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第INTER-1話

あの朝──体の中に、何か変な感覚があった。理由はわからなかった。何がそうさせたのかも。けれど、それは確かに存在していて、私の思考を支配していた。だから私は……それ以外のすべてを、拒絶していた。「……うるさい。……どけ。」そう言ったのは、本心だった。でも、君の騒がしさが嫌だったわけじゃない。ただ、頭の中がいっぱいだった。それしか考えられなかったから。


顔を洗おうとした時、蛇口が詰まってた。いつもなら、そういう時は君が何とかしてくれていたから、自然と呼んだ。君の返事は、相変わらず騒々しくて……でも、それが嫌いじゃなかった。オタクっぽくても、君の“元気”は本物だった。私には、そう見えた。私は、ただ、あの嫌な予感しか感じ取れなかったというのに。


家を出た時、空に違和感を覚えた。不吉な気配。カラスが逆さに浮かんでいた。君も、きっと気づいていたはず。現実が、少しずれているような……何かがおかしい。そんな空気が、街に満ちていた。そしてその違和感が、周囲の人々からも感じられた時、私は確信した。これはもう、“恐怖”だった。


みんな黒い服を着ていた。私は、下を向いた。周囲を見ないようにした。何か考えてる“ふり”をして、君と話した。でも、何も耳に入ってこなかった。ただ、君の声だけが、遠くに響いているように感じた。


お寺の前に立った時、そこにはいつものような清らかな気配なんてなかった。むしろ、その逆。不穏な、黒い“何か”があった。魂を癒してくれるはずの場所──私にとっての避難所だった場所が、今では危険な場所に見えた。だから、私は震えた。そして、その場でただひとつの“安全”に手を伸ばした。姉の存在に。


中に入った瞬間、空気が水みたいに重くなった。息が、うまくできなかった。恐怖が肺を塞ぎ、意識も曇っていく。他にできることなんてなかった。ただ、膝をついて、空に祈った。


仏様は、願えば必ず助けてくれる存在ではないと知ってる。それでも、願った。もう“聖なるもの”なんて残ってなかったから。残っていたのは……君だけだった。


助けてほしいなんて思わなかった。ただ、苦しまないようにと願った。それも無理なら──君だけでも、助けてください、と。


君が、私の腕を掴んだ。祈っていた私を、立たせてくれた。その瞬間、自分が何をしていたかようやく思い出した。私も、君の腕を掴み返した。そして、身を委ねた。もう、自分で選びたくなかった。ただ……存在したくなかった。


あの札も、あの空気も──全部壊れていた。もうこれ以上、悪くなることはないと思った。


でも、その時だった。床から、「ミシッ」という音がして。青い穴が、地面に、開いた。


私たちは、手を繋いでいた。君は、私が吸い込まれないように──


必死で支えてくれた。でも……姉にとって、“重り”になる妹なんて、どうなんだろう。生き延びるために必要なのは、“足かせ”じゃない。だから、私は思った。「離れてほしい」って。初めて──叫んだ。


でも君は、聞かなかった。だから、自分で動いた。意図的に──手を、離した。


……でも、それが間違いだった。


君は、それでも──制服を掴もうとした。


そのせいで──私たちは、二人とも、落ちた。


落ちたのは、“ただの穴”じゃなかった。


眩しくて、チカチカしていて、何もかもが現実離れしていて。君も、見たよね?


そこに、いたよね……姉ちゃん。


血が熱くなって、意識が遠のいていく中、いくつかの“何か”が見えた。


でも、私を救ったのは──一輪の薔薇だった。白い、薔薇。


その薔薇は、やさしい目で、私を見つめていた。


すぐに、感じた。


これは……私と“繋がってる”。


姿が似ているわけじゃない。でも、まるで双子みたいだった。


その薔薇があったから、私は──落ちていることすら忘れそうになった。


その薔薇だけが、私を“理解してくれてる”気がした。


でも、私の“意識”は──あの台所に落ちた瞬間、ぷつりと切れた。


体は動いてた。でも心は……まだ、あの薔薇の中にいた。


だから、何も言わなかった。


だから、何も抵抗しなかった。


だから、怖くなかった。


白の薔薇、

白の薔薇、

白の薔薇──


頭の中、それだけだった。


でも、あの部屋に入った時。木の机。古い椅子。素朴すぎる空間。


薔薇は、消えてた。


守られていたはずのものが、なかった。


安全だった“場所”が、消えていた。


少しずつ、意識が戻っていった。ここはどこ? 私たちに何が待っているの?


あのヤギの目は、まるで“裁く者”の目だった。


父に怒られた時よりも……怖かった。


ここにいたくなかった。


いっそ地面に飲み込まれた方が、まだマシだった。


強くなりたかった。でも、無理だった。


小さな“悲しみのサイン”が、一つずつ……こぼれ落ちた。


終わりだと思った。


どうせ私たちは、ここで死ぬんだって。


でも──


あのヤギが、“薔薇”の話をした。


もしかして……


あの白い薔薇は、本物だったのかもしれない。


あの薔薇たちは──“神”だったのかもしれない。


私を、助けようとしてた。


そう感じた。


でもその直後、ヤギは──魔法で私たちを狙ってきた。


わかった。


きっと私たちは、もう“この世界”のものじゃない。


諦めた。


……でも、ちょうどその時だった。


あの毛玉が、こう言った。


「薔薇が──反応しました。」


ヤギが、赤い花びらを差し出した。「触れてみよ」と言われた。けれど──私は、そこに“繋がり”を感じなかった。流れてきたのは、違う“何か”。その花びらには……君の“気配”があった。姉ちゃんの。


私は、それに触れた。そして──何も、起きなかった。


ヤギは、不満そうだった。一発で“反応”すると思っていたんだろう。もう、それ以上試す気もなく……私たちを、処刑することを考えていた。


その時、胸の奥に、小さな罪悪感が走った。


でも……気づいた。


ヤギは、優しかった。悪い存在じゃない。それだけは、はっきりとわかった。きっと……ただ、迷っているだけ。


そして、その“迷い”の中にできたわずかな“すき間”で──


彼は、白い花びらを差し出してくれた。渋々、という顔で。


でも──その一瞬だけ。


ヤギが、“人”に見えた。


言葉じゃなかった。


ただ……そう“感じた”。


白の花びらが、目の前にあった。


あの時と同じ、“繋がり”を感じた。


私は、それにそっと触れた。


一瞬だけ……守られている気がした。


美しかった。


でも、いつものように──


いいものは、長くは続かない。


私たちは、あの部屋に閉じ込められた。


“親しげ”に見える牢。


でも、それは──ただの牢だった。


私は、運命を受け入れた。


たぶん……もう、しばらく家には帰れない。


それが、私を内側から壊した。


私が、


ただ一つ、望んだもの。


白の薔薇。


――お姉ちゃん、大好き。

吉水 気むう

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