第3話 久しぶりに電話帳を開く
学校から帰ってきてかれこれ三十分、胸ポケットの中から紙を取り出し見つめている。
『xxx-0000-xxxx 雫』
可愛い丸文字でそう書かれている。帰る直前に橋本さんに呼び止められて渡されたんだ。
「待って香くん。これ。私の電話だから」
彼女は僕の手の中にそれを突っ込むと、じゃあ、と手を振って友達のもとに行こうとした。その彼女の腕をつかみ、すこしして、つっかえていた言葉を絞り出して言った。
「僕のも……渡しとく」
そう言って手に持っていた本の栞に番号を書き手渡した。すると、彼女は微笑んでから待つ人たちのもとへ駆け寄っていった。僕は学校ではいつもああして本を読んでいるから、誰も声をかけてこない。友達と出掛けたりもしない。だから僕の連絡先を知っている人なんてほとんどいない。中学校入学後のこの一年半は誰ともつなげていないのではないだろうか。それでは困るから彼女は渡してくれたのだろう。これを手にもつと、自分が休日に女子と出かける約束を取り付けたという事実に現実味が沸いてくる。今でもなお信じられていない。気晴らしに彼女にあげちゃった栞の代わりを選ぶとしよう。
次の日になり、朝一に電話がかかってきた。眠い目をこすり、枕元のスマホに手を伸ばす。
「こんな時間に」
と欠伸混じりの声で呟き、まぶしい画面を前に必死で細くなっていた目をこすり見つめる。『橋本さん』の文字を見て、ガバッと起き上がる。そして、今荒くなったばかりの息を落ち着かせ、電話に出る。
『もしもし』
「も、もしもし、篠田です」
『香くん、おはよう。寝起き?』
開口一番のからかい口調に、橋本さんがいつもより一段と高いテンションなことに気づき眠気が完全に覚めた。
「う、うん。ごめん」
『いいえー。昨日のうちに連絡すべきだったから』
『今日のことなんだけど、お昼に駅前のレストランに来てくれる? えっと、十二時…』
そう言って止まる。僕のことを気遣っているのだろう。今は九時半。十二時でも間に合うと伝えようとしたとき、彼女の口が先に開いた。
『半ね』
彼女の優しさを無下にはせず、そのまま快く了承する。
「わかった。ありがとう」
電話が切れて、全開になっている自分のクローゼットを布団から遠目に眺める。服なんてあったっけ。出かけないからなあ。僕は校内ではしゃぐ陽キャでなければ、何かに熱中するヲタクの人たちのように平日は落ち着いていて土日は活発的という人でもない。土日も外に出るのは、家族と出掛けるときと本を買うときだけ。後は家にこもって動画を見たり、ゲームをしたりしている。そんなことだから、もちろんお出かけ用のおしゃれな服などないので、仕方なく、本を買いに行くときに着るラフな格好に着替えることにした。