千絋のプライド
「……流石姉貴のご友人、と言った所か」
草木なんて咲きやしないハズの荒れた土地は、今や木々が鬱蒼と生い茂る森となっていた。
スギ花粉で目が痛くなるのをこらえながら、俺は蔓で身体を縛りつけている少女……檜を睨んだ。
「にゃっはっは。……誉め言葉にもなってないに。千絋は防御して逃げてばっか、けど捕まって拘束された今……おれの勝ちは決定してるに」
「……別に、俺は戦いたくないので。それに、さっさと負けて終わらせたいと言うのもありますから」
世間から姉貴の右腕と言われる通り、俺の仕事は多い。買い物や姉貴の事務の手伝い、姉貴の体調管理に何か悪いモノを食べていないかのチェック……と仕事が山積みだ。
疲れを残しておけば支障をきたす。故に戦いで無駄な体力を使いたくない。
「……ふーん。世界最強なクロトの右腕なのに……」
薄暗い中、虎目石の様な目を輝かせた。
「こーんなに弱いなんて、失望したにゃ」
その一言で、俺の中の何かが弾けた。
「ふっ……ざけるなあぁぁぁぁ!!」
身体に溢れる熱に任せて、左腕を振るう。
黒い小槍(ショートスピア)となったそれは、身を縛る蔓を易々と切り裂いた。
「やっと戦う気になったかにゃ」
「貴方は俺のプライドを傷つけた。だからその分身体を傷つけてやりたいだけです」
跳躍し、(スギではない)木の枝に着地する。案の定枝は大きくたわみ、危うく落ちそうになった。
「……神墜剣、殺絶形態(アンチキル)」
細い枝の様に軽かった小槍は、ずっしりとした丸い刀身の剣に姿を変えた。
足元がぐらついてきたので、慌てて飛び降りる。
「戦う気があっても技術がないとにゃー!」
檜の挑発がまたココロをざわつかせる。
……何様のつもりだ。
「無を描け、『断罪の使者』」
怒りに身を任せ、幹を何度も切りつけた。
剣閃を見る度に荒らぶる精神を鎮め、小声で詠唱を始める。
しかし、気づかれた様だ。砂煙を纏いながら、赤い蔦が迫ってきた。
「我は汝の儚き僕、汝は我を手駒とせよ……」
幹につけた傷が、白く輝き始める。
ただでたらめに切りつけた訳ではないのだ。そんな無意味な事を俺は……
「『隔リ世ノ裁キ(ジャッジメント・オブ・アンダー)』」
__いや、姉貴はしない。
頭に響くほど大きな揺れが大地を揺らした。時を同じくして、眩い光が森を埋め尽くしていく。
光が消え失せた後、俺の周囲にあった木は1本残らず白く巨大な手に変わっていた。
「盾」
短く呟くと、2つの手が蔓を叩き潰した。
「残りの全ては……拘束」
6つの巨大な手は、草木を薙ぎ倒しながら檜の方へと向かっていく。
「甘いに……ってにゃあぁぁ!!」
遠くで彼女が地面に手を叩きつける。出てきた太い蔓は手の群れを止めようとしたが、いとも簡単に突破された。
「……『絶対停止(ストレンジ・ストップ)』」
檜の拘束が成功した所で、時間を止めた。世界がモノクロに染まり、視界の端に『00:01:30』の文字がちらついている。彼女との距離を縮めるには、それぐらいで充分だ。
全力疾走で檜に近づき、太い蔓が麻であった事に驚きながらも左腕を首につきつけた。
そして世界は色を取り戻す。
「……降参ですか?」
「……うん。おれの負けだにゃ」
何故かは分からないが、嬉しそうに彼女は笑っていた。
窓に映る夕焼け空が、目に痛い。
目だけじゃなくて身体の節々も痛い。
「あ、千絋おかえりー。……何か言う事あるよね?」
「すみませんでした」
深く頭を下げる。疲れていたので一瞬倒れそうになったが、なんとかこらえた。
「……なーんてね。謝らなくて良いよ。昼の戦い、きっちり見させてもらったから」
姉貴は怒る事もなく、にこりと笑った。
……怒った所も見られていたのだろうか。
そんな視線を送ると、笑顔はそのままに頷いてきた。
「み、見ていたなら止めてくれれば良かったものを……」
「あんなに怒ってたら止められないでしょ。それに『ボクの右腕に相応しいヒトでありたい』って、それだけで戦ってくれてたよね。本当に嬉しかった。……ありがとね」
「えっ、あ……うぅ」
こう言う時は、どう返せばいいんだろう。
時紅の様に適当な言葉を返しても許されるのだろうか。
途端に胸が詰まる。
「疲れてるの?……まぁそうだよね、千絋普段戦いたがらないもんね。……ゆっくり休んでて良いよ、最近『仕事』も任せっきりだったし。ボクもやらなくちゃね」
「別にいい……姉貴は『仕事』が嫌いなんだろう?俺がやるから」
「はいはい、お疲れ様ー」
無理矢理にでも休ませたいらしい。部屋から追い出そうと背中を押してきた。
……食べ物の好き嫌いもこんな感じなら良いのに。
「少し、待ってくれないか?」
「え?」
「……ありがとう」
ようやく、返す言葉が見つかった。
姉貴は呆然と立ち尽くしているけど、これで良いだろう。
胸のつっかえも取れたので、俺はすぐさま姉貴の部屋を出た。
小さく「どういたしまして」、とドアの向こうで呟く声が聞こえる。
今までで一番、幸せそうな声だと思った。
___
最後にはにかんで、彼女は部屋を出ていった。それはもう幸せそうで、花がふわぁっと広がる様で、可愛らしくて……とにかく、あんな千絋は正直見た事がない。
本当にボクに向けられたモノなのだろうか。
毛布に潜り込んで考えていると、何やら猫っぽい気配がした。
「……で、そこで隠れてる檜は何のために千絋と試合したの?」
黒のクローゼットを開けると、にゃっ、と悲鳴を漏らした檜がいた。
「み、右腕さんは咲がクロトに手出し出来なくなるぐらいに強くないと困るから……だにゃ!正直に言ったから許してくれるよにゃ!?にゃっ!?」
「ま、考えとくよ。せっかくだしもう少しゆっくりしてから帰ったらどう?お茶でも淹れるからさ」
……例え同期でも、盗み聞きは許さない。澪に頼んでお茶的な何かを淹れてもらおう。
ひっそりと笑って、ボクは部屋を出た。
どうしてこうなった。