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第12話:…と真実。

「てめぇ……このクソジジイ……ぶっ飛ばしたるからなッ!!」

心ん中で毒づきながら、全力ダッシュ。


あのババアに教えられた路地や──ここ突っ込んで、妹取り返すんや。

ケツ蹴り飛ばす人数?そんなん、必要なら何人でもやったるわ。


路地入った瞬間、鼻ツンとくる都会裏のニオイ。

死んだネズミか思うくらいの腐った臭いに、頭上ではサビサビのパイプから茶色い水がポタポタ……。


──でも、そんなもん気にしてるヒマあるかい。


うちはそのまま走った。

“事件の奥”へ、まっすぐに。


近づくにつれて、路地が思ってたより……いや、正直“長すぎ”やって気づいた。

しかも足元はパイプだらけ。

滑らんように、一歩一歩ペース落として進まなあかん。


「はぁ……やってられへんわ……」

ブツブツ言いながら、パイプをひょいひょい避けていく。


──その時や。

なんか動いた気配。


パッと顔を上げた。


……見えた。

ネズミよりはるかにデカい──いや、比べもんにならんくらいの影。


「……気のせいやろ……」

そう言い聞かせながらも、足は止まらん。


路地はどんどん狭くなって、まるで洞窟の奥に潜り込んでるみたいやった。


歩き続けるうちに──

鼻ん中いっぱいに広がってきたのは、絶対ヤバい液体のニオイ。

なんやろ……未確認ウイルス5種類は詰まってそうな、放射能まみれのドブ臭。


「……気むう……どこ行ったんや、アホ妹……」

小声で毒づく。


──またや。

何か動いた。


ズシャッ!


「……えっ……?」


今度ははっきり見えた。

背を丸めた影。しかも、緑色のマント。


「……あのクソジジイやんけ」


足を速めて、パイプをひょいひょい避けながら追いかける。

ここで逃すわけにはいかん。


──飛ぼうかとも思たけど、この狭さやと翼広げる前に壁に頭ぶつけて終わりや。


数秒後──ようやく路地の突き当たりが見えてきた。

行き止まりの壁。その右側の壁に貼り付くように、ぼんやり光る街灯。

そして……ドアの取っ手らしきものが一つ。


「……よっしゃ……」

内心ちょっとガッツポーズしながら近づいていく。


──その瞬間や。


あの悪魔みたいな影が、ほんの一瞬──いや、コンマ秒でドアの前に移動した。


そいつはずっと背を丸めたまま、全身を緑のマントで覆ってる。

顔は完全に隠れてて……ただ、ほんの少しだけ首を傾けた。


「……おや、そこにいたのか……」


ジジイはフラフラとした足取りで、そのドアを開けた。

見た感じ……プラスチックっぽい素材で、いつ崩れてもおかしないほどボロボロや。


そいつは中に入って、ドアを開けっぱなしにしたまま──まるで「ほら、入れや」って言うみたいやった。

ほんま、自分ち帰ってきたみたいな顔で。


うちは警戒しながらも、そのまま足を踏み入れる。


「……なんやねん、ここ……カタコンベ暮らしか?そら子供も攫うわな、クソジジイ」

小声で毒づきつつ、さらに近づいた。


「……ほぉ、うちの影ども……ちゃんとここまで導いたみたいやな……」

ジジイの声はガサガサで、低いんか高いんか分からん──一生タバコ吸い続けたまま80まで生きたような、あの独特な喉の潰れ方やった。


中に入った瞬間……外からじゃ絶対想像できん広さ。

まるで学校の体育館クラスの空間が、天井の高いランプに照らされて広がってた。

妙に空気が薄くて……なんか、現実と夢の境目みたいな“スキマ”に迷い込んだ感じ。


──でも、そんなんどうでもええ。


目の前に並んどったのは、何十人もの若者たち。

全員がピンと背を伸ばして、整列。

虚ろな目、瞬きもせん、反応もせん……完全に“心”が抜け落ちたみたいやった。


……そん中、一番前に──すぐ分かった。


気むう。

冷たい。

今までで一番……冷たかった。

表情も、視線も、全部止まってる。


「──気むうぅぅぅぅぅっ!!!」


うちは気むうの両肩をガッと掴んで、必死に揺さぶった。

……でも、まったく反応せぇへん。


「なにしたんやコラァァァァァ!!!?」


怒鳴りながらジジイの方に振り向く。

胸の奥で、今にも爆発しそうな怒りがドクドク湧き上がってくる。


「ゴホッ……ゴホッ……」

ジジイは咳き込みながら、ドアのそばに転がってた杖を手に取った。


「……ほぉ……それ、必要なんか?」


はぁ!? 必要かどうかやと!?

うちの妹こんな状態にして、その口のきき方……マジで頭イカれとんか!?


「──あたり前やろがッ!!うちの大事な妹やぞ、このクソジジイ!!」


ジジイはゆっくり深呼吸して、目ぇ閉じて、わずかにアゴを上げた。


「……ほぉ……あれが……“お前の妹”……か?」


ジジイは落ち着ききった、しわだらけの顔で──まるで足の先から頭まで値踏みするみたいに、じーっと見てきた。


「……そうは見えんな」


「はぁぁ!?どういう意味やそれ!!」


「まぁまぁ、落ち着けや。ワシはただの“歩く渡り人”や。

誰にも要られん魂を拾って回っとる──そういう仕事やな。裏口商売や、闇取引や、まぁそんなもんや」

ジジイは、あたかも「今日はいい天気やな」くらいのテンションでコクコクとうなずきながら言いやがった。


「──ほな、その魂、今すぐ返さんかい!!さもないと、その首ごと吹き飛ばしたるぞ、クソジジイ!!」


「いやぁ……最近この商売も落ち目でな。今日だけで三人も、こうやって“返せ返せ”言いに来よる。

ま、ワシは構わんよ。要る言うなら返すだけや。

……ただな、一つ知っときたいことがあるんや」


「……説明せぇや」


「──お前は、それ……何のために要るんや?」


「そんなアホみたいな質問あるかい。妹なんてな、“妹やから”要るに決まっとるやろが、ドン・シワシワ」


「ほぉ……せやな、妹は妹、血のつながり、家族……ふむ、分かる分かる。

──けどな……ほんまに“役に立っとる”か?お前の妹は、何をしてくれとるんや?」


「はぁ!?知るかそんなもん!何が言いたいねんジジイ!うちらにはチームがあって、気むうはその一員や、それで十分やろ!」


「……ほぉほぉ……なるほどな。妹はチームの一部。大きい組織の中のひとつの駒、そういうことやな。

ようある話や、“仲間”とか“兄妹”とか──まぁラベル貼るだけの関係、うんうん」


「ちゃうちゃうちゃう!そうやない!!妹は“家族”や!!だからさっさと──」


「……ひとつ、聞かせてもらおか」

ジジイは声を荒げることもなく、すっとかぶせてきた。


「お前……あの子があんまり喋らんこと、気づいとるやろ。せやな?ほとんど口開かん。

──ほな、お前は何してあげとるんや?“喋らせるため”にな」


「はあ!?そんなもん、性格やろが!気むうはもともとそういう子や!なんでお前にそんなこと言われなあかんねん、クソジジイ!!」


「ほぉほぉ……なるほどな。まぁ、ようあるわ。

シマウマが白黒で泣かんかったら、そのシマウマは無視してええ──そういう扱いやな。うんうん、よう見てきたで。

……で、いつからや?あの子がそうなったんは」


「……は?そんなん……ええから、もう──」


「ワシな……あの子が笑うん見たことあるんや。せや、ここやない。もっと前や。

肩で小さく笑う、あの控えめなやつや。お前がおらん時にな」


「……はぁ?」


「せやせや、他のやつらとおった時や。

耳元で何か言われて、下向いて、口の端がちょっとだけ上がった。

誰も気づかんかったで……せやけど、お前もや。目ぇの前におっても、気づかんかった」


「……で?何が言いたいんや?」


「別に、何がしたいわけやない。ワシはただの流れ者や。

──けどな、あの子は“お前が見てへん時”でも、生きとる。存在しとるんや」


「そら存在しとるに決まっとるやろが!当たり前や!何が言いた……」


「ほぉほぉ……おもろいな。ふむ、分かるで。

あの子が“お前の物語”に出番ない時、シーンに絡まん時、お前のカメラは他に向くんやな?

動かん家具は邪魔にならんし、家具がしゃべる時だけカメラ向ける──そんな感じやろ?」


「おいコラ、ジジイ。うちは気むうのやり方を尊重しとんねん。

喋りたないんやったら無理に喋らせたりせぇへん、それでええやろが!」


「ほぉ……そら“尊重”やな。せやけどな、見てへん相手を尊重するんは、簡単なことやで」


ジジイは杖をコツッと鳴らして、一歩だけ前に出た。

まるで、この会話の証人やって言うみたいや。


「ワシはな、正直者や。魂を売って、客が買って、それで商売成立や。

揉め事はごめんやし、興味本位や──ただひとつ知りたいだけや。

あの子がなんで黙っとるんか、お前は一度でも知ろうとしたことあるんか?

選んで黙っとるんか、恐れからなんか、それとも……お前がその沈黙を“当たり前”にしとるんか」


「……あー……いや、知らんがな。うちカウンセラーやないんやぞ。

気むうは昔からああや、頼んだら急に長ゼリフ吐くタイプちゃうねん」


「ほぉほぉ……誰も長ゼリフの話はしとらんで。ちゃうちゃう……」

ジジイは首を横に振りながら、列になって立ち尽くす若者たちをゆっくり見回してた。


「ワシが聞きたいんはな……お前、一度でも“ちゃんと”聞いたことあるんかや。せやせや」


「……え?そら、まぁ……聞いたことくらいは……ある、はず」


「ふむ……で?一回で諦めたんか?」


「……まぁ……そら、“ない”言うたらないやろ。言葉には意味あるんやし!無理やり吐かせるとか拷問やんけ!」


ジジイはしばらく黙って、ぼんやり宙を見た。


「……せやな。じゃあ、冗談でも言うて、話題変えて、シーンを押し進める……それも一つのやり方や」


……


「──お前、それ得意やな。シーン回すのは」


うちは必死に顔色を崩さんようにした。


「……はぁ?なんやその言い草。ええかジジイ、うちは気むうを守っとんねん。それが姉としての役目や。うちが前に立って、音立てて、殴られて、あいつは後ろで安全確保──それが兄妹やろ!」


「……ふむふむ、そら理屈は分かる。守る、助ける、みんなハッピーや……でもな」

ジジイは妙に哀れそうな顔をして、首をかしげた。


「──“安全”やなくて、“透明”になっとる可能性は考えたことあるんか?」


「……と、透──はぁ!?ちゃうわ!安全や!!」


ジジイは杖をコツコツと床に当てて、ゆっくりとうつむいた。

そして、またあの無表情に戻った。


「……ようある話や。“姉”を“主人公”と勘違いする──まぁ、職業病やな。姉としてのうっかりや、別に大事やない。

──せやけどな、ほんまは“横に並ぶ”ことのほうが大事や。“語る”やなく、“付き添う”や。

見ることと、見えることは違うんやで」


「……はぁ!?マジで何言うてんのか分からん……っ、ぺ、ぺーやけどな!気むう返せや!!後でいくらでもその意味不明トーク付き合ったるから!はよせぇ!!」


ジジイはまた深く息を吸って……吐いた。

あまりにも落ち着きすぎて、この状況の異常さが逆に際立つ。


「……ほな、“その後”の話をしよか。

お前、“あの子は無口や”ってよう言うけど、それ以上は踏み込まへんやろ。

──もしかしたら、それ……お前から学んだもんかもしれん」


「……はぁ?どういう意味や?」


「お前が空気を全部占めとるから……自分の声に場所はないって、あの子が思うようになったんかもしれん。

ドアぶち破って、全部解決するのはお前の役目や──そう思い込んでるんかもしれん。

ほんで、気づいたら……お前がもう二人分、全部しゃべって“物語”を語っとるんや」


ジジイはくるりと振り返って、ドアの方へ歩いていった。


「……音楽でも、いるか?」


そう言って、壁際のスイッチを押す。

すると、整列してた若者たちの一部が──寸分の狂いもなくジャズを演奏し始めた。


……正直、背筋がゾワッとした。

怖さと、さっきから溜まり続けてる苛立ちが混ざり合う。


「ゴホッ……ゴホッ……」

咳き込んだ後、ジジイの方をにらみつける。


「い、いいか?うちは何も“語って”へんぞ。ただ生きとるだけや。これ現実や、脚本なんかあらへん!」


ジジイは唇をぺろりと舐め、口元を少しだけ緩めた。


「……ふむふむ、そら分かる。せやけどな……“お前が入ってきたら笑い声が流れる”──そういうもん買っとる奴らもおるんやで。

裏で書いてる手があるんや……まぁ、それは別の話や」


「……は?」


「なんでもあらへん、あー咳払い……。でやな、神いさん。

あんた……気むうが、お前の目ぇの届かんとこで何しとるか知っとるんか?

何に本気で腹立てるか、どんな曲を聴いたら上機嫌になるか……お前が大騒ぎしそうやから黙っとることも、あるかもしれんやろ?」


「──なっ……知る必要なんかないやろ!それに教える義務もないわ、この干からびジジイ!!」


……なんや、急に目の奥がくらっとした。

頭が少し回らん……この会話、ほんまに体力削られる。


「試験やない、ただの“注意”や。

ワシ、姉でもないのに……市場のベンチで本読みながらお気に入りの飲み物片手に笑うあの子、見かけたことあるで。

──お前はどうや?あの子を、“何も引き出そうとせずに”見たことが一度でもあるか?

……もしないんなら、ワシは誰から魂を“奪って”るんやろな」


「──ああもううっさいわ!!」

思わず一歩踏み出して、声を張り上げた。


「ええか、ジジイ!うちはあの子を守っとんねん!動くんはうち、戦うんもうち!あの子は後ろで安全確保──それでええやろが!!

わざわざアルバム作るみたいに微笑みコレクションせんでも、うちは……あいつを、愛しとる!!以上や!!」


「……ほぉ、“愛してる”か……それとも──“使ってる”だけかもしれんな」

ジジイは肩をすくめ、軽く笑った。

「まぁまぁ、落ち着けや」


……息を整えようと必死に深呼吸する。

落ち着け……こいつはただ、言葉を並べてるだけや。

大した意味なんか──ない……はずや……。


「……すまんな、つい口が滑った。せやけどな……どうも、お前はあの子を“オチ要員”にしとるように見えるんや。

自分だけボケて、あの子は無言のツッコミ役──王道のコンビやな。

せやから都合のええ時は“無口キャラ”、ある時は“物語の動機”……ほんま便利やな。

……せやけど、都合が悪なったら?」


「……黙れ……」


「ほらほら、“便利”な存在が──」


「──黙れっつってんだろうがァァァァァッ!!!」


怒鳴り声と同時に、胸の奥で暴れた魔力が、制御せんままに漏れ出す。

天井のランプがビリッと揺れて、金具がカチカチ鳴った。


その瞬間──整列してた若者たちの中で、二、三人がわずかに目を細める。

……でも、それも一瞬。

すぐにまた、ガラス玉みたいな視線に戻った。


「……まぁまぁ、落ち着こか」

ジジイはくるりと向きを変えて、整列してる若者の一人の前に立った。


「ワシはただの流れ者や。傷つけるつもりなんてあらへん……目的でもない。

──せやけどな、お前が“自分の物語”に必要な時だけあの子を見るんやったら……次は、ワシみたいに甘い奴は来んかもしれん。

“静かな魂”には需要があるんや。恐ろしいことやけど、ほんまに」


……胸の奥がきゅっと締めつけられる。

喉が熱くなって、目の奥がじんわり滲む。

落とすな……泣くな……。


「……これ、なんなん……」


「誰も見いひん場所を、ワシらは見る。

拾う。売る。

“空白”が呼ぶんや……そしてワシらは、それを利用する。皆ハッピー、皆満足──そういうもんや」


「──うちの妹は……ゴミやないっ!!」

……そう言い切る前に、歯を食いしばって飲み込んだ。


「もし……もしやで……あいつがこんなんなったんが、うちのせいやったら……言えや!

何でもするから!頼む……あいつ返してくれ……もう、哲学ごっこはええ……」


ジジイの声が、今までで一番柔らかくなった。


「……ふふふ……もしお前のせいやったら、今ごろその腕の中やろな。

あの子の沈黙は、お前の責任やない。

──せやけど、その沈黙をどう扱うかは……お前の責任や」


「……うちは……やれることはやっとるつもりや。

呼びかけて……ちょっかいかけて笑わせようとして……物も買って……たまに盗んで……できるだけ守っとるつもりや……」


「……ふむふむ、それはええことや。せやけどな──“守る”いうんは、必ずしも“代わりに話す”ことやない」

ジジイはまた深く息を吸い、吐いた。


「──一度でも考えたことあるか?何も引き出すためやなく、ただ……隣に居続けるだけ、ってことを」


「……分からん……」

視界がぼやけて、涙が溢れそうになる。


「……ほらな」


ジジイは、変わらぬ顔でこっちを見つめていた。

責めるでも、憐れむでもない──ただ、見つめるだけ。

それなのに、その視線は胸を抉るように重くて痛い。

目の前におるのは、ただの老人や。

体育館みたいな場所で、誰にも要られん魂を集めてる、ただの変なジジイや──

……けど、それでも、胸の奥が焼けるみたいに熱かった。


「……これ全部、そのためやったんか?」


「……ん?」


「この茶番のために……わざわざうちをここまで呼んで……バカにして……泣かせて……気むう取って……

で、その後は“お得な影のサブスク”でも勧めるつもりやったんか?そういうことやろ!?ほら、笑えや、ジジ──」


「──勘違いすんな」

ジジイは、今までより少しだけ声を強めて、きっぱりとかぶせてきた。


「ワシはお前を辱めたわけやない。ワシはただの流れ者や。

勝手に崩れたんはお前や──自分の声を、初めてちゃんと聞いた瞬間にな。

ワシはそれを引き出しただけや」


「……クソ野郎……」

心の中でそう呟きながら、必死に涙を止めた。


「……痛むやろ?それはな、お前がワシの言葉を“信じた”からや」


「……は?何やて……?」


「お前が泣くのはな、ワシが最初に言うたこと──“お前はあの子を影にしてる”“存在を薄くしてる”“誰でもないようにしてる”──それを真に受けたからや。

それはつまり……お前に“主人公のエゴ”があるって証拠や」


「──なっ……何やと!?」


「ほんまに誰かを完全に覆い隠せると思ってる時点で、お前は自分を太陽やと思っとるんや。

まぁ、珍しいことやない。けどな……お前は主人公やない、この場所じゃな。

ここでは──ただの、ようけ音立てる人間のひとりや。それが、お前や」


……気づけば、口元が勝手に歪んでた。

くっくっく……と、喉の奥から変な笑いが漏れる。


「……へっ……はは……はははは……!はははははっ……!最高やな……?じゃあうちは、守ることもできん、何もできん……

……ほんで、何すりゃええねん……?」


「見ることや。気ぃ配ることや。貸してやることや──難しいことやない、金もかからん。

ほれ」


ジジイは杖の先を、まっすぐ気むうに向けた。


「あの子は、お前なしでも考える。笑う。恐れる。

お前の手が届かん関係やって、ちゃんと持っとる。

──けどな、それでも“お前の注意”は要る。スポットライトやない、“注意”や」


杖を下ろして、ジジイはわずかに姿勢を正した。


「……うちは分かっとるで。あの子は、うちとは別の人間やってな」

肩で顔を拭いながら、絞り出すように言った。

「……せやけどな、何も言わんし動かん時もあるやろ……そうなると、つい忘れてまうんや。

その時……どうやって忘れんようにすればええんか、分からん……

──それになぁ、なんでお前に説教されなあかんねん……編集者か何かか?」


「……ただの流れ者や、言うたやろ。

誰にも見られんもん、放っとかれたもんを拾ってくんや。

時には、赤い花びらや光る葉っぱ、妙な匂いの漂うもんも混ざっとるけど……まぁ、どうでもええ」


「……今、何て言うた……?」

耳が勝手に反応する。


「──なんでもあらへん。今日のあんたには、関係ない話や」


◇ ◇ ◇


気むうの肩をガシッと掴んで、真っすぐ目を見る。


「……気むう……へへ、うちはここにおるで。帰ろ……。……もう──もう、なんか……やめるわ。何をやめるかは分からんけど……

そばにおるから。喋らんでもええ、ちょっとぐらい嫌われてもええ……

ただ、たまにでも……睨んでくれたら、それでええから」


「……ふむ。悪くない始まりやな。──惜しいのは、今日やったってことや」


「……は?もうええやろ……返してくれや……」


「ワシは反対せん。ワシは──」


「──ただの流れ者やろ。もうええわ。頼むから……返せ……」


「……しゃあないな」


ジジイが軽く指を鳴らす。

その瞬間、気むうの瞳に光が戻った。


「──っ!お、おい、気むう!うちや!か──」


ドンッ!!


腹の奥に、何か重くて硬いもんが突き刺さった感覚。

……いや、違う。拳や。気むうの拳が、思い切りうちの腹をぶち抜いた。


そのまま体が浮き、背中から体育館の壁に叩きつけられる。

肺から空気が全部押し出されて、息ができん。


「……ゴホッ……ゴホッ……!」


「……ふふ。“注意”ってやつは、最初は痛むもんや」


ジジイはそう言って、煙みたいに掻き消えた。

残った若者たちも、同じように影となって消えていく。


……体育館に残されたのは、うちと──気むうだけやった。


...


肺の奥にまだ残っとらん空気を、無理やり吸い込んだ瞬間──


ドゴッ!!


……またや。

今度は顔面。

視界の端が一瞬で白く弾けて、何も見えんくなった。


気むうの拳が、ためらいもリズムもなく振り抜かれる。

一発、一発……間隔なんか関係あらへん。

痛みと衝撃が、鼓動より速いテンポで全身を叩く。


……防げる?

そんなもん、やろうと思えばできるやろ。

けど──


(……もう、ええやろ)


両腕を上げることもせず、ただ立つ。

足は勝手に後退ろうとするのを、膝で無理やり止める。


──バキッ!!


鼻の奥で何かが潰れる感触。

鉄の匂いが、喉の奥にじわっと広がった。

呼吸をするたび、空気よりも血の味が濃くなる。


「……っ……」


声は出ん。

代わりに、耳の奥で自分の鼓動がドクドクとうるさい。


それでも、目は逸らさん。

気むうの目を、まっすぐに。

……そこに“彼女”はおらんと分かってても。


膝。

腹。

肋。

拳と蹴りが交互に叩き込まれるたび、体の芯がぶれる。


(……ごめんな)


言葉にならんまま、胸の中でだけ繰り返す。

息を吸う隙間もないまま、次の衝撃がくる。


ドガッ!!

ガッ!!

──バチンッ!!


頬が左右に揺れる。

顎が外れかけた感覚を、歯を食いしばって誤魔化す。

吐き気が込み上げても、背筋だけは折らん。


足元がぐらつく。

視界の端で、床の色が近づいては遠ざかる。


──まだや。


もしここで膝をついたら、多分もう立てん。

だから、立つ。

立ち続ける。


そして──


またくる。

拳が引かれる、その一瞬でさえ息ができん。

肩の筋肉がギチギチ鳴るのが見える。

迷いなんか一欠片もない動きや。


ドゴォッ!!


背骨の奥まで響く衝撃。

肺から空気が押し出されるたび、血の味が濃くなる。

吐いた息が鉄と泥みたいに重い。


(……立て、立っとけ……!)


足がもう感覚を失っとる。

ふくらはぎが石みたいに固まって、痛みすらぼやけてきた。


バチンッ!

ガッ!

……ゴスッ!!


何発目かなんて、もう数えとらん。

殴られるたび、視界がブレて、気むうの顔が二つ三つに増える。

でも、全部同じ目をしてる──氷みたいな目。


「……はっ……くそ……」


笑いとも呻きともつかん息が漏れる。

歯茎から垂れる血が顎を伝って首に流れた。


(……痛ぇな……けど……もっと痛ぇもん、もう知っとる……)


ガンッ!!


こめかみを殴られた瞬間、世界が一瞬真っ暗になった。

膝が勝手に折れかける。

床に沈みそうになる脚を、反射で踏ん張る。


(──倒れんな……!)


殴られる度に、謝りたい言葉と「ごめん」が頭の中で反響する。

でも口からは何も出さん。

今は言葉より立つことや。

殴られても、蹴られても、背中は折らん。


ドカッ!

ドゴォッ!

……ガンッ!!


腹筋はもう役に立たん。

一発ごとに内臓が揺さぶられて、胃の奥が逆流しそうになる。

肺も肋も悲鳴を上げてる。

でも、それでも──


(……やれよ……全部……残らずぶつけろ……)


血で前が霞む。

片目はもう開かん。

それでも視線は下げへん。

逃げへん。


また拳が引かれる。

肩が回る。

……くる。

分かってても避けん。


衝撃が来るたび、身体のどこかが壊れていくのが分かる。

でも、それと同時に……胸の奥の何かが静かになっていく。


(……まだや……終わらせんな……)


──もう立っとられへん……。

あと一撃、そんなん来たら……ほんまに向こう側や。


……けど、その時や。

気むうの拳が、急に……軽ぅなった。

重さも、速さも……さっきまでの殺意が、抜けていく。


「……っ……」


息も絶え絶えで顔を上げたら──

気むうの目が……濡れとった。

大粒やない、けど……抑えきれん涙が、頬を伝って落ちていく。

歯を食いしばって、眉間に皺寄せて……なんか、必死や。


腕を上げる。

肩に力を入れて……殴る構え。


(──来い……)


目ぇを閉じる。

どこに当たるかも、もう考えへん。

ただ、受けるだけ……


──でも、その衝撃は来んかった。


代わりに──別の痛みが、全身を包む。

骨まできしむような、強すぎる抱きしめ方。


「……っ……」


息が詰まる。

でも離れへん。

震えてる……泣いてる……こんな気むう、見たことない。


それは……十年分の、堪え続けた何かを一気に解放するみたいやった。

誰も求めてへん……けど、こいつはこれを、ずっと──必要としてたんや。


気むうは、そのまま顔を……うちのボロボロの胸に押しつけてきた。

まるで、泣き声をこの体で塞ごうとするみたいや。


「……か……神い……ッ……神い……ッ!!」


嗚咽が、刃みたいに突き刺さる。

戦太鼓十発分の勢いで胸を叩く涙の震え。

……なんやろな。

言葉にならん……ただ、圧倒される。


残った力、ほんまにギリギリのやつを振り絞って……腕を上げた。

全身バキバキでも、なんとか……抱き返す。


「……次は……皿……洗うわ……約束する」


一瞬、気むうが黙った。

──そして、その沈黙の後……さらに強く泣きじゃくった。


……これが、うちらや。

大好きやで、妹。♥


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