやってきた錦田の表情が突然こわばった。

 そして、ものすごい勢いで例の本棚に近づき、悲鳴を上げる。


「本が戻ってきてる!! おいっ、これが記念誌じゃないのか!?」


 錦田が本棚から立派な装丁の本を取り出して、僕たちに向かって掲げた。

 一同、それに釘付けになる。


「ほんとだ…!!」


 図書委員の小杉と浜ヤンが唖然とした顔で目を見開いた。

 いつの間に――?

 僕はひどく混乱する。僕らが目を離したほんの僅かの隙に、それは元の場所に返却されたのか。


「何やってんだよ、お前らっ!! ちゃんと見張ってなかったのかよ!?」


 自分は寝ていたくせに。怒りまくる錦田に一瞬呆れたが、そんなことをしている場合ではない。図書室を出ようとしていた蟹江の首根っこを引っ張り、「撮れ!」と指示する。そして、僕も、戻ってきた記念誌をカメラに数枚収めた。


「もし、この中に、記念誌を自分が戻した、という奴がいたら名乗り出ろ!」


 沈黙の後、錦田が一同を見回す。

 名乗り出る者はいない。


「不審な行動をしている奴はいなかったか? 遠慮は必要ないから、俺にチクれ! ちなみに俺はさっきまで寝てた!」


 それは威張って言うことではない。

 僕に言えるのは、自分ではない、ということだけだ。蟹江はずっと怖がって僕の近くにいたし……。

 浜ヤンにしても小杉にしても、誰にも気づかれず記念誌を戻すことなど不可能だったのではないだろうか?


「…………」


 結局、さらに重い沈黙が下りただけだった。


「!」


 そのとき、また、どこかで、カーン、という金属音が響いた。静けさのなかの異音は、一同を凍りつかせた。


「またあの音だっ!」


 蟹江が「ひぃ」と唸り声を上げる。そして、さらなる恐怖が僕らを襲った。


「おいっ、なんか光ってるぞ!」


 図書室のガラス扉の向こうに、人魂のような灯りが見え隠れしている。

 僕らのモロい精神はそこで限界を迎えた。


「う、うっ、うわあ!」


 蟹江が叫びながら図書室を飛び出して行った。


「ひ、人魂だーっ!」


 次に、小杉がオシッコを漏らしそうな姿勢のまま後退し、蟹江の跡に続く。


「きゃああああああっ、ユーレイよっ!!」


 浜ヤンが物凄い力で僕の腕にすがりついてくる!

 メチャクチャな恐怖と気色悪さのなか、僕はさらに、驚くべきことに気が付いた。


「記念誌が、また、無くなっている!!」

「なにっ!?」


 カウンターの上に確かに置かれていた、記念誌がまた無くなっているではないか。

 返却されたはずの記念誌がまた消えた!? 戻ってきたり、消えたり、この現象は何度も繰り返されるのか!? そんなのアリかよ!?

 

残された僕たちは顔を見合わせると、示し合わせたように、図書室から飛び出て、全力で玄関へ走った。


「きゃあああ、あうううううっ」


 浜ヤンが途切れ途切れに悲鳴を上げながら走っている。錦田はよだれを流しながら走っている。僕も鼻水くらいは出ていたかもしれない。

 皆、一刻も早く、ここから離れることしか考えていなかった。


『この怪異について、取材してはならない』


 新聞部の先輩たちが残した一文が今さらのように思い出された。

 やはり、これは、僕らごときが触れて良い、事件じゃなかったのだ。


 生徒玄関に着くと、蟹江と小杉が茫然と立ち尽くしている。


「玄関が、開かないんでしゅっ」


 鼻水を啜りながら蟹江が、鍵がかかった扉を指さした。


「職員用玄関だっ」


 錦田の判断で、一同は職員用玄関へ向かう。幸いにも鍵はかかっていなかった。

 皆で競い合うように扉を出たところで、ばさり、と何かが落ちる物音がした。


「ああ!」


 小杉が蒼白になって、それを拾い上げようとしている。

 向けられた懐中電灯で照らされたそれは――なんと、記念誌ではないか!! 

 嫌な予感がした。

 一同は無言のまま、小杉に鋭い視線を向けた。


「……お前、まさか」

「許してくれっ、悪気はなかったんだよ!」


 激怒した錦田が素早い動きで、小杉の襟首を掴み上げる。


「お前が隠したのかよっ!?」

「う、戻ってきた記念誌がまた消えたら、うぅ、さらに盛り上がると思ったんです……つい、出来心で、許して」


 小杉は、豊満な腹肉とシャツの間に、それを隠していたらしい。


「いくらデブだからって、こんな隠し方をしやがって! お前は最低のデブだよ!!」

「す、すいませんっ」


 怒り狂った錦田はよくわからない怒り方で、小杉を責めている。

 いまや、場は一気に白けた。


「でもっ、それだけだ! 記念誌が消えたのも、戻ってきたのも、おれがやったことじゃないんだよ!!」


 もはや小杉の発言を聞く者は誰もいなかった。


 『茶番』――

 その二文字が、僕の心を暗く支配していた。まったくなんという茶番劇だったんだろう。


 蟹江が死んだ表情のまま、背を向けて去っていった。浜ヤンもそれに倣う。


「おいっ、お前ら何をしてるんだ!」


 突如まばゆい光とともに怒号が飛んできた。

 帰宅したと思っていた蒔田先生の声だ。まだ学校に留まっていたらしい。


「やばいっ、逃げろ!!」


 先ほど見えた人魂らしき光も、奇妙な金属音も蒔田によるものだったのではないだろうか。いっきに恐怖心が吹き飛んだ。


 白けきった僕は、小杉と記念誌を放置したまま、死にもの狂いで学校を去った。




 翌朝――


 しっかり顔を確認されていた僕らは、蒔田先生に呼び出され大目玉を食らった。


「で、何か起こったのか?」


 ひとしきり怒り終えると、蒔田はなぜか神妙な表情で聞いてくる。


「記念誌がなくなって、それから戻ってきて……でも、それは全て小杉の仕業だったんですよ」


 ふてくされて言うと、蒔田は「小杉からも事情は聞いた」と頷く。あの後、アホな小杉は蒔田に捕まり、詰問を受けたのか。いい気味だ。


「だが、小杉は最後に記念誌を隠したのは認めたが、他は自分の仕業じゃないと言っていたぞ」

「信じられると思います?」

「去年も、その前の年もずっと、記念誌は消えたり戻ってきたりしていたんだろう? それも全て小杉の仕業か?」

「…………」


 僕と錦田はふくれっ面のまま黙っている。おおかた、図書委員の誰かがイタズラをしていたんだろう。人騒がせな奴らだ。


「あのな、お前らもう取材やめとけ」


 蒔田は髭の濃い顎を摩りながら、腕組みをしている。


「今まで色々な学校に赴任してきて、どの学校にもその手の怪談はあった。だがな、」


 まさかこいつまで幽霊の仕業だと信じているのだろうか。「おいおいマジかよ」という気分で蒔田を見上げると、蒔田は真顔まじだった。


「ここの図書室のは……特にやばいって感じがするんだ。本物じゃないかって気がするんだよ」


「………」





 数日後――


「おじゃましますっ」


 蟹江の母さんへの挨拶も程ほどに、僕と錦田は、自宅に籠っていた蟹江の部屋を直撃した。


「うわっ、なんですか、あんたら!」


 あの事件から、蟹江は一度も部室に来ていない。

 カーテンが閉じたままの部屋で、だらしのない短パン姿の蟹江は、僕らを見上げて酷く怯えていた。


「ビデオを見せろよ。あの晩、撮ったやつだ」


 蟹江は明らかに動揺している。


「お前、『何か』見たな?」

「うっ、嫌だっ、嫌なんだよっ」


 僕は蟹江を背後から拘束し、錦田が蟹江にビデオを出すよう要求する。

 蟹江はわめくばかりで、なかなかビデオを出そうとしなかったが、錦田が短パンに手をかけて「フル○ン撮るぞコラ」と脅したことで、ようやく机の引き出しからビデオカメラを取り出し、僕らに手渡した。


「…しりませんよ」


 投げやりに呟いた蟹江を無視し、錦田があの夜の映像を再生する。

 図書室でリポートをする僕が映し出された。


『新聞部2年生の山田です…僕は今、『オーバーナイトローンの怪』の真相を確かめるため、夜の図書館に忍び込んでいます…』


 再生していくうちに、僕と錦田の顔は一気に青ざめていった。

 蟹江は必死に耳を塞いでいる。


「…なんだよ、これっ」


 発した僕の声は恐怖で裏返っていた。

 なぜかというと――



『図書委員によると、』


(『ええ』)


『黒志山高校開校50年のあゆみ」は夕方頃に忽然と消えたということです』


(『あら』)


 ―――


 僕が喋った後に、相槌あいずちが聞こえるのだ。

 しかも、若い『女』の声で――

 

 あのとき集っていたメンバーは、間違いなく男だけだった。

 いくら浜ヤンが完璧なオネエ言葉を喋ろうとも、彼の声は、まぎれもなく声変わりした高校男子のものである。

 それなのに、ビデオにははっきりと女の声が入っているではないか。


「……こっちもなんだ、蟹江」

「は、え?」


「見ろよ」と一枚の写真を取り出す。

 反射的にそれを見てしまった蟹江は、しばらくぼおっと眺めていたが、意味がわかったのか、声にならない悲鳴をあげた。


 僕が撮った数枚の写真――そのなかの一枚。

 そこには、あのとき返却されたばかりの『黒志山高校開校50周年のあゆみ』が在った。

 ただ、その、豪華な装丁の表紙に――


 白い手が、添えられている。

 滑らかそうな肌の細い指。あきらかに、女の手だ。


 撮影したときに、メンバーの誰かが触れていたものではない。

 高校男子といえど、ハンドケアを怠らない浜ヤンのものでもない。なぜなら、夏休みで少し歯目を外していた浜ヤンの爪先には、深紅のマニキュアが塗られていたからだ。


 そのとき、誰が触ったわけでもないのに、再生したままのビデオの音量が最大になり、室内に流れた。



『はたして、その本は、いつ、誰に手により、戻されるのでしょうか?』


『(ア)』


『(タ)』


『(シ)』


―――


「っあ!」


 ツンと嫌な匂いがした。蟹江が失禁したらしい。





 僕は今、新聞部の部室で、この夏体験した『オーバーナイトローンの怪』について記事をまとめている。


 先人に倣い、この記録を新聞部ここに残しておくことにする。

 蒔田先生によると、怪談というものは、それに対する恐怖が増せば増すほど、パワーが強くなるものらしい。だから、『あまり騒ぎ立てるな』と忠告してきた。


 だが、僕は『真実を伝える』という新聞部員の義務に基づき、記録これを残すこととする。

 さらに、緊迫性を伝えるため、勇気を持って僕が撮った一枚の写真を同封することにした。


 なんだか、さっきから気分が悪い。

 何かが圧し掛かっているかのように、肩が重たい。

 たぶん気のせいじゃないと思う。

 幽霊の正体を暴こうとした図書委員のように、僕にも呪いによる何らかの降りかかるかもしれない。


 

 僕は震える手で書き足す。

 


『後輩諸君に告げる。


 この件について、絶対に、取材してはならない。』





(了)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 学校の図書室に一晩泊まって記念誌を見張る、怪奇現象の謎を解く、というシチュエーションにすっごくワクワクしました。 寝てたことを威張る錦田先輩や、おちゃめな小杉くんとか、おネエキャラの浜ヤ…
2018/01/02 21:30 退会済み
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