揺と和希 時には昔の話を
「俺は昔、妖を率いて人の街を襲ったことがある。まぁ何百年も前の話だがな」
煙草を懐の灰袋に落とし、キセルへと持ち替えながら揺が語り始めた。和希はその横顔を眺めながら耳を傾けた。
「お前さんも聞いたことがあるだろ?『修羅堕ち』ってやつを」
「あ、あぁ。妖が強い感情に支配されたときになるとは師匠から聞いた」
「なら話は早い。俺は当時修羅に堕ちてたってわけだ。同じく修羅に堕ちた妖たちを連れて総大将ってビビられてたもんさ」
「それって…… 」
「あぁ、『ぬらりひょん』なんてあの頃は呼ばれてたな」
大きく煙を吐き出す揺。眼鏡越しにチラリと映るその目はどこか悲しそうな空気を纏っていた。
「あの時はよぉく暴れたさ。ま、そんな俺を救ってくれた心優しい女がいたのさ。あの人の名前は…… 秋月 詠子だ」
「秋月…… まさか…… 」
「そ、大妖の旦那にくっついてたあの坊主のばぁさんにあたる人だ」
「……妖との縁は世代を超える、か」
「あぁ。あのばぁさんもあの小僧に負けねぇお人好しだったよ」
東屋の天井を眺める揺。それまで全くと言っていいほどに動かなかった彼の口元がふっと緩むのを和希は見逃さなかった。
「ま、あのばぁさんに救われて無事修羅を抜けた俺はこの里の番人になった。そんな時、ある事件が起きたんだ」
「事件?…… 」
「金物目当ての強盗殺人ってやつだ。それで当時まだ若かったとある鎌鼬の恋人が殺されちまった」
「人間も妖も欲にくらむとそうなるのか…… 」
天井から目を離した揺と目が合う和希。彼の目の中に何か強烈な決意を感じた和希は、自然と固唾を飲んでいた。
「恋人を失ったその鎌鼬の名前は……疾風薙。あいつはそのまま修羅に堕ちた」
「疾風薙…… 」
意外な名前が出たことに驚きつつ、和希は手元に視線を落とす。
「修羅堕ちを止めてやりたかったのは里の皆が思ったさ。でも…… 」
大きく息を吐き、キセルを握り締める揺。
「一番あいつの近くにいながら、あいつを止められた場所にいながら…… 止められなかった。あいつの気持ちが痛いほど理解できたからよ」
ふと悲しそうな眼を見せる揺。下を向いている和希すらわかるほどに、彼の周りの空気が歪み風が吹き荒れた。
「こんなもんさ。俺はいうなれば、お前の仇を生み出した張本人ってわけだ。さ、殺すか? 俺を」
「…… 」
うつむいたまま動けなくなる和希。その答えを待たずして、揺はまた天井を仰いだ。
「どれだけ強くなっても、目の前の一人すら救えない…… 悲しい男だよ、俺は」
次の瞬間、とてつもない音を立ててキセルが真っ二つにへし折れた。
「おっといけねぇ、つい熱が入っちまった。わりぃな」
「いえ、大丈夫です」
「……ますます迷いが強くなったってところか。まぁいいや、雨が止むまではこっから動けねぇんだし、のんびり考えな」
そう言って揺は和希と向かい合う席に腰を下ろし再び煙草に火を点けた。




