第INTER-2話
泣かなかったからって、「平気」ってわけじゃない。
痛くないとも、限らない。
……でも、そう思われるのも、仕方ないかもしれない。
人間の言葉って、そういう風にできてるから。
誰かが何かを言えば、それが「真実」だと、まず信じてしまうように。
もちろん、嘘ばっかりつく人は別やけど。
それ以外の人が「大丈夫」って言えば、普通は、そのまま受け取られる。
たとえ、それが、ただの“反射”みたいな言葉だったとしても。
だから──本当は限界ギリギリでも、自分から「大丈夫」って言ったなら、
その後に何を思われても……仕方がない。
だって、それを言ったのは、自分やから。
ほんまにしんどいときって、
わざわざ「しんどい」なんて言葉、出てこない。
口にした瞬間、周りの空気が一斉に動き出して、
こっちが何も言ってへんのに、勝手に掘り返される。
ある海外のアニメで、印象的なセリフがあった。
──馬の顔をした俳優が主人公の、あの皮肉と哀しみがごちゃ混ぜになったやつ。
「つらいの?なんで?」
「……さあ。全部、かもしれない。」
……そんな感じのやり取りやったと思う。
ちゃんと説明できないつらさは、この世界じゃ許されない。
理由がなければ、悲しんだらあかんの?
ただ、勝手にしんどいだけやのに。
なんで、それすら責められなあかんのやろ。
──……もうええわ。
あの「パーティー」とかいうやつの準備をしてた。
今日、あの変な男の子に誘われたやつ。
神いは、最初から行く気なさそうやった。
部屋に戻るなりベッドに倒れて、壁を見つめたまま……そのまま寝た。
……たぶん、「トラウマ演出」でもしてるつもりなんやろ。
寝れば全部忘れるって、思ってるんかもしれへん。
いつもそう。
何があっても、一晩寝たら次の日には、何もなかったみたいに笑ってる。
冗談みたいに全部を軽くして。
……うちも、そうできたらよかったのに。
でも、もしあれが本当に「トラウマ級」やったとしたら──
神いって、意外ともろいのかもしれへん。
だって、別に死んだわけでもない。
ちょっと運ばれて、三十分後には普通に帰ってきたんやし。
『……本当に、行くの?』
ルッチア。白の薔薇。
「他にやることもないし。眠くもない。」
『初めて見たわ、その髪。指で整えたにしては、綺麗ね。』
「……そう?」
……違う。
人の言葉には慣れてる。
たぶん、薔薇の言葉にも、少しずつ慣れてきた。
それが「気遣い」やって、すぐに分かった。
ありがたいけど……
どこか、刺さる。
ルッチアは、この数日でうちにとって特別な存在になった。
初めて出会ったとき、何か強いものを感じて……
少しだけ、依存しかけた。
でも、失望したわけじゃない。
ただ、思ってたより──普通やった。
声も、話すことも、考え方も。
「特別」やと信じたかったけど……
出てきた言葉は、どれもどこかで聞いたことのあるようなものばかり。
……まあ、そういうもんかもしれん。
部屋に沈黙が落ちた。
うちは、天井の穴を数えてた。
全部で──五つ。
継ぎはぎの空みたいで、なんとなく落ち着いた。
マイルズとフルカフトは出て行った。
「ギルドの酒場で知り合いに会う」とか言ってたけど……どうでもええわ。
「……なあ、ルッチア。昨日言ってた“薔薇の会議”、どうやったん?」
『んー……まあまあって感じかしら。
まだ、私と赤のことを“詐欺”呼ばわりする人もいるし、あ、あの……でも!私たちはちゃんと、あなたたちを信じてるから!!』
『……それに、本気で取り合ってる人なんて、ほとんどいないの。
ナンパしてくるやつとか、普通に寝るやつとか……
薔薇の会議なんて、今やもう、崩れかけてるのよ、気むう。』
その声には、ちょっとした言い訳の色が混じってた。
それから……少しだけ、諦めの匂いも。
「……そっか。」
考えることも尽きて、うちは立ち上がった。
それで、そのまま、屋上へ向かった。
本来なら、もうみんな集まってるはずやった。
でも……音がしない。
……静かなパーティー?
らしいといえば、らしいけど。
そうだったらよかったのに。
でも、現実は──まあ、悪くなかった。
何もなかっただけ。
文字通り、「無」。
テーブルと椅子。
そして、一人の男の子が、扉に背を向けたまま、空っぽの夜を見つめていた。
まるで、賢者ごっこでもしてるみたいに。
──人って、ほんま、演出好きすぎやろ。
あまり音を立てずに動こうと思った。
哲学でもしてるなら、勝手に一人でやってればええ。
でも、座る前に気づかれた。
「あっ、気むうさん!来てくれて嬉しいです!」
……名前、覚えてたんや。
「……うん。」
「お姉さんは?」
「……トラウマすぎて、来れへん。」
「え……何かあったの?」
「……色々。」
「……ああ。」
彼は椅子に座った。ちょうど、私の正面。
背もたれに少しもたれて、深く息を吐いた。
「はぁ〜〜……ほんま、あの子たち……」
「……ん?」
「せっかく小さいパーティーでも開こうと思ったのに、
みんな来ないんだよ?主催者が“落ちこぼれ”だからってさ。
……“誰でもない人間”には、誰もついてこないんだって。」
……わかる気はする。
「でも、君が来てくれてよかった。
よかったら、ちょっとだけ一緒に飲んで……話さない?」
……まあ。
話すって言っても、聞いてるだけなら……悪くない。
「……いいよ。」
「ん……はい、どうぞ。自分で注いでね。」
そう言いながら、彼は一本のペットボトルを差し出してきた。
中の液体は、透けた濃い茶色。
でも、よく見ると──青っぽい光が、ふわりと揺れていた。
ラベルには、こう書いてあった。
『LOST TEA』──その下には、やたら必死なキャッチコピーが、ずらり。
……飲ませる気、満々やん。
「……これ、何?」
「ロスト・ティー。……冷たいお茶、だと思う。」
「この青いのは?」
「さあ……たぶん、それが“ロスト”ってこと?なんか、“唯一無二”らしいよ。」
「……へぇ。」
──ほんまやな。
この夜も、この味も、きっともう、二度とは来えへん。
ロストティーをコップに注いだ。
──琥珀の中に、青のひかりが、泳いでいた。
まるで、迷子になった星みたいやった。
そっと、ひとくち。
……変な味だった。
でも、美味しかった。いや──
違う。
かなりどころやない。
たぶん、人生で一番美味しい飲み物かもしれん。
冗談抜きで、そう思った。
──けど、笑わなかった。
口元に出かけた微笑みを、すぐに戻した。
“演出過剰”って、思われたくなかったから。
彼は平然と飲んだ。
まるで、ただの水みたいに。
そのまま、ぽつりと話し始めた。
「なあ……誰も来なかったの、どう思う?」
「…………」
「いや、ずっと考えててさ。
別に全員が来る必要なんてないけど……
“誰も”来ないって、さすがにひどくない?」
「……なんか、示し合わせたみたいでさ……」
「わざと無視された気がして。傷つくよ、正直。」
私は、何も言わなかった。
喉じゃなくて、胸の奥に──
もう一口、流し込んだ。
「……さあね。」
ただ、それだけ。
「……一番ひどいのはさ。」
「…………」
「今回、別に“全体通知”とかじゃなかったんだよ。
ちゃんと、一人ひとりに声をかけたの。直接。顔見て、言葉選んで……伝えたんだ。」
「それなのに、誰も来なかった。
“行くよ”って一言すら、返ってこなかった。」
「……ありえないよね。最低だと思う。」
深くため息をついた。
それは──誰にも聞かれないまま、夜に溶けた。
「……やっぱ、この街の人たちって……
何かが変わらない限り、“自己中な冒険者の集まり”って、ずっと言われる気がする。」
私はまた一口。
口の奥で、ロストティーの余韻が静かに広がった。
その味は……
なんというか、思ってたより深くて。
舌じゃなくて、心に届いてくる感じ。
──でも、そんな飲み方してる場合ちゃうやろ、って思って。
無理やり、言葉を探した。
出てきたのは、これだけだった。
「……うん。
少なくとも、軽蔑されるべきやと思う。」
「……だよね。」
彼は、それ以上何も言わなかった。
沈黙が、屋上を満たした。
でも、不思議と……居心地は悪くなかった。
「何も言わない」という優しさ。
それを、うちは、けっこう好きやった。
もちろん、沈黙が苦手な人もいる。
常に何か話していないと、落ち着かない人たちも。
でも──この人は、違う。
数秒後。
私は飲み物の味に集中してた。
彼は、空を見上げてた。
まるで、タバコでも吸ってるみたいやけど──
吸ってるのは、ロストティーやった。
そして、彼がつぶやいた。
「気むうはさ……人って、変われると思う?」
「……どういう意味?」
少しの間を置いて、彼は話し出した。
「いやさ……こういうのって、変わるのかなって。
人の態度とか、性格とか。
最初は嫌なやつでも、途中から“いい人”になることって、あるのかなって。」
「映画とかアニメでよくあるでしょ。
敵だったキャラが、主人公たちの仲間になるやつ。
ああいうの。……急に優しくなって、もう悪いことしない、みたいな。」
「でもさ……あれって、現実にもあると思う?」
私は、ゆっくりロストティーを飲んでから答えた。
「……さあね。
あるのかもしれないし、ないのかもしれない。」
「知ってる人も、そんなにおらへんし。
考えたことも、あんまりない。」
「理屈もないし、例もない。
でも──たまに、そういうの起きるんちゃう?」
「でもさ、そういうのない?」
「……何が?」
「元カレとかに、“今度こそ変わるから”って言われてさ。
信じて、もう一度チャンスあげたら……
前よりひどくなって、また裏切られるやつ。」
「でさ、失恋の痛みだけじゃなくて──
“なんでまた信じちゃったんだろう”って、自分にも腹立ってくるやつ。」
……うちは、少しだけ考えた。
そして、答えた。
「……うーん。恋人、いたことない。」
彼はうちの顔をじっと見て──
ふっと笑って、言った。
「──だろうね。なんか、出てる。」
……出てる?
何が。どういう意味やねん。
──聞く勇気は、なかった。
「でもさ、他人を基準にしてたら、たぶん一生答えなんて出ないよ。」
その声の調子が、少しだけ変わった。
研究者みたいな、冷静な語り方に。
……姉ちゃんに、似てると思った。
「本人いわく、“涼宮ハルヒの教え”らしいけど。
誰、それ。どうせ、パパと一緒に見てたアニメやろ。」
「だから、自分自身を基準にしたほうがいいと思う。
──気むう。君は、自分を変えられると思う?」
……その問いは、少し不意打ちやった。
私が──変わる?
そんなこと、考えたこともなかった。
だって、
今こうしてここにいるのは、
今こうして感じてるのは、
どこかの時点で、自分が“それに値すること”をしたから、やろ?
変わることは、「許されてる」ことなのか。
それさえ、分からない。
「……わからない。」
それだけを言った。
彼はまた椅子にもたれて、ロストティーを一口。
「君って……なんか、静かなタイプだよね。」
「そういうの、“変える”ってのは、どう?いいと思う?」
「……たとえばさ、いつか──お姉さんみたいになれるって、思ったことある?」
その瞬間、頭に浮かんだのは──
「無理」
たった二文字。
けれど、完璧な答え。
声には出さなかったけど、
それが、すべてやった。
「……それは無理。」
私はそう言って、またロストティーを飲んだ。
少しずつ、
この味が……“好き”になってる自分がいた。
「そっか。じゃあ、なんで無理だと思う?」
即答はできなかった。
……ううん。
たぶん、「私があの人じゃないから」。
それだけ。
「じゃあ……お姉さんほどじゃなくてもさ。
たとえば、“変化”って意味ではどう?」
「友達を五人作って、みんなで集まって、パーティーして──
そういうの。気むうなら、できそうじゃない?」
「……いや、怒らないでね。でも……今、友達いないでしょ?」
──図星やった。
現実でも、地球でも、私は……
そんなに人と関わってこなかった。
私の“居場所”は、ずっと──家と、部屋の中。
ラノベを読んで、勉強して……
音のない世界に、慣れていった。
私はよく、“つまらない人”って思われてた。
でも、それには理由がある。
あの二人が好きやった“フリカ”は、
私にとっては、いつも苦かった。
「……もし、状況が違ったら。たぶん、やってたと思う。」
私がそう言うと、
彼は勢いよくロストティーを一口飲んで、言った。
「“状況が違ったら”?──なんだよ、それ。マジで?」
「この世界はさ、真っ白なキャンバスなんだよ?
恐れるものなんてない。誰に許可とる必要もない。」
「自分がやりたいと思えば、なんだってできるんだよ。
気むうだって、本気で変わろうとしたら……すぐに変われると思う。」
私は、黙っていた。
──こういうテンション、見たことある。
でも、今回は腹が立たなかった。
その声が……
本当に、まっすぐやったから。
だから、こう言った。
「……たしかに。」
•
「……結局、誰も来なかったな。」
彼は、またひとつため息をついた。
いくつ目かは、もう分からない。
「でもさ──気むうと話せて、普通に楽しかったよ。」
「明日も来てみない?同じ時間、ここで。
なんか……こういうの、ちょっとしたセラピーになると思うんだよね。」
「お互いに話したいこと、なんでもいいしさ。
愚痴でも、昔のことでも、意味のないことでも。」
「……正直、気むうはこういうの苦手だと思うけど。
俺は、今日話せて──すごくよかった。」
……私、今日、何か話したっけ?
思い返しても、
印象に残る言葉はひとつもなかった。
私がしたのは、
ただ──“聞く”だけ。
でも、
その沈黙すら、
“何か”になってたのかもしれん。
そう思ったから、こう言った。
「……うん。いいよ。」
──この一言が、
何かを変えるとは思ってなかった。
でも、
ロストティーの味は──
なぜか、少しだけ甘くなってた。