目黒という女
やっとのことで図書館を出ると目黒は文月に言った。
「何回、私がその友達の目黒祥子です。って言いたかったか分かる?」
「分かるわけないわ!」
きつく言う訳にもいかず文月は勢いだけで突っ込んだ。
目黒の考えなど読めない。というか読みたいと思わない。そんなことはすでに目黒もご存知のようで、
「やっぱり、紹介してもらわなくて良かったかも。だって、紹介してもらってたらずっと私が話してただろうし」
と図々しく言い切った。
あり得た過去話だ。
嫌だ。そう思っただけで気分が沈んで来る。
だが、そんな顔しないで! と目黒は言う。
「気に入られてるからあんなに話してくれたんじゃない?」
「え? そうかな?」
そう言いつつも何か話がずれて行ってるような感覚が文月にはあった。が、流した。
「そうだよ。普通、静かに本読みたい人なら絶対、気付いたって話しかけないと思う。私だったらそうする。本当に必要最低限の小声以外言わないと思う。それか会釈程度ね」
そんな個人的な意見を聞き、文月は言った。
「そうだよね……。私でも図書館はあまり話しちゃいけない気がする。今日なんて大声出してごめんなさい! だったし……」
分かってるなら良し! と目黒は言った。
「それじゃ、ここら辺で今日は帰ろうかな」
嬉しいことを言ってくれる。
「うん、それが良いよ」
心からそう言ってしまった。
これは迂闊だった。
「なんか元気ね、文月」
と嫌みのような感じで目黒は言って来た。
それに慌てた文月は、
「え、そんなことないよ」
と言い繕った。そんな文月に目黒は、
「ま、良いわ。今日は楽しいの見れたしね」
とふふっと笑った。
どういう意味だ! それは! と問い詰めたかったがやっと帰れるー! という気持ちの方が勝っていたので文月はそれ以上何も言わなかった。
黙って待っていればあの言葉を目黒の方から言ってくれるはずだ。
「じゃあ、またいつか」
「分かった。じゃあね」
そのまま二人が手を振って別れればすっぱりと帰ることが出来る。
そういう決まりだ。小さい時からの――。
文月が目黒に出会ったのは小学校三年生の時だ。
同じクラスになったのがきっかけだった。
その頃はあまり仲良くなかったが四年生、五年生と一緒だった。
ちなみに六年生の時も一緒だった。
だから、ずっと気になっていた。
文月の方が特に。
どうしたら友達になれるのだろう? と。
そんな時に流行っていたのが『交換日記』だった。
どこから流行ったのかは分からないがクラス中の女子達がやっていた。
だから、文月もやってみたいと思った。
でも、もう皆やっている。
あとやっていないのは……。
「ねえ、交換日記しない?」
目黒にそう声をかけられたのはびっくりだった。
だって、声をかけてくれるとは思ってもいなかったから。
「だめかな? 交換日記……」
「ううん、しよう!」
その言葉から目黒との『友達』付き合いが始まった。
まだその頃はこの手のこともあまり気にしていなかったから普通に接することが出来た。
後に目黒にそのことを話すとさほど動じる事もなく、今まで通り接してくれた。
それは本当に嬉しかった。
その頃やっていたドラマの中であの『じゃあ、またいつか』、『分かった。じゃあね』というセリフが出て来てそれを真似て言うのが何故か二人の間だけで流行った。
何の場面でそんなセリフを言っていたのかは覚えていないがそのセリフがとても印象的でずっとそれを今となっても使っている。
でも、大人になった今、この言葉がとてもあっさりし過ぎているからもしかしたらこのセリフが別れた二人の……とかじゃないか? と話したりもした。
だから、この決まりを止めようとも思った。
だけど出来なかった。
ついつい言ってしまう。
小さい時からの決まりはそんなに容易く消せはしなかった。
でも、交換日記はもうしていない。
今の時代、交換日記などしなくてもお互いのブログとか見れば良い。
少しそれはさみしいものだがしょうがない。
そんな中で目黒が『ぐいぐい行く系の困り者』だと判明したのが中学生の時だ。
部活の仮入部期間の時、目黒は言った。
「私、吹奏楽部に入る。近所のお姉ちゃんがいるから安心だし」
それは文月にとって初耳だった。
文月は何となくどこに行こうか迷ってるんだよね……とかって言って一緒にいろんな所を見て回る物だと思っていた。
それなのに! だ。
それは本当か? と言いたかった。
だから、言った。
そしたら目黒はその通りの行動をしていった。
全ての仮入部期間を吹奏楽部の為だけに使った。
おいおい……と思いながらも文月も目黒が入るなら……とそうした。
結果は見ての通りである。
あんなに苦労するものとは思ってもいなかったから入る前にいろいろと目黒に聞いておくんだった……と後悔した。
それでもやり切るとやってやったぜ! 私! と言ってやりたくなった。
そんな部活に入って良かったな……と思ったのは一つだけだ。
その目黒が言う近所のお姉ちゃんから「めーちゃんは昔、『ビビちゃん』って言われてたんだよね。いろんな物にびびってたから」という情報を仕入れられたからだ。
もしかしたらそんな昔の自分を克服したが故にこんな目黒になってしまったんではないかと文月は思った。
でも、それは目黒に今でも言っていない。
そんなことを言ったらこの関係が終わってしまう気がするからだ。
高校からは別々の学校となったためそんなに遊ぶこともなくなったが時々今日のように会うことはある。
目黒も一人で頑張っているんだ……と思うと会わざるをえない。というのが真情だ。
目黒と別れた文月は歩き続けた。
今日はまっすぐ家に帰ろう。
当分は目黒に会わないだろうから大塚のことも訊かれないはずだ。
それに今日はもう寝たい気分だった。
目黒のぐいぐい行く系の困り者のせいで。
目黒は文月にそう思わせる友人だった。
でもそれを文月は嫌だとは思わない。
多少思ってもそれはいつものことと許せる相手だったからだ。