悪女の噂が流れている婚約者
その噂は、かなり広い範囲にまで届いていた。
とある女性の噂である。
国の重要な公爵家の一つに、美貌の令嬢がいる。
姿は美しく、傾国とも言われるほど。
白く透き通るような肌。
印象的な、魔性の翠の瞳。
すらりとした手足はかくもしなやか。
腰まで伸びるゆるやかなウェーブを描く象牙色の髪。
はじめは皆その見た目に騙されて、さながら誘蛾灯に寄る小さきもののごとく近寄っては没落してゆくのだとか。
曰く、高い身分を振りかざして暴虐三昧。
曰く、義理の妹を日々口撃・攻撃してシバき倒す。
曰く、社交界のオトコどもをちぎっては投げ、ちぎっては投げ。とっかえひっかえ遊んでいる。
まさに悪女。
そう呼ばれる令嬢の婚約者は同じ家柄の公爵令息。
彼は婚約者の噂を聞きつけ眉をしかめた。
己の婚約者は何と酷い女性なのか、と。
さらに招かれた令嬢の屋敷にて虐げられている義妹を見つけ、救いの手を差し伸べたという。
噂の姉とは違い、義妹は心優しく人好きする性格で、可憐な容姿であったため周りに人が集まった。
両親も。
屋敷で働く多くの人々も。
ちなみに噂の悪女は前公爵夫人の娘。
義妹は新しい夫人の娘。
二人は前公爵夫人が身罷ってすぐに公爵家へやってきたそうだ。
やがて、一年も経たず。
悪女と噂されたかの令嬢は、公爵の子息から公衆の面前で婚約破棄を突き付けられ、家からも勘当されて、王命で新しい嫁ぎ先へ放逐された。
その場所こそが・・・。
「’辺境にある変人大公家’か・・・」
送られてきた書状を眺めて、大公ノボル・ウィドゲンシュタインは呟いた。
その内容は要約すると、『婚約破棄された悪女の噂の絶えない公爵令嬢を、婚約者として迎え、気に入ったら娶るように。by.おうさま(お前の優しいお兄ちゃんより)』
「・・・・・」
都で婚約破棄があったのは7日前。
とんでもない悪女が社交界を荒らしまわっているという<噂>だけは、以前からこの辺境までも届いていた。
「ずいぶん急でございますね」
かぐわしい香りのする紅茶をカップに注ぎながら、家令である初老の執事は慇懃に答えた。
「これ、もう着くんじゃないかな」
都から辺境まで、馬を使って5日から6日はかかる。
昨日到着した都からの使者は、領内の宿屋で一泊し、早朝にこの執事に書状を手渡して帰っていった。
仮にも王族に連なる血を持つ大公家だ。
現当主が人嫌いでおかしな趣味を持つ変人との噂があるとはいえ・・・
失礼な話である。
それは追々対処するとして、書状の日付と内容から考えて、夫人になるであろう女性はもう到着すると思われた。
「今朝、領地へレディの乗られた馬車が入ったとの知らせがありました」
家令の執事は品のある所作で紅茶の入ったカップを音もなく主の前に置いた。
「じゃあもう着くころだね。皆で、出迎えようか」
「かしこまりました」
執事は礼をして部屋を後にした。
一人残されたノボル・ウィドゲンシュタインは扉が閉まるのを見届けると、別な資料を手に取って眺め、少しだけニヤけた。
「美人かあ」
*
そして、悪女と噂された彼女が到着した。
手紙到着後1日にしてやってきたということは、早々に追い出されてしまったのだと思われる。
馬車の朽ちた感じからして、彼女の家での扱いはあまりよくなかったのではないかと誰でも分かった。あのいいかげんな使いの乗っていた馬車の方が数段豪華であったから。
皮の古いカバン一つが降ろされ、朽ちた馬車も帰って行く。
公爵家の屋敷へ向けた入り口ではなく、反対側へ降ろされたのだろう。
辺境らしく土埃をたてて馬車がいなくなると、ぽつりと一人の女性が残されているのがすぐに見えた。
この状況にひるむことなく、美しい所作で挨拶をする。
「この度は、多大なるご配慮をいただき誠にありがとうございます。私はイブ・ガーデンハイムと申します」
一目で、惹きつけられるほどに完璧な姿であった。
「ようこそいらっしゃいましたレディ。お疲れになったことでしょう、すぐに屋敷へご案内いたします」
公爵家の執事はやってきた女性をそれは丁寧に迎える。
「このように急な到着となりましたこと、お詫び申し上げます」
応えながら、穏やかにかけられた声にイブが下げていた視線を元に戻せば、品の良い初老の男が立っている。
「これ、は」
その後ろに、家の者たちが総出で出迎えていた。
「ようこそいらっしゃいました」
屋敷の者たちがいっせいにイブへ敬意を払ってお辞儀をしていた。
あらかじめ言われてはいた。
公爵令嬢に最上のもてなしを、と。
しかし、彼らのその態度は、言われたから行ったものではなかった。
ものすっごい美人で魅力的な女性だと一目で分かったから。
より一層ようこそに力が入ったのだった。
「やあ、いらっしゃったようだね」
とても嬉しそうに、当主まで出てきた。
イブは軽く混乱を覚える。
都の貴族たち、そして彼女自身もまた思っていたから。
確実に、冷遇されるだろう。
あの変人と名高き噂の大公である。
領地は辺境だし、嫁どころか婚約者もいない。
王家とも交流をしていない、舞踏会には参加しない。
礼節もなっていないのだと世間ではまことしやかにささやかれていた。
ただでさえ婚約破棄をされたうえ追い出された形になった令嬢だ。
大公家でも迎える者などほぼなく、門番にすら蔑まれ、与えられる部屋は物置のように違いない。
おざなりに婚姻届けは出すのだろうが、結婚式もなく、挙句はとどめのセリフも飛び出すに決まっている。
何せ、あの悪女の噂だ。
貴女を、愛することは
「好きです」
緊張した面持ちで当主、ノボル・ウィドゲンシュタインが言った。
「え?」
「貴女は美しい」
都では悪評を振りまかれ、彼女の本質など誰も気にも留めなかった。まるで見てきたとでも言うように証言する者までいた。
「私の噂をご存じでしょう?」
「はい。でもきっと貴女はあのようなことをしてはいないです」
なのに、彼は断定している。
「調べたのですか?」
「ええ、まあ。美しい女性だということが、すぐに分かりました」
照れながら、ノボル・ウィドゲンシュタインは微笑んだ。
「ああ、噂も現在調査中です。粛清も検討してます」
ほぼ実行が決まっております。と小声で執事が付け加える。
「私」
イブは戸惑った。
「冷遇されると、思っておりましたから」
周りもそう望んでいた。噂をまき散らされていた彼女自身も、周りの言葉に踊らされてしまったのだ。
イブは恥ずかしくなって俯いた。
「貴女に拒まれることはあっても、私が拒むことは万が一にもないです」
「え・・・」
「元婚約者が連れ戻しにきたら嫌なので、早く結婚したい」
困ったように言葉を探すイブを見かねたのか、
「大公様、大変失礼をいたしますが」
張り詰めた空気をぶち壊すように、執事が声をかけた。
「お嬢様もお疲れの事と思われます」
続きは室内でなさいますよう。
「あ、うん」
当主はイブの様子を見てすぐにうなずいた。
執事がパンッと手を一つ叩くと、それを合図にしたようにメイドたちが鮮やかにイブの荷物を屋敷へ運んで行く。そこにいた者は、集まった時よりもなぜかはりきって持ち場へと戻っていった。
「んもう、せっかくいいところだったのに・・・」
大公らしからぬ困った表情で、彼は体をくねらせる。
「大公様はお嬢様をエスコートなさってくださいませ」
執事が告げると、大公はあわてて気取った雰囲気を身にまとい、あっけにとられるイブへ手を差し伸べた。
「では、参りましょうかレディ」
「はい」
イブは、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
おわり。




