21 用無しの臣下
槍は、マヴロの胴を貫通した。
確かに突き刺した感触があった。それは間違いない。
……そう、マヴロが普通の人間であれば、この戦いはここで終わっていただろう。
だが、マヴロは“魔物”……いや、“魔族”なのだ。
自身に突き刺さった槍を掴むマヴロ。少し力を込めただけで、槍はいとも簡単に折れてしまった。
「な……っ?!」
ルバートが後退りする。マヴロは槍の先端を引き抜いて、からん、と捨てた。
その手は、まるで狼のようで。
「王女……いけない、血が……ああ、だめだ、駄目です、王女を傷付けてしまった……私が……私が……王女、嗚呼……」
うわ言のように言葉が虚空を舞う。自らの手を見て、ふるふると震えるマヴロ。様子がおかしい。
だが、もう一度トドメを刺せばとルバートは考えたようだ。折れた槍をもう一度、今度はマヴロの眼窩に突き刺そうと……
……次の瞬間、ルバートが飛んだ。
「……え?」
レギリィはただ呆然とするしかなかった。一瞬で、たった一撃で、ルバートが吹き飛ばされたのだ。
叩きつけられた建物は瓦礫と化す。土煙のなか、ルバートは起き上がった。
……なにが、起きた?
身体中が痛い。咄嗟に受け身を取らなければ死んでいた。
こちらに影が近づいてくる。見れば、それは手の長い、多眼の真っ黒な狼男のようで……
瞬間的に察した。これが、マヴロの本来の姿なのだろう。そして、本来の姿を表したということは、つまり……
背筋が凍る。奴は、マヴロはルバートを本気で殺すつもりだ!
「くっ……!」
痛む体に鞭打って立ち上がろうと……
だが、マヴロはそれを許さなかった。
「が……っは!」
マヴロの蹴りがルバートの腹に食い込む。何度も、何度も、何度も。剣を取り出すでもなく、急所を狙うでもなく、ただ、腹を蹴りつける。
その八つの瞳に並々ならぬ憎悪を滾らせて。
「……私は怒っているのですよ。ルバート・マンチェスト。何故だかわかりますか? わかりますか? ええ、わからないでしょうね」
「や、めろ……!」
霞む視界の向こうで、マヴロがルバートをなぶるのが見える。レギリィはふらつきながら、そちらに向かう。
「よりにもよって! 私に王女を傷付けさせた! その事に私はひどく怒っているのですよ、ええ! 王女を守ることこそ私の使命。だというのに、だというのに王女に傷を負わせてしまった……他ならぬ私の手で! ええ、私は! 怒っているのですよ!」
ルバートはもはや抵抗さえできなかった。もう何本か骨が折れているのだろう。ぼろ雑巾のような彼を蹴り続けるマヴロに……レギリィこそ、怒りを抑えられなかった。
「いい加減にしろこのゴミクズが!!!」
先ほどマヴロが捨てた槍の先端を掴み、マヴロの頭に突き刺そうと振りかざす。
だが、ワンテンポ遅かった。マヴロは気付き、槍を受け止める。
「……いけません、王女、傷口が……」
「馬鹿にするな!!!!」
そのままマヴロの顔面を殴り飛ばすレギリィ。よろめいたマヴロと、意識のないルバートの間に立つ。
目を見開くマヴロに、ぶつけるように叫ぶ。
「おまえの身勝手をわたしに押し付けるな!!! ラトゥリアの分も、ルバートの分も、おまえに返す。必ず返す! わたしはレギリィ!! ルバートとラトゥリアの、イーターの仲間だ!!!」
言葉を失うマヴロ。なにか言おうと口を開こうとしたとき……マヴロの後ろで砂が舞った。と、その砂の一粒一粒が燃え始め……大きな火炎がマヴロを包む。
「よく言ったね、レギリィ」
現れたのは、アルダ、フィンレー、マチゲリーノ、ネフリティスだった。
「フィンレーくん、ルバートくんの保護をお願いするよ。ネフリティスくんは私とレギリィくんと一緒に戦って。チノちゃんはラトゥリアちゃんの捜索。よろしくね」
アルダが全員に指示を終え、炎の向こうでレギリィに笑いかける。
フィンレーとマチゲリーノが動き、視界から外れたのを確認して、アルダはレギリィに問いかけた。
「レギリィくん、まだ戦えるね?」
まったく厳しい。目から血を流し、吐血し、その上右腕に剣を貫通させられたレギリィにその一言だ。だが……だが。だが、レギリィの答えは決まっていた。
顎を引き、強気に笑う。こういうときこそ、背水の陣でこそ不敵に笑うのだ。
「もちろんだ」
どっ、と強い風が吹いて、炎が消えた。そこに立つマヴロにの姿に、アルダが苦笑混じりに呟く。
「ほとんど無傷とは……恐れ入ったよ」
マヴロの表面の毛は確かに焦げていた。だが……これといったダメージは見えない。ただ、そこに立っているその姿が、圧倒的な力の差を見せつけているようだった。
「……なぜです」
マヴロが呟く。八つの瞳がレギリィを見る。その目に写っていたのは、哀愁と困惑。ただただ、わからない、そう訴えるように。
「なぜです、王女。私は貴方を守りたいだけだというのに……貴方には為さねばならない大義がある。だというのに、なぜそんな小さな……矮小な虫けらに味方をするのです?」
その声に驚いた顔を見せるアルダとネフリティス。それもそうだろう、彼らの知るマヴロは……ジェット・ブラックという名のイーター幹部だ。
しかし、目の前にいるのは魔物。そう割りきったのか、すうっと二人とも表情が戻る。「言ってくれるね」とネフリティスが呟いた。
……矮小な虫けら。マヴロから見ればそうなのかもしれない。だが、レギリィにとっては……
レギリィは答えた。
「わたしの仲間を侮辱するな。わたしは王女じゃない」
……ジェット・ブラックという幹部は、街の人々から慕われていた。そう、慕ってくれていたのだ。それさえも捨てようというマヴロの気持ちはレギリィにはわからない。
「王女……いけません、王女。貴方は……」
そこまで言って、マヴロは口を閉ざした。ふぅ、と小さく息をつく。
「御託は良いよ、ジェット・ブラック。そろそろ始めようか?」
特徴的なハスキーボイスが、戦いの火蓋を切った。カラスが一斉に飛び去っていった。