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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

友人が虎になってバターになって

作者: 佐藤あめの

 ミコのことがずっと好きだった。

 幼稚園の頃から一緒に成長してきた。同じ分譲マンションに住んでいて、親同士の仲も良くて、家族ぐるみで付き合ってきた。

 私が一番ミコのことわかってる。


 ユキは誰もいないキッチンに立っている。

 パンケーキミックス一袋二百グラム、卵一個、牛乳一カップ。

 カチャカチャと音を立ててそれらを混ぜる。

 窓の外はピンク色の夕焼け空で、近頃よく見る緑の魚がひらひらと泳いでいた。最近はこのあたりもよく魚が空を泳いでいる。


 高二になって、ミコに彼氏が出来た。

 私より勉強はできないけど、サッカーはちょっと上手いらしい。ミコの手が届かない図書室の一番上の本に手が届くらしい。ミコと一緒に食べた試合のお弁当がめちゃくちゃに美味しかったらしい。


 フライパンを火にかけて布巾を水に濡らして絞っておく。

 バターはまだ使わない。

 あまり混ぜすぎてもよくないので一通り混ぜたらそこで終わっておく。

 換気も込めて少しだけ空けた窓の隙間からぴょーーーーーと猫の声が聞こえる。あの猫は相変わらず鳴くのがへたくそ。


 らしい。らしい。らしい。ぜーんぶ、らしい。

 数ヶ月前までは隣のクラスのナントカくんだったのに、同じクラスになって、同じ図書委員になって、たったそれだけで彼氏になっちゃって、あんのムカつくオトコはミコの最優先に躍り出てしまった。ミコの焼く卵焼きはお醤油の味だってことも私だけが知っていたのに。

 毎日一緒に帰れないどころか、朝だってそこの交差点で待ってるの、なんなの!

 ただでさえミコと会う時間が減っているのに、ミコとの会話には毎回奴が登場してくる。


 熱したフライパンを濡らした布巾の上に載せる。ジュッと音がして蒸気が見えた。しばらく置いて、コンロに戻して弱火にかける。

 少しだけ高い位置から生地を流し入れる。綺麗なまんまるのパンケーキ。


 今日の帰り道、というかついさっきのことだった。

 ミコと彼氏が一緒に帰るところに遭遇してしまった。後ろから追いついた形で向こうは何も気づいていない。

 話し声が風に乗ってきて私のイライラは増えていく。

 さっきのキャプテンのパス回しがどうだの、今日の担任がどうだったの、次の土曜どこにいこうかだの。ミコ、なんでそんなに楽しそうなの。そんな甘い笑顔できたの。水瓶座が今日の占いで一位だったせい?


 ふつふつと生地が焼けてきてそっと裏返す。

 綺麗な狐色。甘くて懐かしい香りが強くなってゆく。

 私たちのおやつはいつもパンケーキ、あるいは同じミックスを使ってマフィン、クッキー………。


 ミコたちの話を聞くのが嫌になって曲がりもしない角を適当に曲がった。ミコの家も私の家も号しか違わない、同じ建物なのに。

 寄り道でも来たことがない住宅街の、なんてことのない生活道路に足を踏み入れる。

 日が傾いて、薄黄色の空がだんだんピンク色に変わろうとしている。ミコは変わってしまった。私は変わらない。変われない。


 焼き上がった一枚目をお皿に乗せる。フライパンを再び濡れ布巾に乗せて熱を落ち着かせたら、二枚目の生地をまた落とす。

 あ、飲み物忘れてた。パンケーキにはいつもミルクティーだった。ミコはお砂糖多め、私はミルク多め。お湯を沸かさなきゃ。


 適当に歩いて家に帰ろうと同じ規格の一戸建てが並ぶ道をふらふらと歩いて行く。

 ふと顔を上げるとカーブミラーにミコが写っていた。

 ミコ。

 あいつはいなかった。何も考えずそちらに体が向いてしまう。

 ミコ。


 何枚かのパンケーキが焼けたけれど、何故かお湯がまだ沸かない。パンケーキが冷めてしまうけど、ミルクティーは必須だから少し待つことにした。

 台所の小さなカウンターチェアに座って、膝を抱えて丸くなる。少しだけ、目を閉じた。


 *


 カーブミラーに写るミコの姿は見えるのに、ミコがどこにいるのかわからない。

 ぐるぐるあたりを見回して、ミコを見つけて追いかけて、見失って見つけてを繰り返す。


 彼氏ができたの。


 今度の日曜はーーちゃんたちと遊びに行く約束しちゃった。あ、ユキも行く?


 ユキはあの大学でしょ?わたしは看護やりたいから別のとこかな。まあまだ高二だもんね。オープンキャンパスもうちょっと行ってみよっかな。……ーーくんも見てみたいって言ってたし。


 ごめん、その日はーーくんの誕生日だから。


 ミコの声がたくさん聞こえる。全部私に向けた言葉なのに全部私以外のことを話してる。

 いつの間にか駆け出してミコを探し回っていた。背中の方でぴょえだのぴゃーだの猫たちの鳴き声がしている。ミコはあまり猫が得意じゃないなら側にいてあげないと。


「ミコ!」


 やっと見つけたミコは住宅街のど真ん中でただ立っていた。私はミコを抱きしめる。


「ね、私がそばにいるよ。ずっとずっとミコのことだあいすきだからね。このごろミコのこと考えると胸の奥がぎゅっとなるの。いつもミコはあいつと一緒にいるんだもん。私寂しいよ。ミコ…………。」


 ミコと私の背丈は変わらない。ミコの方が私よりちょっとだけくびれがあって、私の方がちょっとだけ胸が大きい。それくらいの差。なのにミコの身体がぶるぶると震えはじめて私より大きな姿になってゆく。


「ぴゃあ」


 腕の中にいたミコが虎になっていた。毛並みは綺麗な水色だけど、猫にあんまりいいことを思っていなかったからそんな変な鳴き声になっちゃったのねと私は思った。


 私がそんなことを考えていたからか、あっ、と思う間も無くミコは腕の中から抜け出してしまった。とたたたたたたたたたたたと走り出す。私は追いかける。住宅街にいたはずなのに私たちは気づけば森の中にいて、ミコは軽々と土の上を駆けて行ってしまう。それでも足の速さはあんまり変わらないみたいでそこまで距離は離れていない。

 ぐるぐると大きな木々の間を走り回ってミコの水色の尻尾が揺れる。鞄の中で筆箱ががちゃんがちゃんと音を立てている。


「ミコ、まって……………」


 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

 がちゃんがちゃんがちゃんかちゃんかちゃんかちゃん。

 何周したのかわからないけれど、相当回っていたと思う。とうとう私は疲れてしまって足を止める。

 どうしてミコは私から逃げてしまうのだろう。


「どうして虎になっちゃったの。」


 ぐるぐるぐるぐる。かちゃんかちゃんかしゃん。

 ミコは何も言わない。私が追うからなのか、それとも自発的に走り続けているのか。


「ねえミコ、そろそろ帰ろうよ。」


 走って息が上がっていた。顔を上げて呼びかける。まだ水色の虎で走り回るのか。


「ミコってば!」


 いい加減にしてよ!と思いながらミコを探す。

 けれどもうミコはいなかった。

 ミコが着ていたはずの制服が、中の肌着や靴下、靴が、持っていた鞄が、落ちている。ミコはいない。

 大きな木の周りをぐるりと回ってピカピカのバターがそこにあった。私の鞄からはもう何も聞こえなかった。


 *


 目を開けた。お湯が沸いている。

 ポットに一度お湯を入れて、捨てて、茶葉を入れたらもう一度お湯を入れる。ティーカップにもお湯を入れてまた捨てた。ティーセットの隣には小箱に入ったピカピカのバターがある。ちょうど室温に馴染んで柔らかくなっている私のバター。


 そして私はパンケーキにバターをのせる。ふかふかのお布団で絵本みたい。


(ユキ、こら!どういうつもりなの!)


 パンケーキの上で溶けかけのミコがぷんぷんと怒っている。虎になったりバターになったり忙しいひとだなぁと思う。そうやって私を置いて変わっていってしまうんだ。

 私は容赦なくナイフを入れてパンケーキを切る。フォークに刺さったそれで溶けたバターを掬う。


(あん、そんなところさわらないでよ。ユキのえっち!)


 バターにそんなこと言われても困る。それにえっちって言われても、もう私の中じゃミコは何回も大変な目にあっている。


「いただきます。」


 口の中から(えっ)と小さな声を聞いた。


 窓の外は相変わらず緑の魚が泳いでいる。へたくそな鳴き声の猫はどこかへ行ってしまったらしい。窓の中も相変わらず私がひとり。青色の肌をしてパンケーキを食べている。きっとそろそろ銀色の月明かりが美しく射すだろう。

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