金狐亭にて 人 と 妖
「玉藻様、一階の掃除が完了しました」
大広間の裏側の扉を開ける和希と雷獣。支配人に清掃完了の報告を行いに来たのだ。
「了解しました。ご苦労様」
生け花が一差しと小さな机、たったそれだけしかない小部屋でしかないのに玉藻が座るだけで神域のごとき厳かな空気が場を支配していた。
「さぁ、お昼ご飯を先に済ませておいで」
「かしこまりました。失礼します」
雷獣のお辞儀に合わせて頭を下げる和希。二人そろって部屋を出ようとしたその時、玉藻の凛と通る声が六畳ほどの部屋の空気をまたがらりと変えた。
「和希、あなたには少し話があります」
「……はい? 」
「少し残っていただけませんか? 」
「……分かりました」
玉藻の空気を察した雷獣がそそくさと部屋を出て行ってしまった。少しばつが悪そうに和希がおずおずと顔を上げると、そこにはどこか寂しそうなそして悲しそうな顔で自分を見つめる玉藻がいた。
「……まだ、妖を憎んでいますか? 」
「……分からない」
「そうですか…… 少し、昔話をしましょう。私はあなたを知りたいんです」
立ちっぱなしの和希を椅子へ促し、玉藻は机のそばに一枚だけ敷かれた畳に静かに正座した。少しの沈黙が流れた後、和希がぽつりぽつりと口を開いた。
「私は、幼い頃に両親を妖に殺されました」
「……妖が…… そうでしたか。 そして祓魔師に? 」
「はい、拾ってくれた養父がそうだったので。その後16まで剣を習っていたのですが…… 」
「再び、ですか」
拳を握りしめる和希。玉藻はスッと立ち上がり、和希の肩にそっと手を置いた。
「おそらくは疾風薙ですね? 」
「な!? なぜそれを…… 」
「あの者は…… 元はこの里の者ですから。ここ十年そこらで里を出たのはあの者くらい…… 何もできずに本当に申し訳ない」
思い切り和希を抱きしめる玉藻。普段なら間違いなくこの場で隠し持っている短剣を突き立てるほどの怒りに襲われるはずなのだが、大妖の呪言のせいかはたまた別の問題なのか和希は怒りを覚えなかった。
「……少し、私の話を聞いていただけませんか? 和希」
「はい」
「ありがとう」
玉藻が2回ポンポンと手を叩くと、丁度和希が座っているものと同じくらいの椅子が現れた。玉藻は和希の前に椅子を置き、静かに腰を降ろす。
「妖と呼ばれる存在は、人々の『畏怖』の念から生まれます」
「……畏怖? 」
「はい。あなたも幼い頃は台風を怖がったり、今でも嫌いなものがあったりするでしょう? 」
「まぁ、それは…… はい」
突拍子もない話に戸惑いながらも返事する和希。先程までとは打って変わって、玉藻の目は悲しみに満ちている。
「妖が生まれるのは、その人間の心なんですよ」
「なる、ほど…… 」
意味は理解できるものの、いまいち飲み込みきらない返事を返す和希。うつむく玉藻を覗き込むと、目尻に少しだけ光るものが見えた。
「そして…… 時代が進み文明が発達した今、人間の自然に対する恐怖が薄れつつあります」
「そうですね」
「そして、それはつまり妖の存在理由が消えて来てしまっている事と同じなんですよ」
「……あ」
玉藻の涙の意味を理解した和希が一瞬固まる。目を抑え涙を拭いた玉藻はスッと顔を上げて和希を見据えたが、その目に宿る虚しさには吸い込まれるような力があった。
「今、妖は緩やかに滅亡の一途を辿っています。住むべき隠れ里は狭まり、我々は力を失っていく…… その中で、生へ執着する者たちが見境なく周囲に襲いかかっていくのです」
「それが、疾風薙…… 」
「そうです。そして妖には『修羅に墜つるは野垂れ逝け』という大原則があるのですよ」
「村八分、ですか」
「えぇ、もうあの者は私では救えない…… 私は…… 里の守り手でありながらっ!…… 」
小刻みに震える玉藻。その心の内を知ることは和希には叶わなかったが、和希は自身の心にどこか悲しいような風が吹きすさぶのを感じた。
「みっともないところをお見せして申し訳ない。私からはこの程度のお話しかできませんので…… 」
「いえ、大丈夫です。むしろ教えていただきありがとうございます」
お互いの目がひとしきり赤くなったところで、話はお開きとなってしまったのだった。




