金狐亭にて すれ違う二人
「お帰りなさいませ、旦那様」
宿に戻った大翔と大妖を出迎えたのは、意外にも玉藻前ではなかった。おかっぱ頭の彼女は『座敷わらし』と呼ばれる妖である。
「おぉ童、出迎えご苦労。玉藻はどうした? 」
「少し体調を崩されまして…… 今、支配人室でお休みなさっておられます」
「そうか…… 分かった。お疲れ様じゃ」
「ありがとうございます。お風呂は支度が整っておりますのでお好きにお使いください」
座敷わらしはトテトテと奥の方に去っていった。疲れで既に立つのも一苦労な大翔を見かねて、大妖が声をかけた。
「風呂と昼寝、どっちを先にやりたい? 」
「俺は昼寝かな。天狗様は先に風呂に行っててくれよ…… ファア…… 」
「じゃ、そうさせてもらうかの」
・・・・・・・・・・
「……迦穂は死ぬ、か」
荷物を置いてとりあえず畳の上に横になる大翔。体は間違いなく疲労しているのに、なぜか眠気は来なかった。
「あの時、迦穂を止めてれば変わったのかな…… いや、そんなことあいつが望むわけないもんな」
邪な思考を振り払って改めて大の字になる。程なくして入り口の襖が開いた。
「あ、あなたは…… 」
「……お布団を敷きに上がりました」
「ど、どうも…… 」
なんとなく気まずい空気になってしまった。黙々と布団を敷く和希に大翔は少し話しかけることにした。
「あのさ、なんて呼べばいいかな? 」
「和希、で結構です」
「じゃあ和希さん、傷の具合はどう? 」
「ほぼ完全に治ってます。お助けいただいてありがとう」
再び場を流れる沈黙。話題を必死に探そうと体を起こそうとしたその時、今度は和希がボソッと語り掛けてきた。
「大翔君は、妖をどう思ってるんだ? 」
「……うーーん、難しいなぁ。まぁでも、人間と一緒でみんな違うんだなって思うよ」
「……悪意を向けられたことだって少なくないだろ? そこに怒りや憎しみはないのか? 」
「そこまで心から憎めないかなぁ…… 僕は、だけどね」
「そう、か。変なことを聞いた。布団は敷き終えたから、ゆっくり休んでください」
ありがとう、と大翔が言い終わる前に和希は無言で部屋を去ってしまった。
「……難しいな。人と話すのって」
・・・・・・・・・・・
「ふぅ、しかしまぁなんとも物騒なことになったのぉ」
下手をすれば常人五人分程度の場所を取りそうな体格の大妖ですら足を伸ばせる大露天風呂につかり、改めて隠れ里に入るまでの出来事を振り返る大妖。
「……小僧には少し酷なことを言ってしまったが、言わずにいるよりはましじゃろ」
「おや、随分と思い切りが良くなりましたね旦那様」
「相変わらずの地獄耳じゃな、玉藻」
そもそも妖に性別という概念がないため風呂は混浴となってはいるのだが、それにしてもまだ日が暮れる前から玉藻が風呂に入るのは珍しいことである。
「それで? お主はわしに何を聞きたいんじゃ? 」
「……名を取り戻すその旅の果て、あなたは何を欲するのです? 」
「そんなものは知らん。気の向くままにやるだけよ」
「そうですか…… 」
少しだけ見合った後、お互いに風呂に持ち込んでいた徳利と猪口を手に銘々が一杯目を注いだ。
「……やはり俺が里に入る前に会ったあの鎌鼬、疾風薙か」
「お気づきでしたか」
「お前を親のように慕っていたあやつがここにおらんのはそれ以外ありえんだろ」
「……それもそうですね」
酒を注ぐ手が止まる玉藻、対照的に大妖は二杯目をぐいっと飲み干した。
「安心しろ。身内を切るのはつらかろうて」
「……待ってください、それは…… 」
「掟は掟、守り手が割り切れんでどうするというんじゃ。もう少し冷たくなれ」
慌てて自分の方を向いた玉藻の肩を押さえ、無言で湯船を出ていく大妖。その背中に宿っていた言い知れぬ哀しさに玉藻は何も言い返せなかった。




