第16話:悟り顔で言うなバカフルカフト!!
「はぁぁ〜……フルカフト、もう無理ぃ! 疲れたってば!」
今日も、まあ――いつも通りの“普通じゃない日”だった。
数日間ずっと歩きっぱなしで、足が棒みたい。
あの中国女、最近まったく見かけない。
……まさか、本当に消えた? いや、あの人に限ってそんな平和な展開、あるわけない。
でも、今のうちに休んでおこうってことで、近くのフルーツの森で小休止。
ついでに、ちょっとした訓練でもしようって話になった。
だってさ――最近、体がカッチカチで、まるで関節のないマネキンみたいなんだもん!
「神い、まだたったの十分しか経ってないぞ。もう疲れたなんて言うのか?」
「は? 十分!? 十分って、永遠のこと言ってる!? 足、爆発するんだけど!」
フルカフトは腕を組んで、まるで仏の修行僧みたいに座っていた。
落ち着いた声で、「これはまだ準備運動だ」とか言ってくる。
……は? 準備運動? あたし今、二キロ走ったんだよ!? 二キロ! それで“準備”とか、どんな地獄メニュー!?
「落ち着け、神い。まずは座って。魔力を鍛える前に、体を動かしておく必要があるんだ」
「む、むりぃ……! 足、もう動かないってば!」
言われるまま、あたしは彼の隣に座った。
フルカフトの座り方は、ほんと仏像そのもの。
朝の神社で見た“悟りポーズ”を、そのままコスプレしてる感じ。
……この毛玉、なにか教えようとしてるんだろうけど、
何を考えてるのか、全然読めないんだよね。
「いいか、神い。まずは落ち着こう。いち、に、さん……息を吐いて。吸って……吐いて……吸って……そう、いい感じだ」
「はぁ!? ちょっと待って、誰が“いい感じ”だって!? あんたさっき、あたしに二キロ走らせたでしょ!?」
「呼吸を整えないと、魔力が乱れるぞ」
「乱れるのはこっちの精神だわっ! 心臓バクバクなのに“落ち着け”って無理あるでしょ!?」
あたしは地面をドンと叩きながら、フルカフトの穏やかな顔を睨みつけた。
……いやほんと、なんでそんな悟り顔で言えるの。
「落ち着け」って言葉ほど、ムカつくタイミングで使われる単語、他にある?
「ほら、神い。もう少しだけ落ち着いて。深呼吸だ、いいな?」
……フルカフト、その“悟りフェイス”のまま、人の怒りスルーするなっての。
でも、どうせ言っても無駄だろうし。
あたしは仕方なく言うことを聞くことにした。
服従なんて大嫌いだけど――この状況じゃ、逆らう方が体力の無駄。
だから、できるだけ優雅に座り直して、肩の力を抜いた。
ゆっくり息を吸って、吐いて……吸って……吐いて……
不思議なことに、さっきまで暴れてた心臓が、少しずつ落ち着いていく。
……え、嘘でしょ? 本当に効いてるの?
まさかこの毛玉、意外とちゃんとした先生だったりして。
「ふぅ……。で、フルカフト。次は何させる気?」
「さて、神い。」
フルカフトが木の枝をかき分けながら言った。
「ここはフルーツの森の奥だ。訓練にはちょうどいい場所だろう?」
「……は? ちょうどいいって何の話?」
「少し木を切るんだ。力の感覚をつかむには、自然が一番だ」
「ちょっ、それって環境破壊じゃない!? 森の精霊とかに怒られるやつでしょ!」
「安心しろ、合法だ」
フルカフトは落ち着いた声で笑った。
「ここの木はウサギみたいに繁殖する。十年もすれば歩く場所がなくなるほどな。少し切ったところで問題ない」
……ウサギみたいに増える木って、どんな森だよ。
あたしは眉をひそめながら立ち上がり、服についた土をパンパンとはらった。
「はいはい、わかったよ、先生。切ればいいんでしょ、切れば」
「神い、手をこうやって出してみろ」
フルカフトが妙なポーズをとった。
片腕を剣みたいに胸の前へ――肘を曲げて、前腕をぴたっと体に沿わせる感じ。
……なにそのポーズ。どこの武術アニメ?
半信半疑で、あたしも真似してみた。
「それで、次は?」
「その腕を――エネルジアの刃に変えてみろ」
「……は?」
「集中しろ。自分の中の力を腕に流して、形を作るんだ。鋭く、切っ先を意識してな」
いやいや、言うのは簡単だけどさ!?
腕を剣にするとか、どう考えても無理あるでしょ!?
けど、ここ異世界だし。いまさら何が起きても驚かない。
……よし、やってみるか。
あたしは息を吸い、右腕の中にエネルジアを集める。
集中、集中――形を……尖らせるイメージ……!
じわり、と光が走った。
前腕のあたりから、刃のような光の線が伸びていく。
まるで――ゴクウブラックの腕の剣みたい。
「うわ、マジで出た!? って、これ絶対あのアニメのやつじゃん!」
「ちょ、ちょっと待って! どっからそんな発想出てくるの!? 腕を剣にするとか、頭おかしいでしょ!」
あたしが叫ぶと、フルカフトは苦笑した。
「神い。俺は“王の近衛隊”所属だからな。こういう訓練、特別なもんじゃない」
「はぁ!? え、なにそれ今さら!? 重要情報すぎるんだけど!」
「言うタイミングがなかっただけさ」
「言い訳禁止! ……で? そんな訓練どこで覚えたの?」
「……昔の話だ」
「はい出た、“昔の話”。そういうの一番気になるんだよ。話して!」
「いや、今は――」
「いいから喋れっ! 語れフルカフト!」
フルカフトは軽く息をついた。
森を渡る風が、彼の声を撫でる。
「……うちは貧しい家でな。肉なんて滅多に食えなかった。
だから狩りに出て、夜明けの森を走った。
けど村の奴らは俺たちを“野蛮”って笑ったよ」
「うわ、それ腹立つね」
「だろう? でも父は穏やかな人で、怒らなかった。
“生きるのに恥なんてない”――そう言って、ただ笑ってた。
その笑顔が、俺の救いだった」
「俺には、生まれつき“白虎”の血が流れていた。
けど、力の制御ができなくてな。
子どものころは怒るたびに、体が勝手に変わってしまった。
牙と爪が出て……目の前が真っ白になる」
「……うわ、それ、ヤバいやつじゃん」
「そうだった。だから、父が付きっきりで訓練してくれた。
焦るな、呼吸を感じろ、風の音を聞け――
“静けさの中に力がある”って、何度も言われた」
「毎朝、夜明け前から稽古した。
呼吸、足運び、心の整え方。
三ヶ月、いや、もっとかもな。
父は一度も怒らなかった。
俺が失敗しても、ただ笑って“また明日やろう”って」
「その訓練のおかげで、ようやく力を抑えられるようになった。
そして、試験を受けて、近衛隊に入った。
父は笑ってくれたよ。“やったな”って。
それが、最後の言葉になったけどな」
風が止まる。森の影が深くなる。
「病気で倒れた。
でも、あの人の静けさと希望は、今も俺の中にある。
白虎の力を振るうとき、心を荒らすな――
それが父の教えだ。
穏やかで、強くあれ。
――それが、俺の芯だ」
沈黙。悲しみじゃなくて、光のような静けさ。
「……なんかさ、ずるいよね」
あたしは小声で言った。
「そんな話、かっこよすぎて突っ込めないじゃん」
「ふっ……」
フルカフトが笑った。
その笑顔が、風を取り戻したように見えた。
自分の腕を見下ろした。
そこには、淡い光を放つエネルジアの刃――まるで透き通るような剣があった。
「……えっと、これ、ほんとに出ちゃったんだけど」
フルカフトが頷く。
「うむ。それで――木を切るんだ」
「はぁ!? ちょっ……木!? この神々しい刃で!?」
「そうだ。練習にはちょうどいい」
「……なるほど。いや、なるほどじゃないけど……なるほど、なのかな……?」
腕の中の光が、ふるふると揺れた。
深呼吸。
胸の奥まで空気を満たして――ゆっくり吐く。
目の前には、立派な一本の木。
「……ごめんね、木さん」
軽く頭を下げて、腕を構える。
エネルジアの刃が、淡く光を放った。
「――っ、はああああああっ!!!」
ズバァァァン!!!
一閃。
木は音もなく、トマトみたいにスパッと真っ二つ。
次の瞬間、ドォォン! という轟音とともに、地面に倒れ込んだ。
葉が舞う。森が一瞬、静まり返る。
「……うそでしょ。今の、私……やったの?」
……その時だった。
「……ん?」
どこからか、低い声が聞こえた。
「……うぅぅぅ~~~……」
空気が一瞬、ざわりと揺れた。
え、なに今の。誰? っていうか、木?
目の前の切り株が、ぶるぶる震えて――
ドロリ、と樹皮の表面が動いた。
「うわっ、ちょっ、顔!? 顔生えてる!?」
そこには、しわくちゃのオッサンみたいな顔があった。
眉間にシワ、口は小さな「お」の字。
完全に怒ってるモアイ像バージョン。
「え、えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?」
と思った瞬間、周りの木までぐらぐら動き出した。
根っこをブチッと引き抜いて――
「うぅぅぅぅぅ~~~!!」
走った。
木が。走った。
しかも全力疾走で。
「なんでぇぇぇ!? 森が逃げてるぅぅぅぅ!!!」
「はははっ、神い。追え! 逃げる木を全部切ってみろ!」
フルカフトはいつも通りの落ち着いた笑顔でそう言った。
「はぁぁぁぁ!? あんた正気!? 森が暴走してんだけど!!」
「訓練にはちょうどいいだろう?」
……何この人。悟りすぎて怖い。
「わかったよぉぉぉ!! やってやるわぁぁぁぁ!!!」
あたしは叫びながら、木々の群れに突っ込んだ。
「待てぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
森の中を、光の刃を振りかざしながら、木とJKが全力で駆け抜けていく。
逃げる木々の「うぅぅぅ~~~」と、あたしの「きゃぁぁぁぁ!!」が、カオスなハーモニーになった。
森が息をしている。
いや、違う。森が――怯えている。
「……よし、わかった。やるよ。」
自分でもびっくりするほど、声が落ち着いていた。
あたしは構えをとった。
右腕にエネルジアを集中。
心臓が打つたび、光が脈を打つ。
まるで獣が骨の奥で目を覚ますみたいに。
視界の端で、木が動いた。
逃げる。震える。呻く。
「うぅぅぅ~~~~~!」
それが引き金だった。
「っしゃあああああああ!!! 行くぞおおおおお!!!」
走った。
枝を蹴り、風を裂き、あたしは獣みたいに飛んだ。
地面が鳴る。空気が焼ける。
右腕の光が軌跡を描き、森に閃光の線を刻んでいく。
一本。二本。三本。
ズバッ、ズバッ、ズバババババッ!!!
倒れる音が重なって、もはやドラムロール。
木々の叫びが混ざり合って、まるで合唱。
「やかましいぃぃぃ!! 森のミュージカルとか興味ねぇぇぇ!!!」
笑ってるのか叫んでるのか自分でもわからない。
でも、もう止まらなかった。
腕の中でエネルジアがうねり、牙を剥く。
——切る。
——切る。
——切る。
それしか考えられない。
何かが吹っ切れたみたいに、身体が軽い。
音も、痛みも、全部遠い。
木々が逃げる。
でも、逃げても無駄。
あたしはJK最速の伐採機。
「エネルジア・ストリーム・オーバードライブッ!!!」
刃が咆哮した。
光が弾け、視界が真っ白に染まる。
風がすべてを巻き込み、葉が雪みたいに舞う。
息を吐いた瞬間、膝が笑った。
「……っはぁ……はぁ……」
森が静かだ。
音も、声もない。
さっきまで暴れてた木々は、どこか遠くへ消えていた。
腕の光がゆっくり消える。
指先に残ったのは、熱と震えだけ。
「ふ……っ、ふふ……やっべ、あたし今……世界一かっこよくない?」
草の上にへたりこんで、空を見た。
雲が流れていく。
「……見事だ、神い。よくやった。」
フルカフトの声。
「でしょ……? でも……足が、死んだ……」
彼は笑ってた。
あたしも、笑った。
風が一度だけ吹いて、
その音がまるで“お疲れ”って言ってるみたいで、
少しだけ、泣きそうになった。
──その頃、別の場所では。
──・──・・✧ ・・──・──
「……気むう、準備はいいか?」
マイルズの声は、いつも通り穏やかだった。
彼は少しだけ浮かびながら、尾をゆっくり揺らしている。
その動きが、“集中”の合図みたいに見えた。
「はい。」
私は短く返した。
胸の奥に、小さな波紋が広がる。
夕暮れの風が、頬をなでた。
空は橙から紫へ変わりつつあって、
世界が静かに息をしているようだった。
攻撃班と防御班に分かれての訓練。
神いとフルカフトは森の奥へ。
私とマイルズは――風が抜ける平原に残った。
彼は少し距離を取って、浮かんだまま。
尾がゆらゆらと左右に揺れる。
そのリズムが、心臓の鼓動みたいで。
……なぜだろう。少しだけ落ち着く。
……その時だった。
何の前触れもなく、目の前に一頭の鹿が現れた。
音もなく。光もなく。
ただ、“そこにいた”。
鹿は首を下げて、静かに草を食んでいる。
まるで最初からこの場所にいたかのように。
「……幻覚?」
思わず呟く。
「違うよ」
マイルズが尾をひと振りした。
「実体だ。たぶん“生成”に近い。
気むう、試してみよう。少しだけ、この鹿に“ホルモン”を流してごらん」
「……ホルモン?」
「うん。感情の触媒。怒りでも、喜びでもいい」
私は少しだけ息を吸った。
生き物への干渉は、今までやったことがない。
ましてや、さっき“生まれた”ような存在には。
けれど、マイルズの瞳は穏やかで。
その静けさが、不思議と勇気をくれた。
「……了解。」
右手を前に出す。
指先から、淡い光がにじむ。
鹿の輪郭が、ほんの少し揺れた。
鹿の意識を探る。
脳の奥、光の糸みたいな“根”を辿って――
けれど、すぐに霧のように散った。
……届かない。
理性のない思考は、輪郭がない。
流れを掴もうとしても、指の間からこぼれていく。
感情も、言葉も、そこにはなかった。
「ふ……っ」
小さく息が漏れる。失敗。
「気むう、落ち着いて」
マイルズの声が、静かに響く。
「それは“知性”の根じゃない。
この子たちは“本能”で生きてる。
心の形が、違うんだ。」
「……本能。」
「そう。
考えようとするな、感じるんだ。
理屈を抜いて、彼らのリズムに合わせる。
彼らは、思考ではなく“反射”で世界を感じている。
それが、彼らの根なんだよ。」
マイルズの尾がゆっくり揺れる。
まるで、呼吸のリズムを刻むみたいに。
私はそれに合わせて、再び息を吸った。
もう一度、意識を沈めた。
今度は“思考”ではなく、“本能”を探す。
……でも、“本能”って、何だろう。
鹿の中には、いくつもの声があった。
眠る、走る、逃げる、食べる。
全部が混ざり合って、渦みたいに回っている。
秩序なんてなかった。
城でマイルズと練習した時みたいな“線”は、どこにも見えない。
指先で、そっと一つの波を動かす。
……そこへ、オキシトシンを少し。
光の粒が、鹿の神経の奥へ沈んでいった。
次の瞬間――鹿がぴくりと動いた。
「……?」
首をかしげたかと思えば、前脚を曲げ、ぴょん、と跳ねた。
ぴょん。ぴょん。ぴょん。
「……え。」
鹿は、完全に“跳ねていた”。
その姿は、どう見ても――カエル。
「……はぁ。」
もう、驚く気力もない。
五十回目くらいの、既視感。
(作者殿、お願いだから、カエルをギャグ素材にするのはそろそろやめてください。)
その時、ふと――思い出したことがあった。
「……マイルズ。」
「ん? どうした、気むう。」
風が一度止まる。
夕暮れの光が、ゆっくりと傾いていく。
鹿――いや、カエルっぽい何か――が、静かに草の上で跳ねていた。
「……あなた、今、幸せ?」
自分でも驚くくらい、自然に出た言葉だった。
ずっと考えていたこと。
でも、誰かに尋ねる勇気はなかった。
“幸福”という現象。
どう測ればいいのか、どう触れればいいのか。
数値も形もなくて、ただ、そこにある気配みたいなもの。
今、それを知りたかった。
この奇妙な世界で、少なくとも――誰かの口から。
「ははっ……なんだいその質問。いきなりどうした、気むう。」
「質問です。」
マイルズの尾がぴたりと止まる。
一拍の間をおいて、またゆらゆらと揺れた。
「……ふむ。じゃあ、正直に言おうか。」
彼は少し浮き上がり、珍しく声に熱を帯びた。
「俺はいま、“宇宙の未来を左右する任務”の真っ最中だ。
隣には現実感ゼロの姉妹がいて、うるさい方はバグ修正のたびに叫び、
唯一まともに戦力になるのは、虎にもなれる毛玉。
スウェトボーレ陛下の命令は山ほどあるし、
挙げ句の果てに、チクワル人の女が定期的に襲ってくる。
頭痛が治る暇もない。
そんな状況で“幸せ”かって? ……いい質問だな。
答えは――ノーだ!」
その瞬間、彼の声が少し跳ねた。
いつもの穏やかさの奥に、疲労と自嘲の混ざった音。
私はただ、じっと見ていた。
彼の言葉を整理して、静かに心の中で区切る。
「……理解しました。」
風が通り抜けた。
その音だけが、彼と私のあいだに残った。
その時だった。
すぐ近くの木の上部が、がさり、と不自然に揺れた。
枝の先が震えて、葉がざわめく。
風のせいじゃない。
「……え?」
同時に、マイルズの瞳が鋭く光った。
私たちはほぼ同時に、そちらを向く。
空気が一瞬、張りつめた。
私はゆっくりと歩き出し、木の根元まで近づいた。
影の中から見上げると、
枝のあいだから、何かの気配が降ってくる。
「……まさか。」
口の中でつぶやく。
そして、小さく笑った。
「……噂をすれば、ってやつね。」
「……え、るん……ぐるる……?」
聞き慣れた声。
木の上から、微妙に情けないうなり声がした。
枝の影を見上げると――そこにいた。
香蒂。
枝の上で、体を変な角度に折りながら、
必死にバランスを取っている。
落ちるか、落ちないかのぎりぎり。
……なんというか。恥ずかしい姿勢だった。
「……。」
彼女は気づくと、顔を真っ赤にして飛び降りた。
土を蹴って、軽やかに着地。
それだけは、さすがだった。
「ふ、ふんっ……!」
腕を組み、視線を逸らす。
そのツンとした態度は、まるで“何も見られていませんでした”のポーズ。
……いや、全部見たけどね。
「……攻撃しないのか?」
そう訊くと、彼女は一呼吸置いて、ぶっきらぼうに答えた。
「……しない。怒りはあんたの姉さんに向いてるんだよ、虫けら」
一瞬、空気が鋭くなる。
マイルズは少し離れた場所から、尻尾をゆらゆらと揺らしながら観察している。
私は手を軽く横に振って、全てが掌握下にあることを示した。
それで、彼は落ち着いた。尾の動きがふっと緩む。
「どうして神いを殺すことに執着してるの? 確か、あんたの彼氏がきっかけだったんじゃないの?」
私は冷静に切り出す。言葉は短く、芯が通っている。
香蒂は胸を張って、でも視線は逸らしたまま。
「わかんないの? 私の彼は、強くて美しい女が好きなの。
で、私が強くなるためには、神いを倒すしかないのよ。
彼女は可愛いし、強いし、ズルい。だから、私が上回らなきゃ」
「でも、うちの姉は戦闘能力が高い。多分、カセイハ一撃で終わるわ」
それを聞いた瞬間、彼女の顔が曇る。
小さく、力が抜けたような声。
「……ほんとに?」
その希望の無邪気さは、妙に哀れだった。
私は余計な言葉を重ねずに頷く。
彼女はしばらく黙って、腕を組んだまま空を見ていた。
「でも、あんたの方が神いより綺麗だと思うけど。……なんでそこまで必死になるの?」
私が言うと、香蒂はびくっと体を震わせた。
「な、なに言ってんのよ!?」
勢いよくこちらを向く。
頬が少し赤い。
「神いのあの顔! あんな“自然すぎる化粧”、見たことないのよ!
まるで地獄の魔女みたいに美しいの! ……いや、あんたもそうよ!
まさか、あんたたち……魔女なの!?」
「魔女? 化粧?」
私は小さく首を傾げた。
「違う。落ち着いて。私たちは魔女でもないし、化粧もしてない。」
「えっ!? 魔女でも化粧でもないの!?
じゃあ、あんたたち……何なの!?
なんで顔が“改造されてない”のに、そんな綺麗なの!?」
「顔を改造……? あんた、自分の顔をいじってるの?」
「もちろんよ!! 地獄の魔女たちみたいな“究極の美”に近づくために、
みんなそうしてるわ!」
「……じゃあ、本当の顔は?」
その瞬間、香蒂の肩が小さく震えた。
目を逸らし、声が細くなる。
「……ちょ、ちょっとだけ、両親に似てる感じ……」
「そう。」
私は静かに頷いた。
その頬の陰りが、ほんの少しだけ――人間らしく見えた。
「でも本当に、なんで魔女じゃないの? どんな化粧を使ってるの?」
香蒂はしつこく食い下がってくる。
「だから言ったでしょ。化粧なんてしてない。……私たちは“人間”よ。」
「……人間?」
「うん。この宇宙の“平面”には属していない。ただ、それだけ。」
「そ、そんな……。じゃあ、本当に別の種族……?」
彼女の目が揺れた。
信じたいのか、信じたくないのか、自分でも分かっていないようだった。
「……人間って、強いの?」
「さぁ……訓練次第、かな。」
「強さは、美しさの一部だと思わない?」
彼女の声には、どこか切実な響きがあった。
私は少し考えてから、静かに答えた。
「違うと思う。
美しさと強さは、同じ方向を向いてることもあるけど、
根は、別の場所にある。」
風が一度だけ吹いて、彼女の髪を揺らした。
その瞳の奥に、わずかに迷いが見えた。
その瞬間、木の上から妙な影がぶら下がった。
猿みたいに枝にぶら下がっているのは――あの姉妹、神いだった。
顔はふくれ、まるでふじょしが漫画のキャラを見つけたときのような不満顔だ。
「で、力と美しさが何の関係あるわけ?」
彼女がそう言い終わらないうちに、香蒂が突然、木を一撃でなぎ倒した。
ドン!!!
木は豪快に音を立てて倒れ、土埃が舞う。
神いは身軽に飛び降り、ぴょんと着地して即座に構えた。
「お前は何もしなくても見られるのは、可愛いからだって……」
香蒂の声は、いつになく暗く、痛みを帯びていた。
まるで、自分の胸に刺さった何かを刃で引き剥がすような言葉だった。
神いは一瞬、首をかしげる。表情は混乱そのもの。
「よっしゃ、また始まんのか」
彼女はふっと笑って、戦闘態勢をとる。軽薄に見えて、その目は本気だ。
空気がぴんと張る。
木の葉がまだ降り積もる中、二人の距離がぎゅっと縮まった。
私は後ろで、静かに息を整えて見守る。
ここから先は、言葉じゃなくて力のやり取りになるだろう――それを、確かめるだけ。