第三章「愛に変わった日~陽が落ちる前に~」5
「それじゃあ、カンパーイ!!」
吹き抜ける風が凪いて、開放感の溢れる屋上でお互いにラムネの入った瓶を軽く当て合うと、小気味いい音が鳴った。
私は屋上という開放感のある場所にいることもあって嬉しくなって、思わず樋坂君と同じように瓶を正面に向けながら、瓶の先端に手を添えた。
「何で、俺の方を向けてるんだよっ!!」
「なーに? 私は、樋坂君の真似をしてるだけよ?」
互いにラムネを持って、時を待たずにはしゃぎながら水しぶきを飛ばす。
まるで青春ドラマの中にいるようで、私には現実感がなかった。
「これ、借り物なんだけど、そんなに、濡らしたかったの?」
樋坂君に言い放った言葉が、夕焼けの空に流れる。
—―――――楽しい時、今の時間がもうすぐ終わると分かっている時、時計の針の音を思い出すのも、時計の針を見るのも、辛くなる。
今日が終われば、魔法が溶けてしまうに等しいから……、こんな日々が、明日も続いていく保証なんて、どこにもないから。
「―—――――ねぇ、人から言われてもよく分からないの、私ってホントに綺麗なのかな? 似合ってるかな? 本当にこんなドレスも着たことないし、演劇役者をしたこともないから」
意地悪なことを聞いている、自分でも分かっている、でも、もう、この気持ちを止めることは出来なかった。
「似合ってるよ、目のやり場に困るくらい」
樋坂君は小さな声で、少し目をそらしながら言った。
「本当?」
「うん、綺麗だよ」
「濡れてると余計に?」
「それは、別に追求しなくていいだろっ」
照れくさそうな樋坂君の表情が見れて、私は一安心することができた。
「うん、でも、嬉しい。樋坂君から見れば、私の事なんて眼中にないって思ってたから」
「そんなこと、ねぇよ」
学園祭を通して一緒に過ごすことが増えて、樋坂君と話していると段々と疑う気持ちはなくなって、よく彼の反応の一つ一つを見ると、樋坂君も分かりやすい反応をしていると分かった。
「うん、今は分かるよ。でも、最初の印象は違ったの。
アニメや漫画に、素っ気なくて愛想がないけど、女の子になぜかモテる男の子っているじゃない? 私、そういうお話を見るたび、感情移入出来なくてげんなりしてたけど、最初はね、樋坂君のこと、失礼なことしてたって今は思うけど、そういう存在と重ねてた。
でも、樋坂君はそうじゃないって気づいたの。
唯花さんの話を聞いたり、妹さんのことを大切にする気持ちだったり、樋坂君は人に愛されるだけの、信頼されるだけのものを持ってる。
それはね、あなたのクラスメイト達も同じ気持ちだと思う、あなたの脚本をみんなが期待して待って、楽しそうに演じていた。
一緒に稽古をして、リハーサルをして、演劇を見守る姿は、私にとって眩しいものだった。
それを見て思ったの、樋坂君は立派な人なんだって、私じゃ全然敵わない、人に愛されて当然の人なんだって」
素直になると自然と言葉が溢れ出てきて、樋坂君は私の話しを聞いてくれる。
「副会長だって、立派だろう? 後輩だって、大勢慕ってくれてるじゃないか」
樋坂君は同じように、私のことを褒めてくれる、その言葉はたまらなく嬉しかった。
「そんなことないよ、私、自分勝手で自分のやりたいことだけやって、先輩って呼ばれたり、会長って言われたりして、偉そうに頼られたかっただけ、私、クラスの部活にほとんど参加してないし、二年生になって、もう、声もかけてくれなくなったから、本当は全然、立派なんかじゃないよ」
「立派だよ、壇上に立って堂々として、みんな分かってくれてるよ。
副会長なら任せられるって」
「樋坂君はやっぱり優しいね、今日一日頑張れたのも、本当は樋坂君のおかげよ。
ねぇ、私のこと一度だけ、名前で呼んでくれたよね。
咄嗟に出た言葉かもしれないけど、旧校舎で誘拐犯に遭遇した時。
あの凄く怖くて、ピンチな時に、樋坂君は臆することなく立ち向かおうとして、私を逃がそうとしてくれて……。
お願い、もう一度、聞かせてもらっていいかしら? それで、あなたのこと、信じるから」
私の心臓が、どうしようもないくらいに高鳴っていた。
今日の出来事の一つ一つが、私にこんな大胆なことを言わせる勇気をくれているような気がした。
「しょうがないなぁ……、じゃあ、言うぞ?」
私は樋坂君の言葉に頷いて、上目遣いにじっとその瞳を見つめながら、その言葉を待った。
視線が重なって、そこからずっと離れない……、樋坂君の緊張がこっちまで伝わって来て、私も一緒にドキドキが止まらない。
夕焼けに染まる空から、火照って紅色に染まった頬を隠すように眩しいくらいの光が降り注ぐ。
学園の屋上、フェンスの前に二人向かい合って、私は次の言葉をちゃんと聞き逃さないように、樋坂君の方をじっと見つめながら耳をすませた。
「”羽月”」
樋坂君のはっきりとした声が、私を見つめる視線が、私に最後の勇気をくれた。
「ありがとう、”浩二”、好きよ、あなたのこと」
私は間髪入れずに彼に告白した。
好きって気持ちが湧いて出て離れなかったけど、それはこんな時だから、きっと気の迷い、そう何度も生徒会室にいながら考えた。
でも、きっと私は明日も明後日も、たまらなく彼のことが好きだという確信があった。
だって、心の底から、こんな日々が続けばいいのにと、願ってしまったから。
私は、手を伸ばす彼の腕に吸い込まれていくように、身体を彼の胸に抱きしめられるように吸い込ませていった。
温かくて、大きな身体、すっぽりと収まった身体は、私のすべてを満たしてくれるようだった。
「俺も好きだよ」
誰よりも一番近い距離で、彼は私にそう言葉をこぼした。
「こんな事になるだなんて、”想像してたかしら”」
現実感のないこの状況を前に私は微笑み交じりに言った。
彼の早まった鼓動を聞くたびに、胸がいっぱいになる。
「まさか、さっきから羽月の綺麗な姿を見たら、たまらなく愛おしくなった。
その声も、身体も、心も、全部」
「本当、上手なのね、そういう言葉がさらっと出てくるところ。脚本家だからって、詐欺師だったら許さないから」
「俺だって、女らしいところも時々見せてくれないと、萎えちゃうかもよ」
「欲張りなのね、浩二ってば」
「だって、今が一番綺麗だからさ」
そう言葉にする彼の口を、私は自分の口で塞いだ。
触れ合う唇が、お互いを刺激し合うのを強く感じた。
思い切った事をしていると、やってしまった後に気付いたが、もう、そんな言葉ばかり聞かされたら、本当に頭がおかしくなってしまうから、どうしようもなかったのだ。
「うう、っううぅ、ちゅっ、ちゅ……」
吸いつくように、唇と唇が重なり合って、ギュッと密着させたまま身体を押し付け合う。
それは麻薬のように全身を性感帯に変えて、頭を真っ白に溶かすように、快楽の海に身体を沈めていく。
「うう、っううぅ、はぁう、ちゅっ、っちゅぷ、ちゅ……」
息を吸うのも忘れて、長いキスの間、私は瞳を閉じて、力いっぱいに初めての異性とのキスを経験した。
唇を離して、ゆっくりと瞳を開くと、浩二君の顔がそばにあって、口と口の間を糸が引いていた。
「屋上で、こんなことしてるだなんて、信じられない……」
「こっちこそ、告白されて、いきなりキスされるとは思わなかった」
「それは、そっちが恥ずかしいことばっかり言うから」
何を話すのも今は愛おしくて、熱くなって、敏感になった身体が疼いてしまう。
私はなんとか呼吸の整えるが、このまま黙っていられる冷静さなんて浮かばなくて、どうしようもないほどに落ち着かなかった。
遥か下の地上では、キャンプファイヤーが続けられ、音楽が流れる運動場で生徒たちのフォークダンスが続いてる。
「こんなことしてるの、俺たちくらいだぞ」
「そうかしら? 屋上にいるのは私たちくらいだけど、キスしてる生徒くらいは他にもいるかも?」
「自己正当化する言い訳には、ならなそうだけど、それならいいか」
「だって、もう、我慢できないもの」
私は体中が性感帯になったような、感じたことのないありえない感覚を覚えながら、彼を求めて身体を埋めて、キスを続けざまに求めた。
抱きしめ合えば抱きしめ合うほど、全身に染み渡るように満たされてしまう。
私たちは、離れたくない気持ちを抑えられず、地上が静かになるその時まで、時間を忘れて互いに求めあった。




