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動き出す梟

 初夏、丈一郎の別荘のリビングで、牧野と丈一郎が牧野警部からのある協力要請を受けて、

「おい、おい、そんな美味しい仕事を引き受けないはずがないだろう。経費は警察持ちだろう?」と牧野は弟に軽口を叩いた。すぐに、牧野警部は、

「兄さん、経費の方は何とかするけど、結構、やばい店かもしれないので、くれぐれも慎重にお願いするよ!」と言うので、牧野は言い訳がましく丈一郎に同意を求めた。

「ああ、わかっているよ。なあ、丈さん」丈一郎はいつもと違う少し緊張した面持ちで、

「ネットで調べたけど、彼らの後ろには中満国系マフィアのような連中がいるんだろう。油断はできないよ。それに、太子にも手伝ってもらおうよ」と答えた。

「ええ?太子さんにもですか?」と牧野警部は丈一郎の提案に驚いて尋ねた。

「ああ、彼は地元で暗躍する連中に迷惑を被っているんで、無理に頼まなくても協力してくれるはずだよ」と丈一郎が話すと、

「それに、太子は夜の街には詳しいんだ。顔も鼻も効くしね」と牧野が繋いだ。

「分かりました。いずれにしても、私が事前に調べ、ターゲットの安全性を確認した上でのことですから」 牧野警部は二人に念を押すと、牧野は少し真剣な表情で、

「わかっているよ。我々だって、暗闇で後ろからグサリなんてことはごめんだからね」と答えたが、丈一郎は例の不思議な能力のせいか、いつもよりは浮かぬ表情をしていた。


 そんな話をした日の翌日も、牧野警部は部下の刑事たちと昼も夜も現地で聞き取りを継続していた。そして、ついに怪しい店とタン・ファンとグエン・バンらしい外国人がそこにいると言う情報を得た。彼らはその溜まり場のような店にいつもいて、仕事をしていることを探りあてた。実はその店は太子から得ていた情報と一致していたし、日本人の客も珍しくはないようだった。早速、兄と丈一郎に集まってもらい状況の説明とその店に訪問してもらえるかときくと、

「ああ、分かった。二人の若者がそこにいる事を確認すれば良いんだね」と、丈一郎が牧野と目を合わせながら即答した。

「太子さんも一緒に行かれますか?」と牧野警部が尋ねると、

「一緒に行くよ。彼がその店を知っていたことにした方が都合が良いだろう。私と丈さんが飛び込みで訪問するのも怪しまれるしね」

「分かりました。実習生の二人か、どちらかが店にいるのを確認できれば、それで結構ですから。くれぐれも、無理は絶対しないでください」

「ああ、分かっている」

「いつ、行かれますか?」牧野は壁に掛かっているカレンダー見ながら、

「明日は七夕か・・とんだ七夕たなばたになりそうだな」そして、

「明日か、明後日。今、太子に確認してみる」と牧野はその場で太子に連絡をした。呼び出し音が数回なり、太子が電話に出た。

「もしもし、夜分にすまない、牧野です」

「おお、牧野か、どうした?」

「実は例の銅線泥棒の実行犯に実習生が混じっているという件の続報なんだけど、今、弟の剛と丈さんと一緒にその件で丈さんの家にいるんだ。スピーカーモードにしても良いか?」

「へえ、そうなんだ。ああ、そちらが構わなければ俺は良いよ」牧野はスマホをスピーカーモードにした。

「おお、太子。肥後です」とすぐに肥後が太子に挨拶をした。

「ああ、丈さん、この間はどうも」と、太子が答えた。親しい友人らしくお互いにそっけない挨拶だった。

「太子さん、ご無沙汰してます、剛です。夜分にすみません」と牧野警部が申し訳なさそうに挨拶すると、

「ああ、どうも剛君。いや、牧野警部か、」太子はまだその件で話したそうだったが、本題があるので止めにしたようだ。

「挨拶はその程度で本題に入るけど、先日話したようにやはり実習生が高崎のクラブに潜伏しているようなんだ」牧野が本題に入った。

「店は俺がリストした中に入っていたのか?」と太子はやや早口ではやる気持ちを抑えつつ尋ねた。

「はい、あのリストは大変参考になりました。ありがとうございました。リストの中の中満国人が経営するクラブでした」と牧野警部が答えると、太子は

「やっぱりね。あの店が怪しいと睨んでいたんだ。それで、どうすれば良い?」と太子は要件をある程度想定しているようなので、牧野が

「できるだけ早くあの店に行って、実習生たちがいる事を確認したいんだけど、都合はつくか?」と尋ねると、太子は

「ああ、いつでも大丈夫さ。明日でも良いよ」

「オーケイ、流石に理解が早いな。明日、丈さんと家にお邪魔するけど良いかな?」

「オーケイ、あの店の経営は中満国人だけど、女の子達は色々だよ。少し、鼻の下を伸ばした感じの格好が良いよ。その方が怪しまれないな」

「そうなんだ、明るい色のブレザーとシャツみたいな感じでどうだ」

「ああ、そんな感じだな。帰りは遅くなると思うから、俺の家に二人で泊っていけよ」

「ああ、そうさせてもらうよ。悪いな」と牧野は答え、太子は

「それから、足がつくのは嫌なので現金払いをするけど、とりあえず俺が払うよ。多分、一人二万位なもんだろう」

「ほう、そんなに高いのか?とりあえず、借りておくよ。必ずお返しはするよ」と、牧野は丈一郎の顔を見ながら言った。

そこまで話が進んだところで、牧野警部が

「太子さん、無理なお願いになりますが、くれぐれも危険は犯さないで下さい。兄たちにも言ってありますが、危ない連中を相手にしていると思いますので」と注意をすると、

「剛君、いや、牧野警部。俺はあの辺りの夜の街には詳しいけど、あの店は危ないと思っているよ。気をつけるから、大丈夫だよ」

「じゃあ、太子、明日は午後三時ごろに家に行くよ」と、牧野が告げ、

「おう、分かった。待ってる」と太子が答え、

「太子、明日はよろしく!」と丈一郎が挨拶をして、牧野がスマホの通話を終らせた。


 電話会議の後、丈一郎の別荘に残った三人は再度目的を確認した。実習生が店にいるのかの確認と店の状況の確認だった。それを確認して牧野兄弟は弟の運転で彼らの自宅に戻っていった。この日の会議では丈一郎が準備したノンアルコールビールとノンアルコールワインだったし、テーマがテーマだったので誰一人酔う気にはならなかった。丈一郎はふと牧野警部はこのような事を上にはどのように報告するのだろうと思ったが、自分たちが事件に巻き込まれないのも重要な事だとも思った。


 翌日の昼過ぎにやや汗ばむような陽気だったが、丈一郎がジャケット姿で牧野を車で迎えに行き、牧野もゴルフにでも行くようなジャケット姿で小さなバックを提げて車に乗り込んできた。丈一郎は太子の家に向かい山間の国道144号を軽快に走らせた。何十回も通っている道なので、途中は川原湯温泉側の綺麗な舗装道路を使い、左に八ッ場ダムを望みながら快適なドライブの後に太子の家に予定より大分早く着いた。門の外の外来用の駐車場に車を停めて、大きな門の下についているチャイムを鳴らすと、いつものようにお手伝いの”菊さん”がそれに応え、すぐに門の下の小さな方のドアが解錠された。遠隔カメラで門の外が分かるようになっており、室内から自動でドアロックを外せるのだ。彼らがドアを開けて中に入ると、太子は庭で剪定せんていの真っ最中だった。相変わらず綺麗に整備された日本庭園を回遊しながら、太子がいる場所までたどり着くと、それに気づいて二メートルほどの高さの脚立から太子は降りてきて、

「手入れが大変でね。時々近所のシルバーさんに剪定と草刈りをお願いするんだ。親父が趣味で色んな木を植えたんで、年中楽しめるけど、伸びる時期や花が咲く時期がまちまちで、春から秋までずっと世話をする必要があるのが厄介でね」と、二人の顔を見ながら挨拶代わりに出迎えた。玄関まで先に立って歩きながら、ふたりの格好を見ながら、

「おお、二人ともオシャレをしてきているな。俺も着替えてくるので、応接で少し寛いでいてくれないか。ああ、それと荷物はそれだけか?」

「ああ、これだけだよ」と牧野が応えた。二人は玄関で出迎えてくれた家政婦の菊さんに挨拶をして、応接室に案内されてソファーに座った。菊さんはいつもと違う装いの二人に少し驚いた様子だったが、余計な事は言わずにいた。何かを感じたのだろう。

 部屋の大きな窓からは庭が見渡せ、樹木が生い茂り、幾つかは白やピンクや黄色の花を咲かせているのがよく見えた。無論クーラーが程よい温度にセットされていて、汗がすぐに引いた。すぐに菊さんがアイスティとお菓子を運んできてくれた。紅茶はアールグレーを冷やしたものだろう、とても良い香りがして冷えていてゴクゴクと飲めた。お菓子のクッキーは軽井沢でよく見るブランドだった。


 五分程で太子が客室に現れた。カーキ色の高級そうな今風のデザインのジャケットに濃いモスグリーンのシャツを合わせ、ベージュのスラックスは足首の方は細くなっていて、四十代の遊び人が六本木辺りで着ていそうなファッションだった。すかさず、牧野が

「おい、おい、格好良すぎじゃないのか?そんな格好で高崎を歩いたら目立つんじゃないか?」と茶化すと、

「何言っているんだ!俺達にとってはあそこは新宿であり、渋谷であり、銀座なんじゃ。なんか文句あるか?」と太子は切り替えしてきた。丈一郎は二人を見比べながら、ただ”にやり”と笑うだけでコメントしなかった。元々、太子は背が高く百八十センチ近くあり、鼻が高く、目は切れ長で、眉が長い。髪はまだ黒く、見た目にも良いところの”お坊ちゃま育ち”の風貌を残していた。知らない人が見ると、いわゆる『イケおじ』と言えるだろう。これならば警察関係者には絶対見えないなと思っていた。太子も用意された飲み物を飲みながら、一息つくと

「少し、情報をアップデートしてくれないか?俺からも少し報告があるから」と真面目な顔に戻って切り出した。

「今日行くのは太子がくれたリストにも入っていたお店で、牧野警部たちが調べた結果、中満国系のオーナーの店で、太子が言う通り東アジア系の女性が多く働いている。この店に北浅間村でキャベツ農家の仕事を手伝っていた技能実習生が二人出入りしているようで、名前はタン・ファンと言う28歳と、グエン・バンと言う25歳の若者で、共に同じ国から来ていた真面目な実習生だった。その二人を含む数人の実習生が、今年の春から起きている銅線泥棒に関与したことがほぼ確実になっている」と牧野が説明した。そして、

「この銅線泥棒の主犯はどうやら中満国系マフィアらしく、県内外の複数の地方都市に潜伏し、実行犯を例のクラブで選別し、犯罪に巻き込んでいるようなんだ。複数の犯行現場の監視カメラに写っていた実行犯達の画像は、十分に任意で逮捕できるレベルなんだが、主犯の特定がまだ出来ていないそうだ。実習生の写真を含めた情報とも一致しているので、お店に彼らが出入りしていることが明確になれば、捜査は大きな進展になる」

「なるほど、まずは二人がいる事を確認すれば良いんだな」

「そうなんだけど、一つ問題があって、主犯の中満国系マフィアの連中がその店にいるとは限らない。多分、今日行っても居ないんじゃないかと思っている」

「やはりね。俺もそう思う。マフィアの女がその店のオーナーをしていて、主犯格の一人は多分俺の住んでいる町の近辺に潜伏していると睨んでいる。一昨年あたりから建物を増築し、中満国系の男女数人が良く出入りして、時々日本人の若者も混じって大勢の男女がそこで宴会をしていると聞いている。俺も知り合いから苦情を聞いて、町内会長と覗きに行ったけど、白や黒のドイツ製高級車がガレージに並んでいて、年配の男と中年の男女がそれに乗っているのを見ているし、若い手下のような男が時々周辺をうろうろしているのも確認した」

「それは結構珍しいのじゃないか?」

「ああ、何十年も俺は住んでいるが、あんな暮らしをしている連中は見たことがないよ。あれは、堅気かたぎじゃないよ。元々大きな農家の土地で、家の周りには塀があったので、家を増築して住んでいるけど、倉庫のようなものもあってちょっと不気味な感じだよ」

「その家の近所には、俺の昔からの知り合いも多く、時々奴らが開く宴会では大音響の音楽を流すこともあって、相当迷惑しているようだ。それに、うちの姪っ子の店にも彼らは大勢で来たらしいけど、やたら多くのオーダーをしたけど随分食べ残して帰ったそうだ。会計は現金払いだったようだが、姪っ子はせっかく作った料理を無駄に残されたことに憤慨したらしく、帰り際に「お口に合いませんでしたか?」と尋ねると、「お金はちゃんと払ったよ!」と逆に嫌な顔をされたらしい。近所の人たちはどんな素性の連中かわからないので、あまり近寄らないようにしているよ」

「分かった。その事は弟に伝えておくよ。どういう連中か捜査してもらおう」と牧野はすぐに数メートル離れたところで牧野警部に携帯で連絡を始めた。二、三分で話を終えると戻ってきて、太子に頷いて捜査の依頼をしたことを合図した。


 彼らは午後五時過ぎに出発する吾妻線の高崎行きに乗るため、最寄り駅である『群馬元町』まで歩いて行った。夕方にかかる時間でも、かなり汗ばむ気温に閉口したが、三人で電車に乗って移動するのは久しぶりなので、皆、上機嫌での短い列車旅を楽しんだようだ。高崎駅に着くと夕焼けの綺麗な夕方を迎え、暑かった一日の割には涼しい風が吹いており、低気圧が接近しているのかもしれない。三人は駅前の有名なチェーン店の珈琲店に立ち寄り、それぞれアイスコーヒーやアイスラテをオーダーして、ゆっくり飲みながら暫く夕闇が迫るのを待った。昔上映されたアニメ映画『千と千尋の神隠し』の序盤に、千尋の両親が料理店が並ぶ店に灯りが灯り出すシーンのような、少し不気味でかつ懐かしい感じの飲み屋横丁に闇が迫るような夕闇が訪れた。丈一郎は珍しく少し息苦しさを感じていた。例の未来予測の能力が自然に働き、何か起こるのかもしれないと直感した。それを根拠に計画を中止するわけにはいかないことも理解していたのだが、微かな動揺を感じていた。

 そして、軽く腹ごしらえに駅近の蕎麦屋に入った。古くからあるお店らしく、暖簾を潜ると店の中はほぼ満席で、皆が笑顔で蕎麦を啜っていた。丈一郎はざる蕎麦、牧野は鴨南蛮、太子はとろろ蕎麦を頼み暫く待つと、美味しそうな蕎麦が続けて運ばれてきた。見るからに美味しそうな蕎麦を見て、皆がすぐに箸を割った。思った通り鼻に心地よい蕎麦の香りと鰹節と昆布の出汁の効いたつゆの香りがして、渋い器で運ばれてきた瞬間から皆が美味い蕎麦を直感していた。

「うーん、美味い!」と蕎麦好きの丈一郎が唸った。薄茶色のつゆに浸かったやや細めの蕎麦を嬉しそうに音を立てて啜り、太子はとろろをつゆにかき混ぜて蕎麦を潜らせ、美味そうな音をさせて蕎麦を味わっていた。

「太子、この店には来たことがあるんだろう」と丈一郎が尋ねると、

「高校時代からよく来ていたよ。なあ、牧野」

「ああ、よく来たな。高校生には少し高級だったけど、我慢できずによく来たよ」と牧野が応じた。

「そうか、二人には馴染みの店だったんだ」

「そうさ、祐子ともよく来たんだよ」と、牧野はぼそりと漏らし、太子が少し驚いて牧野の顔を見ると、彼は少し笑みを浮かべて一人で頷いていた。丈一郎はそんな二人を見ながらも、まだ微かな胸騒ぎを覚えていた。いつも強運の丈一郎には珍しい感覚だった。


 三人は蕎麦をあっと言う間に平らげて、運ばれてきた蕎麦湯でつゆを楽しんだ後に店を後にした。目的の店はその蕎麦屋から数分の場所にあり、繁華街の外れに近いところにあった。太子が先頭になって店のドアを開けると、店の中にはかなり多くの客がすでに来店しており、少し意外な感じだった。すぐに、中年の中満国人らしい女性が「いらっしゃいませ!」と中満国訛りの挨拶で迎え入れてくれた。太子の家の菊さんが迎い入れてくれたのとは全く違う、『夜の商売』の空気を感じた。女性は彼らの服装を見て値踏みをしたらしく、すぐにやや奥まったボックス席に案内された。彼女は横目で店の真ん中で溜まっていた女性達に目配せを送り、棚に置いてあったメニューを二つ素早く引き抜いて、彼らに差し出して、

「私はこの店のママをしています『マリル・スー』と言います。今日はお暑い中、ようこそいらっしゃいました。まずはお飲み物でもいかがでしょうか?」とかなり流暢な日本語で挨拶し手を前で重ねて待つ間、さらに彼らの品定めをしているようだった。太子は笑顔を彼女に返し「ありがとう」と言ってメニューを受け取り、サラッとメニューを見た後に、すぐにメニューを丈一郎に回した。彼らは三十秒ほどメニューを見て、

「俺は、まずは生ビールをもらうよ」と牧野が女性に言い、丈一郎は「俺は、ハイボールだな」そして、太子は「私もまずは生ビールと、おつまみにミックスナッツとビーフジャーキーを二つずつお願いするよ」と女性に微笑みを湛えてオーダーをした。その落ち着き払った様子を丈一郎は見て、さすがこいつ遊びなれているなと感じた。そして、飲み物とおつまみが運ばれてきた時には、彼らの前には若い女性達が三人並び、マリル・スーが

「彼女たちをご一緒させていただいてよろしいですか?」と尋ねてきた。無論、彼らはどうぞどうと席を少し寄せて、彼女達が座れるようにした。若い女性の中で中満国系らしい女性が

「私たちもお飲み物を頼んでもよろしいですか?」と東京のクラブさながらの口調で聞くので、太子はいつもよりも大袈裟な笑顔で、

「ああ、好きなものを頼んで!」と弾んだ声で喋るので、牧野も丈一郎も心の中で”くすくす”笑ったようだった。彼女達の頼んだよくわからない飲み物はすぐに運ばれてきたので、ママを含めて七人で乾杯をした。

 一口飲み物に口をつけるとすぐにママが

「お客様方は初めてですよね?」と皆の顔を見ながら尋ねるので、太子が答えた。

「この近くの鈴蘭すずらんにはよく来ていたけど、ここは初めてだよ。一度来てみたいと思っていたんだ。」

「そうなんですか、鈴蘭さんにいらしていたんですね。でも、あそこはお高いでしょう?」

「ああ、ちょっとね、でもマスターとママとは昔からの知り合いでね。」その答えに女性は少し反応をしたように丈一郎は感じた。そして、中満国系の女性が

「皆様はこちらの方ですか?」と三人の顔を見ながら尋ねるので、今度は牧野が

「俺と彼は群馬元町の出身だよ」そして、丈一郎を指して「彼は学生時代からの友達さ」

「へえ、そうなんですか!もしかして東京の大学ですか?」と彼女は尋ねてきたので、丈一郎は

「そうだけど、東京大学じゃないけどね」と言って三人が笑ったので、彼女たちもよく分からないけど愛想笑いをした。


 丈一郎達は素性がばれないように少し嘘を交えながら、彼女たちの事をやんわり聞き出した。叔父さんらしく「年は?」とか、「出身は?」とかのたわいの無い感じで会話が進んだ頃、丈一郎はトイレの場所を尋ねた。一人のアジア系の女性がすぐに案内をしてくれた。トイレに行く途中にはカウンター席もあり、そこに二人のアジア系の店員とお客らしい中年の男が二人いた。丈一郎はトイレで小用を終え、自分の席に向かう途中にあるカウンターを何気なく見ると、案内してくれたアジア系の女性がカウンターに手を掛けて、カウンターの外で背の高い若い店員の一人と親しげに話しているのを確認した。もう一人はカウンターの中でお客らしい男達と笑いながら話をしていた。カウンターの外にいた若い店員は間違いなく写真で確認したグエン・バンだった。アジア系の女性は丈一郎がトイレから出てきたのを見て、若い店員との会話を切り上げて、丈一郎をボックス席まで案内してくれたので、礼を言うと、綺麗な笑顔で

「どういたしまして」とたどたどしくこたえた。丈一郎はグエン・バンがこの店にいるのはこの子が目当てだなと感じた。席に戻った時にはママはもう居なくなっており、牧野は丈一郎を見てトイレはどこにあるのかと尋ねるので、方向を指さした。

「ちょっと、今度は俺が失礼するよ」と言ってトイレに向かった。牧野も数分で戻ってきたが、太子はその間で何杯かウイスキーの水割りをおかわりしていたので、「歳をとるとトイレが近くなる」言い訳を言いながらトイレに向かった。しかし、彼は少し戻ってくるのが遅かったので、牧野と目を合わせると、彼も怪訝な様子だったのでトイレのある方のカウンターの方を見ると、太子はカウンターの中年の男達と話をしている様子だった。そして、暫くして太子が戻ると、

「いやあ、良く鈴蘭で一緒になった人が偶然いたので、少し話をしていたんだ」と笑顔で戻ってきたので、丈一郎と牧野は安心した。その頃には、店のお客も増えてきた彼らのボックス席の隣にも客が入り、彼らについていた女性の一人もそちらに移動したので、良い頃合いかなと思い、ママを呼んで会計することとした。ママはすぐに意外に丁寧な明細月の請求書を持ってきた。そこには、請求額は九万円と記載されていた。太子はさらりと万札の束から一枚残して、九万円をママに渡した。十枚を束にしていたようだ。ママは

「領収書はどうしますか?」と尋ねるので、太子はいかにもそれらしく

「宛先なしでもらえる?」と言い、ママが領収書を持って戻るのをグラスを空けながら待っている間、戻ってきた二人の女性に「また来るよ」などと軽口をたたいていると、一人の小柄な男が一人で彼らの横を会釈をしながら、さらに奥の席に行き静かに座った。いつもの指定席に座るような感じだったので、太子のみが会釈に近い反応をしたが、牧野と丈一郎は敢えて無視した。そして、ママが戻り三人は出口に向かった。出口でママと二人の女性に太子が普段見たことのない笑顔を見せ、「また来るね」と挨拶し、牧野と丈一郎もそれに倣い笑顔で店を後にした。途中で丈一郎が振り返ると既にドアは閉まっていた。誰かが追いかけてくる気配はなかった。


 三人は敢えて大きな声で話はせず、駅へ向かった。牧野は太子に

「最後に店に入ってきた小柄な男を知っているのか?」と聞くと、太子は

「うちの近くに最近引っ越してきた奴だよ」と苦い物を吐き出すように言って、その後黙った。

 三人は感じていた。あそこにやばい奴らが巣くっていると。店には監視カメラと盗聴器のようなものが仕掛けられている可能性もあったので、疑われるような会話は控えていたが、まだその余韻が残っていて駅への途中も会話は弾まなかった。駅に着いたときには八時半過ぎに出発する終電に間に合った。車両には仕事を終えて家路を急ぐ乗客が結構乗っており、四両編成のローカル線の雰囲気が醸し出されていた。車両は長らく使用されてきた211系で、オレンジと緑の線がスマートなイメージで、乗り心地も少し硬い感じはあるが、まあまあの乗り心地だった。ただ、ICカードの利用は主要駅に限定されており、太子の家のある群馬元町では利用ができなかったので、切符を購入した。高崎の市街地を過ぎるとすぐに暗い山間を走行するので、夜間は車窓の景色を楽しむことはなく、一時間程で太子の家の最寄り駅に着いたが、だれかが見張っているような気がしてならなかった。


 丈一郎達が店を出た後、後から来店した例の小柄な男が、ママとカウンターにいた中年の客二人と一番奥のボックス席で話し込んでいた。

「ママ、今出て行ったあの連中は良く来る客か?」

「いいえ、今日初めてのお客よ。なんでも鈴蘭には良く来ていたと言っていたわ」とママが応えると、中年の二人のうちの顎が尖って鋭い目をした男が、

「ああ、あのうちの一人は知っている。鈴蘭で時々一緒になったことがある。以前はあそこの常連だったようだけど。最近は見かけなくなっていたよ」

「群馬元町の出身だと言っていたわ」すると、小柄な男が

「ああ、それで思い出した。家の近くの古くからある大きな屋敷の男だ。確か表札には漢字で『大』だったか、太いの『』と子供の『子』と書いてあった気がする。それで、さっきどこかで見た覚えがあると思ったんだ。そうか、あの家の主人か」

「もう一人の男も群馬元町の出身だと言っていたわ」

「そうか、それなら警察官ではなさそうだな。このところこの近辺を警察がうろちょろしているらしいな」と小柄な男が顎のとがった男に顔を向けると、

「はい、すぐ近くの食堂にも来て、外国人の実習生を探しているようです」

「そうか、何かを嗅ぎつけられていたらやばいな。タン・ファンとグエンを呼んでこい」ともう一人の中年男に命じた。その男は反射的に立ち上がり、カウンターの方に急いで歩いて行き、ほどなく二人を連れて戻ってきた。彼らが席に着くように小柄な男が顎で合図すると彼らは緊張した面持ちで席に座った。代わりに呼びに行った中年男は席の横に立った。小柄な男が二人に尋ねた。

「今日来た奴らをどこかで見たことはあるか?」と抑揚のない声で尋ねると、二人は最初は首を振ったが、グエンは思い出したように

「ああ、そういえば眉毛の濃い男がカウンターの傍に居た俺のことを、チラチラと見ていた気がするけど、どこかで見た気がする」

「どこでだ?」と顎の尖った男が少しいらついた様子で聞くと、

「良く思い出せないけど、多分北浅間村にいた時だと思う」すると、タン・ファンが

「俺はもう一人の男を新聞か何かで見た気がする」と言うと、グエンが

「そういえば俺も」と言い出すので、顎の尖った男はますますいらついたように、

「新聞だと?なんの記事だ!」と怖い声で言うと二人はすくんだように下を向いた。小柄な男は頼りにならない奴らだとばかりに、

「もう良い。仕事に戻れ!」と言って彼らをカウンターに戻した。このとき二人がはっきりと思い出していれば、丈一郎と牧野の素性はばれていたかもしれない。丈一郎は警察に表彰された事が昨年地方新聞に掲載され、その新聞を客の一人が店に持ってきて置いていったのをタン・ファンは見ていたのだ。グエンの方の記憶は、彼が北浅間村で警察が主催する闇バイトの注意喚起の勉強会の際に、牧野警部が訪れており、兄の牧野を見て、似ているのでどこかで見たと言ったのだった。二人の若者の記憶は大した者で、この二人を信じなかった小柄な男と顎の尖った男の見る目のなさに、丈一郎たちは命拾いをしたのだ。


 丈一郎達はそんな事があの店で話されていることも知らずに、太子の家に着き、客室で見聞きしたことを振り返っていた。三人ともほとんど酔っていなかったので、飲み直しにウイスキーの水割りをグラスに半分ほど飲むと、ようやく彼らの緊張感はほぐれてきた。太子が、

「カウンターにいたのは実習生で間違いがないな」

「ああ、間違いないだろう。なあ、丈さん。」

「おれも、そう思う。カウンターの外にいたのがグエン・バンで、中にいたバーテンダーがタン・ファンだろう」と丈一郎がまとめると、三人とも頷いた。そして、太子が

「最後に店に入ってきて、俺たちの横を通って奥の席に座った男がボスだろう。奴はこの家の近くに住んでいる奴に間違いない。いわゆる中満国マフィアかもしれない。後は銅線泥棒との関わりをつかめば逮捕できるよ」

「あのママも完全にグルだな。女の子達は完全に萎縮していたもんな」丈一郎が補足し、

「太子、お前が話をしていた”鈴蘭”という店で遭ったというカウンターに座っていた連中はどうなんだ」と尋ねると、

「顎の尖った奴の方は良く覚えている。鈴蘭でも常連客のような振る舞いだった。あいつはきっと”その筋”の男だと思う」と太子は眉をひそめながら断言した。

「よし、明日の朝にでも弟に連絡するよ」と牧野が締めたので、大きな内風呂に三人で入ることにした。菊さんがお湯は貯めていてくれていたので、すぐに仲良く入浴できたが、丈一郎が珍しく

「太子、この家の警備は万全か?」と心配しているようなことを聞くと、

「ああ、防犯カメラも非常警報も装備してある。すぐに警備会社に連絡が行くようになっているよ」

「流石、町一番の有名人」と牧野が茶化すと、

「でも、丈さん!珍しくびびっているな?」と薄笑いをしながら言うので、

「ああ、用心するのに越したことはない。相手はかなりやばい奴らだと思うよ」と丈一郎は声を潜めて言った。

「今日は疲れたから、サウナは止めておくか?」太子の家の内風呂の横には何と三人がゆったりと入れるサウナがあるのだ。

「いや、疲れたから入ろうぜ!」と言って、三人は真夜中のサウナを楽しんだ。サウナを出て冷たいシャワーを浴びて、リビングで冷房の効いた部屋で麦茶を飲んで汗が引くのを待った。暫く無言でいると、三人とも同じようなタイミングで欠伸が出てきたので、それぞれの部屋で寝ることにした。よほど疲れていたようで、丈一郎もベッドに入るとすぐに眠気が来て、熟睡したようだ。太子も牧野も同様ですぐに熟睡したようだった。

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