隠れ里 黎明 事件の予感
「情けをかけるな妖風情がっ!!! 」
翌朝、下の階から響いてきた怒号と何かを切り裂くような音が夜明けの光よりも強烈な目覚ましとなった。
「……なんだ? 」
「小僧、わしとついてこい」
更に明らかな戦闘態勢の大妖を見せつけられ、大翔は眠りの世界から別れを告げた。
「分かった」
階段を駆け下りる二人。一階に近付くほどに騒ぎの音は大きくなった。
「おいそこの! 何があった? 」
「あっ、申し訳ございません旦那様。昨日お預かりした女性の方が突然刀を抜いて…… 」
「はぁ!? 」
怯えたように大妖に頭を下げる下働きの妖たちの脇を走り抜ける大翔と大妖。大広間に駆け込んだその時、さっきの話の意味を理解した。なんとあの傷だらけだった女性が玉藻前に斬りかかっているのである。
「なぜ私を癒やした!! 取って食うつもりならさっさと殺してみろ!! 」
「まずは話を聞いてくだされ旅のお方」
玉藻は恐らく念力のような何かで女性の動きを封じているのだろう。程なくこちらに気付いた玉藻がこちらに目配せを送ってくると、大妖は大きくため息をついた後、息を吸い込んだ。
《平伏せよ。武器を捨てて動くな》
次の瞬間、女性の周りだけ重力が100倍になったかのような加速度が生まれ、刀を持った巫女はそのまま地面に叩きつけられた。しかも刀は独りでに巫女の手を離れ、大妖の足元に突き刺さった。
「全く、なんて朝だい」
「ハァ、ハァ…… 申し訳ない旦那様。不覚を取りました」
念力を解除して肩で息をする九尾の狐。呪言で組み伏せられてなお斬りかからんともがく巫女の目の前にしゃがみ込み、髪の毛を引っ張り上げた。
「お主、名は? 」
「姫月 和希…… 」
「祓魔師か? 」
「それ以外あると思うのか!?早く殺せよクソ天狗!! 」
「……ふぅ、面倒な女じゃのう」
ため息の後、再び大きく息を吸う大妖。しかしこの間大翔も、玉藻さえも、身動き一つ取れなかった。
《誰も殺すな。妖も、自分も手をかけるな》
大地の底から響いてくるような声。一語一語に妖力が込められたその命令は、恐らく解除されない限りは絶対に破れない強い契りなのが誰の目からも見て取れた。
「どういうつもりだクソ天狗!! 」
大妖の胸ぐらをつかもうとした祓魔師。しかし見えない壁にぶつかったかのように両手が弾き飛ばされた。
「お前はこれから、この宿の住み込みになる。その危うい性情を玉藻に叩き直してもらえ」
目線を送る大妖、静かに頷く玉藻。和希はやり場のなくなった拳を思いっきり壁に叩きつけた。
「さて大翔よ」
「なんだよ天狗様。顔洗って歯を磨くんなら朝飯食ってからにしようぜ」
「奇遇じゃな。同じことを言おうと思っておったわ」