第7話:心のバラたち
ベレー帽の猫が、またもや現れた。今度は、変なマジックでも、意味不明な名言でもなく──ただただ、王様からのお呼び出し。
「お嬢様方、謁見の間へどうぞ。陛下がお待ちでございますので、どうかお早めに」
「……なあ、またあの日みたいに歩きすぎて倒れるのは絶対イヤやで」
「んむ……?」
「気むう、起きて」
「ふわぁぁぁ……」
「じーっ……ほんま、よう寝るなぁ」
ベレー猫は耳をかきかきしはじめた。うちはちょっと冷たい目で見下ろす。
「おい、なんでその帽子かぶってんの? マイルズ」
「ふむ、労働者スタイルってやつですかね」
「……じゃあやっぱマイルズやんけ」
「え? もう言ってませんでしたっけ?」
「…………」
「それ、もう脱ぎや。あんた、フランス人ちゃうやろ」
「……“フランス”とは?」
「……なんでもないわ」
ベッドから起き上がって、神い様仕様のスーツをバサッと直し、例の──ありがたくもダサい──茶色いチュニックを腰に引っかけた。
「王様の前では、ちゃんと着てください。礼儀として、当然でしょう」
「へぇ〜。でもこのセンス皆無の布きれを渡すのは、礼儀ちゃうんや?」
猫は、黙った。
うちは軽く伸びをして、気むうは指先で髪を整えてた。あの子の朝って、なんか無音やねん。
「お嬢様方……少々、遅すぎでは?」
「なあ、あんた。もしうちの星に行くことあったら──絶っっっ対に女の人にそれ言うたらアカンで」
もう猫を黙らせるの、ちょっと罪悪感湧いてきたわ……うちの正論、強すぎてごめんな。
「で、いつ出発なん?てか、どうやって? 死なへん方法で頼むで?」
「さあ……うーん、飛んでみたら?」
「飛──……あ、そうや。うち、飛べるんやったわ」
即座にフライト起動。やっぱ、軽いわコレ。高速になるとまだちょっとグラグラするけど、歩くよりは断然マシ。疲れへんしな。
「ほな、行こか。気むう」
飛び始めた。これがまた、気持ちええんよ。なんていうか──うちら、飛行機かよって感じ。アニメみたいに音速ではなかったけど、それでもテンション爆上がりやった。
「いっけー!いけいけー!気むうナカーマー!!スウェトボーレ様が待ってるでぇぇ!!」
通りすがりの玉猫たち、お盆や箱持ちながら「あぶなっ!」って叫んでた。完全に空中迷惑飛行や。
「ウオオーーッ!!」
「“気むうナカーマ”って、何なん……?」
「しらーん!“オン・ピズー”か何かで聞いたような気がして!」
「……オン・ピズーって、何やねん」
そんなこんなで、しばらく空を飛び回った後──うちらはついに、スウェトボーレ様の謁見の間へ到着した。
「はぁ〜……なんか疲れた」
「無駄にエネルギーを消費するからです」
「じぃーっ……猫バカが」
玉座へと近づいていく。前と同じく、その姿は濃ゆい影に包まれていて──もはや、PS2のボス戦みたいな演出やん。
「おーい、スウェトボーレ。そろそろインフラ整備しといたほうがええんちゃう?うちらの部屋のロウソク、ブレイクダンスしてたで──」
「……」
マイルズの尻尾が、うちの口をピシャッとふさいだ。
「王に対して、もう少し敬意を持てませんか? このバカ様め!」
「ぷっ……げほっ、ごほっ!ちょ、毛っ! 毛やねんて、あんたの毛ぇ!!」
「……容認しよう」
山羊王が、影の中から静かに言った。
「……は?」
「容認すると言った。あれが、彼女の言葉の“型”であろう。ならば、偽らずに語ればよい」
「な、な?見た見たっ!?」
「んむ〜〜〜〜っ!!」
うちは誇らしげに、ペロッと舌を出した。
「……ちっ」
「まず初めに」
スウェトボーレの声が、重く、そして静かに落ちる。
「心より、祝意を伝えよう。二週間にも満たぬ時で、汝らは──多くの者が一月を費やしても成せぬことを、成した」
「……そなたら二人よ。誠に、見事な始まりであった。祝福を贈る」
このヤギ……なんか、前は「死ね」とか思ってそうな目ぇしてたのに──今じゃ詩人みたいな台詞で、「うむ、よくやった」とか言い出して……急に人格ランクSS出してきた。
ほんま、何があったん?昨日まで処刑寸前やったのに、今日は高級部屋と玉猫マスターと擁護フルセットやで?意味わからん。
「しかしながら──」
山羊王は静かに言葉を継いだ。
「状況を鑑み、汝らの訓練を予定より早く中断せざるを得なかった。……そして、より重要な使命へと直ちに赴いてもらう」
気むうは真剣な面持ちで聞いていた。うちはというと、ぼーっとしてた。
(……てか、うち何日も飯食ってへんのに、なんで腹減らへんの?)
王はふと、言葉を止めた。目線は、どこか遠くを見ている。
「……すでに気づいておろう。この世界は“壊れかけて”いる。不安定で、あちこちにエラーが生じておる……」
「グリッチってやつやな」
「──“グリッチ”。そなたらの言葉で、そう言うのだったな」
(──で、いつ殺されるん?)
うちは、心の中でつぶやいた。このヤギがこんなに“話せる”タイプやったとは、意外すぎる。
「……そなたら。理由を知っておるか?」
「ぷす……知らんけど?」
「……“力の薔薇”とは、複雑極まりない存在だ。我らの魔法技術をもってしても、いまだにその構造、正体、ましてや──何でできているかすら、解明できてはおらん」
「植物では……ないのだ」
(間)
「汝らが通ったあの“不安定な門”──それは、極めて危険なタイミングだった。ちょうどその時、制御の薔薇……“青薔薇”が、その扉の裂け目を封じようとしていた」
「しかし、そなたらの干渉によって、その儀式は断たれた。薔薇は、そのまま“機能不全の境界”へと引きずり込まれ……今もなお、正しく働けずにいる」
(うちら……この宇宙の崩壊、ほんまに──うちらのせいなん……?)
心臓が、ドクンと鳴った。胸の中に、冷たいトゲが突き刺さるみたいやった。
「──しかし」
王は、静かに言葉をつなぐ。
「我が魔術師たちの最新調査によれば……そなたらに責任はないことが判明した」
(……)
「少しで構わぬ。汝らが“あの時”、何を見たのか──話してくれぬか?」
うちは、少しうつむいて、息を吸った。無料やしな、呼吸ぐらい。
(なあ、神い……何やってんの?)
(こんな時こそ、いつもの調子でいけや)
(それとも、あれか?ヘタレ認定されたいんか?)
「……えっと、気むうと……お寺に行ってて、で、なんか……いつもと違う空気で……」
「……誰もおらんかった。入口の果物売りのおばちゃんも、猫も、風も。何もなかったのに、“ある感”だけあった」
「中に入ったら、紙が貼ってて──“ごめんなさい”って、書いてあって……」
「そしたら、地面が……割れて、落ちて……逃げたけど、間に合わんくて、うちら──飲み込まれた」
「叫んだ、とは思う。でも……よう覚えてへん」
(沈黙)
「……なるほど」
「気むう嬢、何か補足を?」
「……ありません。陛下」
王は、それ以上何も言わなかった。その“言わなさ”が、重たかった。
「……そうか。今なら、見える気がする」
王は背もたれに寄りかかり、静かに息を吸って、天井を見上げた。
「この事態の“原因”──何者か、思い当たる節はあるか?」
(……)
少し考えてみた。でも、頭の中は真っ白やった。
「……さくらです」
うちのその一言に、目が見開いた。
「さ──さくら!? お寺のさくらさんのこと!?」
「……そうです」
「な、なんで──いやいや、さくらはポータルなんて……そんなの……彼女はただ、儀式を……」
「………………」
……言葉が、詰まった。気むうの言ったことが──あまりにも、正しすぎて。それが……それだけが、信じたくなかった。
「……その“さくら”とやら。所在に、何か心当たりは?」
「ない」
「ありません」
「……ふむ、そうか」
「──恐れながら、進言いたします。陛下、彼女はそれほど遠くにいないのではと」
「ほう?マイルズ、どういう意味か?」
「つまり……次元間ポータルというものは、たとえ不安定なものであっても、“発生半径”にはおおよその傾向がございます」
「平均すると──世界のあらゆる座標に対して、約1300km圏内に出現する可能性が高い」
「ゆえに、彼女らとその“さくら”が同一ゲートから入ったと仮定すれば──件の人物が今もこの国、あるいは──隣国ディアブロにいる可能性が、極めて高いと考えます」
「……見事な見解だ、マイルズ。実に理に適っておる」
王は、目を閉じた。そして──思考を深く潜らせるかのように、沈黙した。
「……その……ご協力、感謝する。お二人とも。……少し、落ち着いてくれ。そんなに深刻に捉えることではない」
「誰かが死んだわけでもないし……我々は、ただ“証言”を集めているだけだ」
うちは深く息を吸った。なんか……胸がずっと苦しかった。
(三行以上ボケてない……新記録やん!?)
「……なあ、ヤギ」
「何だ、神い」
「……いや、なんでもない」
「……なんでもない?」
「ただ、“ヤギ”って呼んだら怒るかどうか試しただけー!アッハハハハッ!」
王は片眉を上げた。だが、その直後──ほんの少し、口元が緩んだ。
「ふふっ……ハハハ」
その時──
「……遅れてしまい、申し訳ありません」
その声は、低くて、落ち着いてて、若くて……なんか、妙に耳に残る。
──玉座の間の右扉から、静かに入ってきたのは、見知らぬ青年だった。
「おおっ!フルくん!久しぶりやな〜、兄弟!」
「調子はどうだ、マイルズ」
男は微笑を浮かべながら、マイルズに近づいた。マイルズも、どこか嬉しそうに歩み寄っていく。
(……で、あいつら誰?)
そう思って、その男の顔をちゃんと見た。
──うっわ。目の保養って、こういうことやねんな。歳はうちと同じくらいか、ちょい上? 背は高いし、顔は整ってるし、体つきも……ほどよい筋肉。重たくない騎士風の装いもバッチリ似合ってて……
(即☆恋、爆誕ッ)
しぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん……──と、思ったのも束の間。見えた。あれが。頭に──動物の耳。
(フ ッ ル か よ)
興味、秒速で消滅。
マイルズと……フルカフト(=ふるるん)は、王の前まで歩み出た。うちは、なぜか──本能で、ちょっと後ろに下がった。
まずはマイルズが軽く一礼。王は「ふむ」と頷くだけで、それに応じた。そして、その男はうちらの方へ向き直り、胸に手を当てて、深くお辞儀をする。口元には、なんとも温かい……いや、“完璧すぎる”笑顔。
「お会いできて光栄です、友よ」
(ナイス try、フル野郎)
うちは真剣な顔で、まるで娘の彼氏チェックでもするかのように、奴に近づいた。くんくん。
「……少なくとも、ケツは洗っとるみたいやな。クソガキが」
誰も止めなかった。なんでか知らんけど、みんな黙って見てた。顔を上げて、思いっきり真顔でにらむ。
「で、あんた、何歳なん?」
「十歳でございます、お嬢様」
「は?んなわけあるか。どう見ても二十はあるやろ」
その頃、横では──
「ぷす……気むう、姉上は今、何を……?」
「放っとけ。うちの姉は終わってる」
「放っておけぃ。あの距離感の保ち方、嫌いじゃないぞ」
(よし、再開や)
「タバコ、吸う?」
「いいえ」
「酒は?」
「特別な時だけです」
「……ふーん。で、嫁さんは?」
「いません」
「子どもは?」
「いません」
「──敗北者か」
軽蔑混じりに、ボソッとつぶやいた。
「──青信号」
そして、何事もなかったかのように、気むうのもとへ歩き出した。
小声で、こっそり言った。
「……あいつ、気になるなら譲るで? うちは“使用人”として使うし。愛と労働、ハーフ&ハーフで行こか」
「……変態」
スウェトボーレは小さくうなずき、咳払いをしてから口を開いた。咳、いるかそれ? いや、なんかテンプレやな。
「……さて。うむ……神いよ、そなたの……えー、“個性的な審査”、感謝する。うむ、多少の厳しさは、悪いことではない。……だが、できれば早く終わらせたいところだ。マイルズは分かっておろうが──この時間になると、“心のバラたち”の新話が始まるのだ。──見逃すわけにはいかぬ」
(うわ……めっちゃガチなドロドロ系ドラマやん、それ)
(……てか、韓国ドラマとかも好きなんかな?)
(全部終わったら、“イカゲーム”一緒に見よって誘ってみよか)
(あのヤギ、絶対ぶっ飛ぶやろ)
「よいか、任務は至って単純。恐れることはない。──ただの往復だ」
「……さっさと言ってや」と、うちは返した。
「そなたらには、ディアブロ王国へ向かってもらう。そこの王に、この“書簡”を届けよ」
王は片手を挙げ、しっかりと封がされた手紙を差し出した。封印、紋章、文字列──『フロワル王国』、『世界安定省』とかなんとか……見ただけで眠くなるようなガチ書類感。
うちは、それをふるるんに渡した。
「ほい、フルるん。これ持っとき。なくしたら、金玉ごとカットな?」
獣はただ頷き、手紙を──どこか、よく分からんとこにしまった。見てなかったけど、安全そうなとこやと信じたい。
「ちょい待ち!なんであんたが直接行かんの?サボり?」
「それはできぬ。我とディアブロ国王──キングストロングとの間には和平条約があり、その条項の中に“直接の接触を禁ず”とい──」
「はいはい、ストーップ!!何そのクソ長い説明!?うち、アニメのダメ脚本ちゃうねんで!?ちょっとは要約せぇや!」
「その……ええっと、まあ、確かに……」
スウェットボアは、必死に“荘厳モード”を取り戻そうとした。
「コホン……要するにだな、神い嬢。我は、ディアブロ王国への入国、およびキングストロングへの7km以内接近を──明確に禁じられておる」
「ふーっ、やっと言ったな?それや、それだけでええやん」
うちは盛大にため息をついた。
「……で、結局何?自分で出せへん手紙を、無関係な女の子二人に押し付けて、あんたは玉をかきながら“心のバラたち”見てるってわけ?」
(……)
「──“心のバラたち”をバカにするのだけは許さんッ!!」
「出ていけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
☆★☆
「──さて。皆さん。この扉の先が、出口です」
「久々の“自然の空”を見る準備は、できてますか?」
マイルズが、空気を盛り上げようと声をかけた。
簡単に言うと──スウェットボアに同行を命じられたのが、マイルズ。そのときの顔、見せたかったわ。「報酬は三百万フローリンです」って言われた瞬間、あいつ、マジで目キラッキラしてたもん。
(フローリンがどんくらい価値あるか知らんけど、たぶんめっちゃ多い)
フルるんは、いつも通り。別に真顔ってわけじゃないけど、テンション高くもない。ま、そういうとこも使いやすくてええな。
気むうはというと──ずっと考え込んでる感じやった。もうちょい引きずるかと思ったのに、意外と平気そう。
……にしても。あの任務。そんなにヤバいもんなんかな?
マイルズが扉を開けた瞬間──顔に差し込む、まぶしい光。
そこに広がっていたのは、透き通るような青空。さえずる鳥たちの声。そして、視界の彼方まで続く巨大な階段──
その一段一段には、無数の家々と、色とりどりの生き物たちが暮らしていた。
まさに、“誰もが憧れる異世界”や。
「ねえ、気むう……
フロワル──
いっくでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」