隠れ里 過去を知る宿
「ここじゃ。『金狐亭』、ここの隠れ里の長でもある玉藻前が切り盛りしておる」
「へぇ、玉藻前がねぇ…… 」
いかにも古風な豪邸。普通なら門を潜ることすら躊躇しそうなものであったが、大妖は何食わぬ顔で大翔の背を押した。
「え?いや予約とかは…… 」
「気にするな。わしがおる」
これまたいかにもな苔むした小道を歩く二人。程なく玄関らしき開けた場所が見えてくる。
「いらっしゃいませ。お久しぶりですね旦那様」
お出迎えというやつだろうか。人の姿をした、しかし人ではない何者かが1列に並び、揃ってお辞儀をしている。
「御苦労様じゃ、玉藻殿」
「あ、どうも…… 」
列の右端の獣耳の妖に語りかける大妖。大翔もまた場の空気を読んで精一杯会釈した。
「その脇の女の方は? 」
「道すがら拾った。治療を頼めぬか? 」
「分かりました。お預かりいたします」
玉藻前の声に呼応する様に左端側の数人が大妖から女性を預かり、音も立てることなく奥へと連れて行ってしまった。残る数人も大翔や大妖の手荷物を受け取るために一斉に動き始めた。
「さて、旦那様の空気から察するに……あなたが秋月 大翔様ですね」
「あ、はい。どうも」
獣耳の妖が大翔に向き直る。九本の尻尾になんらかの加工を疑うレベルの艷やかな金色の毛並み、間違いなく大翔も知る九尾の狐『玉藻前』だった。
「初めまして、この『金狐亭』の主人をやらせてもらっております玉藻前と申します。立ち話もなんですからまずは奥へ」
「は、はい…… 」
「フン、主賓はわしじゃぞ全く…… 」
・・・・・・・・・・・・
「いやぁ、ここの飯は相変わらず美味いのぉ。風呂の湯もよぉ出来とる」
「えぇ、なんとかやらせてもらっています」
急いで風呂に入った大翔と大妖は、浴衣姿でとてつもない量のご馳走にありついていた。そのお膳の向かいには玉藻前が綺羅びやかな出で立ちで控えている。
「明日からは早いし何より疲れる。しっかり休んでおけ」
「……はい」
「ふふっ、随分と面倒見が良くなったのですね旦那様」
「う、うるさい! 小僧に死なれたら困るだけじゃ」
すでに徳利を四、五本空けていい感じに酔っ払った大妖は本当に気前のいい好々爺といった雰囲気で、大翔はその変わり様にやや困惑していた。
「……ふぅ、ちと酔いが回った。奥の厠を借りるぞ」
「はい、好きなだけお使いください」
勢いよく襖を閉めて部屋を出ていく大妖。
「……えっと、なんて呼べばいいんでしょうか」
「気軽に玉藻とお呼びください」
そう言うと玉藻前は九本の尾をゆらゆらと動かしながら大翔の隣に移動し、懐から何かを取り出しながら静かに大翔の手を取った。
「これは……地図ですか? 」
「そうですね、この里の地図になります。あなたのお祖母様には大変お世話になりましたので、その恩を少しだけあなたにお返しします」
「そうですか……それは、婆さんに感謝しなければですね」
地図を開く大翔。恐らく大妖の名前の手がかりとなるであろう場所には赤いバツ印が付けられている。
「……俺じゃなくて、天狗様に渡すものでは? 」
「妖の掟なのです、『名を失ったものに手を貸すな』と。私はこの里の守り手であるゆえに、掟を破るわけにはならないんです」
「そうですか…… 分かりました、お受けします」
手元にあったポーチにとりあえず地図をしまう大翔。その瞬間、まるで見計らったかのように大妖が帰ってきた。
「お、おおよそ飯は片付いたか。手を付けてない膳は下働きたちに譲ってやってくれや」
「ちょ、そんな残飯を押し付けるみたいなのは…… 」
「えぇ、ありがたく。それではお休みなさいませ」
ポンポンと手を叩き、下働きたちとともに玉藻前は膳を下げて行ってしまった。二人で泊まるには少し広すぎる部屋を見渡し、大翔は大妖の方に目線を移す。
「……明日、どれくらいに出る? 」
「この部屋は夜明けの光がよく入るんじゃ。それが支度の合図かの」
「分かった、先に寝かせてもらうわ。お休み」
風呂に行っている間に玉藻たちが敷いてくれた布団に潜り込む大翔。一日中張り詰めていた疲れが出たのかあっという間に寝息を立て始めた。
「……まさか、わしがまた人に頼る羽目になるとはな」